第一部 第五章 燃える街(2)
セレナはだいたいそんなところかな、と小さく笑った。その笑顔には、少し照れたような色が混じっていた。
「今度はイオリの話、聞かせて」
僕は頷き、自分がこの世界へ来てからのことをゆっくり話し始めた。港へ流れ着いたこと。泥だらけになって働いたこと。デナリオやイグナたちと出会ったこと。宿屋で世話になっていること。孤児院へ通うようになったこと。そして、元の世界へ帰る方法を探していること。話しているうちに、自分でも驚くほど、この世界での出来事が増えていることに気づく。ほんの数か月前まで、何も知らなかったはずなのに。
「――だから、同じ世界の人に会えたのは、セレナが初めてなんだ」
そう締めくくると、セレナは静かに僕を見つめた。
「そっか……」
月明かりに照らされた青い瞳が、少し揺れる。
「イオリの方が、ずっと過酷だったんだね」
確かに、最初から神殿に保護されたセレナに比べれば、肉体的には過酷だったのかもしれない。けれどセレナは十一歳でこの世界へ来たのだ。それを思えば、自分の苦労など比べものにならない気もした。
「でも、不思議」
セレナは少し首を傾げる。
「本当に能力がないの? 説明では一つは与えられるはずなんだけど」
僕は少し迷ったあと、あの時のことを話した。黒い空間。白い光。感情のない声。そして、自分が転移を拒絶したこと。
「……その後、白い影みたいなのが現れて」
僕は夜空を見上げながら続ける。
「"神からの加護は与えられない"って言われたんだ。それで【神から見放された者】って名前を付けられた」
セレナは目を瞬かせた。
「白い影……?」
「人の形だったけど、顔はよく見えなかった。白い少年みたいな感じだったと思う」
「私は、そんなの見てない」
その言葉に、今度は僕が驚く番だった。
セレナも最初は転移を拒否したと言っていた。なら、何か条件が違ったのだろうか。二人で少し考えてみたが、結局理由は分からなかった。
ただ、その時だった。
セレナの表情が、ふっと変わる。
「……その白い人、何か言ってなかった?」
記憶を探る。
そして、あの冷たい声を思い出した。
「“人間の人生には興味がない”って」
その瞬間、セレナの瞳がわずかに揺れた。
夜風が吹き抜ける。さっきまで穏やかだった空気が、少しだけ冷たくなった気がした。
「……やっぱり」
「やっぱり?」
「その言葉、怖いくらい近いの」
「近い?」
「私が、祈りの中で感じたものに」
セレナは月を見上げたまま、静かに続けた。
「神様の声を聞いた、って言うと少し違うんだけど……ただ、祈っている時や、癒しの力を使いすぎた時に、ほんの一瞬だけ、大きすぎる意識の端に触れてしまうみたいなことがあって」
風が草を揺らした。
「そこにあったのは、怒りじゃなかった。憎しみでもなかった。ただ……何も期待していないみたいな、冷たさだった」
僕は、あの白い声を思い出す。
冷たかった。
怒っているようにも、悲しんでいるようにも聞こえなかった。ただ、本当に興味がない。そんな空虚さだけがあった。
「だから、たぶん」
セレナは小さく言った。
「その人……この世界の神様なんだと思う」
僕は何も言えなかった。
この世界の神様。
そう言われても、すぐには受け入れられない。けれど否定もできなかった。あの白い少年には、確かに人間らしい温度がなかった。怒りも、慈悲も、迷いもない。ただ決められたものを動かすように、僕の人生を切り捨てた。
「それとね……」
セレナはそこで少し言葉を止めた。
風が金色の髪を揺らす。
「昔、神殿で聞いたことがあるの。“人は死んだら神へ還る”って。普通の人は、輪廻へ戻って、また新しい命になるって教えられてる。神殿では、それを救いみたいに言うんだけど……」
そこで少し黙る。
月明かりが、伏せられた睫毛を白く照らしていた。
「迷い人だけは、少し違う気がするの」
「違う?」
「うん。私たちは、この世界の外から来たから」
セレナは少し迷うように視線を落とした。
「この世界で生まれて、この世界で死んで、またこの世界へ還る人たちと、同じ場所にいるのか分からない」
夜風が草を揺らした。
「……輪廻の外にいるのかもしれない」
その言葉は、ひどく静かだった。
「本当にそうなのかは分からない。でも、時々そう思うの。私はここにいるのに、どこにも繋がっていないみたいだって」
僕は無意識に拳を握る。
【神から見放された者】。
その名前が、頭をよぎった。
「私の考えすぎかもしれないけど」
セレナは小さく笑った。けれど、その笑顔はどこか不安そうだった。
「だから、死んでも元の世界へ帰れないんじゃないかって……時々、怖くなるの。もし本当に、私たちが普通の人とは違うなら……死んだ後、どうなるんだろうって」
僕は何も言えなかった。あの白い存在。感情のない声。人間に興味はないという言葉。全部が、妙に繋がっていく気がした。ただ一つだけ確かなのは、セレナが心の底からその"違和感"を恐れていることだった。




