第24話 答えろ、カレン
――名を。
二度目だった。
アイリスは門を見た。文字が薄く光っている。
「なんだ、これは」
レオンが言った。
「名前を……訊いてるにゃん」
「聞けば分かる」
レオンは門へ一歩出た。
「俺は剣聖レオン・ガーフィ――」
「レオン様!」
カレンが、レオンの腕を掴んだ。
初めて見る速さだった。
「答えちゃ駄目にゃん!」
レオンが腕を振った。カレンの手が離れる。
「なんだ」
「名前を訊かれても、すぐには答えるなって」
「誰がそんなことを言った」
カレンの耳が、わずかに倒れた。
「……ジョシュアが」
部屋が静かになった。
レオンが笑った。
声を出して笑ったわけではない。片頬を上げただけだった。
「あの役立たずか」
「レオン様」
「ギルドで妙なことを言っていたな。確かでもないことを、最後の最後に持ち出す。相変わらずの、クズの仕草だ」
「でも」
「あいつは、なぜかと訊かれて答えたか? 答えてないだろう」
カレンは、口を開けた。
閉じた。
答えていなかった。
アイリスは、何か言おうとした。言葉が出てこなかった。あの子は――と思いかけて、そこで思考が途切れた。何を思い出そうとしたのか、分からなくなった。
「面倒だ」
レオンは門へ向き直った。
「答えろ、カレン」
「……にゃ」
「聞こえなかったか」
「レオン様。あたし、約束したにゃん」
「誰と」
カレンは答えなかった。
レオンは振り返った。
「カレン。お前、種族の誇りのため、S級冒険者になるまでは、俺のいうことを何でも、全部聞くんじゃなかったか」
尻尾が、下がった。
「……にゃ」
「言え。答えろ、お前の名前を。ほら」
カレンは門を見た。
それから、レオンを見た。
セリナが、胸元の聖印を握った。握っただけで、何も言わなかった。
最後に、カレンはアイリスを見た。
アイリスは、その目を見返した。「いけないわ……やめて」
「でも」
レオンは苛立った。「名前を言えば、これが開くんじゃないのか。早くしろ、カレン」
カレンは、そっとレオンを見た。そして、カレンの耳が、ゆっくりと前へ戻った。
諦めたときの動き方だった。
「……カレン」
小さい声だった。
「あたしの名前は、カレン・フォン・ローゼン」
文字の光が、紫に強く光り、そして――消えた。
門が開いた。
「ふん」
レオンが言った。
「大したことはなかったな」
*
「全員いる?」
レイカが言った。
荷袋を背負い直しながら、後ろを見ずに訊いた。癖のようなものだった。
「いるわ」
アイリスが答えた。
答えてから、いま自分は何を数えたのだろう、と思った。
思っただけだった。
アイリスは、門をくぐった。
くぐる直前に、一度だけ振り返った。
何かを言われた気がした。
誰もいなかった。
「アイリス?」
セリナだった。
「……なんでもないわ」
アイリスはとんがり帽子をかぶり直した。
「行くわよ」
レオンは、さっさと石の扉の向こうへと入っていく。
「くだらん。堂々と行くぞ」
レオン一行は、四人全員で進んだ。
*
門の先は、円い部屋だった。
真ん中に、わずかに沸き立つ紫のオーラで五芒星が揺らめいている。
「これは……ごく最近立った五芒星ね」
「石の扉を開くときに起動したモノでしょ」レイカは事も無げに言った。
何もなかった。
祭壇も、宝も、仕掛けもない。壁に文字すらなかった。
レオンが一周した。
セリナは聖印スピカを掲げる。
アイリスは手に青の光を輝かせ、周辺のマナの異常を検知しようとする。
レイカは、大きな荷物を背負ったまま、剣の先や柄で、くまなく石壁を叩いて回った。
「何も……無いわ」
「石の扉で封印されていたけど、扉を開くのに必要なマナだけ、移動したのかしら」
アイリスは、何度も石の扉と五芒星とを見た。連動している。何かが発動したのかもしれない。
しかし、それ以上のことは分からない。
「空だ」
「そうね。特に何も、見当たらない。封印は、破られてはいなかった」
レイカはうなずいた。アイリスは、不安そうに足元の五芒星を見た。
しかし、レオンは腕組みをすると、剣を掲げる。
「最深部まで踏破した。異常なし。これでいいだろう」
アイリスは部屋の中央に立って、しばらく動かなかった。
「アイリス」
「……ええ」
「何かあるのか」
「いいえ」
なかった。
本当に、何もなかった。
ただ、床に薄く積もった埃の上に、足跡がついていた。
アイリスは数えた。
自分。レオン。セリナ。レイカ。
四つの名前。
合っている。
