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第一部 第二章 異邦人(2)


 目を覚ました瞬間、最初に見えたのは見慣れない木の天井だった。


 節だらけの板をぼんやり眺めながら、しばらく動けなかった。湿った木材の臭いと薄暗い部屋の空気がゆっくり意識へ染み込んでくる。そこでようやく、自分がどこにいるのかを思い出した。


 昨夜のことが、頭の奥から少しずつ浮かび上がってくる。知らない街。異国の言葉。露店で手放した校章。そして、帰る方法が分からないまま借りたこの狭い部屋。


「……夢じゃないのか」


 小さく呟いた声は、静かな部屋へそのまま吸い込まれていった。


 もしかしたら、眠っている間に元の世界へ戻れているんじゃないか。そんな期待が心のどこかに残っていたのだと思う。けれど窓の外から聞こえてくる聞き慣れない話し声が、それをあっさり否定してくる。


 胸の奥が重かった。


 このまま何も考えずにいたかった。けれど、ただ座っていたところで状況は変わらない。宿代にも限りがある以上、動かなければいけないことくらいは分かっていた。


 ゆっくり身体を起こし、制服の皺を軽く払う。胸元へ視線が落ちた瞬間、校章がなくなっていることに改めて気づき、胸の奥に小さな違和感が残った。そこだけぽっかり穴が空いているみたいだった。


 木の階段を降り、一階へ向かう。


 昨夜ほどではないが、食堂にはすでに何人か客がいた。大柄な男たちが眠そうな顔で朝食を掻き込み、旅人らしい人物が椅子へ深く腰掛けながらスープを啜っている。店員の女性たちは朝から忙しそうに皿を運び回っていた。厨房から漂ってくるのは、焼いた肉と香辛料の匂いだった。


 空腹のはずなのに、不思議と食欲は湧かなかった。昨日食べた脂っこいシチューの味がまだ舌の奥へ残っている気がして、胃が少し重い。


 朝食を頼まず、そのまま店の外へ出た。


 朝の空気は少し冷たく、肺へ吸い込むと頭の奥がわずかに冴える。昨夜は気づかなかったが、朝になったことで街の様子は大きく変わっていた。夜には食事の屋台ばかりだった通りに、今は様々な店が並んでいる。工具や金具を広げる商人、干した肉や穀物を売る店、旅人向けらしい装飾品を並べる露店。通りのあちこちで怒鳴り声が飛び交い、大きな荷車が軋みながら行き交っていた。


 街全体が、朝から動き続けている。


 建築途中の建物も昨夜よりはっきり見えた。木材を運ぶ職人たちが朝早くから作業を始めていて、まだ完成していない壁や足場が街の至る所に残っている。完成された都市ではなく、今も形を変え続けている街なのだと改めて感じた。


 ぼんやり通りを歩いていると、見覚えのある姿が目に入る。昨日、校章を買い取った露店の男だった。赤ら顔の男は朝から店の準備をしていて、木箱を並べたり布を広げたりしながら忙しなく動いている。別に親しくなったわけではない。それでも、この世界へ来てからまともに会話をした数少ない相手だった。完全な他人へ声を掛けるよりは、まだましな気がした。


 少し迷った後、意を決して露店へ近づく。


「……おはようございます」


 男は顔を上げると、すぐに気づいたらしい。


「おう、昨日の坊主か。なんだ、宿には泊まれたのか?」


「はい、なんとか」


「そりゃ良かったな」


 男は木箱を並べながら気楽そうに答える。少しだけ躊躇った後、口を開いた。


「あの……少し聞きたいことがあるんです。仕事って、どこで探せばいいんでしょうか」


 言葉にした瞬間、自分が置かれている状況を改めて突きつけられた気がした。帰る方法は分からない。けれど、それ以前に生きていかなければならない。宿代を払い続ける金も、あと数日しか残っていないのだ。


 このまま何もできなければ、本当に行き場を失ってしまう。


 そう考えると、朝の冷たい空気とは別の寒さが身体の奥へゆっくり広がっていった。


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