第34話 硬いのを、お願いします
朝の南門は、まだ暗かった。
見送りに、ガーネットとリディアとソラが来ていた。三人とも、赤髭団お揃いのワインレッドのマントの下は寝間着だった。
「ガーネット。起きてこなくてもよかったのに」
「何を言っているの。起きるわよ」
ガーネットが、そう言った。
「うちの子が六人も行くんだから」
彼女は、指を折り、チェ・サダに突き出した。
「僕も、ガーネットの子ですか……」
「私の作ったごはんを食べて生きている人は、みんな私の子なのよ」
リディアとソラが、ジョシュアのマントの裾を引っぱった。
「おみやげ」
「おみあげ」
「何がいいですか」
「海のもの」
「うみのもの」
「港へ行きます。買ってきます」
「ほんと?」
「はい」
ソラは、何も言わなかった。
言わないまま、ジョシュアの荷袋の紐を握って、しばらく離さなかった。
「ソラさん」
「……」
「二十日です。いい子で、待っててね」
ソラは、頷いた。
頷いてから、手を離した。
「ガーネット。リディア。ソラ。お留守番を頼む」
ダレットは大きな手を振った。ラマが歩き出す。荷車を囲むように、ワインレッドのマントが六枚、冬風に揺られて遠ざかっていった。
「おにいさんたち、どこにいくの?」
ガーネットとリディア、ソラは、いつまでも赤髭団ダレット一行に手を振っていた。
最後に、荷車の後ろを歩くチェ・サダとジョシュアが振り向いた。
しばしの別れは、家族を持つ冒険者たちの宿命でもあった。
*
城門の外には、すでに馬車が二台停まって赤髭団を待っていた。
お揃いのマントが、赤髭団をちゃんと赤髭団にしていた。馬車は隊列を組む。
先頭が、黒く大きい二頭立て。扉に、見たことのない紋章が押してある。
二台目は幌つきの荷車で、これが赤髭団の分だった。
三台目には、兵の荷が積まれている。
槍を持った兵が八人。弓が二人。背の高い馬が三頭、白い長毛ラマが二頭。
御者と、炊事係。そして、赤髭団。
皇女に付き従う面々は数えて兵士十二と赤髭団六。それにエルマーと侍女。エルマーの言ったとおりだった。
「おはようございます」
エルマーは、シックな紋様のついた外套の襟を立てて立っていた。
伊達男なのだろう。中年だが、いで立ちに隙がない。
昨日までと同じ、灰色の外套。銀の留め具。
ただ、今日は靴に泥がついていた。
「ジョシュアさん。荷は」
「はい。もう積みました」
「重くはありませんか」
「荷車がありますので」
「そうですか」
エルマーは、少しだけ笑った。
「懐かしい。ジョシュア。昔は、あなたが全部背負っていた」
「はい」
「あれは、見ていて、つらいものでした」
「でもそれが、僕が僕である証でしたから。今回は、少し楽をしています」
エルマーはうなずいた。「ジョシュア。共に往けて、嬉しいです。良い旅路を」
「ありがとう。良い旅路を、エルマー様」
*
先頭の馬車の脇に、女がひとり立っていた。
背は低い。黒髪を後ろで結い上げて、白い前掛けのついた仕着せを着ている。
その上から、丈の長い外套を羽織っていた。
侍女だった。
ただ、外套の背中が、不自然に盛り上がっている。
肩から腰へ向かって、細長い形が一本。
風で外套の裾がめくれたとき、鞘の先が見えた。
反りのある、片刃の長い剣だった。ジョシュアはわずかに侍女の佩いた剣に赤いオーラが揺蕩っているのを感じ取った。
妖剣使い。ただの侍女とは思えない。
ヴィレリアが、ジョシュアの横で足を止めた。
止まって、何も言わなかった。
言わないまま、矢筒の位置を直した。
「リア・マディソン・ミラーと申します」
侍女は、深く頭を下げた。
声が高い。顔を上げると、思ったよりずっと若かった。
十六か、そのくらいに見えた。
「殿下のお世話をいたします。道中、よろしくお願いいたします」
「赤髭団のダレットだ」
「存じております。お目にかかれて嬉しく思います」
礼儀正しく侍女は言った。声に抑揚はないが、世辞とも言えない、何とも言えない物言いだ。見た目の歳の割にしっかりしている。ダレットは目を細める。
