第31話 弓が要る仕事
エルマーが帰ったあと、しばらく誰も口を開かなかった。
「ダレット」
シンシアが言った。
「請けるのですか。この依頼」
「気に入らねえ」
ダレットは、髭を撫でた。
「気に入らねえが、断る理由がねえ。金は良い。仕事は明快だ。護って、運んで、渡す」
「気に入らないのは、どこですか」
「なんか、怪しい。なあ、ジョシュア。あのエルマーというのはどういう男だ」
「昔は、ただただ、とても強いだけの剣士でした……レオンさんのような」
「剣聖レオンのような強さ!?」オリバーは身を前に乗り出した。「それで、どうなったんだ」
「その後、正しい道をご自身で見つけたと仰られ…… ご結婚されて、引退されました」
「そうか……」
「その強かった剣士サマが、侯爵の使者になって、あたしたちに依頼をぶん投げてきたってわけ?」ヴィレリアは腕組みをした。「ジョシュア。あんたはどう思うの」
全員が、ジョシュアを見た。
「僕、ですか?」
「そうだ。意見を言ってみろ、ジョシュア」
「僕は……エルマー様とは無関係に、赤髭団が何かに巻き込まれる気がしてなりません」
オリバーが、口を挟んだ。
「じゃあ、断ろうか」
「断ったら、次に頼まれるのはどこだ」
ダレットが応じた。
「……」
「うちより弱いとこだ」
ダレットは、天井を見た。
「それに、あの男は自分も同行すると言った。おそらく、危険な任務だという認識があるんだろう」
「……はい」
「命を賭ける覚悟のある奴の頼みってのは、断りにくい」
彼は、視線を戻した。
「世の中、そういうふうに、できてる」
ダレットは、革袋を持ち上げた。
持ち上げてから、卓の真ん中へ置き直した。
「行くのは六人だ」
ダレットは、指で卓を叩いた。
「俺、ヴィレリア、シンシア、オリバー、チェ・サダ。それと、ジョシュア」
「シンシア?」
ヴィレリアが訊いた。
「はい……?」
「あんた、さっきから顔が白いわよ」
「……そうですか」
シンシアは、両手を法衣の袖の中で合わせた。
「行きます」
「無理してない?」
「していません」
言ってから、彼女は少しだけ笑った。
「赤髭団の一員ですもの。もちろん、皆さまと行きます」
ジョシュアは、顔を上げた。
その笑い方を、自分はよく知っていた。
行きたくないと言えない人が、そういう笑い方をする。
「ガーネットさんたちは」
「置いていく。街道を九日、あの三人は連れて歩けねえ」
ジョシュアは、頷いた。
六人。
最初の六人だった。
「で、金は九等分だ」
ジョシュアが、顔を上げた。
「……九、ですか」
「団員は九人いる。留守も仕事だ。前金からな」
「あの、僕は」
「言うな」
「……はい」
「ガーネット。リディア。ソラ」
三人が、椅子の上で背を伸ばした。
「お前らは留守番だが、団員だ。取り分はある」
「ほんとに?」
「団員は椅子に座る。団員は取り分をもらう。同じことだ」
ソラが、リディアの手を握った。
リディアは、指を折って何かを数えようとして、途中で分からなくなったらしく、ソラの顔を見た。
*
「ヴィレリア」
シンシアが、静かに呼んだ。
「あなたも、出ますか」
「出るわよ」
即答だった。
「弓が要る仕事でしょ。街道で、馬車を守るなら」
「そうですね」
「なによ」
「いいえ」
シンシアは、それ以上言わなかった。
言わないまま、ヴィレリアの椀へ、湯を足した。
ジョシュアは、二人を見ていた。
見ていて、朝からヴィレリアが窓を開ける回数が増えていることに気づいた。
気づいたが、口には出さなかった。
「ジョシュア」
ダレットが呼んだ。
「出発は三日後だ。それまで、荷を組め」
「はい」
「それと、行ってこい」
「……どこへ、ですか」
「訊くな。分かってて言ってる」
ジョシュアは、荷袋の口紐を握った。
「……シンシアさんから、お聞きになりましたか」
「聞いた」
ダレットは、木杯へ水を注いだ。
「獣人の女がいた。硬いのが好きで、お前が取り分けてた」
「はい」
「名前は」
「……出てきません」
「そうか」
卓の向こうで、チェ・サダが動きを止めていた。
止めたまま、何も言わない。
訊かれたら、はいと答えてしまいますので――そう言ったときと、同じ顔をしていた。
チェ・サダは振り向いた。ジョシュアと目が合った。そっと、チェ・サダは笑った。
「なら、出てくるまで通え。出立まで、まだ三日ある」
「三日で、出てくるとは思えません」
「出てこねえだろうな」
「だが、三日通えば、三日ぶんは覚える」
「……はい」
「覚えるってのは、そっちからでもできる」
*
卓の隅で、ジョシュアは羊皮紙の切れ端に目録を書き始めた。
事細かに、文字を詰めて持っていくもののリストを作っていく。
九人分の食糧。冬の街道は日数が読めないので、八日の道程に十日ぶんで組む。塩、油、乾いた豆、干した魚と、肉。黒パンは三日で尽きるから途中でパンを焼く用の雑穀粉を多めに。いつもの鍋がひとつ、木椀が九つ。
