第33話 引き取られました
出発の二日前の朝、荷車が来た。
ダレットが借りてきたものだ。幌の骨が二本折れていて、チェ・サダが縄で添え木をし、魔法をかけて補強を掛けた。しかし、車はよたよたと車輪をたわませて不安定にガタガタと走る。
赤髭団はおのおのワインレッドのマントをまとい、荷車に群がる。
見て、ヴィレリアがため息をついた。
チェ・サダも、どうしたものかと頭を抱えている。困った顔でダレットを見上げ尋ねた。
「これ、坂で壊れませんか」
「壊れたら押す」
「押すのは僕ですか」
「そうだ」
オリバーが車輪を回して、軸の音を聞いていた。
リディアとソラは荷台へ登って、赤いマントを翻し端から端まで歩いた。
「ここ、寝られる?」
「寝られません」
「寝たい」
「荷が乗ります」
「じゃあ、荷の上」
「潰れます」
ガーネットが、二人のマントをつまんで引き下ろした。
ジョシュアは、車輪の輻を一本ずつ指で弾いた。
音が揃っている。使える。
行きの十日ぶんの荷を積むには、これで足りる。
「チェ・サダさん。手伝ってください」
「何かできること、ありますか」
「はい、ここを押さえて、軸に足りない枝を挿して、膠でくっつけてから補強しましょう」
チェ・サダは、手のひらへ拳をぽんと叩いて笑顔になった。
「あ。なるほど、その手がありますか。さすがジョシュア、賢いですね」
「ついでに、荷台の帆のところに、板を渡して固定してから魔法で補強しましょう」
荷車を引くために連れてこられた真っ白な二頭の長毛ラマは、迷惑そうに振り返りジョシュアとチェ・サダを見た。ジョシュアはそっとラマたちの頭を撫でた。
「ごめんね。にんじんをどうぞ」
長毛ラマたちは、仕方ねえなという表情でにんじんをもしゃもしゃと食べた。
*
昼前、ジョシュアは坂を下り、大通りを渡って大聖堂へと足を向けた。
買い物前に、獣人の女性の様子を観に行きたかったのだ。
前庭の人だかりは、変わっていない。横を抜けて、診療所へ足を向ける。
脇門の番人は、ジョシュアを見て、門を開けなかった。
「ああ、あんたか」
「はい」
「今日は、帰ったほうがいい」
「……なぜですか」
番人は、答えなかった。
答えないまま、赤い鼻の頭を指でこすった。
「聞いてないのか」
「何をですか」
「いや」
番人は、閂に手をかけた。
かけたまま、しばらく動かなかった。
「……まあ、いいか。俺は何も言ってない」
彼は、門を開けた。
*
廊下の匂いは、いつもと同じだった。
薬草と、乾いた石の匂い。両側の部屋から、咳が聞こえる。
突き当たりの扉は、開いていた。開いたまま、中に誰もいなかった。
ジョシュアは顎を引く。何かが、起きた。
獣人の寝ていたベッドの上に、白い療養着がたたんで置かれ、枕がきれいに直してある。
変わらず窓は高いところに一つ。日が入って、床に四角い形を落としていた。
ジョシュアは、扉の外に立ったまま動けなかった。
それから、部屋へ入った。獣人の女性はいない。いないと分かっていて、部屋を調べる。寝台の下を見た。枕を持ち上げた。布の包みは、なかった。
毛布をめくった。敷布をめくった。寝台の脇へ膝をついて、床板の隙間まで見た。
何もなかった。毛の一本も落ちていない。
寝台を、少し動かしてみた。ずっとここに置かれたままだったのだろう。床に、四本の脚の跡が残っていた。
その跡の位置が、いま置かれている脚とわずかにずれている。誰かが一度動かして、戻したのだ。
ジョシュアは、じっと、その跡をしばらく見ていた。
獣人の女性はいなくなった。そして、それに抵抗したとは思えない。
上を見た。そして、壁を見た。
「ジョシュアさん」
振り返ると、廊下に若い僧籍の女性が立っていた。
