第一部 第五章 燃える街(6)
「――なんだと!」
怒声が港に響き渡った。積荷を運んでいた男たちの手が止まる。縄を引いていた者も、樽を転がしていた者も、反射みたいに声の方へ視線を向けた。さっきまで飛び交っていた掛け声が止み、港の空気が一瞬で張り詰める。
声の主はデナリオだった。普段は豪快に笑う男だが、今は頬を紅潮させ、拳を固く握り締めている。その前には、商会の若い職員らしい男が小さく肩を縮めて立っていた。服は河水で濡れ、片袖が破れている。額には乾ききっていない血まで付いていた。
「何かあったんですか?」
思わず近くの作業員へ声をかける。男は嫌そうに眉をしかめた。
「まただよ。商船が襲われたらしい。今度は食料船だ」
その言葉に、胸がざわつく。また。つまり今回が初めてではない。実際、この数週間で似たような話を何度か耳にしていた。河を下る商船が襲われた。積荷が奪われた。船員が戻ってこない。最初は河賊崩れの仕業だと思われていた。だが件数が増え始めている。しかも狙われているのは、ほとんどが食料を積んだ船だ。
僕は無意識に大河の方を見た。夕焼けを映した河面が赤黒く揺れている。対岸にはイングラシア島の森が広がり、そのさらに南――海を越えた先に、ラーム帝国はある。帝国籍の商船を襲う。それがどれだけ危険なことなのか、僕ですらもう理解していた。実際、最初の事件が起きてからは軍船が河を巡回している。それでも襲撃が止まらない。
デナリオは低い声で次々と質問を飛ばしていた。
「船は何隻いた」「旗は見たか」
商会員は青い顔のまま必死に答えている。周囲で聞いていた作業員たちも、次第に顔を曇らせ始めていた。ここ数週間、港の空気は明らかに変わってきている。誰もはっきり口にはしない。けれど皆どこか落ち着かない。
デナリオは話を聞き終えると舌打ちし、乱暴に上着を掴んだ。
「軍港へ行ってくる」
それだけ言い残し、足早に港を出ていく。普段の豪快さとは違う、切羽詰まった背中だった。残された港には、妙な静けさだけが残る。遠くで河水が岸壁を叩く音が聞こえた。
「……まさかな」
隣で小さく呟いたのはイグナだった。その表情は険しい。
「賊の連中、黒い服着てたって話が聞こえてさ」
黒服。その言葉を聞いて、頭に真っ先に浮かんだのはモルガンだった。だが、すぐにその考えを打ち消す。黒い服の男など、この港にはいくらでもいる。大工にもいるし、荷運びにもいる。モルガンは確かに荒っぽく、港でも恐れられている。だが所詮は、港の不良連中をまとめている程度の存在だ。帝国軍が本格的に動くような武装集団なら、とっくに取り締まられているはずだった。
「考えすぎか」
イグナもそう言って苦笑した。けれど、その笑いはどこか硬かった。
最近は、陸路の商人が襲われたという噂も聞くようになった。もしこのまま河も陸路も滞れば、街へ入ってくる食料は減る。そうなれば、今度は街の空気そのものが変わるかもしれない。最近は港を巡回する帝国兵の数も増えていた。鎧の擦れる音や槍の金属音が、前より耳につくようになっている。
それでも。次の荷船が岸へ着くと、止まっていた作業員たちは再び動き始めた。
「おい、縄引け!」「そっち樽運べ!」
怒鳴り声が飛び交う。誰だって不安だった。けれど、だからといって仕事を止めるわけにはいかない。生活は続く。港は今日も動き続ける。
夕焼けに染まった大河を見ながら、僕は無意識に拳を握っていた。




