爆走する大賢者と『神酒の威力』
「ぬおおおおおおおおっ!?近い……近いぞぉぉぉ!!酒の香りがこの先から漂っておるぅぅぅ!!」
夜の『死の魔境』の上空を、爆音とともに一条の光が切り裂いていた。
光の正体は、王立魔導院の総帥にして、人類最高峰の魔法使い——『大賢者』モーリスであった。
日頃は威厳に満ちた重鎮として敬われる彼だが、根っからの大酒飲みであり、数十キロ先から風に乗って届いた「神酒」の高貴な香りに理性を完全に吹き飛ばされていたのだ。
音速を超える飛行魔法で荒野を爆走すること数分。
「むっ!?なんだあの巨大な影は……!?」
モーリスの視界に、月光を反射して黒銀に輝く異様な建造物が飛び込んできた。
「バ、バカな……!?不毛の魔境に、一国の王都すら凌駕する要塞が存在するだと……!?一体どんな古代魔法を使えばこのような巨大建造物が……」
大賢者としての知識が、目の前の要塞の異常な硬度と防衛結界の密度を瞬時に見抜き、モーリスの額にじっとりと冷や汗が滲んだ。
だが、極上の酒香は間違いなくその「城の庭」から漂ってきている。
「くっ……背に腹は代えられん!この大賢者モーリス、意を決して潜入——」
モーリスが重厚な外壁の門をくぐり、庭へと足を踏み入れた、その瞬間だった。
(((((ずしーーーーん……ずしーーーーん……)))))
大地を揺らす重重しい足音とともに、暗闇から体長十メートルを超える巨大な影が姿を現した。
「ひ……ひえっ!??!?」
モーリスの喉から、情けない悲鳴が漏れた。
月光に照らし出されたのは、太古の神話に謳われる超危険生物——伝説の赤竜『ヴォルカニック・ドラゴン』であった。
紅蓮の鱗をギラつかせ、鋭い爪と牙を持つ絶対的な威圧感が、モーリスの全身を硬直させる。
(で、伝説の赤竜……!?一国を息吐く間もなく滅ぼすという神話の災厄が、なぜこんな場所に……!?終、終わった……わしの人生、ここで終わりかぁぁぁ!!)
死を覚悟し、ガクガクと膝を震わせるモーリス。
しかし——伝説の赤竜は、モーリスなど気にも留めていなかった。
巨大な特大木樽の中に顔を突っ込み、ペロペロと甘い果汁を舐めとると、「んほぉぉぉ〜〜〜♪(美味いぞぉ〜)」と尾をぶんぶん振り回してゴロゴロと猫のように転がり始めたのだ。
「……は?ど、ドラゴンが……ジュースを飲んで身悶えしておる……!?」
あまりのシュールな光景に開いた口が塞がらないモーリス。
そこへ、要塞の中から呑気な少年の声が響いた。
「あれ?おじいさん、こんな夜更けにどうしたんですか?」
「あ、アルト様、また変な不審者が迷い込んできましたわ」
「うむ、魔境の夜は騒がしいな……ヒック」
木製のカップを片手に、頬を真っ赤に染めた少年、元Sランク女騎士、そして金髪のエルフ姫が姿を現した。
モーリスは目を剥いた。
「ア、アリサ殿!?それにエルフの姫君まで……!?なぜ人類最強の戦士たちがこんなところで宴をしておるのだ!?」
「あ、自己紹介が遅れました!僕、農夫のアルトです!遠くから来てお腹も空いてるでしょう?これ、採れたてのブドウで作った果実酒です。どうぞ!」
アルトは笑顔で、木製のカップになみなみと注がれた深紅のワイン:『神酒』を差し出した。
「ぐ、ぬぬ……毒が入っておるのでは……」
疑いつつも、目の前で放たれる香木な香りに耐えきれず、モーリスは意を決してカップを煽った。
ゴクッ……。
その瞬間——。
(((((ドッカァァァァァァン!!!!)))))
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!??!?!?」
モーリスの全細胞に、雷撃のような衝撃が走った!
口の中に広がるのは、五十年熟成させた最高級ワインすら子ども騙しに思えるほど濃厚なコクと爽やかな甘み。
そして何より——液体の熟成魔力が食道を通り抜けた瞬間、老齢によって衰えていたモーリスの魔力回路が爆発的に活性化を始めたのだ!
「な、なんじゃあこれはぁぁぁぁぁ!!??昔の古傷が消えていく……!?体内の魔力限界値が……全盛期……いや、全盛期の三倍以上に跳ね上がっておるぞぉぉぉぉぉ!!」
神酒の圧倒的な効能により、モーリスの体から溢れ出た蒼い魔力の光柱が、魔境の夜空を貫いた。
「美味い……美味すぎる……!これは酒などという生ぬるいものではない……!飲む者を神の領域へと引き上げる『神話の秘薬』ではないかぁぁぁ!!」
モーリスは鼻水と涙をボロボロと流しながら、その場にド派手に膝をついた。
「この至高の神酒を……三分で醸造しただと……!?おのれ……おのれ、我が数百年の魔法探求は何だったのだぁぁぁ!!」
「あ、大丈夫ですか?おつまみの『ナスとチーズの焼き物』も召し上がりますか?」
アルトが優しくお皿を差し出すと、モーリスはガバッと顔を上げ、アルトの足元に平伏した。
「我が師よぉぉぉぉぉぉっ!!」
「えっ!?師匠!?」
「我が生涯のすべてを捧げます!どうか、どうかこの老いぼれを弟子にしてくだされぇぇぇ!!毎日その神酒とご飯が食べられるなら、我が持てる全ての魔法知識と財産をお捧げいたしますじゃあぁぁっ!!」
「えぇぇぇ!?僕はただの農夫ですよ!弟子なんて取れませんってば!」
「嫌じゃあ!弟子にしてくれるまでここを動かんぞぉぉぉ!!」
王国の権威たる『大賢者』が、小さな農夫の足にすがりついて大泣きするカオスな光景。
「諦めろ大賢者よ。私もルナリアも、最初は同じように頭を抱えたのだ」
「そうですわ……アルト様にとっては、すべて『ただの家庭菜園』なんですのよ……」
アリサとルナリアが呆れ顔で酒をあおり、マルクが「大賢者様、おつまみのお代わりですぞ!」と笑顔で料理を運んでくる。
こうして、伝説の赤竜、元Sランク騎士、エルフの姫君、元宮廷料理長に続き、王国の『大賢者』までもがアルトの胃袋チートに完全屈服し、仲間(居候)に加わったのだった。
大賢者までもが弟子入りし、ますます賑やかになった『アルト農園』。あるとの呑気な一言で、魔境全体を揺るがす新たな『開拓』が始まることなど、まだ誰も知る由もなかった。
モーリス
「(麦わら帽子で水やりをしながら)師匠〜!次はどの畑に水をやればよろしいですじゃ!?」
アリサ
「……あの大賢者モーリスが、完全に張り切る雑用おじいちゃんになっているな……」




