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第26話 誰が持っている

 王都を出た日は、晴れていた。


 北門に再び旗が翻る。街路には剣聖レオン一行を見ようと、両脇が列になっていた。圧倒的な実力と、人気。レオンは得意の絶頂にいる。


 魔人討伐の依頼が張り出されてから三日、新たな武勇伝、英雄譚の幕開けに、王都の住民たちはうっとりし、誰ひとりとして旅路の成功を疑わなかった。


 門番たちが槍を立てて、道を空けた。


「行ってらっしゃいませ。剣聖どの」


 レオンは片手を上げた。


 その後ろを、アイリスとセリナ、そして大きな荷物を背負ったレイカが通った。


 王国の精鋭たるS級メンバー四人だった。


 合っている。



 宿を出るとき、卓の隅に袋が一つ残っていた。


 硬い干し肉の袋だった。誰の分でもないので、置いていくことにしたものだ。


 レイカが最後に部屋を出た。


 出しなに、一度だけ振り返った。


「レイカ」


「行くわよ」


 彼女は扉を閉めた。


 女将のマローが片づけに来て、袋を手に取り、廊下へ出て、四人の背中を呼び止めようとして、口を開けたまま止まった。


 誰に渡すつもりだったのか、分からなくなっていた。


 しばらくそこに立ってから、袋を厨房の棚へ置いた。


 置いたことも、すぐに忘れた。しばらくは。



 王都北方の地下迷宮アロマジェまで、徒歩で四日。


 ダーラムに比べれば、近い。


 ただ、記録が少なかった。四十年前に魔人ワールディンが目撃され、討伐に向かった多くの腕利き冒険者たちが、返り討ちに遭って死んだ。それ以後、何度も調査隊や冒険者たちが派遣されていたはずだが、王宮にも周辺都市にもまともな調査は入っていない。迷宮図は、その四十年前の写ししかなかった。


