第32話 筋は通っている
チェ・サダが油紙の包みを大事そうに抱えて戻ってきたのは、出発の三日前の朝だった。
「お帰り、チェ・サダ」
「てさだ」
ワインレッドのマントをチェ・サダは壁にかけ、暖炉の前で遊んでいるリディアとソラの頭をクシャッと撫でる。
「何だそれは?」
「爆弾です、ダレットさん」
「物騒だな……」
「少なくとも、危険物ではあります」
卓へ置くと、ゴトッ、と鈍い音がした。
包みを開ける前から、中身は分かった。
「返されました」
彼は、そう言った。
「返された?」
ダレットが顔を上げる。
「魔術院からです。もう置いておけない、と」
チェ・サダは油紙をほどいた。
封印の箱を開くと、黒い光を閉じ込めた宝珠が、卓の上に出てくる。
いや、黒い光ではない。あたりの光を吸い込んでいるのだ。
「鑑定は終わりました。これ以上は分からない。だから依頼主へお返しする」
「厄介払いか」
「ですが、赤髭団から鑑定を依頼したのですから、返されることは筋は通っています」
「ま、筋は通ってるな」
「はい」
「通りすぎてる。危険物を返されること以外はな」
ダレットは、椅子の背へ体重を預けた。
「で。魔術院のアルバート師は?」
「お師匠様はまだ遠征中です。お戻りになっていません」
チェ・サダは、封印箱の紐を結び直した。
「師がおられれば、預かっていただけたかもしれません」
「爆弾をか?」
「ここで爆発するか、魔術院で爆発するかの違いです。鑑定を担当した副長魔導士は、どっちにしても王都は半壊しかねないとビビり上がっていました」
「物騒だな」
「物騒ですね」
ふたりは、横で、嬌声を上げて遊んでいるリディアとソラを見た。
*
昼過ぎ、階段を上がってくる足音があった。
二人分。片方は重い。
オリバーが扉を開けると、騎士団の副団長リンツが立っていた。
金髪を短く刈り込んだ、精悍な男だ。後ろに、若い騎士がひとり。
「ダレット殿」
リンツは、丁寧に頭を下げた。
その角度が、前に来たときより深かった。冒険者風情に頭を下げるとは、律儀な男だ。
「用件から言う」
「そうしてくれ」
「北の鉱山から回収された漆黒の宝珠を、騎士団が預かりたい」
誰も、動かなかった。
チェ・サダが油紙へ手を伸ばしかけて、途中で止めた。
シンシアは、卓の端に座ったまま動かなかった。
法衣の袖の中で、両手が合わさっている。
ジョシュアは、それを見た。
騎士がふたり、部屋に立っている。それだけのことだ。
この人は大聖堂で、鎧を着た人間を毎日見ているはずだった。
後ろの若い騎士は、板を抱えていた。
紙が挟んである。
リンツが話しているあいだ、その手はずっと動いていた。
書き取っているのだ、とジョシュアは気づいた。
いつだったか、ダレットが自分の言葉を羊皮紙に書き取ってくれたことがある。
ダレットなりの、精いっぱいの文字だった。
あのときは、嬉しかった。
「……今朝、返されてきたばかりだぞ」
「もちろん、知っている」
「知っていて、ここに来たのか。あんたら」
「然様。知っていて参った」
リンツは、目を逸らさなかった。
「昨日の夕刻、魔術院から騎士団へ通知が来た。まずは鑑定終了、依頼主である赤髭団へ返却済み、と。それを受けて、今朝、命令が出た」
「早いな」
「早い」リンツは、それだけ言った。口を堅く結ぶ。緊張している。
「理由を聞かせてもらおうか」
「危険物の管理だ。膨大で純粋な黒マナの塊が、市街地の建物に置かれている。先日も王都の空が裂けて、《ゲート》が開いたばかりだ」
「それで?」ダレットは腕組みをする。その様子をリンツはまっすぐに見ていた。
「今回、降ってきたのはレオン一行だが、次にあの忌々しい次元の狭間の《ゲート》から出てくるのが魔物でない保証はない。王宮としても看過できないし、王都市民も不安がっている」
「なるほどな。まあ、筋は通ってる」
「通しているつもりだ」
「あんた、さっきから俺の言うことを繰り返してるな」
リンツは、答えなかった。
*
「断る」
「……ダレット殿」
「あれを掘り出したのはうちだ。ギルドの台帳に、赤髭団の名前で載ってる。回収の報告も出した。報酬も受け取った」
ダレットは、赤い髭を撫でた。
「持ち主が管理するのが筋だろう」
「筋は通っている」
「三回目だぞ」
リンツは、しばらく黙っていた。
「令状はない。あくまで『善意で』騎士団に預からせてほしい、という話なのだが」
彼は、そう言った。
「今日は、頼みに来た。断られたら、それまでだ」
「じゃあ断る」
「分かった」
リンツは、頭を下げた。
下げてから、しばらく上げなかった。
「三日後に、また来る」
部屋の空気が、止まった。
「三日後」
「そのときは……令状を持ってくる」
ジョシュアの指先が、冷たくなった。
三日後の朝、赤髭団は南街道へ出る。