合っているのに、数え直した。
「ち。古代都市の封印というから、きっと凄い敵がいて、斬り伏せられると思ったんだがな」
*
地上へ戻る途中、封印の部屋の前で白鴉と行き合った。
レイブンが灯りを上げた。
「剣聖レオン。首尾は」
「ふん。異常なし」
「奥は」
「最深部まで、足を向けた。空だ。何もなかった」
レイブンは、それきり質問をやめた。
黒い雪外套の男は、代わりに一行の顔を順に見た。見る、という動作がひどく静かだった。
「そちらは、四人でしたな」
アイリスは、返事をしなかった。
レオンが答えた。
「四人だ」
「結構」
レイブンは灯りを下ろした。
「山道で、荷を分けて運んでやろうかと声をかけたのだが、断られましたな」
「うちの荷はうちで持つ。当然のことだ。他人に託す訳が無かろう」
「そう伺いました」
すれ違うとき、レイブンがもう一度だけこちらを見た気がした。
アイリスは、振り返らなかった。
*
帰路は、行きよりさらに二日早かった。
三日目の野営で、レイカが薪を組んだ。
石を五つ、火のまわりに置いた。
置いてから、一つ戻した。
「どうしたの」
「別に」
レイカは戻した石を、雪の上に転がした。
保存食を配る。乾パン、豆、塩漬けの魚。
四つに分けた。
余りが出た。
「多いわね」
「そう」
レイカはそれを袋へ戻した。
「王都で、あたしが食べる」
その夜、アイリスは触媒箱を開けた。
中身は、湿ったまま固まっていた。使えるのは半分もない。
防湿布が二枚。
二枚では足りなかった、ということだ。
では何枚なら足りたのか。
考えて、答えが出なかった。誰かに教わった数がある気がした。
その気がするだけで、数は出てこなかった。
焚火の向こうで、セリナが祈っていた。
名前を並べる声が、行きより短い気がした。
ふと、顔を上げる。しかし、そんな気がしただけだった。
*
山を下りる日、レイカが荷を検めていた。
地面へ全部出して、一つずつ袋へ戻していく。
「軽いのよ」
「食べたからでしょう」
「そうなんだけど」
レイカは、乾パンの残りを数えた。
それから、出発の日に書いた覚え書きを出して、引き算をした。
二度やった。
「合わない?」
「合ってる」
レイカは覚え書きを畳んだ。
「合ってるんだけど、多いのよ。減り方が」
「多いなら、いいじゃない」
「よくないわ。あたしが計算を間違えたことになる」
レイカは、それきり黙って荷を締めた。
締め終わってから、袋を持ち上げた。
行きより、ずいぶん軽かった。
*
王都へ着いたのは、雨の夕方だった。
冷たい雨だった。
北門に、旗はなかった。花もなかった。出立の日に踏み荒らされた雪は、解けて泥になっている。
門番が槍を立てて、道を空けた。
「お帰りなさいませ。剣聖どの」
レオンは片手を上げた。
その後ろを、アイリスとセリナ、そしてレイカが通った。
門番は、通る者を目で追った。四人。人数を書き留めて、それきりだった。
誰も、足りないとは言わなかった。
宿へ入る前に、レオンは報告書を書いた。
羽根ペンを一度だけ墨に浸し、三行で終えた。
『北部遺跡、古代都市ダーラム。最深部まで踏破。封印に異常なし。損耗、軽微』
砂を振って、畳む。
「これでいいだろう」
「損耗、軽微」
アイリスは、その行を読んだ。
「軽微、ね」
「怪我人はいない」
「……ええ」
いなかった。
誰も怪我をしていない。それは事実だった。
事実なのに、アイリスはもう一度読んだ。
二度読んでも、三行しかなかった。
*
その夜、レイカは宿の卓に一人でいた。
灯を細くして、油紙の束を広げる。
羽根ペンを持ち、短く書いた。
『ダーラム最深部、踏破。門は開いた。封印に異常なし』
そこで手が止まった。
書くべきことが、もう一つあった気がした。
しばらく待った。
出てこなかった。
封蝋に印は押さなかった。窓を細く開け、燭台を寄せて、外の暗がりへ合図を送る。
軒下から、傘も差していない黒い鳥面の男が出てきて、無言で受け取った。
足音は、雨に吸われて消えた。
レイカは窓を閉めた。
卓の隅に、余った袋が一つ置いてある。
王都で自分が食べる、と言った袋だった。
紐を解いた。
干し肉だった。
柔らかい。
柔らかいほうがいい、と誰かに言った覚えがあった。
言った相手が、出てこない。
次から硬いのも買う、と約束した覚えもあった。
誰と約束したのかも、出てこなかった。
袋を閉じた。
食べなかった。
「おやすみ」
誰にも届かない一言をつぶやいて、レイカは灯を消した。




