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第22話 五人、いました

 目が覚めて、最初に見えたのは天井だった。


 低い梁。煤けた漆喰。板の継ぎ目が三本。


 気持ちが悪い。


 赤髭団のアジトだった。


 戸口にいちばん近い寝台だ。いつも寝ている場所。


 ソファに板を敷いて、枕と毛布を重ねただけの、自分で作った寝床。


 身体を起こそうとして、やめた。腹の奥が、内側から押し返してくる。


 まだ、吐きそうだ。わずかに嗚咽がする。


「動かないでください」


 鈴が鳴るようなシンシアの声がした。


「肋が二本、壊れているようです……。治療魔法は重ねてかけておきました。少しは良くなっていると良いのですが」


「……すみません」


「ジョシュア。良いのです。謝るところではありません」


 シンシアは布を替える手を止めなかった。


「それより。ね。目が覚めて最初に言う言葉を、少し考えてください」


 ジョシュアは天井を見た。


 考えた。


「……あの方は」


「あの方?」


「獣人の、女の方です」


 シンシアの手が、一度だけ止まった。


「大聖堂へ運ばれました」


「ご無事ですか」


「怪我をしていて、衰弱しています。ですが、命に関わる傷ではないとのこと」


「会えますか」


「会えません」


 はっきりした答えだった。


「保護されている方です。身元が分からない以上、大聖堂の外の者は通せません」


「……そう、ですか」


「ジョシュア」


「はい」


「いい? あなたは、いまは、自分の心配をしてください」


 そうします、とジョシュアは答えた。その言葉を聞いて、少しだけ、シンシアは微笑んだ。


 答えてから、腹の傷が痛んだ。



 昼過ぎに、小さい足音が二つ、階段を上ってきた。


「入っちゃだめって言われてる」


「言われてる」


 言いながら、二人とも入ってきた。


 リディアが寝台の脇に膝をつき、ソラがその後ろから覗き込む。


「ジョシュア。おきた?」


「おはようございます」


「もうよるだよ」


「よる」


「そうですか」


 リディアは、しばらくジョシュアの顔を見ていた。


 それから、小さい声で言った。


「あのね。ジョシュア、あのとき、あたしたちの手をはなしたでしょ」


 ジョシュアは思い出した。


 空が鳴って、市場の全員が同じ方向を見上げたとき。


「はい」


「はなさなかったら、いっしょににげられたのに」


「……」


「なんで、はなしたの」


 答えを探した。


 探しているあいだに、ソラが姉の袖を引いた。


「リディア。いわないって、いったでしょ」


「いってない」


「いった」


 リディアは唇を噛んだ。


 それから、ジョシュアの毛布の端を、両手できちんと直した。


 直し方が、丁寧だった。誰かの真似をしていた。


「はやく、なおして」


「はい」


「あたしたちのベッド、まだふかふかだよ」


「そうですか」


「だから、はやくなおして」


 二人が出ていったあと、ガーネットが戸口から顔を出した。


 目のふちが赤かった。


「ごめんね。止めたんだけど」


「いえ」


「……あの子たち、起き上がれないあんたが運ばれたとき、声も出せなかったのよ」


 ガーネットは、それだけ言って引っ込んだ。



 三日目に、ヴィレリアが来た。


 寝台の脇へ椅子を引き、腕を組んで、ジョシュアの身体を上から下まで見た。


「打撲が七か所」


「はい」


「切り傷が四つ。肋が壊れて、治療魔法を重ねがけ」


「……はい」


「大変なことなのよ?」


 ヴィレリアは指を折り終えると、その手を膝へ下ろした。


「あんた、そんだけボロボロになって、目が覚めて最初に他人の心配をしたんだって?」


「シンシアさんが」


「言ったわよ。呆れてた」


「怒っていましたか」


「怒ってた。それはもう」


 ヴィレリアは窓のほうを見た。雪が細かい。


「ねえ。あんたがシールドを張らなかったら、市場は大惨事になっていたでしょうね」


「……そう、ですね」


「上空から、S級パーティーが四人。捕虜らしき獣人がひとり。そして、そこら辺にいた買い物客は、あのとき目に入っただけで四十人以上」


「そうですか」


「そうですか、じゃないでしょう」


 ヴィレリアは椅子を鳴らして立ち上がり、ジョシュアのかわいい顔の鼻をつついた。


「あんたは下敷きになってぼろぼろになったけど、五十人近くが無傷。あのいまいましい剣聖レオン様もね」


「……ありがとうございます」


「礼を言うところでもないわ」


 出ていきかけて、戸口で止まった。


「あの剣聖のところからは、まだ何も来てない」


「はい」


「詫びも、見舞いも、金も」


「はい……すみません」


「あなたが謝るところじゃないでしょ。そういうところよ」


 それだけ言って、ヴィレリアは出ていった。



 その日の夕方、ダレットが戻ってきた。


 外套の肩に雪を乗せたまま、寝台の脇へどかりと腰を下ろす。


