鉱山都市ハーシェル
王都オーディンから北東へ、鉱山都市ハーシェルまで徒歩で五日。
赤髭団一行は、ジョシュアの調理した食事を楽しんだ。
焚火に掛けた鍋から、魔法のように素晴らしい味付けの鶏もも肉と豆のスープがメンバーに振る舞われ、自然と笑顔と話題に溢れ、旅の疲れも初冬の寒さも吹き飛ぶ。
「いや……ジョシュアが入ってくれて、本当に良かったですね」チェ・サダは木椀によそった肉とスープを匙で口に入れ、ホッとしたように言った。
「君、なんで追い出されたんだっけ?」オリバーも口を挟む。
「レオン様からは……戦力にならないとか、報告が遅いとか……」
「そうでしたね。まあ、いろんなリーダーがいますからね……」チェ・サダは、焚火の反対側で寄り添って食事をしているダレットとヴィレリアを見て目を細めた。
「あれ。でも、チェ・サダは鉱山都市ハーシェルにしばらく住んでいたんでしょ?」シンシアが湯気の立つマグでお茶を楽しみながらチェ・サダに言った。
「はい。四年ぐらいですかね。お師匠が王都にお引越しするのについてきまして」
「ハーシェルに行くの、随分嬉しそうね」
「あ。分かりますか? 大事な人を、置いてきたんで……再会が楽しみなのです」
チェ・サダは、いつになく声を弾ませた。澄ましているようで、正直な人なのだとジョシュアは思った。
三日目の夜、街道脇の窪地で火を熾したとき、焚火に鍋を掛け、新雪を放り込みながらジョシュアは切り出した。
「あ、あの。ダレットさん…… ちょっと、報告があります」
「おう」
ダレットは木杯から顔を上げた。
「依頼書に添えられていた陳情の写しに、冬なのに蚊が出る、と書いてありました」
「書いてあったな。それが?」
「蚊は、寒さに弱いです。真冬に飛んでいるということは、どこかに凍らない水があります」
「温泉とか?」
オリバーが顔を上げる。
「かもしれません。でも……」
ジョシュアは膝を抱えた。
「陳情に書かれていた病人の出た地区が、水路のある街区だけですね」
「ほう?」ダレットは赤い髭を撫でた。「魔法的なものか?」
「いえ。むしろ、逆だと思います」
ジョシュアは首を振った。
「呪いなら、こんなに几帳面な形にはなりません」
「ちょっと待って」
ヴィレリアが、矢羽根を整える手を止めた。
「それ、現地で言うつもり?」
「はい」
「私たちが受けたのは、討伐依頼よ」
「わ、分かっています」ジョシュアは小さくなった。「駄目ですか?」
「分かってないわよ。討伐依頼を受けた冒険者が、討伐しませんって言い出したら、何て呼ばれると思う?」
「あの……はい……」
「臆病者か、詐欺師よ」
薪が爆ぜた。
「話すかどうかは、現地を見てから決める」
ダレットが言った。
「だがジョシュア。お前が気づいたことは、その都度、全部言え。決めるのは、そのあとで俺がやる」
「はい。ダレットさん」
その返事が、以前より少しだけ早くなっていることに、シンシアだけが気づいていた。
*
ハーシェルは、盆地の底にある街だった。
北の丘に古い坑。南に湿地と沼。街の真ん中を細い水路が何本も走り、その水を人々が飲み、使っている。
門をくぐったところで、ヴィレリアが足を止めた。
目の前を、蚊が一匹、ふらふらと横切っていった。
「……冬よね?」
誰も答えなかった。
家々からは咳が聞こえた。井戸端では薬草を煮る臭いが立ちのぼり、戸口には病人が出た印の白い布が結ばれている。
白い布は、通りの三軒に一軒の割合で揺れていた。大変な数だ。
街の人が押す荷車が一台、赤髭団の脇を通り過ぎていく。
筵をかぶせた荷台から、細く青い足が二本、はみ出していた。
オリバーが、目を逸らした。
*
鉱山都市ハーシェルを治めるマクレーン男爵は、屋敷の広間で赤髭団を迎えた。
