第25話 十一人目です
翌日、もうすぐ日も高くなろうかというころ、ジョシュアはようやくもぞもぞと寝台から出た。赤髭団のアジトはがらんとしていて、留守番役のヴィレリアだけが、熱心に弓をいじっている。ヒュン、ヒュンと、風を切る音だけがする。
「おはようございます、ヴィレリアさん」
ヴィレリアは、諒解、とばかりに指を眉の上につけ、ウインクした。
レオンたちを受け止めた際に放置してしまった板を、オリバーが全部拾ってきてくれていた。壁に立てかけてあった厚手の板を積んだレンガに乗せ、鋸とナイフで削り寝台の脚を切り出した。六本。丁寧に長さを揃える。
「ジョシュア。まだ具合、本調子じゃないんでしょう。寝てなさいよ」
「大丈夫です! いまは座っています」
「そういう話じゃないでしょ」
ヴィレリアは呆れて、それ以上は言わなかった。
彼女は彼女で、部屋の隅で弓を引いていた。リザードマンの重い矢じりを付けた矢を、藁束へ向けて。
外れる。
もう一度引く。外れる。
「十本しかないんでしょう」ジョシュアは言った。
「これは訓練用の。鏃は付け替えてる。本物は、もう少しだけ重いけどね……」
「あ。そうですか」
「あんたねえ。私が十本を無駄にすると思ってるの?」
「思っていません」
「思ってたでしょ、いま」
ヴィレリアは矢を番え直した。
今度は当たった。藁束の端だったが、当たった。
「……見た?」
「見ました」
「よし」
少しヴィレリアが勇んだところで、突然ヴィレリアは顔色を悪くした。「おえっ!!」急にえずきだし、わずかな内容物と共に胃液をゴボッと左手に、そして床に吐いてしまった。
目を丸くしたジョシュアが、あわててヴィレリアに駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか」
「う、うえっ、気持ち悪い……」
ジョシュアは鍋拭き用のタオルを二枚、ヴィレリアに取ってきて手渡す。
「ごめん。ありがとう。う。うう。ジョシュア、いつも助かるわ……」
言ってなお、ヴィレリアは気分悪そうに何度も嘔吐を繰り返す。
「大丈夫です。全部、吐いちゃってください……後で掃除しますから」
「いいのよ。あんたは寝てて」
「そうはいきません……ヴィレリアさんこそ、少し休まれては」
「やだ。朝、何か悪いもの食べたかしら……」
ジョシュアは吐瀉物を見たが、ほぼ消化されていて胃液ばかりが吐き出されている。ヴィレリアの嘔吐はしばらく続いた。ジョシュアは背中をさすり、汚れたシャツを着替えさせ、ヴィレリアの寝台に寝かせた。水を入れた鉄瓶を暖炉に掛けて沸かすと、薄い茶を淹れてヴィレリアに飲ませる。
「ありがど。……ん……おえっ、ぐ、ぐるじい」
「ゆっくり飲んでください。僕、掃除しますんで」
「あんたが赤髭団にいて、本当に良かった」
「あ、あの」
「いいんだよ。ずっと、そのままでいて」
甲斐甲斐しく働くジョシュアを横目で見て、ヴィレリアは寝台に仰向けになり、毛布を胸までかけ天井を眺めた。
*
昼前に、ギルドからダレットとオリバーが、しばらくして王立魔術院からチェ・サダが帰ってきた。
ダレットは、心配そうにヴィレリアのベッドのそばに座り、ジョシュアは板を張り合わせて脚を取り付けてベッドを完成させようとしている。
チェ・サダは外套も脱がずに卓へ座り、しばらく黙っていた。
「どうした」ダレットが訊く。
「鑑定が、終わりました」
「早かったな」
「いいえ。終わったというか……これ以上は分からない、ということになりました」
チェ・サダは、いつもの乾いた調子ではなかった。
「あの宝珠、中身は純粋な、漆黒のマナばかりでした。これといって、術式が仕込まれているわけでも呪文が発動するものでもない。ただ、エネルギーの塊というか。その点では、とても危険です」
「エネルギーの塊?」
「正確には、黒マナの貯蔵用の宝珠になっています。何か別のカラクリと組み合わせて使うよう設計されているもので、かつて、中に何かが入っていた形だけが残っている」
ジョシュアは脚を削っていたナイフを持つ手を止めた。
「入っていたものは、何だったのでしょう?」
「分かりません。ただ、王立魔術院の記録に、興味深い記述はいくつかあるのですが、特に似たものが一つだけありました」
チェ・サダは指を組んだ。
「四十年前。王都北方の地下迷宮アロマジェ。あそこから回収された何かが、同じ形をしていたそうです」
部屋が静かになった。
「アロマジェって」オリバーが言った。「魔人が出たっていう」
「そこです」
「じゃあ、ハーシェル付近で廃坑になった鉱山と、四十年前の迷宮アロマジェが」
