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第23話 硬いのが、ないにゃん

 さかのぼること、半月前。


 王都の北門は、朝から人で埋まっていた。


 北部遺跡・古代都市ダーラムへと、剣聖レオンを筆頭にS級パーティー五名が旅立とうとしている。


 これぞ、威風堂々。


 旗が振られている。花が投げられている。門の外まで、踏み荒らされた雪が黒く続いていた。


 アイリスは、その上を歩いた。


「剣聖さまーっ!」


 街路で出迎えた、若い女性たちが叫んだ。


 レオンが片手を上げる。


 冒険へと旅立つ、誉ある剣聖一行を一目見ようと集まった観衆の歓声が、一段大きくなった。


 アイリスは触媒箱を抱え直した。防湿布が二枚。昨夜、二度確かめた。


「アイリス様! こっち向いて!」


 向かなかった。青いとんがり帽子に隠れたアイリスの眉間に、少ししわが寄った。


 北へ延びる街道の先に、雪をかぶった山並みが見えている。王都オーディンから、一路、北部遺跡へ。知られざる古代都市、ダーラム。徒歩で十日。


 補助任務のパーティーが三組、後ろについていた。S級『白鴉』の黒い雪外套が、いちばん後ろにいる。


「にゃー、すごい人にゃん」


 カレンが尻尾を立てた。小さくため息をついて、アイリスは切れ長の目でたしなめるようにカレンを見る。


「あたし、こんなに見られたの初めてにゃん」


「前を見て歩きなさい」


「見てるにゃん」


 カレンは転びかけた。



 二日目の野営で、カレンが荷袋と格闘していた。


 紐を締める。緩む。締め直す。また緩む。


「にゃー」


「貸しなさい」ポーター役のレイカは両手を腰に当て、困ったようにカレンを見た。「あまり、変にいじらないで」


「いいにゃん。自分でやるにゃん」


 結局、袋は横に倒れた。中の椀が転がり出る。


「重いものを下に入れるのよ」


「入ってるはずだにゃん……」


「入ってないから倒れるの」


 カレンは椀を拾って、袋へ戻した。今度は上に入れた。


 アイリスは見なかったことにした。


「……帰ったら、荷造りしてもらうにゃん」


「誰に」


 カレンは口を開けた。


 開けたまま、しばらく何も言わなかった。


 それから、思い出したように尻尾を振った。


「……ジョシュアにゃん」


「ああ」


「約束したにゃん。帰ってきたら、また荷造りしてくれる! って」


「そう」


 レイカはため息をついた。その横で、アイリスは地図を広げ直す。


 北部遺跡の図は古かった。縮尺の基準が書かれていない。四十年前の写しよりさらに古いものらしい。


「行ってみなければ、分からないことが多すぎるわ」


「アイリスも、頼めばいいにゃん」


「頼まないわ」


「なんでにゃん」


「……クビにしたのは私たちなのよ」


 カレンは、返事をしなかった。


 薪が爆ぜた。


 レオンが機嫌悪そうに声をあげた。


「おいおい、何だよ。このひたすらにマズい鍋は!?」


 手にしたマグが、レオンの手から地面にぶん投げられる。


「人間の食い物じゃねえ!」



 六日目に、カレンがレイカの荷袋を覗き込んだ。


 レイカは薪を割る手を止めなかった。


「何よ」


「干し肉」


「入ってるでしょ」


「入ってるにゃん……普通のは!」


 カレンは袋を一つ取り出して、指で押した。


「でも、硬いのが、ないにゃん。はうはうして、ジューシーなの」


 レイカが顔を上げた。


「柔らかいほうがいいでしょ」


「あたし、硬いのがいいにゃん」


「変わってるわね」


「変わってないにゃん」


 カレンは袋を戻した。


「噛むのに時間がかかるにゃん。そのあいだ、味がじゅわーってするにゃん」


「……そう」


 レイカは薪を割った。


 割り終えてから、一度だけ、袋のほうを見た。


「次から、硬いのも買っとくわ」


「にゃ!」


 カレンの尻尾が、ぴんと立った。


「ありがとにゃん、レイカ」


 レイカは何も言わなかった。



 その夜、セリナが祈っていた。


 焚火から少し離れて、膝をつき、聖印スピカを両手で包んでいる。


 アイリスは、その横を通った。


 名前を並べる声が、小さく聞こえた。


 レオン。アイリス。レイカ。カレン。


 四つと、自分。


 通り過ぎてから、アイリスは足を止めた。


 止めた理由が、自分でも分からなかった。


 振り返ると、セリナが顔を上げていた。


「どうか、なさいました?」


「いいえ」


「わたくし、何か声に出しておりましたか」


「いいえ」


 出ていた。


 名前を、五つ。


 アイリスは、それを言わずに焚火へ戻った。



 八日目に、古代都市ダーラムへ着いた。


 剣聖一行は、順調に踏破した。


 いや、何事もなかったわけではない。道中、襲ってきた亜人たちや魔物を、容赦なく、問答無用でレオンは圧倒的な剣捌きで斬り倒していたのだ。


 古代都市ダーラムは、長年の風雪で痛んでいた。地上に残っているのは、柱と、階段と、壁の下半分だけだった。石は白い。雪をかぶると、どこまでが建物でどこからが丘なのか分からなくなる。


 人が住んでいた形は、辛うじて読める。通りの幅。広場の跡。水を引いた溝。


 そのダーラムは、滅んだ。そして、誰も住んでいない。何百年も。


「ねえ、アイリスぅー!」


 カレンが、崩れた柱の根元にしゃがんでいた。


「ここ、なんて名前だったにゃん?」


「ダーラム」


「ううん。そうじゃなくて」


 カレンは、柱の彫り物を指でなぞった。


「ここに住んでた人たち。なんて呼ばれてたにゃん」


「分からないわ」


「誰も知らないにゃん?」


「たぶん、誰も」


 カレンは、しばらく彫り物を見ていた。


「名前を、失ってしまったの。かわいそうだにゃん」


 そう言って、立ち上がった。


 偵察・情報収集役の補助パーティーが、二日ほど先に現地に入っていた。


 白鴉の団長レイブンが、やってくるレオン一行五人を眺める。そしてため息をつく。彼らと自分たちとの間に、戦力という意味ではかなりの差がある。レイブンは、自分たちなりに努力をしてきたはずだが、生まれ持った才能の差というものを思い知らされたような顔をした。


