椅子は座るためにある
赤髭団のアジトは、王都の大通りから二ブロック外れた古い建物の二階にあった。
繁華街のすぐ隣、市場がほど近く、夜になっても騒がしく人々が往来している。お世辞にも治安のよいところとは言えない。
寒空の中を、酔っぱらいが肩を組んで歩いている。
「ここだ」ダレットは親指で建物の扉を指さし、ギイィィィと開けた。
階段は一段上がるたびに軋んだ。
床板には傷が多く、壁の塗装もところどころ剥がれている。窓枠は少し歪み、暖炉の横には長さの違う薪が崩れかけた山になっていた。
豪華とは言い難い。
それでも、屋根があり、火があり、人の暮らしている匂いがした。
「おう。お前ら! 新入りを連れてきた」
ダレットが扉を開ける。
最初に顔を上げたのは、手前で盾を磨いていた男だった。
分厚い肩と腕を持つ、赤髭団の前衛である。床へ置かれた大盾には無数の傷があり、革の留め具は何度も修理されていた。
「新入り?」
ダレットと並ぶ筋骨隆々の若者は、やってきたジョシュアを見て、率直に言った。
「細いな」
「…すみません」
「何で謝る?」
「細くて……」
「俺に謝ってもしょうがないだろ、変わった奴だな。俺はオリバー。見習の戦士だ」
窓辺では、赤いポニーテールの女性が弓弦を張り替えていた。
赤髭団の弓兵であり、索敵と遠距離攻撃を担うスカウトのようだ。長弓のほか、狭い場所で使う短弓やダガーも壁へ掛けられていた。その切れ長の眼で、いぶかしそうな視線をジョシュアに投げている。
「ねえ、あなた…… 本当に冒険者?」
彼女はジョシュアの顔、細い腕、そしてダレットが持っている大きな荷袋を順に見た。
「その身体で、あんな大きな荷物を持ってきたの?」
「……はい」
「大丈夫? ダレットにこき使われても。あたしはヴィレリア。まずはよろしくね」
卓では、僧装に革の胸当てを着込んだ女性が薬草を選別していた。
柔らかな茶色の髪を後ろでまとめ、白い法衣の袖を肘まで上げている。赤髭団の回復役で、等級はB級であることを示す小さな銀縁のエンブレムが首元に光っている。
彼女はジョシュアの歩き方を見ただけで立ち上がった。
「あら、ダレットさん。その子、怪我をしています」
「レオンや他の連中に、こっぴどく虐められたらしい」
「大変。ジョシュア、ここに座ってください。すぐ診ます」
「大丈夫です……」
「その言葉は、診てから私が決めます。私は僧侶のシンシア。ちょっと静かにしててね」
最後の一人は、部屋の奥で本の山に埋もれていた。
術式魔法と異常現象の解析に関するものばかりだった。小柄な男はイガグリ頭を撫でる。
彼は本から顔を上げ、ジョシュアより先に荷袋を見た。
「ちょっと、君。その詰め方、どうなっているんです?」
「はい?」
「普通なら底が沈む量なのに、形が崩れていません」
「重い物を背中へ近づけて、左右の揺れを抑えています。瓶は中央へ置くと割れるので、布を挟んで外側に」
「なるほど。なるほど」
魔法使いは感心したように頷いた。
「ダレット。この子、赤髭団に入れて正解かもしれません。僕はチェ・サダ。魔導士をしています」
「何? どういうこと?」ヴィレリアは怪訝な顔をチェ・サダに向けた。
「説明だけで、すでに僕たちより荷造りが上手いです。役に立ちそうです」
ダレットは赤髭を撫でた。
「こいつはジョシュア・ロイズ。ドルイドだが、剣聖レオンのパーティーではポーターだったそうだ」
「え? レオン… あのレオン?? S級パーティーの?」オリバーは声を上ずらせる。
「そうだ。だが、ジョシュア本人はC級だ」
ヴィレリアは肩をすくめた。
「じゃあクビになった子を、ダレットが拾ってきたってこと?」
「そうだ」
「なによそれ。一言の相談もなしに。報酬は頭割りでしょ? あたしたちの取り分、この子に渡すってことにならない?」
ヴィレリアの言葉を聞いて、ジョシュアはうつむいた。
「そう…… ですよね……」
レオンに強調された「役立たず」という言葉が、ジョシュアの頭の中をリフレインして、見るからにしょんぼりしている。
「いやいや、こいつは役に立つぞ!」ダレットはぽんとジョシュアの肩に大きい手を置いた。「たぶん」
「たぶん、って」オリバーは笑って、興味津々に尋ねた。「でも、レオンのところにいたんだよね? やっぱり、レオンの剣捌きは凄かった? どうだった?」
「それはもう……! 滅茶苦茶に強いです」
