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第28話 四枚です

 寝台は、明け方に出来上がった。


 板が二枚。脚が六本。長さを揃え、にかわで固めて、上から麻布を張った。


 オリバーが拾ってきてくれた三枚のうち、一枚は踏まれて少し割れて、とげが出ていた。怪我をしないように、ナイフで丁寧に削り込んでいた。だから、幅が少しだけ足りない。


 ジョシュアは、その足りない分を気にしないことにした。


 寝返りを打てる幅はある。戸口にいちばん近い場所も、変わっていない。


 いろいろあったが、なかなか良い出来栄えだ。


「できたの?」


 リディアが、毛布の端を引っぱった。


「できました」


「ふかふか?」


「板です」


「ふかふかじゃないの」


「板です」


 ソラが寝台へよじ登って、両手をついて跳ねた。


 壊れなかった。


「跳ねないでください」


「跳ねてない」


 出来立ての寝台が、ギッシギシと音を立てている。


「跳ねています」



 朝食は九人分だった。


 卵と、干した果物と、豆。ガーネットが籠で買ってきたものを、ジョシュアが羊乳で煮た。


「肉はないのか?」


 ダレットは素朴に尋ねた。赤い髭に白い乳がくっついている。


 ソラが、指をさしてけたけたと笑う。オリバーも、チェ・サダも、いつも以上に優しい視線を投げた。


 ダレットのその口をヴィレリアが拭きながら、食べている途中で自分の椀を置いた。


「……ごめん。匂いが」


「無理をなさらないでください」


「してないわよ」


 言いながら、彼女は窓を開けた。


 冷たい風が入り、オリバーが背中を丸める。


「寒い」


「我慢しなさい」


 シンシアが、ヴィレリアの背へそっと手を当てた。


 当てたまま、しばらく何も言わなかった。


 ジョシュアは薄い茶を淹れて、ヴィレリアの前へ置いた。


「豆は、あとで冷ましたものをお持ちします」


「……ありがと」



 午前のうちに、ヴィレリアは矢筒を空にした。


 卓の上へ、矢を並べていく。


 右へ、細い鏃をつけたもの。左へ、重い鏃をつけたもの。


 右は、数えるのが面倒なほどある。左は、三本しかなかった。


 ジョシュアは、首を傾げた。


「ヴィレリアさん。それは」


「分けてるの」


 ヴィレリアは、右の一本をつまみ上げた。


「こっちは軽い。よく飛ぶし、よく当たる。走ってる相手にも届く」


 それから、左の一本を持ち上げた。


「こっちは重い。五十歩も飛ばない。当たっても、奥までは刺さらない」


「では、なぜ持たれるのですか」


「抜けないから」


 ヴィレリアは、二段になった返しを指でなぞった。


「刺さったら、逃がさない」


 彼女は、左の三本だけを別の細い筒へ入れ、右の矢を矢筒へ戻していった。


「ふだんは、こっちよ。軽いほう」


「はい」


「重いのを選ぶときは……」


 言いかけて、ヴィレリアは口を閉じた。


「十本、揃っています」


 ジョシュアが言った。


「三本は矢につけて、七本は布のままです」


「知ってるわよ」


 彼女は、布の包みを卓の隅へ寄せた。


「数えてるもの」



 ダレットは、昼前にギルドから戻ってきた。


 外套の肩に雪を乗せたまま、椅子を鳴らして座る。


「荒れてる」


「何が」


「魔人討伐が、中断だとよ」


 オリバーが顔を上げた。


「中断?」


「受けたパーティーが、依頼を果たさずに王都へ戻った。しかも空から降ってきた」


 ダレットは赤い髭を撫でた。