「そうかい」
ダレットは、彼女の背中の膨らみを一度だけ見た。
見て、何も言わなかった。
「ひとつ、確かめさせてくれ」
「はい」
「その馬車の扉は、開かねえんだったな」
「はい」
「途中でも、か」
「はい」
「食事は」
「私が、運びます。責任もって」
「厠は」
リアは、瞬きを一つした。
「御用の箱を準備してございます。私がお世話いたします」
「そうかい」
ダレットは、それ以上訊かなかった。
*
兵たちは、赤髭団と口をきかなかった。
挨拶はする。荷を積むときは手も貸す。それだけだった。
唯一、港湾都市ポートアイビスでおそらく使われているのだろう、漁師らが使う舟言葉の訛りをジョシュアは感じ取った。
槍を持った八人は、みな三十を過ぎて見えた。髭は濃く、首に深いしわがある。
若い兵が、ひとりもいない。
ジョシュアは、それを妙だと思った。
思ったが、口には出さなかった。
シンシアは、荷車の反対側を歩いていた。
先頭の馬車を、一度も見なかった。
見ないようにしている、という歩き方だった。
ヴィレリアの足取りも重い。
ジョシュアは空を仰ぎ見た。朝日は翳り、低く重く見える雪雲が、空を覆い始めていた。
*
街道は、思ったより悪くなかった。
雪は昨日のうちに止んで、轍が凍りかけている。轍の上を通れば、車輪は取られない。
じゃりじゃりと、氷のような轍を砕いて車列は進む。
ジョシュアは荷車の後ろを歩いた。
その隣を、エルマーが歩いた。
「ジョシュアさん。ちょっと、お話しましょう」
「はい」
「四年前のことを、どこまで覚えておいでですか」
「……ルッカ伯爵夫人の、護衛でしょうか」
「はい」
「覚えています」
「どこまで」
ジョシュアは、少し考えた。
「三日目の夜に、雇われの方々がいなくなりました」
「はい」
「四日目の昼に、襲われました」
「はい」
「ダレットさんが、馬車の前に立ちました」
エルマーは、頷いた。
ちらりと車列を見てから、ふたりはしばらく黙って歩いた。
「私は、そのとき、二台目の荷馬車におりました」
「……」
「侯家の使いで、書類を運んでおりました。剣は持っておりましたが、抜きませんでした」
彼は、前を見ていた。
「抜けなかった、というほうが正しい」
「エルマーさん」
「あなたは、荷を全部捨てて、夫人の馬車の車輪に肩を入れました」
ジョシュアは、覚えていなかった。
覚えていないと言うのが、なぜか申し訳なかった。
「足が、泥に嵌まってしまっていたんです。あれを押してくださったのは、ジョシュア。あなたです」
「……そうでしたね」
「私は、見ていました」
エルマーは、ぽつりと言った。
「あのとき、私は、また……あなたに助けられました」
*
午後、街道が少しだけ細くなった場所を通りかかった。
左は海岸を臨む崖、右は冬のカラマツが葉もなく立ち並ぶ林。その間は、馬車一台がやっと通る幅だった。
兵が二人、槍を持ち先に立って様子を見に行った。
戻ってくるまで、四半刻ほどかかった。
「ここは、いつもこうなのですか」
ジョシュアが訊くと、エルマーは首を振った。
「去年の雨で海岸沿いの崖が崩れました。生憎、まだ直っておりません」
「直さないのですか」
「南街道は、王都が整えている道ではありません」
彼は、崖の下を見ていた。
「どこの道でもないのです。だから、誰も直しません」
*
一日目の野営は、街道脇の葉の落ちた林だった。
兵が焚き火を三つ作り、赤髭団は端の一つを使った。
ジョシュアは鍋をかけ、豆を煮た。
塩と、干した果物を少し。黒パンは三日で尽きるので、初日から惜しんで使う。
器を六つ並べ、七つ目を別に取った。
殿下の分だった。
「お待たせしました」
リアが、火のそばに立っていた。
いつからそこにいたのか、分からなかった。
「これを、お運びください」
「はい」
彼女は器を受け取って、両手で持った。
持ったまま、動かなかった。
「あの。ジョシュア様、でしたか。炊事のご担当?」
