第一部 第五章 燃える街(10)
鐘の音で目が覚めた。
重たい眠気の中で、遠くから鐘が鳴っている。ゆっくり。何度も。嫌な鳴り方だった。次に気づいたのは、部屋の中が赤いことだった。窓の隙間から差し込む光が、天井や壁をぼんやり染めている。
「……なんだ?」
身体を起こした瞬間、鼻を突く臭いに気づく。煙だ。焦げた木の臭い。その途端、一気に意識が冴えた。
寝台から飛び起きる。廊下へ出ると、子供たちの泣き声が聞こえた。ルクシアが必死に宥めている。
「大丈夫、大丈夫だから!」
その奥では、セレナが小さい子を抱き上げていた。不安そうに震えている子供の背中を、何度も撫でている。窓の外から入り込む赤い光が、皆の顔を不気味に照らしていた。
「イグナ!」
ルクシアが振り返る。
「外、火事――!」
「見りゃわかる!」
思わず強い声が出た。言った瞬間、少し後悔する。余裕がなかった。胸の奥がざわついている。なんだか嫌な感じがした。
「俺、ちょっと見てくる!」
そう言い残し、孤児院を飛び出した。
外へ出た瞬間、熱気が顔へぶつかってくる。夜なのに暑い。河から吹く風まで生ぬるかった。火の粉が風に乗って舞っている。街のあちこちが燃えていた。空が赤い。真夜中なのに、夕焼けの中へ放り込まれたみたいだった。
「水だ! 急げ!」「こっち燃えてるぞ!」
近所の連中は総出で消火していた。裸足のまま飛び出してきた奴もいる。寝巻き姿の女が泣きながら桶を運んでいた。俺もすぐにその輪へ飛び込む。孤児院にはルクシアとセレナがいる。あの二人なら子供たちを落ち着かせられるはずだ。今はこっちだ。
井戸へ走る。縄を掴む。水桶を落とす。冷たい水音が響いた。引き上げる。重い。肩が軋む。でも止まれなかった。水を運ぶ。投げる。また走る。煙で喉が焼ける。熱で目が痛い。
「くそっ! 全然消えねえ!」
怒鳴りながら水をぶちまける。だが火は弱まらない。屋根を這うみたいに炎が広がり、隣の家へ移り始めていた。乾いた木材が、ばちばち嫌な音を立てる。火の粉が空へ舞い上がる。街の中央の方はもっと酷かった。煙が空を覆ってる。鐘の音も鳴り止まない。
これ、本当に火事か?
そんな考えが頭をよぎった時だった。遠くから声が聞こえた。歓声みたいな。雄叫びみたいな。ぞわりと背筋が粟立つ。
「……なんだ?」
汗と煤を腕で乱暴に拭い、声の方を見る。暗い通りの向こうから、人影が走ってきていた。一人じゃない。何人も。獣の毛皮を肩へ掛け、斧や剣を握っている。
武器に赤黒い染みが見える。血だ。
その時、ようやく理解した。あいつら、もう人を殺してる。
周囲でも誰かが気づいたらしい。小さな悲鳴が漏れる。
「逃げろ!!」
声を張り上げる。火に必死だった連中も、一斉にそっちを見た。そして場が崩れる。悲鳴。怒号。泣き声。桶が落ち、水が石畳へぶちまけられる。我先に逃げ出す人々。その背中へ、原住民たちが襲いかかった。
斧が振り下ろされる。鈍い音。血飛沫。誰かが絶叫した。
頭が真っ白になる。嘘だろ。なんでこんなことになってんだ。
倒れた男が、這うみたいに手を伸ばす。助けを求めるみたいに。だが蹴り飛ばされ、もう動かなくなった。港夫の一人が木材を掴み、殴り返そうとした。でも駄目だった。すぐ囲まれる。刃が振られる。男が崩れ落ちる。その顔には見覚えがあった。昼間、一緒に荷物を運んでた奴だった。
なのに現実感がない。まるで悪い夢でも見てるみたいだった。
身体が動かない。怖い。何が起きてるのかわからねえ。
そうして――とうとう目の前にも、一人が現れた。毛皮を纏った原住民の男。血走った目。そいつが、刃こぼれした剣を振り上げる。
そこで初めて気づいた。武器を持ってねえ。剣は孤児院だ。
周囲の音がやけにはっきり聞こえた。鐘。悲鳴。燃える音。全部遠い。なのに、剣についた血だけが妙にはっきり見えた。
ああ。もう駄目かもな。
そんな考えが頭をよぎる。イオリと剣の稽古したことを思い出した。せっかく少しは振れるようになったのに。持ってくりゃよかった。なんで今そんなこと考えてんだ、俺。
「――ぼさっとしてんじゃねえ!!」
腹へ響く怒鳴り声。次の瞬間、何かが凄まじい勢いで横を通り過ぎた。鈍い衝突音。目の前の原住民が吹き飛ぶ。壊れた荷車へ叩き込まれ、木片を撒き散らしながら転がった。
何が起きたのかわからず、そっちを見る。
黒い服。長身。肩まで伸びた金髪。片手で大きな棍棒を担いだ男が、炎の赤に照らされながら立っていた。
モルガンだった。