「ギルドは、そういう場合の報告の受け取り方や帳簿の付け方を知らねえ」


「失敗ではないの?」


 ヴィレリアが訊いた。


「失敗と書けば、剣聖の名に傷がつくだろ」


「……なによそれ」


「だから中断だ。誰も損をしない書き方だな」


 ジョシュアは、卓の木目を見ていた。


 損をしていないことになっている者が、この部屋に一人いる。


「それと、噂がひとつ」


 ダレットは、木杯へ水を注いだ。


「あの聖女様が、動けないらしい」


 シンシアは、顔を上げた。



 その日の午後、アジトの扉が叩かれた。


 オリバーが開けると、青いとんがり帽子が、階段の途中で雪を払っていた。


 青い大魔導士アイリスが、一人で立っていた。


 濃い紺色の長髪。外套の左肩に、繕った跡があった。糸だけが真新しい。


「約束したから」


 彼女は、そう言った。


「あとで、必ず話し合いましょう、と」


 ダレットが椅子を引いた。


「そうか。律儀にどうも」


 ジョシュアは、九つのうちの一つを、彼女の前へ置いた。


 薄い茶が、湯気を立てている。


「木椀が九つあります。どうぞ」


「……そう」


 アイリスは座った。


 座ってから、部屋を一度だけ見回した。壁に、ワインレッドのマントが何枚も掛かっている。


「まず、詫びるわ。私、個人として」


 彼女は懐から革袋を出し、卓へ置いた。


「治療の分と、迷惑の分。ギルドは通していないから、記録には残らない。それが不服なら、突き返して」


「もらう」


 ダレットは即答した。


「ダ、ダレットさん」ジョシュアは小さくなった。「あの、僕は、そんな」


「お前が怪我をした。治療には金がかかった。それだけの話だ」


 ダレットは革袋を懐へ入れた。


「働いた奴が報酬を受け取るのはわがままじゃねえと、前に言ったろ」


「これは、報酬では」


「同じだ」ダレットは軽く笑った。「迷惑料収入ってやつだ」


 アイリスは、そのやり取りを黙って見ていた。


 見てから、目を伏せた。


「……いいパーティーね」


 オリバーは、戸口に立ったままだった。


 入ってこない。出ていきもしない。


「オリバーさん。お座りになっては」


「いい。ここでいい」


 アイリスが、彼のほうを見た。


「訊きたいことがあるなら、訊いて。答えられることは答えるわ」


 オリバーは、しばらく黙っていた。


「……あの人は」


「レオン?」


「はい」


「元気よ。傷ひとつない」アイリスは、そう答えた。「でも、訊きたかったのは、それじゃないでしょう」


「……はい」


 オリバーは、それきり何も言わなかった。


「あの人は、昔からずっと、ああいう人。付き合いは長いけど、何度この人の元を離れたいと思ったか、数えきれないわ」


 オリバーはうつむいて、戸口の柱へ背を預けた。


「あなたほどの、大魔導士が」


「私は、強い人に守られていないと何もできないS級の大魔導士よ」アイリスは自嘲気味に吐き捨てた。「ひとりでは、何もできない。ましてや、強い人の元から去る自由さえもない。その程度の女よ。私は」



「本題を言うわ」


 アイリスは、とんがり帽子を脱いで膝へ置いた。


 青みがかった豪奢な長くつややかな髪が、ふわりと肩に舞う。


「私たちのパーティーにいる聖女セリナが、強い呪詛を受けたの。ファギスの呪い」


「ビボルダーですか」


 チェ・サダが身を乗り出した。


「呪いが刺さり込んだら紋様が出るやつですね。……解呪には、専用の巻物が要ります。そして、呪いを受けた身体は、徐々に自分のものではなくなっていく。自分のものではないから治療できない。そして――」