 そのレオンが、金色の雪外套の襟を上げて近づいてきた。雪の野でも、よく目立つ。レイブンには興味がなさそうだが、仕方なく話を聞いてやる、という態度だ。


「そこの中年。入口は見つかったか」


「剣聖どの。地下の入口は三つある。どこから入られる」


「知れたこと。いちばん近いところだ」


「調べは」


「入れば分かる。何かいれば斬る。それだけだ」


 レイブンは何も言わなかった。


 自分の一団を連れて、別の入口へ回っていった。



 地下へ降りて半刻で、空気が変わった。


 冷たいのに、湿っている。壁に手をつくと、指が濡れた。


 アイリスは触媒箱を開けた。


 防湿布が二枚。


 閉じた。


 半刻後、もう一度開けた。布が湿っている。粉が固まりかけていた。


「アイリス」


「なに」


「顔がこわいにゃん」


「そう」


 アイリスは箱を閉じ、外套の内側へ入れ直した。


 それで乾くわけではなかった。


「触媒って、湿るとだめなのにゃん?」


「だめね」アイリスは大きく息を吐いた。「布を増やすしかないわ」


 カレンはジョシュアが布は四枚、と言っていたのを思い出した。「四枚いるにゃん?」


「そう……かもね」


「堅い干し肉も、布も足りないにゃん……」


「食事が美味しくなくて暴れるリーダーもいるし。困ったわね」



 地下二層は、天井が低かった。


 途中、一箇所だけ、梁が斜めに落ちかけている場所があった。石が三つ、床に転がっている。


「崩れるにゃん?」


「崩れかけてる」


 レイカが天井を見上げた。


「仕掛けじゃないわね。ただの経年よ」


「調べるか」レオンが口に出した。訊いているわけではなかった。


「調べても何も出ない」レイカは応じた。


「ふん。そうだな」通り過ぎた。


 後から来た白鴉が、同じ場所で足を止めているのが、振り返ると見えた。



 地下三層で、出た。


 壁の隙間からだった。白っぽい。脚が多い。人の胴ほどある。


 直撃して運が悪ければ即死するような酸を吐きながら、レオン一行に迫る。


 それも、一匹ではなかった。その数、十。または、それ以上。待ち伏せて、獲物が来たら、一気に仕留めるのだろう。


 しかし、相手が悪すぎた。


「後ろよ! 気をつけて」


 レイカが叫んで、荷袋を投げ捨てた。


 石畳へ落ちる音が、いやに大きく響いた。


 レオンが抜いた。


 速い。


 一の太刀で居並ぶ敵三匹が真っ二つに割れた。返しで二匹。壁を伝ってきた一匹を、見もせずに斬り落とす。わずかな気配だけで、正確に距離も位置も外さない。神業だ。


 強い。この男は、本当に強い。それだけは誰も否定しない。


「アイリス! 焼き払え」


「――待って」


「早くしろ」


 術式は組めた。


 触媒が応じなかった。指先へ集めた青が、途中で崩れる。粉が湿って、火が乗らない。


「アイリス! 何してる」


「もう一度!」


 二度目も崩れた。不発の魔法を見て、アイリスは顔をゆがめた。


 その隙に、二匹がレオンの背後へ回った。


「レオン様、右にゃん!」


 カレンが跳んだ。


 片刃の長剣が下から上へ抜ける。一匹が跳ね飛んだ。残りの一匹の脚を、続けて薙ぐ。


 レオンは振り向きもせず、正面を斬り続けている。


 背中を見ていない。


 レオンの背後を見ていたのは、カレンだった。


「セリナ、下がって!」


 レイカがセリナを引き寄せ、剣を横に構えた。


