『ただのトマト(神の秘薬)』と腹ペコ女騎士
「うわぁ……!すごい、一晩でもうこんなに実ってる!」
翌朝。小さなテントから出てきたアルトは、目の前の光景に思わず歓声を上げた。
昨日、【土いじり】で耕したふかふかの黒土から元気な緑の蔓が伸び、そこには大人の拳ほどもある真っ赤なトマトが、鈴なりに実っていたのだ。
朝日を浴びて朝露に濡れるその姿は、まるで真っ赤な宝石のように眩しく輝いている。
「やっぱり良い土で育てると、成長も早いんだなぁ!よーし、さっそく朝ごはんに収穫しよう!」
アルトは満面の笑みで、一番大きくて熟したトマトを丁寧に摘み取った。
手に持っただけで、ずっしりとした重みと瑞々しい生命力が伝わってくる。
その時だった。
(ぐぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
澄み渡った朝の荒野に、地響きのような壮絶なお腹の音が響き渡った。
「えっ……?い、今の音は何……?」
驚いたアルトが音のした方——畑の端っこにある草むらへ視線を向けると、そこに誰かが倒れていた。
全身に擦り傷を負い、銀色の美しい鎧を泥で汚した一人の女性だ。
腰には立派な大剣を差しており、凛とした整った顔立ちをしているが、今は衰弱しきって青ざめている。
「大丈夫ですか!?しっかりしてください!」
アルトが慌てて駆け寄ると、彼女は力なく薄目を開け、かすれた声で呟いた。
「……くっ、魔境の魔物どもに追われ……討伐には成功したものの……食料も尽き……もはや、ここまでか……」
彼女の名は、アリサ。
かつて王立騎士団で最年少にして『Sランク』に上り詰めた、元・最強の剣士であった。
訳あって騎士団を辞め、この危険な『死の魔境』で孤独に戦っていたのだが、猛毒の魔物との連戦により体力を消耗しきり、空腹と疲労で行き倒れてしまったのだ。
(ああ……私の命も、この不毛な荒野で途絶えるのだな……)
絶望に目を閉じようとするアリサ。
しかし、そんな彼女の鼻先へ、フレッシュで甘い芳醇な香りが漂ってきた。
「あの、もしよかったらこれ食べてください!採れたてですよ!」
「ぬ……?こ、これは……トマト……?」
アリサは目を見開いた。
危険な魔境のど真ん中で、なぜか素朴な服を着た少年が、見るからに美味そうな真っ赤なトマトを差し出している。
(……幻覚か?いや、だが強烈な匂いだ……。くっ、背に腹は代えられん!毒であったとしても、餓死するよりはマシだ……!)
限界を迎えていたアリサは、震える手でトマトを受け取ると、夢中でガブリと噛みついた。
その瞬間——。
((((ドカァァァァン!!))))
「〜〜〜〜〜〜〜っっっ!??!?」
アリサの脳内で、衝撃が弾けた。
口の中に溢れ出したのは、これまで食べたどんな高級フルーツよりも濃密で甘く、爽やかな果汁。
そして次の瞬間、喉を通り抜けた液体が、黄金色の圧倒的な聖気となって全身の細胞へと駆け巡ったのだ!
パァァァァ……っとアリサの全身が眩い光に包まれる。
「な、何だこれは!?体の痛みが……全身の傷が一瞬で塞がっていく!?それどころか、枯渇していた魔力が湧き上がってくるぞ!?」
あまりの出来事に、アリサはボロボロと大粒の涙をこぼしながら叫んだ。
「な、なんなのだこの作物はー!?傷が全回復したぞ!いや、それ以上に……美味すぎる!!こんな美味い食べ物、人生で一度も食べたことがないぞ……!!」
あまりの旨さと劇的な全回復効果に、元Sランクの誇りも忘れてトマトを貪り食うアリサ。
そんな彼女の反応を見て、アルトはほっと胸を撫で下ろしながらニコニコと笑った。
「良かったぁ。お口に合ったみたいですね!僕の畑で育った、ただの自家製トマトですよ」
「ただのトマトなわけあるかぁぁぁ!!」
アリサは涙目になりながら全力で突っ込んだ。
「一口で全身の傷が完治し、魔力まで永久増幅する作物のどこが『ただのトマト』だ!?これは神話に出てくる伝説のエリクサーか何かだろうが!!」
「えぇ……?でも、種は王都の商店街で10銅貨で買った普通のトマトですけど……」
「種の問題ではない!育った環境と……お前の魔力が異常なのだ!!」
頭を抱えて叫ぶアリサ。
元Sランク冒険者である彼女だからこそ、目の前の少年がやってのけた「狂気的な奇跡」の価値が痛いほど理解できてしまう。
(不毛の魔境を聖地に変え、神の作物を育てる……!この少年は何者なのだ!?権力者や邪悪なギルドに知られたら、間違いなく世界規模の争奪戦になるぞ……!)
ハッと正気に戻ったアリサは、目の前で呑気に「お水もどうぞー」とコップを差し出してくるアルトを凝視した。
(こんな無防備で純粋な少年を、ひとりにさせるわけにはいかない……。それに……何より……)
アリサのお腹が、再び小さく「ぐぅ」と鳴った。
(毎日、あの絶品トマトや新しい野菜が食べられるかもしれないのだろ……!?)
腹ペコ女騎士の魂が、熱く燃え上がった。
アリサはガバッと起き上がると、アルトの前に膝をつき、凛とした表情で宣言した。
「少年!私は元Sランク冒険者のアリサだ!今日から私が、君の用心棒としてこの農園と君の身を守ろう!」
「えっ?用心棒ですか?でも僕、お金なんて持っていませんよ?」
「報酬など要らん!ただ……毎日、君の作った美味しい野菜を食べさせてくれればそれでいい!」
「ええっ、そんなことでいいんですか!?ちょうど草むしりや水やりを手伝ってくれる人が欲しかったんです!よろしくお願いします、アリサさん!」
こうして、無自覚チートな農民少年と、胃袋を完全に掴まれた元Sランク女騎士の、賑やかな開拓生活がスタートしたのだった。
だがその頃——。
遥か遠くの魔境最深部で、昨夜の聖気に怯えていた伝説の赤竜が「……む?なんか凄く旨そうな匂いが漂ってきたぞ……?」と鼻をひくひくさせていることなど、二人はまだ知る由もなかった。