見たことのない顔だった。
「ここにおられた、獣人の方のお知合いですか。彼女は昨日、お発ちになりました」
「……どちらへ」
「引き取られました」
「えっ」ジョシュアは驚いたように顔を少し引いた。「引き取られた?」
「はい」
僧侶は、両手を袖の中で合わせていた。
「王宮執政府から、書状を持って騎士の方たちが参りました。お身元の不明な者の保護は、本来、大聖堂の務めではないので、引き渡せと」
「……えっ、そうなんですか」
「王都に、そういう方を預かる施設があるそうです。そちらでお世話をすると」
「どこに行かれたか、ご存知でしょうか」
「存じません、すみません」僧籍の女性は、申し訳なさそうに言った。
「あの……調べていただけませんか」
目を伏せた。
*
ジョシュアは、坂を上がらなかった。
北へ折れて、騎士団の詰所へ向かった。
ヴァネッサは、書き物机の前にいた。
左腕ではなく、机の上に書類の束を置いている。羽根ペンが、走っていた。
ジョシュアを見ると、彼女はいつもの無表情のまま、ペンを置いた。
「大聖堂、その横の診療所、ですね」
「……ご存じでしたか」
「私は、今朝、知りました」
ヴァネッサは、椅子を引いて立ち上がった。
「昨日の午後、執政府の役人がふたり、騎士がふたり。書状を持って、馬車で来て、大聖堂診療所から、あの獣人の女性を連れていきました」
「どこへ」
「分かりません。私も、気になりまして大聖堂に足を向けたのですが」
彼女は、机の上の一枚を裏返した。
「私も同じことを訊きました。大聖堂の記録には、引き渡した、としか残っていません」
「捜していただけませんか。身元が不明な彼女の所在を……」
ヴァネッサは、答えなかった。
「あなたの束には、あの方が……獣人の女性が、入っていますね」
ヴァネッサの手が、止まった。
「入っています」
「見せていただけますか」
彼女は、束の中ほどから一枚を抜いた。
几帳面な字で、短く書かれている。
――名を問われて答えられず。剣は右手。片刃。暗所にて待つ。迎えは来ず。緑の光を覚えている。
最後の行だけ、あとから書き足した跡があった。
――硬いものを好む。柔らかいものは味がしないと言う。
「これは、私の記録です」
ヴァネッサは、そう言った。
「王国の記録ではありません」
「……違うのですか」
「違います」
彼女は、その一枚を束へ戻した。
「私の束は、誰にも読ませられません。読ませたところで、何の力もありませんから」
彼女は、ジョシュアを見た。
「残念ですが、ジョシュア。この件で私にできることは、もうございません」
「そうですか……」
ジョシュアは、うなだれた。望みは、絶たれてしまったのか。
ヴァネッサのいる執務室から出ようとして……ジョシュアは、振り向いた。
「あ、あの……」
「どうなさいました」
「ひとつ……お願いしたいことが」
*
詰所の外で、シンシアが待っていた。
白い法衣の上に外套を羽織り、さらにワインレッドのマントを背負っている。
両手を袖の中で合わせている。
「大聖堂で伺いました」
「……はい」
「結局、私は……あの方に何もできませんでした」
「シンシアさんのせいでは」
「そうではありません」
シンシアは、そう言った。
「私は、あそこでは僧侶です。僧侶は、ただ、祈る者。王宮や執政から書状が来てあの女性が連れ去られたのなら、司教が、そのように判断なされたのでしょう」
彼女は、坂の下を見ていた。
「ジョシュア。ひとつだけ、覚えておいてください」
「はい」
「必ず。必ず、どこかで、生きています。そして、ジョシュアを、待っています」
「……」
「殺すなら、大聖堂の中でもできました。わざわざ書状を出して、人目に付くように馬車を用意して、役人だけでなく、騎士をふたりもよこす必要はありません」