「はい。おそらく同じか、極めて似た性質の宝珠を扱っています。少なくとも、同じ形の穴を開けている」
ダレットは腕を組んだ。
「王都の空に開いた穴も、同じ形か」
「――そこは、訊かないでください」
チェ・サダは目を伏せた。
「訊かれたら、たぶん、はいと答えてしまいますので」
赤髭団の面々は、嫌な予感しかしなかった。廃坑の奥、ポンプのように黒い液体を吐き出す心臓、そして消えた鉱夫や冒険者を取り込んで悪しき者として吐き出したとみられる《ゲート》。
迷宮アロマジェに向かい、そして王都の上空に転移してきた剣聖レオン一行。
あの《ゲート》と、レオンたちに何かの「つながり」があるのだとしたら。
*
午後、ダレットとヴィレリアが騎士団の詰所へ向かおうとした。
ジョシュアも行く、と言った。三人で坂を下りた。ジョシュアの足に合わせたので、いつもの倍かかった。
副団長リンツは、すぐに出てきた。
金髪を短く刈り込み、細い切れ長の目。赤髭団訪問のときと同じ、礼儀正しい男だった。
「赤髭団。よくぞ来られた。活躍は聞いている。用向きを話せ」
「二つある」
ダレットは卓へ、羊皮紙を二枚置いた。
「一つ。あんたの言ったとおり、聞きに来た奴がいた」
リンツの目が動いた。
「羊皮紙のことを訊いてきた。祭壇の下にあったこと、火にかざすと文字が出ること。両方知っていた」
「人相は」
「商人風。だが靴が上等すぎた」ヴィレリアが答えた。「歳は四十前後。笑うのに、目が笑わない」
リンツは書き取った。
書きながら、一度だけ手が止まった。
「そうか……もう一件は」
「こっちは、俺にも意味が分からん」
ダレットは二枚目を押し出した。
字はひどく下手だった。
リンツは読んだ。
読んで、顔を上げた。
「五人」
「そうだ」
「王都に落ちてきたのは、S級四名と、身元不明の獣人が一名。ギルドの記録も、我々の記録もそうなっている」
「知ってる」
「では、これは」
「うちの団員が、そう言った」
ダレットは、それだけ言って、ジョシュアの肩をぽんと叩いた。軽く叩いただけだが、ジョシュアは崩れ落ちる寸前まで大きくのけぞった。なにより、いきなり話を振られてビックリした表情になった。
「わっ わっ」
リンツは羊皮紙を持ったまま、動かなかった。
やがて、ジョシュアを見た。
「君か」
「……はい」
「四名と一名ではなく、五人だと」
「はい。そ、そうなんです」
「なぜ」
「数えたからです……そして、数が合いません」
ジョシュアは、それしか言えなかった。
「一、二、三、四、五、と数えました。落ちてくるのを、順番に。あとから四人と一人に分ける理由が、僕には分かりません」
リンツは長く黙った。何か心当たりがあり、言い淀む雰囲気であった。
ジョシュアは、リンツの精悍で端正な顔を見た。逡巡。葛藤。困惑。頭の中で、何かが戦っているようだ。
それから、立ち上がった。
「少し、待たれよ」
*
半刻ほど待たされた。
戻ってきたリンツの後ろに、女がいた。
三十半ばだろうか。騎士の甲冑ではない。地味な灰色の外套に、書類の束を抱えている。文官の身なりだった。
「騎士団が抱えている未亡人、ヴァネッサだ」リンツが紹介した。「王宮で、いくつか困った話があってな。その手の話を集めている」
「その手の、とは」ダレットが訊く。
「数が合わない話です」
女は椅子に座り、書類の束を卓へ置いた。ずいぶん厚い。
「たとえば、こういうものです」
彼女は一枚を抜き出した。
「王都の宿の女将が、厨房の棚に袋を一つ見つけた。自分が置いたのは覚えている。誰に渡すつもりだったかが、思い出せない。それだけの話です」
ヴィレリアが眉を寄せた。
「それだけ?」
「それだけです。届け出るような話ではありません。だから、届け出は来ません」
ヴァネッサは束を軽く叩いた。
「これは、私が聞いて回って集めたものです」
「何枚ある」
「十枚」
彼女はジョシュアを見た。
「あなたで、十一人目です」
ジョシュアは、息を吸った。
「……ほかの方も」
「ええ。全員、同じことを言います。数が合わない。何が足りないのかは分からない」
「原因は」
「分かりません」
はっきりした答えだった。
「私が分かっているのは、数が合わず、不審に思っている人たちが、少なくともこの王都だけで十一人いる、ということだけです」
「はい……」ジョシュアは姿勢を正した。「ヴァネッサさん、分かりました」
「よろしい。では、何に引っ掛かっているのか、教えてくださる?」
*
帰り道、ダレットは一度も喋らなかった。
坂の下で、ようやく口を開いた。
「ジョシュア」
「はい」
「あの女は、お前を信じたわけじゃねえ」