 早口な多弁になりかけたチェ・サダを、手でアイリスは制して応じた。


「さすが、よく知っているわね」


「守備範囲です」


「今度は分かるのね」ヴィレリアが、椀の縁から目だけを上げた。「当たって、良かったわね」


「たまには当たります」チェ・サダは胸を張った。


「巻物は、迷宮の奥に封じられているはずだった。ビボルダーがあそこにいたということは、必ず対になるものがあるから」


 アイリスは指を組んだ。


「でも、なかったわ。台の窪みだけが残っていた。埃が積もっていなかったから、持ち去られたのは、せいぜい数か月前」


 部屋が、しんとした。


 チェ・サダが、ゆっくり椅子へ座り直す。


「……ダレット」


「言うな。チェ・サダ。分かってる」ダレットは腕を組んだ。「十年前に開いた小さな傷が、なぜ今年になって急に広がったのか。《ゲート》が。黒い液体の汚染が。誰かが、開ける方法を試したように見えます――そう言ったのは、お前だ」


「はい」


「そいつが、巻物も持っていったってことか」


「同じ者とは限りません」チェ・サダは首を振った。「ただ、数か月前です。廃鉱山の泥に足跡がついたのも、数か月前でした。同じ時期に、策謀が蠢いていたとするなら符合します」


