第一部 第五章 燃える街(4)
「せいっ――!」
乾いた木のぶつかる音が、夕暮れの港に響いた。
西へ傾いた陽が倉庫の影を長く伸ばしている。昼間の熱をまだ残した地面からは、むっとした暑気が立ち上っていた。少し動くだけで汗が噴き出し、潮風が吹いても涼しいとは言い難い。
続けざまにもう一撃。汗で滑りそうになる木剣を握り直しながら、前へ踏み込む。
「甘い!」
イグナの木剣が横から弾き上げるように叩き込まれた。ガツッ、と鈍い音が響く。次の瞬間、僕の木剣が宙を舞い、乾いた土の上を転がった。
「くそ……っ、もうちょっとだったのに」
肩で大きく息をする。喉が焼けるみたいに熱い。額から流れた汗が頬を伝い、顎先からぽたぽた落ちていった。向かい側では、イグナも木剣を肩に担いだまま荒く息を吐いている。
「危なかったぜ、今の。やるじゃねえか」
港の仕事終わりにこうして稽古するのが、いつの間にか日課みたいになっていた。僕は転がった木剣を拾いながら苦笑する。何度も手合わせしているが、やはりイグナの方が強い。体格はそこまで変わらない。けれど腕力も体力も向こうが上だった。
二人で倉庫の陰に座り込む。日差しが和らいだ。それでも熱気は残っている。潮の匂いと木材の匂い、汗の臭いが混ざった空気が辺りに漂っていた。
「最近やたら気合い入ってるよな」
イグナは空を仰ぎながら言った。
「そろそろ冒険者になる決心ついたのか?」
「いや……そういうわけじゃないよ」
僕は言葉を濁した。自分たちはもっと早くこの街を出るかもしれない。まだいつになるかは分からない。祠へ向かうのが一年後なのか、数か月後なのか、それすら決まっていない。だから、まだ話せない。もし期待させてしまったら。そんなことを考えてしまう。
まずは体力をつけなければいけない。森を越え、渓谷を渡り、山へ向かうなら、今のままでは到底無理だ。剣だって扱えた方がいい。街の外に何がいるかも分からないのだから。具体的な目標ができたことで、自分でも驚くほどやる気が出ていた。金も必要だ。旅の道具も揃えなければいけない。セレナは聖女ではあるが、自由に使える金はほとんど持っていないらしい。なら、自分がどうにかするしかない。最近では、港へ出入りする商人たちの話も意識して聞くようになっていた。どこの道が危険か。北へ向かうなら、どんな装備が必要か。やるべきことはいくらでもある。
そんなことを考えながら休んでいると、突然、船着き場の方から怒鳴り声が響いた。
「おい、ふざけんな!」「やれやれー!」
野次まで飛んでいる。僕とイグナは同時に顔を上げた。船着き場の辺りに人だかりができている。腕っぷしの強い海の男が多い仕事場だ。酒も入れば喧嘩になることは珍しくない。
「……最近こういうの、多くない?」
僕は眉をひそめた。数日前も似たような騒ぎがあった気がする。
「最近さ、なんか妙にピリついてんだよ」
イグナは面倒臭そうにため息を吐いた。
「港の連中も、ちょっとしたことで揉めるしさ。帝国の奴だとか、島の奴だとか、そういう言い方する奴が増えたんだ。この前なんか、知らねえ奴に妙なこと聞かれたぜ。“お前、どっち側なんだ”ってさ」
「どっち側って……」
「知らねえよ。帝国の方か、島の方かって意味だろ。俺に聞かれても困るっつうの」
孤児院には帝国出身の子供もいる。原住民の血を引く子供もいる。けれどイグナにとっては、そんなことは関係なかった。
「同じ飯食って、同じ場所で育ったのにな」
イグナは空を見上げながら呟く。
「最近、変な空気なんだよ」
港の方では、まだ怒鳴り声が続いていた。夕焼けに染まった海の上を、黒い鳥が一羽、鳴きながら横切っていく。




