報告します
第9話 報告します
北部遺跡、古代都市ダーラムに秘められた謎に迫る古代ルーン文字。
火にかざさなければ、炙り出されない古代ルーン文字が記された、ウィラル・ド・アルヴィン伯爵からの救援依頼状を装った羊皮紙。
――あれだけの人間がそろってる王宮だ。そのぐらいは。
ダレットはそう言いかけて、言い切らなかった。
言い切れなかった、と言ったほうが近い。
ジョシュアは、汚れた皿を両手に抱えたまま、静かに閉じた扉を見ていた。
「ジョシュア」
シンシアがそっと皿を取り上げる。
「重いでしょう」
「あ…… すみません」
ダレットは懐から革袋を出し、卓の上へ中身を空けた。
硬貨が転がる。金貨で三百ゴールド。
「さ、三百!?」
オリバーが目を丸くした。
「ふん。口止め料だな」
ダレットは硬貨を一枚、指で弾いた。
誰も、すぐには喜ばなかった。
オークロード討伐の報酬は八百ゴールド。戦利品の鑑定と換金は、まだ終わっていない。金は、いくらあっても足りない。
それでも卓に積まれた三百ゴールドは、褒美というより、口を縫いつける糸のように見えた。
「北部遺跡…… その任務、俺たちが受けたかったな」
ダレットはどかりと椅子へ腰を下ろした。
「見つけたのは俺たちだ。伯爵の使者がオークに襲われたことも、羊皮紙が祭壇の下にあったことも、俺たちしか知らねえ」
「執政ウェデラー閣下は、失敗が許されないっておっしゃったんでしょ」
ヴィレリアは弓弦の張りを指で確かめながら言った。
「A級になったばかりで、そのあと失敗続き。オーク討伐には成功したけど…… あんまり信用されてない。私たちがそう見られているのは、事実よ」
「言うなよ」
「言わないと、あなたのその無謀。直らないもの」
オリバーは腕を組み、それから少しだけ嬉しそうに言った。
「でもさ。あの遺跡にS級が行くなら、ちょっとは安心じゃないか」
言ってから、はっとしてジョシュアを見る。
「あ。……悪い」
「いえ」
ジョシュアは首を振って、うつむいた。
「レオン様なら、大丈夫です。本当に、お強い方ですから」
その答えのほうが、皆の胸に刺さった。
*
翌朝の冒険者ギルドは、開いた直後から人でごった返していた。
掲示板の前に人垣ができ、酒場では朝から杯が鳴っている。誰もが、同じ話をしていた。
「王命だとよ。剣聖レオンのパーティーが、北部遺跡へ行く」
「補助任務も、S級パーティー総出だってな」
「これからクソ寒くなる時期に、あの辺境の山越えかよ。物好きな連中だ」
赤髭団は、戦利品を鑑定へ預けるために受付へ並んだ。
振り向くと、ギルドホールの中央がぽっかりと空いていた。
人が自然と退いた場所に、その一団はいた。
金の装飾を施した胸当て。聖剣『ソウルクレイドル』。
レオン・ガーフィールド。
傍らには、とんがり帽子をかぶり直す大魔導士アイリス。胸元に聖印を抱いた聖女セリナ。そして、獣人の女剣士カレン。
真新しい大型の荷袋を背負った赤髪の女戦士――レイカ。
オリバーが息を呑んだ。
「……本物だ」
ジョシュアは足を止めた。
止まったまま、動けなかった。
その隣で、シンシアの顔から表情が消えていた。
彼女が見ていたのは、レオンではなく、聖女セリナだった。
王国に集う冒険者のトップに君臨する、S級パーティーの持つオーラは凄まじい。ごった返すギルドホールのすべての冒険者たちの視界のどこかに、必ず彼らはいた。
ギルドホールの椅子は粗末だが、それに座る金装のレオンは優雅に足を組み、周囲に侍るように美しい女性冒険者たちが固めている。
まるで名画のような威容が、その存在をさらに輝かしく、気高いものとしていた。
しかも、その絵から飛び出すように、レオンのパーティーから美しい女性がひとり、赤髭団を見つけ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「ジョシュア」
声をかけたのはアイリスだった。
地図を畳みながら、いつもと同じ調子で。
「ちょっと、あなた。北部遺跡の地下、湿度はどのくらい?」
「あ…… え、と」
「触媒箱の防湿布、二枚で足りるかしら」
ジョシュアは、反射的に答えていた。
