第28話 四枚です
寝台は、明け方に出来上がった。
板が二枚。脚が六本。長さを揃え、膠で固めて、上から麻布を張った。
オリバーが拾ってきてくれた三枚のうち、一枚は踏まれて少し割れて、とげが出ていた。怪我をしないように、ナイフで丁寧に削り込んでいた。だから、幅が少しだけ足りない。
ジョシュアは、その足りない分を気にしないことにした。
寝返りを打てる幅はある。戸口にいちばん近い場所も、変わっていない。
いろいろあったが、なかなか良い出来栄えだ。
「できたの?」
リディアが、毛布の端を引っぱった。
「できました」
「ふかふか?」
「板です」
「ふかふかじゃないの」
「板です」
ソラが寝台へよじ登って、両手をついて跳ねた。
壊れなかった。
「跳ねないでください」
「跳ねてない」
出来立ての寝台が、ギッシギシと音を立てている。
「跳ねています」
*
朝食は九人分だった。
卵と、干した果物と、豆。ガーネットが籠で買ってきたものを、ジョシュアが羊乳で煮た。
「肉はないのか?」
ダレットは素朴に尋ねた。赤い髭に白い乳がくっついている。
ソラが、指をさしてけたけたと笑う。オリバーも、チェ・サダも、いつも以上に優しい視線を投げた。
ダレットのその口をヴィレリアが拭きながら、食べている途中で自分の椀を置いた。
「……ごめん。匂いが」
「無理をなさらないでください」
「してないわよ」
言いながら、彼女は窓を開けた。
冷たい風が入り、オリバーが背中を丸める。
「寒い」
「我慢しなさい」
シンシアが、ヴィレリアの背へそっと手を当てた。
当てたまま、しばらく何も言わなかった。
ジョシュアは薄い茶を淹れて、ヴィレリアの前へ置いた。
「豆は、あとで冷ましたものをお持ちします」
「……ありがと」
*
午前のうちに、ヴィレリアは矢筒を空にした。
卓の上へ、矢を並べていく。
右へ、細い鏃をつけたもの。左へ、重い鏃をつけたもの。
右は、数えるのが面倒なほどある。左は、三本しかなかった。
ジョシュアは、首を傾げた。
「ヴィレリアさん。それは」
「分けてるの」
ヴィレリアは、右の一本をつまみ上げた。
「こっちは軽い。よく飛ぶし、よく当たる。走ってる相手にも届く」
それから、左の一本を持ち上げた。
「こっちは重い。五十歩も飛ばない。当たっても、奥までは刺さらない」
「では、なぜ持たれるのですか」
「抜けないから」
ヴィレリアは、二段になった返しを指でなぞった。
「刺さったら、逃がさない」
彼女は、左の三本だけを別の細い筒へ入れ、右の矢を矢筒へ戻していった。
「ふだんは、こっちよ。軽いほう」
「はい」
「重いのを選ぶときは……」
言いかけて、ヴィレリアは口を閉じた。
「十本、揃っています」
ジョシュアが言った。
「三本は矢につけて、七本は布のままです」
「知ってるわよ」
彼女は、布の包みを卓の隅へ寄せた。
「数えてるもの」
*
ダレットは、昼前にギルドから戻ってきた。
外套の肩に雪を乗せたまま、椅子を鳴らして座る。
「荒れてる」
「何が」
「魔人討伐が、中断だとよ」
オリバーが顔を上げた。
「中断?」
「受けたパーティーが、依頼を果たさずに王都へ戻った。しかも空から降ってきた」
ダレットは赤い髭を撫でた。
「ギルドは、そういう場合の報告の受け取り方や帳簿の付け方を知らねえ」
「失敗ではないの?」
ヴィレリアが訊いた。
「失敗と書けば、剣聖の名に傷がつくだろ」
「……なによそれ」
「だから中断だ。誰も損をしない書き方だな」
ジョシュアは、卓の木目を見ていた。
損をしていないことになっている者が、この部屋に一人いる。
「それと、噂がひとつ」
ダレットは、木杯へ水を注いだ。
「あの聖女様が、動けないらしい」
シンシアは、顔を上げた。
*
その日の午後、アジトの扉が叩かれた。
オリバーが開けると、青いとんがり帽子が、階段の途中で雪を払っていた。
青い大魔導士アイリスが、一人で立っていた。
濃い紺色の長髪。外套の左肩に、繕った跡があった。糸だけが真新しい。
「約束したから」
彼女は、そう言った。
「あとで、必ず話し合いましょう、と」
ダレットが椅子を引いた。
「そうか。律儀にどうも」
ジョシュアは、九つのうちの一つを、彼女の前へ置いた。
薄い茶が、湯気を立てている。
「木椀が九つあります。どうぞ」
「……そう」
アイリスは座った。
座ってから、部屋を一度だけ見回した。壁に、ワインレッドのマントが何枚も掛かっている。
「まず、詫びるわ。私、個人として」
彼女は懐から革袋を出し、卓へ置いた。
「治療の分と、迷惑の分。ギルドは通していないから、記録には残らない。それが不服なら、突き返して」
