第一部 第四章 聖女(7)
◆ 幕間 ◆
夜の街は、雨に沈んでいた。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、地面を叩く雨音だけが細く続いている。港から吹き込む風は湿って冷たく、路地裏に溜まった水溜まりを小さく震わせていた。
街の中心部から離れた一角。崩れかけた木造の小屋に、かすかな灯りが漏れている。
中は狭かった。湿気を吸った木材の臭い。古びた机が一つ。椅子が二脚。天井から吊るされた小さなランプだけが、頼りなく室内を照らしていた。
黒い外套を羽織った男が一人、椅子に腰掛けている。その背後には、もう一人。濡れた金髪が肩口に張り付いた長身の男が、壁際に立ったまま黙っていた。
二人とも、ただ待っていた。
やがて、小屋の扉が軋んだ。
雨の匂いと共に、二つの影が入ってくる。どちらも顔を仮面で覆っていた。獣骨を削って作ったような白い仮面。その奥に覗く目だけが暗く光っている。服装も、この街の人間とは明らかに違っていた。粗い織物。獣革。腰に下げられた短刀。島の原住民――その言葉が自然と浮かぶ姿だった。
仮面の一人は迷いなく椅子へ腰を下ろした。もう片方は、その背後に立つ。
黒服の男がゆっくり口を開いた。
「……それで」
ランプの火が小さく揺れる。
「この前の話、本当にやるんだな」
声は低かった。確認というより、覚悟を測るような響きだった。
仮面の男は静かに頷く。それだけだった。だが、その動作に迷いはない。
「わかった。信用するぜ」
それから彼らは声を潜め、密談を続けた。言葉の大半は雨に紛れて消えていく。
火。鐘。見張り。
断片的な単語だけが、暗闇の中に落ちた。失敗は許されない。それだけは、誰の表情を見ずとも分かった。
やがて仮面の男が立ち上がる。出口へ向かいかけ、ふと足を止めた。
「我々の地を穢す帝国人に、天罰を下すノダ」
訛りの強い言葉だった。仮面の奥から覗いた瞳は、濁った熱を宿している。怒りとも憎悪とも違う。長い時間をかけて煮詰められた、狂気に近い何かだった。
次の瞬間には、二人の姿はもう雨の闇へ溶けていた。扉だけが小さく揺れる。
小屋には再び、黒服の二人だけが残された。ランプの火が、湿った空気の中でかすかに揺れている。
「……ボス」
壁際に立っていた男が、低く呟く。
「本当に大丈夫なんでしょうか」
「あぁ。狙いは帝国軍だけだ。住民には手を出さねぇって契約だ」
その言葉を聞き、長身の男――モルガンはゆっくり口元を歪めた。笑っているようにも見えた。けれどそこに愉快さはない。暗い感情だけが滲んでいる。
雨の音が強くなる。
この街を踏み荒らしてきた連中にも、そろそろ報いが来る。
そんな声が、闇の奥から聞こえた気がした。