ジョシュアは、顔を上げた。
「何かに彼女が使うつもりだから……必要だったから、連れていったのです」
シンシアの声は、静かだった。
「だから、まだ間に合います。諦めてはなりません、ジョシュア。神は見ておられます」
*
日が傾いていた。
石畳が、夕日を受けて赤くなっている。
ジョシュアは、しばらく歩いてから、足を止めた。
止まってから、マントの下に背負っている荷袋の口紐を握った。
いちばん上に、布の包みが入っている。
昨日、補充してきたばかりだった。
渡す相手が、いない。
*
その夜、ジョシュアはダレットに話した。
話し終わるまで、ダレットは一度も口を挟まなかった。
「王宮の執政府か」
「はい」
「役人ふたり、随行の騎士ふたりで来たと言ったな」
「はい。馬車で」
「書状を持って」
「はい」
ダレットは、赤い髭を撫でた。
「魔術院が返してきた翌日に、騎士団が来た」
「……はい」
「その翌日に、執政府が娘を連れていった」
彼は、指を三本立てた。
立ててから、下ろした。
「並んでやがる。実に見事に」
「ダレットさん」
「なんだ」
「明後日の朝、僕たちは王都を出発するんですよね?」
「ああ。出る」
「……はい」
ジョシュアは、それ以上言わなかった。
言えば、行かないと言うことになる。
「ジョシュア」
「はい」
「仕事は受けた。前金も割った。九等分だ」
「はい」
「だが、残ってもいいぞ。ジョシュア。気になるんなら」
「……」
「あの獣人、仲間だったかもしれないんだろ。残って捜せ。金は出してやる。なんなら、俺の取り分から出す」
「ダレットさん……あの」
「なんだ。言え」
「捜せません」
ジョシュアは、両手を見ていた。
「僕ひとりが王都に残っても、王宮も執政府も騎士団も、捜索に応じてくれないと思います」
「……そうか」
「王都に残っても、僕は、扉を叩く先がありません」
ダレットは、水を飲んだ。
飲んで、木杯を置いた。
「悪かったな」
「いえ」ジョシュアはうつむいた。「争った跡が、なかったんです」
「納得して……出て行った?」
「部屋が荒れていたとか、彼女が抵抗してベッドに傷がついていたとかなら、残って探したかもしれません」
「なら、いずれ生きて、また会えるかもな」
「そう、願っています」ジョシュアはダレットを見た。「心から」
*
その夜、オリバーが荷車の脇に座っていた。
膝の上に盾を置いて、縁を布で拭いている。
「なあ」
「はい」
「その娘、強いのか」
「……強いと思います」
「そうか」
オリバーは、盾を拭き続けた。
「じゃあ、たぶん生きてる」
「はい」
「俺、そういうことにする」
チェ・サダは、火のそばで羊皮紙を広げていた。
「ジョシュアさん」
「はい」
「僕は、四十年前の記録の閲覧を申請していました」
「はい」
「返事が来ました。今日です」
彼は、羊皮紙を裏返した。
「閲覧不可、でした」
「……」
「理由は書いてありません」チェ・サダは、羊皮紙をたたんだ。「並んでますね」
「はい」
「四つ目です」
*
出発の前日は、雪が降った。
積もるほどではない。屋根の色が、少し白くなる程度だった。
ジョシュアは荷を組み直した。
六人分と、殿下の分。油紙で三重に包んだ封印箱は、荷車のいちばん下へ。その上に鍋と豆と塩。
いちばん上に、布の包み。
硬い干し肉。
入れるかどうか、少し迷った。
渡す相手がいないものを、十日ぶん運ぶことになる。
さんざん悩んで、結局、ジョシュアは入れた。
いつもの場所へ。すぐ取れるところへ。
どこかで誰かが硬いものを欲しがったら、出せるようにしておく。
いつ、出会ってもいいように。それだけのことだった。




