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11/16

討伐は中止だ

 町の水は、六本の水路で分けられていた。

 大きな河川に流れ込む水路以外はすべて、南から南西にかけて広がる大きな湿地へ向かって流れている。リザードマンが繁栄している地域だ。

 水路に流れ込む上流の三本は、北の丘――廃鉱山のふもとから引かれ、鉱山都市ハーシェルの飲料水や生活用水として使われていた。

 ジョシュアは手袋を外し、上流から水路へ流れ込む水へ指を入れた。

「……温かい」

 雪の下で、水だけが温い。

 水面には薄い油膜が浮き、金属に似た臭いがした。溝の底では、ボウフラがうごめいている。

「冬なのに」

 シンシアが口元を覆った。

「地下から、水路へ……暖かい水が流れ込んでいます」

 ジョシュアは羊皮紙へ町の絵を描いた。

 水路を六本、線で引く。

 そこへ、病人の出た家を点で打っていく。

 オリバーとヴィレリア、チェ・サダは手分けして、白い布の結ばれた戸口を数えて回った。

 三日かかった。それは、気の重い作業だった。

 点を打ち終えたとき、絵は誰の目にも明らかだった。

 上流の三本の水路沿いに、点が密集している。

 下流の三本には、ほとんどない。

「……呪いにしては」

 ヴィレリアが低く言った。

「几帳面すぎるわね」

 ジョシュアはオルラカン・ミルハに尋ねた。

「ちょっといいですか?」

「坊主。なんでも聞いてくれ」

「上の鉱山は、いつ閉じたんですか」

「十年以上前だ。銀の脈が尽きた」

「水が温み始めたのは」

「うーん。ここ数か月だな」

 ミルハは記録を繰った。

「黒い濁りも、最初はわずかだった。ひどくなったのは、今年の夏あたりからだ」

「十年前ではなく、数か月前」

 ジョシュアは繰り返した。

「鉱山を閉じたことが原因なら、十年前から起きているはずです。何かが、最近になって広がったんです」

 チェ・サダが、黒く濁った水を入れた小瓶を掲げた。

 指先で術式を組み、瓶へ触れさせる。

 青白い線が走り、途中で不規則に歪んだ。

「げげ」

「どうなの? チェ・サダ」シンシアは心配そうに尋ねる。

「……魔力汚染ですね」

「毒じゃないのか」オリバーは腕を組んだ。

「そのまま人が飲めば、当然、毒でもあります。ただ……」

 チェ・サダは、珍しく笑わなかった。

「こういう歪み方は、見たことがありません」

「オルラカンさん。リザードマンが湿地にいた頃、カエルやトンボは多かったですか」

「それはもう。夜はうるさいほどだった。トンボも、ただのドラゴンフライじゃない。大人の二の腕ほどに大きくなるんだ」

「最近は」

「……討伐を始めてから、減ったな。確かに。見なくなった」

 ジョシュアは水路の縁を歩いた。

 葦は焼かれ、黒く炭になっていた。

 水際には、潰された卵の殻が散らばっている。

 小さな巣の跡が、いくつも焼け落ちていた。

「人間が、火を放ったんですね」

「リザードマンを追い払うためだ。彼らの営巣地を一掃すると言ってな」

 オルラカン・ミルハの声が細くなる。

「リザードマンは、湿地を管理していました」

 ジョシュアは焼けた葦を指でつまんだ。

「堤で水位を調節して、流れを止めない。流れる水にはボウフラが湧きません。それに、カエルとトンボの幼虫が、ボウフラを食べます」

「どういうことだ?」

「私たちが雑穀を栽培し、飼育した鶏に食べさせる。その鶏の卵や肉を、私たちがいただく。同じように、カエルやトンボはリザードマンに飼われ、蚊を食べ育ちます」

「つまり、リザードマンがいなくなると、蚊やボウフラを食べるカエルもトンボもいなくなる?」

「そして、温んだ水で年中増え、魔法で冬でも飛ぶ蚊が制御できなくなります」

「……それを、我々が」

「追い払って、巣を焼きました」

 ジョシュアは顔を上げた。

「病を運んでいるのは、呪いではありません。蚊です」

 ミルハの顔が青ざめた。

「では、我々が病を広げたと」

「それだけではありません」

 ジョシュアは黒い水の小瓶を見た。

