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3/16

冷たい石畳の上で


 ジョシュアは、しばらく起き上がれなかった。


 腹を蹴られて意識が飛びそうになるほど苦しく、強く殴られ、踏まれた顔が、焼けるように痛い。


 息を吸うたび、蹴られた場所が内側から軋んだ。


「う、うう……」


 頬へ冷たい石の感触が伝わる。


 それでも最初に気になったのは、自分の身体ではなかった。


「く…… う、や、薬瓶……」


 投げ出された荷袋を引き寄せる。


 割れたのは、治療用の聖水だった。


 革袋の底へ染み込み、他の布まで濡らしている。


「セリナ様の分……割れちゃった。買い直さないと、またみんなに怒られる」


 口にしてから、手が止まった。


 もう、自分が買い直す必要はない。


 次の旅に、もう自分はいない。


 その事実が、遅れて胸の中へ重く落ちてきた。


 また、涙がこぼれる。


 ギルドの扉が開き、二人の冒険者が出てきた。


 ジョシュアを見ると、片方が口元を歪める。


「何だ。こいつ、まだいたのか。汚ぇエルフだな」


「S級に捨てられた荷物持ちか。どうせ盗みか何かしたんだろ?」


「通用口の真ん中で寝るなよ。邪魔だ」


 靴先が、散らばった木匙を脇へ蹴った。


「あっ、や、やめ…」


 冒険者たちは、石床で転がっているジョシュアを蹴り上げた。


「ぐあっ!!」


「おい、追放されたクズ。カネぐらい出せよ。少しはもってるんだろ?」


「た、たすけて…」


 冒険者たちは楽しむように、ジョシュアの顔を殴り、腹を蹴とばした。


 その間、何人かの冒険者が通りかかったが、見て見ぬ振りをして過ぎ去っていった。


 さんざんいたぶって、笑い声が遠ざかる。


「う、うぐっ…… うう……」


 みじめさと痛み、寒さ、不安…… すべてが一度に訪れ、ジョシュアはぼろぼろと声を上げずに泣いた。


 荷物袋からこぼれた木匙を拾った。


 折れていた。


 身体が痛む。寒い。行きつけの宿へ戻ろうと考えた。


 だが、今夜の宿代を払おうにも、手持ちの銀貨すら一枚も残っていない。


 これまで受け取った報酬の大半は、パーティーの仲間の食材、修理素材、薬、予備の道具へ使っていた。


 レオンが後で、いずれ、精算してくれると信じていたのだ。


 しかし、ジョシュアが立て替えた費用の話をする前に、追放されてしまった。荷物以外は一文無しになっている。


 それでもジョシュアは、朦朧とした目でギルドの入口を見た。


 もしかすると、メンバーの誰かが呼び戻しに来るかもしれない。


 アイリスがレオンを説得するかもしれない。


 セリナが、やはり治療道具を任せたいと言うかもしれない。


 カレンが、荷造りだけでも頼むと出てくるかもしれない。


 そんなことは起こらないと分かっていながら、ギルドホールの裏手から離れられなかった。


 しばらく経っても、何の救いの手も差し伸べられない。


 吹きすさぶ冷たい風だけが、ジョシュアの泣き濡れた頬を叩いている。


「あ……」


 どれほど時間が過ぎたのだろう。


 ジョシュアは限界を迎えて気を失いかけていた。


「おい」


 頭上から低い声が降ってきた。


「そこで何をしてやがる。お前は、えっと…… ジョシュア、だったか」


 顔を上げる。


 赤い髭を蓄えた、中年の大男が立っていた。


 使い込まれた、傷だらけの革鎧。


 背には幅広の大剣。


「ダレットさん……」


「やっぱりジョシュアか。おい…… 何してんだよ、こんなところで。ひでえ顔だな」


 ダレットはしゃがみ込み、ジョシュアと目線を合わせた。


「誰にやられた」


「僕が、役に立たなかったので……」


「は? いや、そうじゃない。俺の質問に答えろ」


 声は、強く、厳しかった。


 だが、責める響きではない。


「レ、レオン様、です」


 ダレットの眉間に深い皺が寄った。


「あ? お前、あの剣聖サマのところの坊や(ポーター)だろ。何でリーダーに殴られる?」


「クビに…… なりました」


「え?」


「追放、されたんです……さっき。 もう要らない…… って……」


「なんだって」


 ダレットは眉毛をハの字にしてジョシュアをじっと見た。かなり殴られている。


「よほど、何かあったようだな」


「だ、大丈夫です」


「大丈夫な奴は、こんなところに寝てない」


 ダレットは荷袋を拾い上げた。


「立てるか」


「はい…… ぐっ」


 ジョシュアは立とうとして、膝から力が抜けた。


 ダレットの太い腕が、細いジョシュアの身体をひょいと支える。


「すみません……」


「謝るな」


「……でも、ご迷惑を」


「いまのところ、お前は何一つ俺に迷惑をかけてはいねえ」


 ダレットは笑った。


「ちょうど一杯やりながら飯を喰うところだったんだ。お前も付き合え」


 ダレットはジョシュアとジョシュアの荷物を軽々とつまみ上げると、ギルドホールの隣にある酒場へ入った。


 酒場は賑わっていた。地元の顔馴染み、兵士、旅人、そして冒険者たち。あちこちのテーブルや樽の上で、話の花が咲いていた。