「リンツさん」
「うん?」
「三日後は……こちらに、何刻に来られますか」
「昼過ぎだ」
「……そうですか」
ジョシュアは、それ以上訊かなかった。
訊いても、答えは変わらない。
「ダレット殿」
リンツは、扉の前で振り返った。
「私は、あんたら赤髭団を信頼している」
「知ってる。そして、そう願ってる」
ダレットは、天井を見ていた。
「前にも、そう言ったな」
「言った」
「あのときは、嬉しかった」
ダレットは、視線を戻した。
「今日は、そうでもねえ」
リンツは、答えなかった。
答えないまま、丁寧に礼をして、扉へ向かった。
「リンツ」
ダレットが呼んだ。
「……何か」
「三日後、ここにゃ子どもが三人いる」
リンツの手が、把手の上で止まった。
「留守番だ。上の娘が看板娘で、下のふたりはまだ小さい」
「……」
「約束しろとは言わねえ」
ダレットは、天井を見たままだった。
「怖がらせるな。それだけだ」
リンツは、しばらく動かなかった。
「ダレット殿」
「なんだ」
「私は、令状を持って参ります」
「知ってる」
「戸を破ることも、あるかもしれません」
「知ってる」
ダレットは、視線を戻した。
「破る前に、名乗れ」
リンツは、頭を下げた。
その角度が、今日いちばん深かった。
供の騎士を連れて、彼は出ていった。
*
扉が閉まってから、しばらく誰も口をきかなかった。
「昨日返してきて、今日取りに来たわ」
ヴィレリアが言った。
「魔術院と騎士団が、示し合わせてるってこと?」
「示し合わせちゃいねえだろうな。もし魔術院が騎士団を信頼しているのなら、チェ・サダに返さず騎士団に渡しているはずだ」
ダレットは、封印箱を指で押した。
「魔術院は本当に持て余した。騎士団は本当に危険物を管理したい。どっちも正しいことをしてる」
「じゃあ、なんで」
「正しいことを、正しい順番で並べただけだ」
ダレットは、指を止めた。
「並べた奴が、どこかにいる」
チェ・サダが、ゆっくりと椅子へ座った。
「僕が、魔術院へ持ち込みました」
「そうだな」
「僕が、四十年前の記録を検索しました。閲覧の申請も出しています。自分の名前を書いて」
「そうだな」
「……僕が、知らせたんですね」
「いや。お前も、正しいことをした」
ダレットは、そう言った。
「正しいことをすると、台帳に載る。台帳に載ると、台帳を持ってる奴から見える」
誰も、何も言わなかった。
「ジョシュア」
「はい」
「荷に入れろ」
「……宝珠を、ですか」
「三日後の昼にゃ、俺たちは街道の上だ。ここに置いてきゃ、令状持った奴が空き家から持っていく」
「持っていけば、持ち逃げしたことになるわよ」
ヴィレリアが言った。
「なる」
「置いていけば?」
「取られる」
ダレットは、木杯へ水を注いだ。
「どっちに転んでも向こうが勝つ形だ。なら、手元に置いとくほうがマシだ」
彼は、水を飲んだ。
「取られたら、二度と何に使われるか分からねえ」
ダレットは、木杯を置いた。
「それに、だ」
「はい」
「子どもが三人寝てる家に、爆弾を置いていけるか」
誰も、答えなかった。
暖炉の前で、リディアがソラの毛布を引っぱっている。
二人とも、こちらを見ていなかった。
「でも……私たちも、この宝珠は持て余しているのよ?」ヴィレリアは首を傾げた。「騎士団に押し付けてしまえれば、それでおしまいじゃないの?」
「リンツは信用できる男に見えるが、しかし騎士団の使い走りだ」
「……そうね」
「そして、あいつはたぶん、あの宝珠の危険性は分かっていても、何に使うつもりかは知らされていねえ。単に『危ない』というだけで、騎士団が厄介なモノを引き取ると思うか?」
「令状を持って奪いに来るのなら……戦えばいいじゃないですか」オリバーが、戸口で言った。「令状を持ってきたら、追い返せばいい」
「騎士団とやるのか」
「うちには」
オリバーは、そこで言葉に詰まった。
「……うちには、盾があります」
誰も、笑わなかった。
ジョシュアは、自分の手のひらを見た。
「オリバーさん」
「なんだよ」
「僕の盾は、人を止められません」
「知ってる」
オリバーは、柱へ背を預けた。
「知ってるよ。俺がやるんだ。この盾で」
*
昼のうちに、エルマーから文が届いた。
ジョシュアが出した問い合わせの返事だった。
几帳面な字で、短く書かれている。
『殿下のお召し上がりものは、皆さまと同じもので構いません。ただし、お運びするのは侍女ひとりといたします。馬車の扉は、道中お開けにならぬようお願いいたします』
ジョシュアは、その二行を三度読んだ。
「ダレットさん」
「なんだ」
「扉を開けるな、と書いてあります」
「そうか」
「……九日、皇女プリムラ殿下のお顔を拝見しないままですか」
「そういう仕事もある」
ダレットは、それだけ言った。
