第30話 古い仲間
男は、椅子に座っていなかった。
立ったまま、暖炉のそばで待っていた。
五十なかばくらいだろうか。白髪の混じった黒髪を少し伸ばし、灰色の外套に、銀の留め具。長旅の格好をしているのに、靴には泥ひとつない。
首元から外套のラインを見るに、歳合いにはなく引き締まった身体を感じさせた。
ダレットが向かい合って腕を組み、いつものように、オリバーが戸口に立っている。チェ・サダは卓の端で、指を組んだり解いたりしていた。
「戻ったか」
ダレットが顎で示した。
「ローエングラム侯の使者だとよ」
「エルマーと申します。エルマー・ハインツ。お見知りおきを」
男は、深く頭を下げる。そして、ダレットの後ろにいたジョシュアに目を向けた。
「やあ。ジョシュアさん。久しぶりです。変わりませんね……」ジョシュアにも、同じ角度で下げた。「まったく、と言っていいほど」
「エルマー様」ジョシュアはかすかに眉を寄せた。
「様、はやめましょう」
ヴィレリアは、ジョシュアとエルマーを交互に見た。
「まったく接点なさそうに見えるけど…… あんたたち、どういう関係?」
「古い仲間、とでも申しましょうか」
エルマーは伏目がちに笑った。ジョシュアはそっと頭を下げる。
「いつも、ありがとうございました」
「いやいや。ジョシュアさん。礼を言うのはこちらです。おかげさまで、冒険者を辞めてから、かなり長いこと幸せに生きています。あなたのお陰です」
エルマーは礼儀正しかった。それは、どう見ても格下のジョシュアに対しても必要充分の尊重をする。
そうやって、生き残ってきた男なのだろう。
「また、荷物持ちをやって、こき使われてしまっていたそうですね。ジョシュアさん。本当に、あなたという人は」
ジョシュアは、返す言葉が出てこなかった。エルマーは、初めて少しだけ笑った。
それから、男は部屋をゆっくりと見回した。
見回して、シンシアのところで止まった。
止まったまま、しばらく動かなかった。
シンシアが、目を伏せた。
伏せてから、静かに立ち上がる。
立って、リディアとソラの前へ、そっと体を入れた。
ジョシュアには、それが誰を庇う動作なのか、分からなかった。
「まあ、座ってくれ」ダレットは、椅子を引いた。「ジョシュアの知り合いなら、話が早い」
「……恐れ入ります。でも、私にとって、ジョシュアさんはただの知り合いではありません」
「は?」
「恩人です」
*
話は短かった。
「第四皇女プリムラ殿下を、ローエングラム侯爵領、港湾都市ポートアイビスまでお送りいただきたい」
誰も、すぐには声を出さなかった。
薪が、ぱちりと鳴った。
「……皇女?」
ヴィレリアが、ようやく言った。
「名目は、ご静養です」エルマーは淡々と続けた。「王都の空気が、殿下のお身体に障ると医師が申しております」
「空が裂けたからか」
「そう受け取っていただいて構いません」
「本当のところは」
「私は、使者でございます」
エルマーは、それだけ言った。
「道程は、南街道を七日。冬は道が締まりますので、実際には八日から九日。護衛は当家の兵が十二名つきます。皆さまには、その内側にいていただきたい」
「内側?」
「兵の内側です。皇女殿下のすぐ隣に。私も、また、侍女も同行いたします」
ダレットの眉が、動いた。
「兵が十二もいて、なぜ俺たちを内側に置く」
「兵は、外を見ます」
エルマーは、暖炉の火を見ていた。
「外だけを見ている者ばかりでは、内側が空きます」
部屋が、静かになった。
「報酬を申し上げます」
男は、懐から革の袋を出した。
卓へ置くと、鈍い音がした。
「七千五百ゴールド。うち四千を、前金で」
オリバーが、戸口の柱から背を離した。