「ルヴィアン。元気そうで何よりだ」


 酒場のマスター、小男のルヴィアンは、殴られた少年を連れたダレットを二度見した。


「あれ。ダレットの旦那。そういう趣味だったんですかい?」


「なに言ってんだ。そんな訳ねえだろ、こう見えて一途なんだ!」


「そんな美少年連れ回して、売りに出すか抱き枕にしてるかって線だと思ったぜ」


「馬鹿抜かせ。おい、まずはビールだ。それと温かい豆スープを二つ。パンも大きいの!」


「ぼ、僕は、結構です……」


「そう言うな」


「お金が……」


「俺が払う。気にするなよ」


 泡のたったビールがジョッキで二杯。


「お前はビールじゃないほうが良かったか?」


 木椀に注がれたスープからは、白い湯気が上がっていた。


 豆。崩れた鶏肉。細かく刻んだ葱。


 豪華ではない。


 けれど、冷えた身体にはひどく温かく見えた。


 ジョシュアは恐る恐る一口飲んだ。


 塩気が舌へ広がる。


 喉を通り、腹の内側を温める。


 そこで初めて、自分が朝から何も食べていなかったことに気づいた。


「ゆっくり食え」


 ダレットは大きな黒パンを半分に割り、片方をジョシュアへ渡した。


「レオン様とやらに、追い出されたんだって?」


「はい」


「行くアテは?」


 ジョシュアは答えられなかった。そのまま、匙を手に、スープ皿に視線を落とした。


 殴られて腫れた頬を、大粒の涙が伝い、零れ落ちる。


「う…… う………」


 ダレットはそれ以上、すぐには聞かなかった。


 少年が半分のパンをさらに小さくちぎり、できるだけ長く持たせようとしているのを黙って見ていた。


「昔、一度だけ同じ依頼をやったな」


「ルッカ伯爵夫人の… 護衛ですか… 僕が、レオン様のパーティーに加入する前の」


「そう。南街道のな。襲われて騎士や雇われ傭兵どもは散り散りになって、最後まで伯爵夫人の馬車を守り通していたのは俺たちとお前だけだった。もう四年前か?」


「そうでしたね…」


「伯爵夫人は大変に感謝していた」


 ダレットは言った。大きい目が、打ちひしがれている少年の銀髪を見た。珍しく少しためらってから、思い切ったように口を開いた。


「そうだ、ジョシュア。俺な、ついに自分のパーティーを組んだんだ。俺がリーダー」


「あ、あの… 『赤髭団』ですか? おめでとうございます」


 噂には聞いていた。冒険者がギルドから認められて自らのパーティーを編成しリーダーになるのは、たいへん名誉なことでもあった。


「そうだ。この前、山賊討伐にも成功して、ついにA級パーティーに認定されたんだよ。ただ、そのあと…… ちょっと失敗続きでな」


 ダレットは頭を掻いた。


「そ、そうなんですか」


「ああ。そして、俺たち赤髭団は、いまちょうど人手が足りねえ」


 ダレットは髭に塗れた大きい顔を、ずい、とジョシュアのかわいい顔の前に突き出した。


「お前もどうだ。六人目の団員として」


「で、でも… 僕は戦えません」


 ジョシュアはダレットから視線を外してうつむいた。


 熱心に誘うダレットの飛ばした唾がビシバシとジョシュアの顔にかかる。


「前で戦うのは、俺たちの仕事だぜぇ。お前はドルイドだろう? ちゃんと後ろで支援してくれよ」


「えっ、あの…」


「そして、報酬は頭割り。どうだ」


「僕で… お役に立てるんでしょうか… C級冒険者ですし…」


「だははっ、安心しろ。我ら赤髭団、俺がA級な以外は、B級がふたり、C級がふたり。みんな若いメンバーだ、ここからうなぎのぼり! 前途洋洋!」


 ダレットは木杯を置いた。


「ジョシュア。若い頃、俺も似たような目に遭った。身体を張らされ、こき使われて、分け前は『役に立っていないから』と減らされた」


「そんなことが、あったんですね」


「だから、赤髭団ではそんなみっともないことはしねえ」


 ジョシュアは黙った。


 ダレットは急かさなかった。


「嫌なら断っていい」


 しばらくしてから、大きな手を差し出した。


「だが来るなら、客でも奴隷でもない。団員として、平等に扱う。一緒に戦おう」


 ジョシュアはその大きい手を見つめた。


「どうだ?」


 怖かった。なんせ、今日、捨てられて、すべてを失ったばかりだ。


 また捨てられるかもしれない。


 優しくされるのは最初だけかもしれない。


 なにより、ダレットは顔が怖い。声も、身体も、デカい。


 それでも、差し出された手は温かそうに見えた。


「……僕で、よければ」


「決まりだ」


 おずおずとジョシュアが握ったダレットの手は、ごつごつとしていた。


 そして、本当に温かかった。


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― 新着の感想 ―
まさに捨てる神あれば、拾う神ありですね! ひどい仕打ちを受けたジョシュア君にも明るい未来への兆しが見えてホッとしました! ブックマークと評価入れておきますね。 続きが出たらまた読みに来ます!
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