「もらう」
ダレットは即答した。
「ダ、ダレットさん」ジョシュアは小さくなった。「あの、僕は、そんな」
「お前が怪我をした。治療には金がかかった。それだけの話だ」
ダレットは革袋を懐へ入れた。
「働いた奴が報酬を受け取るのはわがままじゃねえと、前に言ったろ」
「これは、報酬では」
「同じだ」ダレットは軽く笑った。「迷惑料収入ってやつだ」
アイリスは、そのやり取りを黙って見ていた。
見てから、目を伏せた。
「……いいパーティーね」
オリバーは、戸口に立ったままだった。
入ってこない。出ていきもしない。
「オリバーさん。お座りになっては」
「いい。ここでいい」
アイリスが、彼のほうを見た。
「訊きたいことがあるなら、訊いて。答えられることは答えるわ」
オリバーは、しばらく黙っていた。
「……あの人は」
「レオン?」
「はい」
「元気よ。傷ひとつない」アイリスは、そう答えた。「でも、訊きたかったのは、それじゃないでしょう」
「……はい」
オリバーは、それきり何も言わなかった。
「あの人は、昔からずっと、ああいう人。付き合いは長いけど、何度この人の元を離れたいと思ったか、数えきれないわ」
オリバーはうつむいて、戸口の柱へ背を預けた。
「あなたほどの、大魔導士が」
「私は、強い人に守られていないと何もできないS級の大魔導士よ」アイリスは自嘲気味に吐き捨てた。「ひとりでは、何もできない。ましてや、強い人の元から去る自由さえもない。その程度の女よ。私は」
*
「本題を言うわ」
アイリスは、とんがり帽子を脱いで膝へ置いた。
青みがかった豪奢な長くつややかな髪が、ふわりと肩に舞う。
「私たちのパーティーにいる聖女セリナが、強い呪詛を受けたの。ファギスの呪い」
「ビボルダーですか」
チェ・サダが身を乗り出した。
「呪いが刺さり込んだら紋様が出るやつですね。……解呪には、専用の巻物が要ります。そして、呪いを受けた身体は、徐々に自分のものではなくなっていく。自分のものではないから治療できない。そして――」
早口な多弁になりかけたチェ・サダを、手でアイリスは制して応じた。
「さすが、よく知っているわね」
「守備範囲です」
「今度は分かるのね」ヴィレリアが、椀の縁から目だけを上げた。「当たって、良かったわね」
「たまには当たります」チェ・サダは胸を張った。
「巻物は、迷宮の奥に封じられているはずだった。ビボルダーがあそこにいたということは、必ず対になるものがあるから」
アイリスは指を組んだ。
「でも、なかったわ。台の窪みだけが残っていた。埃が積もっていなかったから、持ち去られたのは、せいぜい数か月前」
部屋が、しんとした。
チェ・サダが、ゆっくり椅子へ座り直す。
「……ダレット」
「言うな。チェ・サダ。分かってる」ダレットは腕を組んだ。「十年前に開いた小さな傷が、なぜ今年になって急に広がったのか。《ゲート》が。黒い液体の汚染が。誰かが、開ける方法を試したように見えます――そう言ったのは、お前だ」
「はい」
「そいつが、巻物も持っていったってことか」
「同じ者とは限りません」チェ・サダは首を振った。「ただ、数か月前です。廃鉱山の泥に足跡がついたのも、数か月前でした。同じ時期に、策謀が蠢いていたとするなら符合します」
アイリスが顔を上げた。
「足跡」
「はい。ハーシェルの北の丘です。石を積んで塞がれていたはずの坑道が、口を開けていました」
「……アロマジェの迷宮にもあったわ」
アイリスの声が、少し低くなった。
「六層の泥の上に、五人分。乾ききっていなかった。そのうち一人分だけ、歩幅が不自然に揃いすぎていた」
ジョシュアの指先が、冷たくなった。
湿地へ下る道の途中で見たものと、同じだった。
「それと、もうひとつ」
アイリスは、卓の一点を見ていた。
「往きだけなの。帰りの向きのものが、一つもなかった」
チェ・サダは真顔のまま言った。
「常識的に考えれば、片道切符。つまり、最奥に向かったまま帰る足跡が無いのなら……」
「最奥で全滅した、その人たちの足跡」
「でも、アロマジェにはそんな遺体は無かった。そして、もしも転移できる《ゲート》がそこにあるのだとしたら」
「理由があって、そこに行き、何かの目標を達成して《ゲート》を使って別のところに行った」
「答え合わせとしては、上出来でしょう。我ら赤髭団と、レオンに従う皆さまとの間の」
チェ・サダの言葉を聞いてダレットは腕組みをし、眼を閉じた。
「そして、王都オーディンの上空に《ゲート》が開いた。ということは」
「たまたま、王都の上空に開いたんじゃない」
応じたアイリスの言葉を、チェ・サダが繋いだ。