「古代都市ダーラムでしたら、地下は湧水層の上です。湿気が強く、二枚では足りません。四枚重ねて、間に乾いた灰を薄く挟んでください。木箱は、直接床へ置かないでください、あと、凍結対策に――」
「……相変わらずね」
アイリスは、ふっと目を細めた。
その表情が、笑ったのか、痛んだのかは分からなかった。
「アイリス」
レオンの低い声が飛んだ。
「そのクズと話すな。虫唾が走る」
ジョシュアは、レイカの荷袋へ目を向けた。
相変わらず、立派な袋だった。新しく、大きく、留め具まで真新しい。
けれど、水袋が外側の右に二つ並べて吊るされている。
雪の山道では、先に凍る位置だ。最悪の場合、水袋が破裂する。
言うべきか。
迷った。
「あの…… レイカさん」
「何?」
「水袋は、内側の左奥へ移したほうが…… 凍りますので」
レイカは眉を上げた。
それから、ほんの少しだけ、決まりの悪そうな顔をした。
「……覚えとくわ」
「坊や。久しぶり」
背中から、聞き慣れた声がした。
振り向くと、カレンが立っていた。ふかふかの耳が、いつもより下がっている。
「顔…… まだ腫れてるにゃん」
「もう、平気です」
「平気じゃないにゃん」
カレンは屈み込み、ジョシュアと目の高さを合わせた。
「あのとき、止められなくて。ごめん」
「カレン様のせいでは、ありません」
「あたしのせいだにゃん」
耳が、ぺたんと倒れた。
ジョシュアは唇を噛んだ。じっと、我慢した。
言えないことがある。
羊皮紙のことも、火にかざすと浮かぶ文字のことも、騎士団と約束した。
それでも。
「カレン様」
「にゃに?」
「北部遺跡では…… あの、名前を、名乗ることに、気をつけてください」
「……名前?」
「はい。誰かに名前を訊かれても、すぐには答えないでください」
自分でも、まぬけな忠告だと思った。
根拠を言えない忠告ほど、聞く側を苛立たせるものはない。
「なんだそれは」
案の定、レオンが振り返っていた。
「おい、元仲間。馬鹿のくせに、意味の分からんことを言うな」
「す、すみません」
「相変わらずだな。確かでもないことを、最後の最後に持ち出す」
ジョシュアは、うつむいた。
――お前は何かに気づいても、ぎりぎりまで黙っている。
あの日、そう責められた。
だから今日は、先に言った。
それでも、届かなかった。
「レオン様。行くにゃん」
カレンは立ち上がりながら、ジョシュアの耳元へ小さく言った。
「覚えとくにゃん。ちゃんと」
そして、いたずらっぽく笑う。
「帰ってきたら、また荷造りしてほしいにゃん。あんたの詰めた荷物、あたし、好きだったの」
「……はい」
「それに、その魔法も! お料理も! 気遣いも!」
「ありがとう、ございます。カレン…様」
「様、は無し! 約束にゃん」
尻尾が、ぴんと立った。
聖女セリナだけは、赤髭団に近づいてこなかった。手が、至高の聖印『スピカ』をただじっと、握っている。アイリスは振り返り、一言「行くわよ」とだけ言った。
歓声とざわめきに包まれて、S級勇者パーティーはギルドホールを出ていった。
北部遺跡へ、他のS級パーティーを引き連れるようにして旅立っていく。
冒険者たちは皆、それを静かに見送った。
*
アジトへ戻る階段の途中で、ダレットが立ち止まった。
「ジョシュア」
「はい」
「お前、ギルドを出てから一言も喋ってねえな」
「……はい」
「言え」
卓を囲んだ。
ジョシュアは膝の上で手を握った。
「大したことでは、ないかもしれませんが」
「大したことかどうかは、聞いた俺が決める」
ダレットは腕を組んだ。
「報告しろ」
ジョシュアは息を吸った。
「……報告します」
チェ・サダが羊皮紙を卓へ広げる。
「あの、火で浮かんだ文のことです」
「『名前を捧げよ』か」
「はい」
ジョシュアは、指で一文字をなぞった。
「古代ルーン語の言葉では、特にゲール語圏では、名前と存在を、同じ字で書きます」
「……つまり?」
「『名前を捧げよ』は、比喩ではないかもしれません」
「どういうこと?」
ヴィレリアが眉を寄せる。
「名前を差し出した者は、誰の記憶にも残らなくなる。存在が、消える。そう読めます」
部屋が、しんとした。
「消える、ってこと?」
「死ぬ、とは書いてありません」
ジョシュアは首を振った。