石造りの立派な屋敷だった。だが、暖炉に火は入っていない。薪も人手も、病人へ回しているのだという。広間にも所狭しと布が敷かれ、生気のない病人たちが横になり咳をしている。野戦病棟のような光景だ。
マクレーン男爵自身、頬がこけ、目の下が黒く落ち窪んでいた。
「赤髭団か。よく来てくれた」
男爵は、椅子から立ち上がらなかった。
立てないのだ、とジョシュアは思った。
「単刀直入に言う。リザードマンどもが、水へ呪いをかけたに違いないと、呪術師たちは言っている。もはや放置はできない。一刻も早く討ってくれ」
「その水への『呪術痕』は確認されたんですか?」
チェ・サダが尋ねる。
「これだけ病人が出ている。それが、何よりの証拠だ」
部屋が、静かになった。
ジョシュアは、自分の指先が冷たくなっていくのを感じた。
言うべきか。
迷う時間は、以前より短くなっていた。
「あの……お言葉を返すようですが……それだけでは、呪いとは、断定できません」
男爵の目が動いた。
「なんだと」
「誰のせいで病気になっているのかは、別に調べないと分かりません」
「小僧。知ったような口を利くな」
男爵は口調は強いが、声は弱々しい。無いのは体力なのか、自信なのか。
ダレットが、一歩前へ出た。
「うちの団員だ」
それだけ言って、男爵の正面に立つ。
「男爵。もう何度か、兵を出しているそうだな」
「三度出した。残念ながら帰って来ないが、リザードマンは都市の近隣からはいなくなった」
ジョシュアは、男爵の言葉がさらに弱くなったのが気になった。
「病人は減ったか」
男爵は、答えなかった。
横を向いた。がりがりに痩せた首が痛々しい。
「きちんと、原因を調べたい。一ヵ月…… いや、三週間くれ」
ダレットは言った。
「三週間で原因を示す。示せなかったら、あんたの言うとおりにする。討伐隊の先頭には、俺たちが立つ」
男爵はしばらく黙っていた。
「……十日だ。それで頼む」
「では、二週間でどうか」
「十日。それ以上は、街がもたん」
ダレットは赤い髭を撫でた。
「十日でいい」
部屋を出ようとしたところで、男爵が呼び止めた。
「赤髭団」
「ああ」
男爵は、火のない暖炉を見ていた。
「頼む。早く」
「分かった」
*
ミルハ商会の商館は、都市の東の外れ、水路に連なる船着き場の倉庫街の中にあった。
凍結するはずの河川はいまだ悠々と水を湛え、沼地や下流にある湖のほうへ流れて行っている。冬を迎え、川が凍る前に大いに取引で栄えているはずの街区は、すっかり寂れて人通りもまばらだ。
ミルハ商会はリザードマンと交易している、いまでは鉱山都市ハーシェルで唯一の商家だという。街路には、白い布の出ている住宅から咳をする声が聴こえる。
「話を聞かせてほしい」
頬のこけた中年の当主オルカラン・ミルハは、玄関口で赤髭団を見るなり、警戒した表情を浮かべた。無理もない。過去に何組も冒険者が来て、リザードマンを狩りに行き、そして帰って来ないのだ。
「あんたがたも、死にに来たのかい」
「そのつもりはない。リザードマンたちについて、詳しい話を聞きたくて来た」
オルカランは少し驚いたように眼を開いた。
「リザードマン討伐ではないのか」
「まだ分からない。ただ、彼らに詳しいあんたがたの話を先に聞きたくてな」
「どうぞ」
ミルハ商会の執務室も倉庫も、おそらくリザードマンたちとの交易で得たものだろう、王都オーディンでは珍品として高く取引されている工芸品や雑貨が並んでいる。
その品ぞろえや並べ方の丁寧さから、リザードマンに対して単なる取引先というものを超えた、何かの敬意のようなものすら感じさせた。
「祖父の代からここで商家を営んでいる。私が、オルカラン・ミルハだ。普通の王都の人間や冒険者たちはリザードマンを嫌って敬遠するが、彼らは確かに狂暴なもののこちらから手を出さない限り攻めてこない」
戸口から、オルカランの奥方と思われる女性が鉄瓶とカップを盆に乗せ、茶を赤髭団に振る舞った。無言で礼をすると、そっと引っ込んでいった。