「《ゲート》を開いた誰かが……誰かの魂が、真下にいた、ジョシュアを目指していたんです」
アイリスが、ヴィレリアが、シンシアが、その場にいた全員が、ジョシュアを見た。
「あ、あの…… 僕?」
*
話が途切れたとき、アイリスがジョシュアを見た。
「あなたに、訊きたいことがあるの」
「はい」
「触媒箱の、防湿布」
彼女は、そこで少しだけ言い淀んだ。
「あれは、何枚必要だったかしら」
「四枚です」
即答だった。
考える間も、迷う様子もなかった。
「四枚重ねて、間に乾いた灰を薄く挟んでください。木箱は、直接床へ置かないでください。それから、外套の内側ではなく、身体と荷のあいだへ。そのほうが凍りません」
アイリスの手が、膝の上で止まった。
「……いつ、それを言ったの」
「王都の冒険者ギルドで。皆さまが北へお発ちになる、前の日です」
「私が、訊いたの」
「はい。防湿布は二枚で足りるかしら、と」
アイリスは、黙った。
長く黙った。
「訊いた覚えは、あるのよ」
卓の一点を見たまま、彼女は言った。
「ギルドホールの喧騒も、掲示板の前の人垣も、覚えているわ。あなたが何か答えたことも、たぶん」
「はい」
「答えだけが、ないの」
組んだ指が、一度ほどけて、また組み直された。
「……二枚で行ったわ」
「地下は湧水層の上だった。半刻で布が湿って、粉が固まりかけた。三層で魔物が出たとき、術式は組めたのに、火が乗らなかったの」
「……」
「大事なところで、焼けと言われて、焼けなかった」
アイリスは、とんがり帽子の縁を握った。
「あなたは、二枚では足りないと言ったのね」
「はい」
「私は、それを聞いたのね」
「はい」
ジョシュアは、うつむいた。
あの日、言うべきか迷って、言った。
届かなかったのだと、ずっと思っていた。
届いていて、消えたのだ。
どうしてだろう。
「……もうひとつ、変なことを言ってもいい?」
アイリスは、帽子の縁を握ったままだった。
「地下でも、誰かに言われた気がするの。二枚じゃ足りない、四枚いる、って」
「……どなたに」
「分からないわ」
彼女は、首を振った。
「布を増やすしかないわね、と私は答えた。答えた覚えは、あるのよ。誰に答えたのかだけが、ない」
ジョシュアは、卓の木目を見た。
自分は、地下にいない。
なのに地下で、誰かが同じ数を言っている。
あの日ギルドホールで、僕の話を最後まで聞いていた人が、もうひとりいた。
*
「アイリス様」
「様は要らないわ」
「……アイリスさん」
ジョシュアは、息を吸った。
「大したことでは、ないかもしれませんが」
ダレットが、赤い髭の奥で少しだけ笑った。
「言え」
「五人でした。四枚だ、とお伝えしたときは」
アイリスが顔を上げた。
「そして――空から落ちてこられたのは、五人です。レオン様。アイリスさん。セリナ様。レイカ様。それから、あの獣人の方」
「四人よ」
言ってから、彼女は指を折った。
一。二。三。四。
合っている。
合っているのに、五本目へ行こうとして、止まった。
「……レイカも、同じことをするのよ」
アイリスは、自分の指を見ていた。
「荷を分けるとき、いつも一つ多く出すの。数え終えてから、誰の分でもないからと言って、卓の隅へ置くのよ」
「アイリスさん」
「私は、数え直したわ。何度も」
彼女は、指を握り込んだ。
「何を数え直しているのかは、分からないまま」
*
帰り際、ジョシュアは玄関先でアイリスを呼び止めた。
「アイリスさん」
「なに」
「セリナ様に、お伝えいただけますか」
「何を」
「ブーツの革紐は、切れる前に替えてください、と」
アイリスの動きが、止まった。
「……あの子、それを言ったわ。迷宮で」
「そうですか」
「前は、切れる前に、替わっていた気がします、って」
アイリスは、とんがり帽子をかぶり直した。
「それは……」
「それは、僕が、替えていたからです」
アイリスは、すぐには階段を降りなかった。
*
アイリスが帰ったあと、入れ替わりに、階段を上がってくる足音があった。
騎士団の使いだった。まだ若い。寒さで頬が赤くなっている。
差し出された羊皮紙には、几帳面な字で、短く書かれていた。
『明朝、王都大聖堂へ。聴聞に同行されたし。――ヴァネッサ』
「聴聞? 聞き取り?」
オリバーが横から覗き込む。
「なんの聞き取りだ」
ジョシュアは、その下の一行を読んだ。
『名を問われて、答えられぬ者がおります。十二人目になるかもしれません』
ジョシュアは、荷袋を見た。
いちばん上に、布の包みが入れてある。
噛み切れないほど乾かしすぎた、硬い干し肉。
誰のためのものかは、まだ分からないままだった。