「いなくなる、でもありません。『はじめから、いなかったことになる』です」
オリバーが乾いた声で笑った。
「そんなの、ありえないだろ」
誰も、笑い返さなかった。
「騎士団に伝えるべきじゃない?」
ヴィレリアが言った。
「伝えて、どうなる」
ダレットは低く言った。
「王宮には学者がごまんといる。C級のドルイドが古代語を読めました、意味はこうです、なんて話、誰が本気にする」
「……そうね」
「それに、あの副団長は『聞きに来た奴を報告しろ』と言った。こっちから何かを差し出せとは言ってねえ」
シンシアが、静かに言葉を足した。
「言っても届かない相手って、いるのよ。私は、知ってる」
その声には、誰も触れなかった。
ダレットは羊皮紙を巻き上げた。
「チェ・サダ。写しをもう二部作れ。一部はここに置くな」
「了解しました」
「ジョシュア」
「はい」
「よく言った」
それだけだった。
それだけで、ジョシュアは、握っていた膝の上の手をそっと開いた。
*
三日後。冒険者ギルドから赤髭団へ回ってきた依頼は、北東の町ハーシェルからのものだった。
依頼書の見出しには、こうあった。
『リザードマン討伐』
「ダレットさん……討伐依頼、ですか」
ジョシュアは依頼書を見つめた。
「そう書いてある」
ダレットは顔をしかめた。
町では原因不明の熱病が広がっている。住民たちは、近隣の沼地に住むリザードマンの呪いだと訴えている。領主のマクレーン男爵は、すでに何度か手勢を差し向けているという。
「割に合わないわね」
ヴィレリアが報酬欄を指で叩いた。
「数だけ多くて、財宝は持たない。遠い。寒い。誰も受けたがらないから、私たちに回ってきたのよ」
「A級の仕事じゃないよなあ。騎士団でも出て来てくれりゃいいのに」
オリバーが頭の後ろで手を組む。
「北部遺跡のあとで、これか」
「文句を言うな、オリバー。前を向いて、頑張るしかねえ」
ダレットは依頼書を四つに畳んだ。
「それに、呪いだ何だと決めつけるのは早い。現地を見てからだ」
ジョシュアは、添えられた陳情の写しを読んでいた。
冬なのに蚊が出る、という一行があった。
「どうした」
「……いえ」
言いかけて、ジョシュアは口を開き直した。
「あの……あとで、報告します」
ダレットは、赤い髭の奥で笑った。
*
出発の朝は、よく晴れていた。
ジョシュアは六人分の荷を丁寧に一個ずつ詰めた。
薬は赤い紐が止血、白い紐が解毒。ヴィレリアの弦は乾いた布で二重に。チェ・サダの触媒は、混ざると反応する三種を別々の小袋へ。
最後に、鍋を革帯で締めた。
黒く煤けた、底の丸い大鍋だ。
見た目より、ずっと軽い。
ジョシュアが物心つく前から、家にあったものだった。
叩くと、鉄とは違う、澄んだ音がする。
焦げつかない。割れない。真冬でも、中の水が凍らない。
レオンのパーティーでも、毎日この鍋で煮た。
追放されたあの日、怪力のレオンにぶん投げられても壊れなかった。
「ジョシュア。それ、重くないの?」
ヴィレリアが尋ねた。
「軽いんです。不思議と」
「ふうん」
誰も、それ以上は気に留めなかった。
王都オーディンの北門を出ると、街道は二つに分かれていた。昨夜降った雪が、真っ白くあたりを覆っている。
北へ延びる道の先には、雪をかぶった山並みが見える。鉱山都市ティレーに向かう街路は、いくつかの隊商が通った轍が残っていた。
北東へ延びる道は、なだらかに下って、湿った低地へ続いていた。
北の道には、まだ人の名残があった。
剣聖の一行と、周辺のクエストを受注したパーティーメンバーの足跡、そして彼らを見送った跡だ。旗の切れ端と、投げられた花と、踏み荒らされた雪。
北東の道には、誰もいなかった。
「行くぞ」
ダレットが歩き出す。
オリバーが盾を背負い直し、ヴィレリアが弓の位置を確かめ、シンシアが薬箱の留め金を締め、チェ・サダが本を懐へ押し込んだ。
ジョシュアは、一度だけ北を振り返った。
山並みの向こうは、白い霞で見えなかった。
「ジョシュア! 遅れるな!」
「は、はい!」
少年は駆け出した。
――帰ってきたら、また荷造りしてほしいにゃん。
それが、ジョシュアの覚えている、カレンとの最後の会話になった。