 アイリスは、その図を三度確かめた。近くから、遠くから、何度も目を凝らして、また眼を細めて、何か分からないか悪戦苦闘していた。


 地下五層まで描かれている。六層以下は白紙だった。


「白いところは、どうするの」


「入れば分かる。行って見てみないと分からないだろ」


 レオンの答えは、いつもそれだった。アイリスは眉をひそめたが、レオンはそういうときでも心配をよそに自らの能力で切り開いてきた男だ。


「結果オーライばかりだと、いつか大きな怪我をするわよ……」



 二日目の野営で、最初に足りないものが出た。


 レイカが火を熾そうとして、手を止めた。


「あれっ。火口ほくちは……」


 誰も答えなかった。


「火口。乾いたやつ。誰が持ってる」


「あたしじゃないわ」アイリスが言った。


「わたくしも、持っておりません」


「レオン」


「そんなものを俺が持つか」


 レイカは荷袋を全部ひっくり返した。


 湿った麻屑が一握り出てきた。使えないことはない。時間はかかる。


 結局、チェ・サダのような赤マナと炎を専門とする術者がいないので、アイリスが指先で火を作った。


 少し、触媒が減った。


「……こんなことに使うものじゃないのよ、これ」


「文句を言うな。ついたんだからいいだろう」


 レオンの心無い言葉に反論することなく、アイリスは、触媒箱を閉じた。


 中身は、ダーラムから戻ったときに補充した。防湿布は二枚のままだった。


 増やすべきだと思ってはいた。


 確かにそう思ったが、何枚にすればいいのかよく分からず、結局、二枚のままにした。



 迷宮の入口は、丘の斜面に口を開けていた。


 石を積んで塞がれていた跡がある。塞ぎ直された跡も、その上から崩された跡もあった。


「誰か、入ってるわね。それも、割と頻繁に」


 アイリスは青い魔法で空気の通り道や過去に出入りした魂の残骸を調べた。間違いなく、ここはごく最近も、人が通りかかり、何かを行った形跡がある。


「ふん。四十年ぶんの誰かだろう」レオンは興味なさそうに応じ、剣先で瓦礫を突き崩して道を開けると、レオンはさっさと先に降りた。


 地下一層は乾いていた。これといった魔物も生物もいなかった。


 二層も乾いていた。かつて冒険者であったであろう男たちの骸が落ちていた。罠で仕留められた可能性を考え慎重に進んだが、特に何も起きなかった。


 三層まで来て、ダンジョン特有の水が出た。かび臭い匂いも広がる。充分寒いはずだが、なぜか水は凍っていなかった。


「アイリス。凍らせろ」


「どこまで深いか分からないし、何かと連動していたら取り返しがつかないわよ」


 通路は水路の奥にあった。膝まで浸かる。冷たい。そして、黒い粒子が含まれて、かき回されて黒く濁る。


 セリナは聖印スピカが鈍く光るのを見た。聖印の感度は強かったが、それが何を意味するのか、セリナは図りかねた。


 壁は黒く濡れて、天井から絶えず滴が落ちている。


 アイリスは、外套の内側の触媒箱を押さえた。


 押さえたところで、湿気は布を通る。


「アイリス。灰は」


「灰?」


「乾いた灰。触媒の箱に挟むやつ」


 レイカが振り返らずに訊いた。


「……持ってないわ」


「じゃあ、誰が持ってる」


 誰も答えなかった。


 乾いた灰など、荷の目録に載っていない。載っていないものを、誰が用意するのか。


 アイリスは、その問いを最後まで考えなかった。考えかけて、途中で止まった。



 三層の途中で、セリナが遅れた。


 水が冷たい。法衣の裾が重くなって、足が上がらなくなっている。


「セリナ。裾を上げなさい」


「はい」


「膝まで。歩けなくなるわよ」


「はい……あの、アイリス」


「なに」


「ブーツの革紐が、切れそうです」


 セリナは足を上げて見せた。


 留めの革紐が、擦れて細くなっている。もう少しで切れる。


 アイリスは、自分の荷を探した。


 替えの革紐は、ない。


「レイカ。革紐は」


「ないわ」


「レオン」


「知るか」


 アイリスは、自分の外套の飾り紐を外した。


 装飾用なので細いが、一日はもつだろう。しゃがんで、セリナのブーツに通した。


 通しながら、指が覚えている気がした。


 自分は、こんな作業をしたことがない。魔導士は靴の紐などというものを結ばない。


 結んでもらう側だった。


「……アイリス様。ありがとうございます」


「様は要らないわ」


「はい」


 セリナは、立ち上がった。


 立ち上がってから、小さい声で言った。


「前は、切れる前に、替わっていた気がします」


 アイリスは、返事をしなかった。


 できなかった、というほうが近い。


 レイカを見る。レイカが悪いわけではない、ということは百も承知で。



 四層は湿り気を含んだ薄気味の悪い石壁の世界だった。三層までは、まだ最低限の人の手が入る程度の洞窟に過ぎなかったが、ここから一気に人工物へと置き換わる。


「おい。ここ、本当に目的地で合ってるのか?」


 誰も答えない。


「おい!! 聞いてんだろ。凄い魔物もいなければ、金目のものすら銅貨の一枚も落ちていないぞ……!」


「この地図を見る限り、ほぼ正確に構造を示してるわ。間違いないと思うけど」


 アイリスは呆れたようにレオンに言った。


 レオンは確かに強い。最強と言っていい。しかし、傍若無人で人の心が分からず、傲慢な性質に拍車がかかっていた。


 四層の人工的なダンジョンを進んでいく途中で、急に予備の弦が要った。


 レイカの荷の留め具が切れたのだ。大型の荷袋を肩へ食い込ませて背負い続けたからだろうか。


「弦。誰かある? 細いの」


「弓は持ってきていないわ」


「弓の弦じゃなくていい。細くて丈夫なやつ」


 三人が、それぞれの荷を探した。


 出てこなかった。入れてないのだから、入っているわけがない。


 レイカは自分の外套の裾を裂いて、って留め具の代わりにした。


 裂いたぶん、外套が短くなった。


「そんなことをして、寒くならない?」


「なるわね」


「……そう」


 アイリスは、それ以上訊かなかった。


 この一行には、こういうときに黙って予備を出す人間がいない。


 いないので、誰かが自分の服を裂く。


 自分の不始末は自分でどうにかするしかない。それだけのことだった。



 五層の広間で、出た。


 最初に気づいたのはセリナだった。


「あの……上に」


 天井に、球体が張りついていた。


 人の背丈ほどある。灰色で、濡れている。表面にひだが寄っていて、その襞が、ゆっくりと開いた。


 眼だった。


 一つではない。開くたびに増える。四つ、七つ、十を超えた。


 すべてが、こちらを向いた。


「ビボルダーだ」


 強敵を見つけたレオンは、場違いなほど嬉しそうに言った。


「久しぶりに見たな! 四十年前の記録にもあった」


「レオン、ちょっと! 下がったほうが」アイリスはささやくようにレオンに言った。


 アイリスもセリナも過去に何度もビボルダーとはやり合っている。侮れないというレベルを超えた、強敵だ。しかし、レオンは意に介さない。


「下がる? なぜだ」


 レオンは抜いた。


「斬れば終わる」



 斬れば終わる、というのは半分正しかった。


 ビボルダーが動く前に、レオンは石を両手にふたつ掴んでいた。


 そしてレオンは素早く跳んで、天井の球体に迫る。速い。ビボルダーの周辺にある小さな目と支える黒紫の軸を斬り落とす。相変わらず、この男の剣は速い。


「キイイイッィィ!!」


 ビボルダーは眼からビームを放つ。しかしビボルダーがレオンを凝視するため動かす目よりもレオンは素早く動いた。石を投げつけ、ビボルダーのビームが石を粉砕するその奥から、レオンの繰り出す聖剣『ソウルクレイドル』がうなりを上げる。


 一閃。


 ビボルダーはその球体の体躯を真っ二つに斬られ、割れたゴムのようにビチャッという音を立てて石畳の上に落下した。応戦体制に入ったばかりのレイカは唖然とした。明らかな難敵相手なのに、もう終わっている。