そこまで書いて、筆が止まった。
殿下の分を、足さなければならない。そして、同行するエルマーの分、侍女の分。
「ダレットさん」
「なんだ」
「皇女殿下は、僕らと同じものを召し上がりますか」
「知るか」
「……ですよね。エルマー様と、侍女の方の分も」
「常識的に考えれば、それは向こうが用意して馬車に積むだろう。だが、勝手に決めるな。使者に文をやる」
ダレットは、髭の奥で少しだけ笑った。
「訊けば分かることを、訊かずに背負い込むのがお前の悪い癖だ」
「……はい」
ジョシュアは、目録の下へ一行足した。
――殿下、エルマー様、侍女の召し上がるもの、要確認。
それから、その下にもう一行書いた。
書いてから、しばらく見ていた。
――硬い干し肉、要補充。
*
アイリスが風のようにやって来たのは、その日の夕方だった。
二日続けての訪問だった。今日は帽子を脱ぎもせず、卓の前に立ったままだった。
「騎士団に呼ばれたわ」
彼女は、そう切り出した。
「羊皮紙を読んでくれ、と。二枚。オークの巣から出たものだそうね」
ダレットが、椅子を引いた。
アイリスは、座らなかった。
「読めたのですか」
チェ・サダが訊いた。
「一枚目は駄目。あれは呪符よ。読むものじゃない」
「二枚目は」
「読めた」
アイリスは、卓へ手をついた。
「短い文よ。日付と、場所と、名前だけ」
「……」
「満月の夜。ベコックの丘。魔人ワールディン」
部屋の空気が、動かなくなった。
「ベコックってのは」
ダレットが言った。
「港湾都市ポートアイビスに向かう南街道の、途中の丘だな」
「そう」
「王都から、馬車で三日ってとこか」
「四日と聞いたわ」
「四日か」
アイリスは、そこで初めて顔を上げた。
「魔人ワールディン。レオンが受けた依頼と、同じ名前なの。討伐対象の魔人と。あの依頼は、いま中断されている」
「なぜ中断だ」
「私たちが、王都から出られないから」
アイリスは、そう言った。
「聖女セリナが動けないうちは、レオンは動かない。あの人は、パーティーを揃えないと戦わないの」
「……あの人が、来るんですか」
オリバーが訊いた。
「その丘に」
「来ないわ」
アイリスは、はっきり言った。
「セリナが動けないもの」
オリバーは、うつむいた。
それから、小さく息を吐いた。
「安心しました」
彼は、そう言った。
言ってから、自分の言ったことに驚いた顔をした。
*
チェ・サダが、立ち上がった。
「アイリスさん。ひとつ、確かめさせてください」
「なに」
「あの丘に魔人が現れると、紙に書いてあったんですね」
「そう書いてあったわ」
「では、書いた者は、いつそれを知ったんでしょう」
部屋が、静かになった。
「あの羊皮紙が出たのは、オークロードの地下道です」
チェ・サダは、指を一本立てた。
「王都の北西。ここから半日の場所でした。祭壇の下に、埃をかぶって置いてありました」
「……ええ」
「見つけたのは、ハーシェルへ発つより前です。ずいぶん前になります」
彼は、指を下ろした。
「ずいぶん前に書かれた紙に、七日後の夜の予定が書いてあります」
誰も、何も言わなかった。
「予定というのは、決めた者にしか書けません」
「……ダレット」
「言うな」
ダレットは、髭を撫でた。
「あの紙は、オークロードの手元からどうしても離れたかった。僕は、そう言いました」
「言ったな」
「離れて、どこへ来たかったんでしょうね」
誰も、何も言わなかった。
「魔人が、そこに現れるんじゃない」
チェ・サダは、静かに言った。
「誰かが…… 何かの意図をもって、そこへ、呼ぶんです」
*
ジョシュアは、暖炉の火を見ていた。
頭の中で、二つのものが並んでいた。
卓の上の革袋。三日後の出発。南街道を七日。
もう一つ。満月の夜。ベコックの丘。
「あの」
声が、少し掠れた。
「アイリスさん。満月は、いつですか」
「……七日後よ」
ジョシュアは、指を折った。
三日後に発つ。
丘まで、四日。
三と、四。
「七日後です」
「なに?」
「僕たちが皇女殿下をお連れして、ベコックの丘を通るのが、七日後です」
ジョシュアは、顔を上げた。
「満月の夜と、同じ日です」
誰も、動かなかった。
薪が、また、ぱちりと鳴った。
「……偶然だと思うか」
ダレットが、誰にともなく言った。
誰も、答えなかった。
「日取りを決めたのは、ローエングラム侯爵家です」
チェ・サダが、静かに言った。
「出発の日も、道程も、向こうが決めました」
アイリスが、ゆっくりと椅子を引いて、座った。
座ってから、とんがり帽子を脱いだ。
「……お茶、もらえるかしら」
「はい」
ジョシュアは、立ち上がった。
木椀は、九つある。
今日は、十個目を出さなければならなかった。