ジョシュアは、目録の一行に線を引いた。
――殿下の召し上がるもの、要確認。
その下へ、書き足す。
――同じでよい。侍女へ渡す。
それから、日数を数えた。
護衛はポートアイビスまでだ。殿下をお渡しすれば、そこで仕事は終わる。
行きが九日。
九日、と思ってから、指が止まった。
帰りがある。
港で二日。戻りに九日。
二十日。
もう一度、頭から数え直した。
合っていた。
*
その日の午後、ジョシュアは坂を下りた。
前庭の人だかりは、変わっていない。
脇門の番人は、ひとりで来たジョシュアを見て、少し困った顔をした。
「今日は、あの書記の人はいねえのか」
「はい。僕だけです」
「書状は」
「ありません」
番人は、門の外を見た。
しばらく、そのまま見ていた。
「……早く行け」
「ありがとうございます」
「礼を言うな。俺は何も見ていないし、誰も通してない」
*
療養室の娘は、寝台に腰を掛けて、高い窓を見上げていた。
入っていくと、耳がこちらを向いた。
「あ」
「こんにちは」
「来ました」
「はい」
「もう……来ないと思ってました」
娘は、そう言った。
責める言い方ではなかった。ただ、そう思っていた、という顔だった。
「ちょっと、待ってください」
彼女は、枕の下へ手を入れた。
布の包みを引っぱり出して、開いて、中を見せる。
「まだ、あります」
干し肉が、半分ほど残っていた。
硬いものが手前に、柔らかいものが奥に。並べ替えたままだった。
「一日に、二つだけ食べると決めました」
「……二つ」
「多いと、なくなるので」
娘は、包みを閉じた。
「なくなったら、来てくれなくなるかもしれないので」
ジョシュアは、何も言えなかった。
言えないまま、荷袋の口を開けて、新しい包みを出した。
「補充してきました」
「え」
「まだ、たくさんあります」
娘は、両手で受け取った。
受け取って、重さを確かめるように、少し上下させた。
「……これ、いくつですか」
「数えていません」
ジョシュアは、正直に答えた。
「数えると、足りない気がしてくるので」
*
「あの」
「はい」
「三日後から、しばらく来られません」
娘の耳が、少し下がった。
「どこかに、行くのですか」
「はい。南の街道です。往復で、二十日ほど」
「二十日」
彼女は、指を折った。
一。二。三。
四本目で、少し止まった。
「……たくさんですね」
「はい。それまで、健やかに」
「待ってます。旅のご無事を」
ジョシュアは、うつむいた。
この人は、暗いところで、ずっと誰かを待っていた。
来なかった、と言った。
「必ず戻ります」
言ってから、自分の声が少し震えたのが分かった。
「大したことでは、ありません。二十日です」
「大したことです」
娘が、そう言った。
「え?」
「二十日は、大したことですよ」
彼女は、包みを胸に抱えていた。
「あたし、数えます」
娘は、両手と、両足の指を全部開いた。
「これで、足りますか」
「……はい。足ります。ちょうどです」
「よかった」
彼女は、指を閉じた。
「足りなかったら、どうしようかと思いました」
*
夕食のとき、ヴィレリアがまた椀を置いた。
今度は、匂いのせいではなさそうだった。
「三日後の昼に、令状が来るのよね」
「来る」
「そのとき、あたしたちは街道」
「そうだ」
「ねえ」
ヴィレリアは、卓の木目を見ていた。
「これ、逃げてることになる?」
「なる」
ダレットは、即答した。
「だが、依頼は先に受けてる。前金も受け取った。仕事を放り出して待ってるほうが、よっぽど筋が通らねえ」
「……そうね」
「筋は通ってる」
ダレットは、そこで少しだけ笑った。
「今日は、みんな筋が通ってやがる」
*
夜、ジョシュアは荷を組んだ。
九人分ではない。六人分と、殿下の分。
油紙で三重に包んだ封印箱を、いちばん底へ入れた。
その上に、鍋。乾いた豆。塩。油。予備の革紐。針と糸。火口の箱は、いちばん濡れにくいところへ。
冬の街道は日数が読めない。片道八日の道程に、十日ぶんで組む。
帰りの分は積まない。港で買えばいい。前金がある。
今回、馬車があった。随行の荷馬車も一台つく。背負わなくていい。気分は楽だが、考えるべきことは増えた。
荷車に乗せるものと、背負うもの。自分の背中に、仲間の背中で。
荷を分ける。数えて入れる。
シンシアの薬箱は、雨に当たらない側へ。
ヴィレリアの矢筒には、重い鏃の入った細い筒を添えた。
言われてはいない。
持っていくかどうかは、彼女が決めることだ。
だから、取り出しやすいところへ入れておいた。
そして、いちばん上に布の包み。
硬い干し肉。
誰のためのものかは、もう分かっている。
名前だけが、まだ出てこない。
背負ってみた。
前より、重い。
何が重いのかは、考えないことにした。