「はい。分かっています」
「だが、数えた」
「はい」
ダレットは赤い髭を撫でた。
「それでいい。いまは、それでいい」
「騎士団は、粋なことをするのですね」ジョシュアはぽつりといった。ヴィレリアは、その言葉を拾った。
「どういう意味?」
「王国は、この数年、帝国との戦争や蛮族からの襲撃が繰り返しあり、多くの騎士や兵士の皆さんが亡くなりました。冒険者が増えたのも、王国の力が弱くなり、魔物やならず者が増え、正規の衛兵たちでは手が回らなくなったからです」
「そうね」
「戦死してしまった騎士や兵士たちのご遺族――未亡人や遺児たちを、いま、王国は積極的に騎士団に預け、扶養させている……王国だ、貴族だ、騎士団だ、と、威張ってばかりもいられない」
「そうだな。あのリンツってのも、俺たち赤髭団を無碍には扱わなかった。若いが、しっかりとした男だ」
「だからこそ――深い悩みがあるのかもしれません」
*
アジトへ戻ると、オリバーが階段の途中に座っていた。
大盾を膝に乗せ、留め具を締め直している。もう十分に締まっているのに、まだ回していた。オリバーは人生最大にむずかしい顔をして補修している。
「おかえり」
「ただいま帰りました」
ジョシュアは、そのまま通り過ぎようとした。
「なあ」
「はい」
「俺、あの人の何を見てたんだろうな」
オリバーは、盾から目を上げなかった。
「ジョシュア。俺、お前に訊いたよな、お前が赤髭団に来たばかりのころ。剣聖レオンの剣捌きはどうだったって。お前は『剣聖レオン様はすごい』って答えてくれた」
「はい。実際に、お強い方です。それはもう、すごく」
「そこは、いまも疑ってない」
留め具を、また一回転させた。
「疑ってないから、余計に分からん」
ジョシュアは、階段に座った。腹がまだ痛むので、ゆっくり座った。
「オリバーさん」
「ん」
「僕は、あの方の靴の紐を直していました。マントも作りました。剣帯も、何度も」
「知ってる」
「作っているあいだ、僕は、褒められたくて作っていたんです」
オリバーが、初めて顔を上げた。
「一度も……褒められませんでしたけど」
「……ジョシュア」
「だから、オリバーさんが憧れていたことを、僕は笑いません」
オリバーは、しばらく黙っていた。
それから、盾を床へ置いた。
「あー。くそ」
両手で顔を擦った。
「妹に、静かに小言とか苦情とかを言われてる気分だ。分かってるんだが、理性が感情を押さえられねえ」
「僕、たぶんオリバーさんより、わりと歳上ですよ」
「知ってるよ! 知ってるけどな!」オリバーは何とも言えない表情でジョシュアを見た。「そういうことを、かわいい顔して言うな!」
ジョシュアはなぜオリバーにそう言われているのかよく呑み込めず、きょとんとした顔をした。
*
夕方、シンシアが大聖堂から戻ってきた。
薬草の補充に、月に何度か行っている。僧侶の身分があるので、彼女は中へ入れる。
外套を脱ぐ前に、シンシアはジョシュアを見た。
「ジョシュア」
「はい。あの獣人の女性……どうでしたか」
「食事は、粥を少し。あとは眠っておられます」
「手首は」
「輪の跡が残っています。骨まではいっていません」
ジョシュアは、うなずいた。
うなずいてから、訊きたいことを一つずつ並べ直した。並べ直すのに、少し時間がかかった。
「あの……お名前は」
「訊きました」
シンシアの声が、少しだけ低くなった。
「答えられないのではなく、答えようとして、止まるのです」
「止まる」
「口を開けて、そのまま何も出てこない。ご自分でも驚いた顔をされます」
ジョシュアは、卓の木目を見た。
「私は、それを見たことがあります」
シンシアが言った。
「七日前に、朝市で」
「……はい」
「あなたも、同じ顔をしていました」
*
その夜、ジョシュアは荷を詰め直した。九人分。
薬は赤い紐が止血、白い紐が解毒。ヴィレリアの弓弦は乾いた布で二重に。チェ・サダの触媒は、混ざると反応する三種を別々の小袋へ。
最後に、干し肉を分けた。
柔らかいものを、九つ。
それから、硬いものを別の布へ取り分けた。
噛み切れないほど乾かしすぎた、かたい肉。
包んで、荷袋の上のほうへ入れた。すぐ取り出せる位置に。
入れてから、手が止まった。
これは……誰のための硬い干し肉だろう。
赤髭団に、硬い肉を好む者はいない。ダレットは何でも食べる。オリバーは柔らかいほうがいい。リディアとソラは歯が弱い。
自分でもない。
「……あれ」
ジョシュアは、布包みを持ったまま、しばらく座っていた。
戻すべきだと思った。
戻さなかった。
なぜ戻さないのかも、分からなかった。
「僕は……」