 球は落ちて、水を跳ね上げ、ドロッとした黒い液体を吐き出すと動かなくなった。


 しかし、半分は、正しくなかった。


 落ちる直前に、眼のいくつかがセリナを見ていた。


「アイリス! 焼け!」


「――待って」


 術式は組めた。アイリスの身体にはマナも溢れている。


 しかし、触媒が応じない。三層から濡れ続けている。魔具を通じて放たれるはずの魔法は、指先の青になったあと、集まる前に散る。


「アイリス!」


「もう一度!」


 二度目も魔法は発動することなくマナは散った。


 その隙に、割れた球体の断面から、灰色の煙のようなものが噴き上がった。悪夢のような胞子が、そう広くないダンジョンの一角に湧く。


 ビボルダーを斬り伏せたレオンはすでに前にあり、広がる煙がいちばん近くにいたセリナを襲う。


「セリナ!」


 レイカが動いた。


 大型の荷袋を投げ捨て、セリナを突き飛ばして、自分が前に出る。


 荷袋が水へ落ちた。重い音がした。


 灰色の煙はレイカを避けた。まるで、お前に用は無いとばかりに。


 意志を持つ煙はレイカを避けて、突き飛ばされて水へ倒れたセリナの、右肩へ入った。


「――っ」


 セリナは声を上げなかった。


 息だけが、短く漏れた。不用意に斬り裂かれたビボルダーの呪術は、レオンでもレイカでもなく、聖印を持つセリナを狙っていた。



 法衣の襟を開くと、右肩に紋様が浮いていた。


 黒に近い、紫。蔓が絡んだような形をしている。触れると熱い。


「これは……」アイリスはとんがり帽子をかぶり直し、苦痛に悶える聖女の歪む顔を見て心配そうに白い肌に浮かぶ紋様に触れようとした。「古い、しかしすごく強い呪詛……」


「ファギスの呪い」


 レオンが、依頼を読み上げる時と変わらない声で、また言った。


「ビボルダーが持ってる。有名なやつだ。知らんのか」


「治せるの」


「治せるやつがいれば治せる」


「答えになっていないわ」


「うちの聖女が自分で治せないなら、ここで解呪するのは無理だろう」


 レオンは事も無げに言った。セリナは震える目で、自分の右肩を見た。


 それから、聖印スピカを両手で包んだ。


 白い光が肩へ降りた。激痛が、セリナの精神を蝕む。


「ああっ……!」


「セリナ、無茶しないで!」レイカは青い顔をしたまま震えるセリナの身体を支えた。


 紋様は、消えなかった。薄くもならなかった。


 もう一度やった。もう一度、消えなかった。


「……わたくしの力では、届きません」


 セリナの声は、落ち着いていた。


 落ち着きすぎていた。相当な痛みのはずだ。それでも、セリナは切ない表情でただ自分の白い肌に浮いた黒紫の紋様を見ている。まるで、いっそ呪詛で自分の魂が解放されるのを願うかのように。



 アイリスは、記憶を掘り返した。


「なんだったかしら……」


 ファギスの呪い。解呪には、専用の巻物が要る。術式が長すぎて、記憶で唱えることができない種類の呪い。


 巻物は、王都の魔術院にはない。あるのなら、アイリスは知っているはずだ。宮廷魔術師の老アルバート師の顔が浮かんだが、彼は王命を受けて遠征に出ている身であった。


 どこにあるか。


「……この迷宮よ」


「なに」


「四十年前の記録。ビボルダーが出る迷宮には、対になる解呪の巻物が封じられている。そういう造りになっているの。深いところに」


「あるのか」


「あるはず」レオンに正面から見つめられて、アイリスはそっと視線を外した。


「なら取りに行く」


 レオンは、もう歩き出していた。


 迷いがない。この男には、そういうところがある。行くと決めたら行く。だから強いのだと、アイリスは思っていた。思っていたが、いまはそれが、怖かった。



 水が引くまで待ってから、レイカが荷袋を拾いに戻った。


 中身が半分出て、水を吸っていた。


 乾パンは駄目になっていた。塩漬けの魚の壺が割れて、中身が散っている。薬の包みは、紐の色が滲んで見分けがつかなくなっていた。


 レイカは、しゃがんで拾い集めた。


 止血の赤か、解毒の白か。滲んだ紐からは、もう読めない。


「……どっちよ、これ」


 誰も答えなかった。


 答える者がいれば、答えたのだろう。


 アイリスは、その光景をしばらく見ていた。


 見ながら、以前は違ったような気がした。


 以前は、こういうとき、パーティーみんなのために、しゃがんで拾う者がもうひとりいた。油や水を吸ったものを、一つずつ布で拭いて、時間をかけて、それでも捨てなかった誰かが。もったいないにゃん。


「にゃん……?」


 誰だったかは、出てこない。


「アイリス。手伝って」


「……ええ。もちろん」


 レイカとアイリスは二人でしゃがんで、散らばった荷を拾った。


 二人でも、足りなかった。

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