第一部 第五章 燃える街(11)
炎の赤に照らされながら、モルガンが立っていた。
肩まで伸びた金髪は血で濡れ、額から流れた赤が頬を伝っている。黒い服もあちこち裂けていた。腕。脇腹。肩。何か所も切られている。棍棒を握る右手からは血が滴り、その雫が地面へ落ちていた。近くで見ると、思った以上に酷い傷だった。
「モル……ガン?」
呆然と名前を呼ぶ。頭が回らない。なんでここにいる。なんで戦ってる。なんでそんなボロボロなんだ。疑問が多すぎて、逆に何も考えられなかった。
モルガンは吹き飛ばした男を一瞥すると、地面へ転がっていた剣を蹴った。刃が石畳を擦り、火花を散らしながら俺の足元へ滑ってくる。
「剣、振れるようになったんだったな」
低い声だった。だが、いつもの余裕はない。呼吸が荒い。肩もわずかに上下している。俺は足元の剣を見る。火の光を反射する刃。血がついていた。誰のものかなんて考えたくなかった。
「守りてえもんがあるなら、その力使え!!」
腹へ響く怒声だった。思わず肩が跳ねる。
その瞬間。止まっていた頭が、一気に動き始めた。そうだ。孤児院のみんな。街の連中。守らなきゃいけねえ。
周囲の音が戻ってくる。鐘。悲鳴。怒号。燃える音。全部まとめて押し寄せてきた。
剣を掴む。冷たい。汗で柄が滑りそうだった。周囲を見る。まだ何人もの連中が住民へ襲いかかっていた。
モルガンはそんな俺を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
次の瞬間、地面を蹴る。でかい身体が信じられねえ速さで飛び出した。住民を追い詰めていた男の背後へ回り込み、棍棒を叩き込む。嫌な音。男が吹き飛び、石壁へ激突した。別の奴が家へ押し入ろうとしていた。モルガンはそいつの肩口を横殴りに吹き飛ばす。骨が砕ける音がした。怖ぇくらい強かった。
その姿に住民たちも我へ返ったらしい。
「や、やり返せ!!」「止めろ!!」
港夫たちが木材や工具を掴み始める。押されていた空気が少し変わった。
俺も走る。目の前で剣を振り上げた男へ、無我夢中で斬りつけた。
肉を裂く感触。重い手応え。男が崩れ落ちる。
「っ……!」
全身が震えた。手が震える。呼吸が乱れる。足まで震え始める。初めてだった。人を斬った。自分の手で。怖気が込み上げる。でも自分の腿を拳で殴った。痛みで無理やり身体を動かす。地面を強く踏みしめる。震えんな。止まんな。守るんだろ。何度も心の中で繰り返した。
軍港の方角からは、今も雄叫びみてえな声が響いている。だが、こっちへ来てる敵はそこまで多くない。ほとんどは帝国軍の施設へ向かってるのかもしれなかった。この辺りは、抵抗し始めた住民たちでなんとか押し返せている。それを見て、ようやく少しだけ息を吐いた。
「イグナ。少しだけ聞け」
横から声が落ちてきた。振り向く。いつの間にか、モルガンがすぐ横に立っていた。近くで見ると、傷はさらに酷く見える。息が荒い。棍棒を握る手も血で滑っていた。膝が少し揺れている。それでも立っている。
「俺は弱ぇ」
ぽつりとモルガンが言う。
「弱ぇから、こんなことになっちまった」
声が少し掠れていた。炎の光が、その横顔を赤く照らしている。
「俺は孤児院を守りたかった」
胸が詰まる。
「でも、俺は怖がらせることしかできなかった」
モルガンが自嘲するみたいに笑う。
「殴れば黙ると思ってた。力見せりゃ、誰も手ぇ出せなくなると思ってた」
その声を聞いて、昔のことを思い出す。港のゴロツキ追い払った時。孤児院に絡んできた酔っ払いを黙らせた時。モルガンはいつも、力で全部なんとかしようとしてた。
「でも力で押さえつけりゃ、余計に憎まれるだけだった」
遠くで誰かの悲鳴が上がる。モルガンは赤く染まった空を見上げた。
「気づいた時には俺の周りは、怒ってる奴ばっかだった。……そうして、自分の弱さを、帝国や生まれのせいにした」
俺は何も言えなかった。今のモルガンの目は、昔みたいに優しかった。孤児院のガキどもへ飯を分けてた頃の目だ。
「俺は弱ぇ」
モルガンがもう一度言う。そして真っ直ぐ俺を見る。
「でもお前は違う。お前は、心の強ぇやつだ」
その言葉が妙に重かった。
モルガンは棍棒を握り直す。だが、握った瞬間わずかに顔が歪む。腕が限界なんだ。
「俺は責任を取らなきゃならねえ。お前は孤児院を守ってくれ」
その声でわかった。こいつ、戻ってくる気がねえ。命捨てるつもりだ。
「お前は俺みてえになるな」
そう言い残し、モルガンは軍港の方へ歩き出した。声が出なかった。呼び止めなきゃいけねえのに。何か言わなきゃいけねえのに。喉が張り付いたみたいに動かない。モルガンの背中が遠ざかっていく。その肩が、一瞬だけ揺れた気がした。何か言おうとしたみたいに。でも結局、振り返らない。
「死ぬんじゃねえぞ!! モルガン!!」
腹の底から叫ぶ。その声に、モルガンの足がほんの一瞬だけ止まった。だが振り返らない。そのまま、また歩き出す。
「……すまねえ」
風に消えそうな小さな声だった。聞き間違いかと思うくらい小さかった。でも確かに、そう聞こえた。
歯を食いしばる。そして背を向けた。俺は孤児院へ戻らなきゃいけない。帝国の施設が狙われてるなら、教会だって危ねえかもしれねえ。
走れ。止まるな。
俺はモルガンとは逆の方向へ、全力で駆け出した。