「ご丁寧に」
「いや、いいんだ」オルカランは無言になった。疲れているようだった。
「咳の音がするわ」シンシアはぽつりと言った。「どなたか、ご病気なの」
「……息子が」
「診せて、いただけますか」シンシアは言い、ジョシュアは立ち上がった。
奥では、歳のころ十歳ほどと思しき男の子が、高熱を出し、咳をして苦しんでいた。
「このような呪いが……ついに、我が子にも……」
オルカランは頭を抱えた。
シンシアは解呪の奇跡を起こすも、放った光は男の子に吸い込まれていくことはない。
「神よ」
「呪いでは、なさそうですね。やはり」チェ・サダは腕組みをした。「ジョシュア」
「この街の水路の水と、蚊……」
「どういうことですか」オルカランは眼を開いた。
「そこに飾られているカエルの革や、カエルの置物…… あと、トンボをかたどった宝飾品、見せていただけませんか」
「なんと。お目が高い。これらはすべて、リザードマンたちの生活に根差した、豊穣を示す祭具なのです」
「豊穣? どういうことだ?」ダレットは腕組みをして尋ねた。
「はい。リザードマンたちは、冬に冬眠するまで、カエルを飼育し、主食としている。そのリザードマンたちが男爵の派遣した騎士や冒険者たちに攻撃されて、この一帯からいなくなってしまった」
「待って。でも、冬にはカエルも冬眠します」チェ・サダは口を挟んだ。
「それが、この冬に限って……蚊が増え、カエルも冬眠しないのです」オルカランは言った。「そして、リザードマンも」
「この冬……リザードマンたちが、冬眠をしないのですか」チェ・サダは驚いた。「そんな馬鹿な」
「それどころか、凍結するはずの河川も、沼地も、ご覧の通り氷を張らない」
「リザードマンは鉱山都市ハーシェルの周辺からいなくなったのに、病人は減らないってことか!」
ジョシュアはダレットを見た。
「凍らない水があれば、蚊は冬も通じて増え続けます。それが、この街の水路にも流れ込んでいます」
「ならばリザードマンが呪いをかけた、というのは」
「呪いなら、水路のある街区だけ、病人が出たりはしません」ジョシュアは言った。「取引履歴を拝見したいです」
オルカランは、しばらくジョシュアを見ていた。
それから、古い取引記録の綴りを卓へ運んできた。
「……いいだろう。二十年分ある。好きに読んでくれ」
「協力してくれるのか」
「あんたたちなら、少しは、話を分かってもらえそうだ」
オルカランは目を伏せた。
「リザードマン。見た目は禍々しく感じるかもしれないが、あいつらは、悪い連中じゃない。……そう言える人間が、この街にもう何人も残っていない」
少年は咳込んだ。なおも寝台で高熱にうなされている。母親が付ききりで、濡らした布を替えていた。
ジョシュアは断りを入れてから、寝台の脇へ膝をついた。
汗ばんだ額へ触れる。
いまにも枯れそうな少年の首と胸元を見て、ジョシュアはハッとした。ただの熱病とも思えない瘢痕が少年の体を蝕んでいる。
蚊が原因かと思ったが、それだけではなさそうだ。
シンシアを見る。しかし、シンシアは首を振った。
ジョシュアは、母親が布を濡らしている水桶を見た。うっすら、何か黒い粒のようなものが、ざらざらと沈殿しているのを発見して、ジョシュアは青くなった。これか。
「井戸の水は、そのまま飲ませないでください。必ず沸かして、少し冷ましたものを少し置いて、上澄みだけすくってください」
「食べ物は」
母親が尋ねた。
「無理に固い物は要りません。麦を柔らかく煮て、上澄みから少しずつ。とにかくこの、黒い粒を口に入れないように!」
ダレットたちも、オルカランも眼を見開いた。
窓と寝台の周りへ、虫を遠ざける香草を置く。
「これで治るのか」
オルカランの声は、商人のものではなかった。