「暖かい水と、この汚れの原因が、鉱山にあります。同じ水が、沼へ流れています」

 シンシアが顔を上げた。

「……向こうのリザードマンにも、病人が?」

「いるかもしれません」

 六日目の夜、宿の部屋は静かだった。

「言うわよ、私」

 ヴィレリアが口火を切った。

「ジョシュアが正しいとして。それで、どうするの」

「男爵に説明する」

 ダレットが答える。

「信じると思う? 『あなたたちのせいでした』って話を」

 誰も答えなかった。

「仮に信じたとして、鉱山の汚れを止められるの? 誰が? 私たち六人で?」

「……」

「討伐すれば、報酬は出る。町の人は納得する。リザードマンは減るけど、たぶん全滅はしない。それが一番、死ぬ人が少ないんじゃないの」

 ヴィレリアの声は、冷たくはなかった。

 むしろ、疲れていた。

「ヴィレリアさん」

「なに」

「リザードマンを討伐すると、来年、もっと病人が増えます」

 ヴィレリアが顔を上げた。

「湿地を管理する者がいなくなります。堤が壊れて、水が止まって、ボウフラが湧きます。今年より広い範囲で」

「……」

「今年の冬を越えても、来年の夏に、同じことが起きます。もっとひどく」

 部屋が、しんとした。

「……それ、先に言いなさいよ」

「す、すみません」

「謝らないで」

 ヴィレリアは前髪をかき上げた。

「ちゃんと、言えてる」

 チェ・サダはうつむいた。

「解決したい。私は、やります」

 夜半、宿の下が騒がしくなった。

 通りを松明が動いている。

 上流の水路沿いの家で、老人が二人、続けて死んだのだという。

 人が集まり、声が上がっていた。

「沼を焼け」

「男爵は何をしている」

「十日も待てるか」

 ヴィレリアが窓を閉めた。

「……あと四日」

 ダレットは、朝まで一言も喋らなかった。

 夜が明けて、彼は依頼書を卓へ広げた。

『リザードマン討伐』

 そして、四つに折り畳んだ。

「討伐は中止だ」

「しかし男爵が」

「間違った相手を殺しても、病人は治らん」

「ダレット」

 ヴィレリアが言った。

「これで外したら、赤髭団は終わりよ。A級は剥奪される。次の依頼は来ない」

「知ってる」

「本当に分かってる?」

「ヴィレリア」

 ダレットは彼女を見た。

「お前が一番、俺の無謀に付き合わされてきた。それも、知ってる」

 ヴィレリアは何か言おうとして、やめた。

「頼む」

 ヴィレリアは、大きくため息をついた。

 それから、弓を取った。

「……分かった。行きましょ」

「あの」

 ジョシュアが、小さく手を挙げた。

「僕が、間違っていたら」

「そのときは」

 ダレットは大剣を背負った。

「俺が間違えたことになる。俺の、責任だ」

「あの……」

「お前は大きい顔をしていればいい。リーダーってのは、そういう役だ」

 ジョシュアは、口を開けたまま動けなくなった。

 ――僕が悪かったことにしてください。

 あの日、自分が言った言葉だった。

 同じ形の言葉が、逆から返ってきた。

「ジョシュア。行くぞ」

「は…… はい」

 赤髭団は、武器を持ったまま沼地へ向かった。

 戦うためではない。

「使者が丸腰で行くと、舐められる」

 ダレットはそう言った。

「殺す気がないことは、こっちの態度で示せ」

 湿地へ下る道の途中で、ジョシュアは一度だけ北を振り返った。

 丘の中腹に、廃鉱山の坑道の入口が見えた。

 石を積んで塞がれていたはずのそこは、口を開けている。

 ここしばらく誰も入っていないはずの泥の上に、新しい足跡が並んでいた。

 人間の靴に似ている。

 ただ、歩幅が、不自然に揃いすぎていた。


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― 新着の感想 ―
Xから参りました。 ジョシュア君が頑張り屋さんで可愛くて大好きです……! また、病の原因について推測する場面などが非常に丁寧かつ論理的で引き込まれました。 素敵な物語を読ませていただきありがとうご…
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