 やがて、動くものがなくなった。


 息を整える音だけが、通路に残る。


「弱い」


 レオンが剣を拭った。


「時間の無駄だ」


 アイリスは、指先を見ていた。


 青が灯らない。


 こんなことは、初めてだった。



 カレンが、投げ捨てられた荷袋を拾いに戻った。


 中身が半分出ている。踏まれていた。


「にゃー……」


 油の瓶が割れていた。乾パンの袋が破れて、中身が油を吸っている。


 カレンは、しゃがんで拾い集めた。


 油のついたものと、ついていないものを分ける。分けた先から、どちらへ入れればいいのか分からなくなって、手が止まる。


「レイカ。これ、どっちにゃん」


「捨てて」


「まだ食べられるにゃん」


「油を吸ってるでしょ」


「拭けばいいにゃん」


 カレンは布を出して、乾パンを一つずつ拭き始めた。


 時間がかかった。


 レオンはとっくに先へ歩き出していた。


「カレン。置いていくぞ」


「にゃ! 待つにゃん!」


 カレンは袋を抱えて、走った。


 抱え方が下手で、走るたびに中身が鳴った。


 アイリスは、その音を聞きながら歩いた。眉を顰める。


 この袋は、以前はもっと静かだった気がした。


 気がしただけだった。


「カレン。さすがにその音を立ててダンジョンを進むのは無いわ。敵にバレバレよ」


「分かってる……にゃん」



 北部遺跡での調査対象とされた封印は、地下四層にあった。


 円い部屋の中央に、石の輪が三重。表面に文字が彫られている。アイリスの知らない文字だった。


「封印……って、これ? なんか、割れてるにゃん?」


「いいえ。割れてはいないわ」


「そう? じゃあ、無事にゃん」


「ええ。この封印自体は、無事ね」


 アイリスは輪へ手をかざした。魔力の流れは静かだった。四十年前の記録にある異常は、ここにはない。


「終わりだな」


 レオンが言った。


「異常なし。帰るぞ」


「待って。この封印は無事でも、他に何か別の封印やカラクリがあるかもしれないわ」


「でも、他に封印らしきものも、古代都市で大事にされてそうな地下墓地らしきものもないじゃないか」


「まだ最深部を見ていないわ」


「見る必要があるか」


「王命は最深部まで踏破すること」


 レオンは鼻を鳴らした。


「ふん。なら踏破してやる」



 最深部への通路は、封印の部屋の奥にあった。


 狭い。五人が横に並べない。隊列を組むことはできない。


 もっとも身軽なカレンを先頭に、一列で降りていく。


 降りきったところに、門があった。


 石の門だった。両開き。継ぎ目がない。


 アイリスは青魔法でマナの流れや魔術での封印の有無を調べるが、ひととおり見た後、首を振った。


 石の門に彫られている文字が、封印の輪と同じだ。何かの儀式で使うものだろうか。


「開かないにゃん」


 カレンが押した。


 動かなかった。


 レイカが肩を当てた。


 動かなかった。


 レオンが聖剣の柄へ手をかけた瞬間、音がした。


 声ではなかった。


 空気が形を持ったような、低く、こちらの内側から鳴るような音だった。


 全員が動きを止めた。


 アイリスは、自分がその音を「聞いた」のではないことに気づいた。


 頭の中に、直接、意味だけが置かれた。


 ――名を。

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