「はい。なんでしょう」
「もうひとつ、お願いがございます」
「なんでしょう」
「硬い干し肉は、ございませんか」
「え?」
ジョシュアの手が、止まった。
鍋の柄を握ったまま、動かなくなった。
「……硬い、干し肉。ですか」
「はい」
「柔らかいものでは、いけませんか」
「殿下が」
リアは、器を持ち直した。
「殿下が、硬いものをご所望です」
「……え。そんな」
「柔らかいものは、味がしないと」
ジョシュアは、火を見ていた。
薪が、はぜた。
誰も、そうは言っていない。
噛みごたえがない、とは言った。嫌がった、とも言った。
そして、味がしない、とは、この世界にひとりしか言わない。
そんな。そんな。
「ジョシュアさん?」
「……はい。あ、す、すいません」
「ございませんか」
「あります。あります……」
声が、掠れた。
「たくさん、あります」
*
ジョシュアは荷袋の口を開けた。
いちばん上に入れてある布の包みを、取り出す。
開いて、中を見た。
指が、勝手に動いた。
硬いものを、手前へ。柔らかいものを、奥へ。
毎朝やっていることだった。
やってから、自分の手を見た。
「これを」
「ありがとうございます」
リアは、紙で丁寧にくるまれた包みを受け取った。
受け取って、ちょこんと頭を下げて、馬車のほうへ歩いていった。
ジョシュアは、動かなかった。
馬車の扉が開く音がした。
すぐに、閉まる音がした。
開いていたのは、数えるほどの短いあいだだった。
中は、見えなかった。
*
「ジョシュア」
ダレットが、火の向こうから呼んだ。
「豆が焦げてるぞ」
「……はい。す、すいません」
ジョシュアは、鍋を火から外した。
外して、地面に置いた。
置いた手が、震えていた。
「おい」
「大丈夫です」
「そうは見えねえ」
「大したことでは、ありません」
言ってから、ジョシュアは口を閉じた。
この言葉を使うときは、たいてい大したことだった。
自分でも、それは分かっていた。
あの人は、大聖堂にいた。
一昨日の午後に、執政府の役人が連れていった。
そして今日、南街道の馬車の中にいる。
王都から出すためだったのだ。
名簿に載っていない人を、名簿に載っている人の名前で運ぶ。
殿下と呼ばれているかぎり、誰も扉を開けない。
ジョシュアは、荷車を見た。
いちばん下に、油紙で三重に包んだ箱がある。
十日をかけて、自分は、何を、そして誰を、どこへ運んでいるのだろう。
馬車の窓には、厚い布がかかっている。
中の明かりは、外に漏れていなかった。
「ジョシュア」
ダレットが、また呼んだ。
「お前……どうした?」
しかし、ダレットの言葉は遮られた。
焚火の前。ヴィレリアが食べたはずの豆スープを吐いたのだ。
「おい、ヴィレリア。大丈夫か」
「ダレット……ダレット。ありがとう」
心配そうに、シンシアが見た。オリバーも、チェ・サダも、立ち上がってヴィレリアの様子をじっと見ている。
ワインレッドのマントは六枚、いつも以上に焚火のそばを寄り添うように集まっている。
「お口に、合いませんでしたか」
「ううん。ジョシュア。美味しかったわ。でもごめん、先に休む」
ジョシュアが椀に淹れた温かい茶を差し出すと、震える手でヴィレリアは飲んだ。
「大丈夫……明日になれば、きっと。ごめんねダレット」
「何も心配せず寝てくれ。何となれば、明日から荷車に乗って行っていいんだぞ」
ヴィレリアはダレットのガントレット(籠手)を握る。
その様子を見て、リアが静かにジョシュアに皇女の使った木椀を戻してきた。
「美味しかった、とのことです」
「あの……」
「どうしました」
「明日は、リアさんの分も、ご用意しますか」
「……はい。お願いします」
雪を焚火で溶かして水を作り、ジョシュアは、みなの器を洗った。
ヴィレリアが残した六つ目と、馬車の中で皇女が食べた七つ目。
七つ目の器は、きれいに空になって返ってきていた。
底に、豆が一粒も残っていなかった。
残さない人だった。