チェ・サダの指が、止まった。
「……おい」
ダレットの声は、低かった。
「A級パーティーに払う金額にしては、ずいぶん大金だな」
「はい」
「はい、じゃねえよ」
「本来、A級パーティーに支払う額ではありません。ですが、どうにかして、貴殿ら赤髭団にこの依頼をお請けいただきたいのです」
ヴィレリアは、卓の木目を見ていた。
「ねえ、ちょっと」
「はい」
「その皇女殿下とやらは、お歳はおいくつなの?」
エルマーは、答えなかった。
「……失礼しました」
「いえ」
男は、少しだけ目を伏せた。
「伏せるよう、申しつかっております」
「歳をか」
ダレットが訊いた。
「はい」
「護る側に、歳を伏せるのか」
「申した通り、随行は、侍女がひとり」
男は、それだけ言った。
「港湾都市、と言ったわね」
ヴィレリアが、椀の縁を指でなぞった。
「静養に行くのに、なぜ港なの」
「海の空気が、よろしいそうです」
エルマーは、そう答えた。
答えてから、少しだけ間が空いた。
「侍女がひとり、と」
「はい」
「殿下おひとりに、お前と、侍女がひとり」
「よく働く者です」
エルマーは、そう言った。
「たいへんに、よく働きます」
「兵十二名の内訳は」
ヴィレリアが訊いた。
「槍が八、弓が二。残る二名は御者と炊事です」
「弓が二」
ヴィレリアは、椀の縁を指でなぞった。
「冬の街道を九日、弓が二は少ないわ」
「貴殿らの活躍にも期待をしてのことです」
*
「なぜ、赤髭団なんだい」
ダレットが訊いた。横で、ジョシュアが静かにしている。
「ほかのS級とA級パーティーは、貴殿ら赤髭団を含め八隊です」
「剣聖レオン・ガーフィールドとS級の方々は、いま王都で足止めをされていると伺いました」
「……ふん。そうみたいだな」
「残るS級パーティーは二隊が討伐に、一隊が対帝国の偵察に。A級は、それぞれ南部へ街道の防衛、重要物資の輸送の護衛、そして執政ウェデラー様からの外交使節の随行」
エルマーは、指を一本ずつ折った。
数えていた。
「……残るのは」
「いまは、赤髭団のみです」
男は、指を立てたまま、卓を見た。
「消去法か?」
「違います」エルマーは即座に反応した。「ギルドでは、こう伺いました。赤髭団は見た目こそ粗野だが細やかな仕事のできる、まとまったパーティーだと」
ダレットの眉が動いた。
「よく言うぜ」
「どうでしょう。貴殿らは働ける人たちだと見込んで、どうしてもお願いしたいんです」
エルマーは、指を下ろした。ダレットを、ジョシュアを、そしてシンシアを見る。
「空が裂けた日に人を受け止めることができたのは、この王都で一組だけでした」
ジョシュアは、うつむいた。
「騎士団の副団長、リンツ殿にも伺いました。ヴァネッサ殿にも」
「……ヴァネッサさんに」
「あの方は、こうおっしゃいました」
エルマーは、少しだけ顔を上げた。
「数の合わない話を、まともに聞く連中だ、と」
エルマーは、そこで立ち上がった。
「もう一つ、申し上げておきます」
「なんだ」
「道中、私も同行いたします」
ダレットが、顔を上げた。
「使者が、か」
「はい」
「珍しいな。依頼主の使いは、ふつう王都で待つもんだ」
「そういうものかもしれませんが、私は違います」
エルマーは、外套の襟を直した。
「どうか、お請けいただきたい」
エルマーの差し出す前金四千ゴールドの袋を、ダレットは無言でエルマーに押し返した。
「明日、返答する」
「では、これはお預けしておきます」
エルマーは、袋を卓の中央へ静かに戻した。
「お断りになるのでしたら、明日、そのままお返しください」
エルマーは、シンシアを見た。シンシアは、整った顔を伏せた。