 アイリスが顔を上げた。


「足跡」


「はい。ハーシェルの北の丘です。石を積んで塞がれていたはずの坑道が、口を開けていました」


「……アロマジェの迷宮にもあったわ」


 アイリスの声が、少し低くなった。


「六層の泥の上に、五人分。乾ききっていなかった。そのうち一人分だけ、歩幅が不自然に揃いすぎていた」


 ジョシュアの指先が、冷たくなった。


 湿地へ下る道の途中で見たものと、同じだった。


「それと、もうひとつ」


 アイリスは、卓の一点を見ていた。


「往きだけなの。帰りの向きのものが、一つもなかった」


 チェ・サダは真顔のまま言った。


「常識的に考えれば、片道切符。つまり、最奥に向かったまま帰る足跡が無いのなら……」


「最奥で全滅した、その人たちの足跡」


「でも、アロマジェにはそんな遺体は無かった。そして、もしも転移できる《ゲート》がそこにあるのだとしたら」


「理由があって、そこに行き、何かの目標を達成して《ゲート》を使って別のところに行った」


「答え合わせとしては、上出来でしょう。我ら赤髭団と、レオンに従う皆さまとの間の」


 チェ・サダの言葉を聞いてダレットは腕組みをし、眼を閉じた。


「そして、王都オーディンの上空に《ゲート》が開いた。ということは」


「たまたま、王都の上空に開いたんじゃない」


 応じたアイリスの言葉を、チェ・サダが繋いだ。


「《ゲート》を開いた誰かが……誰かの魂が、真下にいた、ジョシュアを目指していたんです」


 アイリスが、ヴィレリアが、シンシアが、その場にいた全員が、ジョシュアを見た。


「あ、あの…… 僕?」



 話が途切れたとき、アイリスがジョシュアを見た。


「あなたに、訊きたいことがあるの」


「はい」


「触媒箱の、防湿布」


 彼女は、そこで少しだけ言い淀んだ。


「あれは、何枚必要だったかしら」


「四枚です」


 即答だった。


 考える間も、迷う様子もなかった。


「四枚重ねて、間に乾いた灰を薄く挟んでください。木箱は、直接床へ置かないでください。それから、外套の内側ではなく、身体と荷のあいだへ。そのほうが凍りません」


 アイリスの手が、膝の上で止まった。


「……いつ、それを言ったの」


「王都の冒険者ギルドで。皆さまが北へお発ちになる、前の日です」


「私が、訊いたの」


「はい。防湿布は二枚で足りるかしら、と」


 アイリスは、黙った。


 長く黙った。


「訊いた覚えは、あるのよ」


 卓の一点を見たまま、彼女は言った。


「ギルドホールの喧騒も、掲示板の前の人垣も、覚えているわ。あなたが何か答えたことも、たぶん」


「はい」


「答えだけが、ないの」


 組んだ指が、一度ほどけて、また組み直された。


「……二枚で行ったわ」


「地下は湧水層の上だった。半刻で布が湿って、粉が固まりかけた。三層で魔物が出たとき、術式は組めたのに、火が乗らなかったの」


「……」


「大事なところで、焼けと言われて、焼けなかった」


 アイリスは、とんがり帽子の縁を握った。


「あなたは、二枚では足りないと言ったのね」


「はい」


「私は、それを聞いたのね」


「はい」


 ジョシュアは、うつむいた。


 あの日、言うべきか迷って、言った。


 届かなかったのだと、ずっと思っていた。


 届いていて、消えたのだ。


 どうしてだろう。


「……もうひとつ、変なことを言ってもいい?」


 アイリスは、帽子の縁を握ったままだった。


「地下でも、誰かに言われた気がするの。二枚じゃ足りない、四枚いる、って」


「……どなたに」


「分からないわ」


 彼女は、首を振った。


「布を増やすしかないわね、と私は答えた。答えた覚えは、あるのよ。誰に答えたのかだけが、ない」


 ジョシュアは、卓の木目を見た。


 自分は、地下にいない。


 なのに地下で、誰かが同じ数を言っている。


 あの日ギルドホールで、僕の話を最後まで聞いていた人が、もうひとりいた。



「アイリス様」


「様は要らないわ」


「……アイリスさん」


 ジョシュアは、息を吸った。


「大したことでは、ないかもしれませんが」


 ダレットが、赤い髭の奥で少しだけ笑った。


「言え」


「五人でした。四枚だ、とお伝えしたときは」


 アイリスが顔を上げた。


「そして――空から落ちてこられたのは、五人です。レオン様。アイリスさん。セリナ様。レイカ様。それから、あの獣人の方」


「四人よ」


 言ってから、彼女は指を折った。


 一。二。三。四。


 合っている。


 合っているのに、五本目へ行こうとして、止まった。


「……レイカも、同じことをするのよ」


 アイリスは、自分の指を見ていた。


「荷を分けるとき、いつも一つ多く出すの。数え終えてから、誰の分でもないからと言って、卓の隅へ置くのよ」


「アイリスさん」


「私は、数え直したわ。何度も」


 彼女は、指を握り込んだ。


「何を数え直しているのかは、分からないまま」



 帰り際、ジョシュアは玄関先でアイリスを呼び止めた。


「アイリスさん」


「なに」


「セリナ様に、お伝えいただけますか」


「何を」


「ブーツの革紐は、切れる前に替えてください、と」


 アイリスの動きが、止まった。


「……あの子、それを言ったわ。迷宮で」


「そうですか」


「前は、切れる前に、替わっていた気がします、って」


 アイリスは、とんがり帽子をかぶり直した。


「それは……」


「それは、僕が、替えていたからです」


 アイリスは、すぐには階段を降りなかった。



 アイリスが帰ったあと、入れ替わりに、階段を上がってくる足音があった。


 騎士団の使いだった。まだ若い。寒さで頬が赤くなっている。


 差し出された羊皮紙には、几帳面な字で、短く書かれていた。


『明朝、王都大聖堂へ。聴聞に同行されたし。――ヴァネッサ』


「聴聞? 聞き取り?」


 オリバーが横から覗き込む。


「なんの聞き取りだ」


 ジョシュアは、その下の一行を読んだ。


『名を問われて、答えられぬ者がおります。十二人目になるかもしれません』


 ジョシュアは、荷袋を見た。


 いちばん上に、布の包みが入れてある。


 噛み切れないほど乾かしすぎた、硬い干し肉。


 誰のためのものかは、まだ分からないままだった。

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― 新着の感想 ―
序盤のレオンによるジョシュアへの仕打ちには思わず拳を握りしめるほどの理不尽さを感じましたが、それを一気に救い上げてくれたダレット率いる「赤髭団」の温かさに心の底から救われました。鉱山都市ハーシェルでの…
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