「マジかよ! いろいろ教えてくれよ。剣聖レオンの凄さ!」オリバーの目は輝いている。「俺! ああいう達人にはあこがれてるんだ」
「なわけで、ジョシュアは、今日から、正式に赤髭団へ入る」
「き、今日から?」
ジョシュアは驚いた。
「あ、あの…」
「まず座れ」
オリバーが、ジョシュアのために卓の椅子を一脚、引いた。
ジョシュアは椅子を見た。
「僕も、座っていいんですか?」
部屋が静かになった。ヴィレリアは納得いかなさそうに腕組みをしている。
チェ・サダは、何を聞かれたのか分からない顔をした。
「椅子は、座るためにある」
当たり前の返事だった。
それだけで、ジョシュアの目の奥が熱くなった。頬を、涙が伝う。
「どうしたの?」
僧侶シンシアが声を柔らかくする。
「いえ……何でもありません」
「何でもない顔ではないわね」
ヴィレリアは立ち上がり、椅子の背へ掛けてあった布をどけた。
「ほら。ちゃんと座らないと、治療できないでしょう」
「はい」
ジョシュアは、壊れ物へ触れるようにそっと腰を下ろしたが、立て付けの悪い椅子はガタガタと揺れた。
シンシアがジョシュアの上着をめくり、腹の痣を確認する。
「ひどい殴られ方…。大変だったのね。今日は安静」
「はい……」
ヴィレリアは手当を受けているジョシュアを見た。
「ねえ、新入り君。ちゃんと働いてね… 悪いんだけど、明日の朝から、すぐにオーク討伐のクエストに向かうの」
「えっ、と、討伐ですか」
「そう。相手はオークロードだそうだから、しくじるとパーティーごとB級に落とされる以前に死人が出るわ…」
ジョシュアは不安そうにダレットを見た。ダレットは腕組みをして、うなずいている。
「大丈夫だ。ジョシュアは戦力になる。俺はこいつが逃げないことを知ってる」
ヴィレリアは眉を寄せた。ダレットなりに依頼の困難さを考えてジョシュアに声を掛けたのかもしれないが、この頼りない子が何の役に立つと思ったのか。
ジョシュアは治療の白マナを身体に受けて、痛そうに顔をしかめた。かわいい少年があまりに切なそうな表情をしているので、さらに不安をかき立てられる。
「私は… とても心配。このところ依頼は失敗続きだし、また今回も遺体を街まで引きずっていかないといけなくなるの、こりごり」ヴィレリアは頭を抱えた。「足を引っ張られるのも嫌だけど… それ以上に、メンバーに死んでほしくないの」
皆、静かになった。ヴィレリアはそっとダレットの腕を掴んだ。
「ジョシュア、治ったか? 今日はよく寝て、みんな、明日から冒険に出発だ! よろしく頼むぞ!」
ダレットはガッハッハと大きく笑って自分の大きなベッドに潜り込んで、あっという間に寝た。もういびきをかいている。早い。
その夜、ジョシュアは、戸口に近い空いた小さな寝台を使うことになった。
毛布は古かったが、シンシアが新しい布を一枚重ねてくれた。
靴を脱いだあとも、ジョシュアはなかなか横にならなかった。
「眠らないの?」
シンシアが静かな声で尋ねた。
「今日は…… いろんなことがありすぎまして」
「そう……、そうよね。昨日まで、王家も頼る剣聖レオンのS級パーティーにいたんだものね」
「もう……いいんです……」ジョシュアは顔を伏せた。「ただ、ちょっとだけ…… 悔しいだけで」
「ねえ。あの、一緒にいた聖女セリナ様って、どういう人だった?」
僧侶として、どうしても聞いておきたいことのようだった。
「どう、と言われますと?」ジョシュアはかわいい顔をかしげた。
「あ、ううん。また、今度でいいの。ごめんね」シンシアは両手を広げて言葉を濁した。「ジョシュア、今日はとにかくもう寝て」
「こき使われるよ」チェ・サダは親指で、いびきをかいて眠っているダレットを指さした。「それだけは、覚悟しておいてね」
「ご親切に……ありがとうございます」
「いいのよ。同じ赤髭団のメンバーじゃない……」
シンシアは、長い睫毛を伏せるようにして、そっとジョシュアを見た。クールな感じの美人だが、翳がある。やはり、何かを聞きたさそうな顔つきであった。しかし、傷の治療に使った水の入った手桶を奥に戻しにいくと、ジョシュアは少し身体の痛みで悶えた。
しかし、治療前に比べると格段に良い。まずは、休むしかなさそうだった。
毛布へ身体を横たえる。
暖炉の火が、小さく音を立てていた。
誰かが本の頁をめくる。
弓弦を緩める音がする。
盾の留め具を直す金属音がする。
眠りへ落ちる直前まで、ジョシュアはそれらを聞いていた。