「原因を止めないと、同じことが繰り返されます」
ジョシュアは正直に答えた。
「でも、今夜を少し楽にすることはできます」
台所を借りて、ジョシュアは自分の鍋をかけた。冷ましてしばらく置くと、黒い粒が白く鈍い光を放つ底に溜まっていく。上澄みの水を、そっと別の鍋に入れ、麦を煮た。
オルカランは、その手つきを黙って見ていた。
やがて、鍋のほうへ目を留めた。
「……坊主」
「はい」
「その鍋、ちょっと貸してもらえるか」
ジョシュアは首をかしげながら手渡した。
オルカランは両手で受け取り、そのまま動きを止めた。
持ち上げ、傾け、爪の背で縁を弾く。
澄んだ音が、台所に長く残った。
商人の顔から、血の気が引いていた。
「……これを、鍋に?」
「はい。薄すぎず、厚すぎず、煮炊きにちょうどいい厚みなんです」
「そういう話をしているのではない」
「え?」
オルカランは口を開き、そして閉じた。
もう一度、鍋の底を見る。黒い粒がはっきり分かるほど、鍋は白い光を放つ。
何も言わずに、ジョシュアへ返した。
「……いや。何でもない」
ジョシュアは、オルカランと奥方に、くれぐれも水を使う場合は必ず沸かして、放置し、上澄みの水だけを使って飲むよう念を押した。
赤髭団がオルカランに礼を言い去っていくと、オルカランは息子の額の布を替えながら、何度か台所のほうを見ていた。
*
宿に取った酒場で、看板娘のガーネットはチェ・サダを見るなり、目を細めた。
次の瞬間、乾いた音が響いた。
パーーーン!!
平手が、チェ・サダの頬へきれいに入っていた。
「飲み代と食事代のツケ!」
そのまま胸ぐらをつかむ。
「八ゴールド十シルバー! 耳を揃えて払ってよね、このへっぽこ魔術師!」ガーネットは激ギレだ。「い・ま・す・ぐ!!」
「か、感動的な再会の挨拶より先に、平手と金額ですか」
「三年分のツケよ。利息は取ってない!」
「正確ですね……」
「誰かさんが、必ず帰るって言ったまま、帰ってこなかったから!」
最後の一言だけ、怒鳴り声が震えた。
チェ・サダは頬を押さえたまま、いつもの乾いた冗談を返せなくなった。
ジョシュアは二人を見比べた。
「お知り合いですか」
「昔、少し」
「ずいぶん飲んで、払わずに消えた昔ね」
ガーネットは手を離したが、目元の赤さまでは隠せなかった。
「一度も連絡くれないなんて……心配、したんだから!!」
*
その日の夕方、シンシアは公会堂に設けられた療養所で子どもの熱を診ていた。
男爵が解放した壮麗な広間の一角は、いまや病人が所狭しと並んで寝かせられている。壮年の男性も、若い女性も、若い子どもたちも等しく高熱に苦しみ咳をしている。
「聖女様」
付き添いの老女が、そう呼んだ。
シンシアの手が止まった。
「……私は、僧侶です」
「同じことでしょう」
「同じではございません」
思ったより、硬い声が出た。
老女が驚いた顔をする。
「……すみません。お気に触られたようでしたら、お詫びいたします」
「よいのです……ただ、私は、聖女ではありません」
ヴィレリアが横目でシンシアを見たが、何も訊かなかった。
ジョシュアがオルカラン夫妻に伝えたのと同じように、老女たちにも「湯を沸かして冷まし、置いた上澄みだけ、飲み水や料理に使うように」そして「くれぐれも、黒い汚れは口に入れないように」と伝えた。
チェ・サダとジョシュアは、丁寧に虫よけの香草を置き、オリバーとダレットはかき集めてきた木片の大小を問わず暖炉横に積んだ。
*
その夜、赤髭団は狭い部屋に六人で泊まった。
窓の外は雪が降っている。
それなのに、窓枠に一匹、蚊が止まっていた。
ジョシュアは灯りを近づけ、しばらくそれを見ていた。
「明日から、水路を全部歩きます」
「全部か」
「はい。上流から」
ダレットは寝返りを打った。
「十日だ。急げよ」
「はい」
ジョシュアは、少し襟を正した。