「ギルドへ行ってきた」


「はい」


「あれは事故だ、ということになった」


 ダレットは膝へ肘を置いた。


「空に穴が開いて、人が落ちてきた。落ちた奴に罪はねえ。そういう筋書きだ」


「筋は、通っています……」


「通ってるな」


 ダレットは赤い髭を撫でた。


「通ってるが、お前はボロボロになった。そんなものが事故でした、不運でしたね、で済まされてたまるか」


「……」


「それとな。ギルドは、剣聖に非はないと書いた。書いたついでに、お前がシールドを張ったことも書かなかった」


 ジョシュアは天井を見ていた。


「書いてありませんでしたか」


「なかった」


「そうですか」静かに受け止めた。そうするしか、無かったのだ。


「ジョシュア」


「はい」


「そうですか、で終わらせるな。俺が腹を立てる。連中にも、お前にも」


 ダレットは立ち上がった。


「ただ、そういう腹は、俺が立てておく。お前は寝てろ」


 戸口でオリバーとすれ違ったが、二人とも何も言わなかった。


 オリバーは、この三日、レオンの話を一度もしていない。あれだけ毎日、レオンを神のように崇めて尊敬していたオリバーが、だ。


 誰も、そのことに触れなかった。



 六日目に、ジョシュアはゆっくりと起き上がり、大聖堂へ行った。


 シンシアには言わなかった。ガーネットに外套を借り、ワインレッドのマントを羽織って、昼下がりをただひとり、痛む身体をかがめるようにしてよたよたと坂を下りるのに半刻かかった。


 王都大聖堂の前庭には、人が並んでいた。


 ゲートを見た者、落ちてきた石で怪我をした者、身内の無事を祈りに来た者。王都の空が裂けたという話は、六日でずいぶん形を変えて広まっていた。あの『事故』で、怪我をしたのはジョシュアだけだというのに。


 列の横を通って、ジョシュアは脇門の番人に頭を下げた。


 中年の、赤い鼻をした小太りの男だ。いままで、何度も見たことがある。真面目で誠実な男だ。


「あの、六日前に運ばれた、獣人の女の方に」


「面会は許可されていない」


「お加減だけでも」


「身元不明者の容態は答えられない」


 番人は、ジョシュアの顔を見た。


 それから、少しだけ声を落とした。


「あんた、あのときの子か。市場で結界を張った」


「……はい」


「そうか」


 番人は門から目を離さなかった。


「悪いな。決まりだ」


「はい」


「あの娘の身元を知ってるのか」


 ジョシュアは口を開けた。


 開けたまま、何も出てこなかった。


 知っている。


 知っているのに、何も言えなかった。


「知らないなら、通せない。済まないな」


「……はい」


 坂を上がるのに、一刻かかった。



 その夜。


 オリバーが、寝台の脇に何かを置いた。


 分厚い板が三枚。そして、太めの木の棒が六本。革紐で括ってある。


「拾っといた」


「……あ」


「投げ捨てただろ、あれ」


「はい。すみません」


「謝るなよ」


 オリバーは板の端を指で押した。乾き方を確かめる手つきだった。誰かの真似だった。


「一枚、踏まれて割れてた。二枚は無事だ」


「二枚あれば、まあなんとか。あとで、落ち着いたらまた買い足します」


「そうか」


 オリバーは、しばらく板を見ていた。


「なあ」


「はい」


「あの人は、結局……お前の名前を呼ばなかったな」


 ジョシュアは答えなかった。


「一度も呼ばなかった」


 オリバーはそれだけ言って、拳を握った。


 板を寝台の下へ押し込んだ。



 深夜。


 眠れなかった。


 目を閉じると、空の裂け目が浮かぶ。


 落ちてくる影を、目で追う。


 一。金の胸当て。


 二。青いとんがり帽子。


 三。白い法衣。


 四。赤い髪。


 五。


 ジョシュアは目を開けた。


 五だった。忘れてはいけない、誰か。それとも、捕虜。


 見間違いではない。数えたのは自分の手だ。手は間違えない。


 起き上がろうとして、身体が痛んだ。本調子には、ほど遠い。


 それでも、寝台の縁へ肘をついた。


「ダレットさん」


 暗がりで、いびきが止まった。


「起きてる」


「……あ、あの」


「言え。どうした」


 いつか、まったく同じ言い方をされたことがあった。


「大したことでは、ないかもしれませんが」


「大したことかどうかは、聞いた俺が決める」


 ジョシュアは息を吸った。


「五人、いました」


 暗がりが、静かになった。


「落ちてきたのは、五人です。剣聖レオン様。大魔導士アイリス様。聖女セリナ様。女戦士レイカ様。それから、あの獣人の方」


「……四人だと聞いてるぞ。ギルドの掲示も、そうなってる」


「はい。そうなっています」


「だが、五人いた」


「五人、いました」


 ダレットは黙った。


 長く黙った。


 やがて寝台が軋んだ。起き上がった音だった。


「分からん」


 正直な声だった。


「お前が何を言ってるのか、何に引っ掛かっているのか。俺には分からん」


「……はい」


「だが、聞いた」


 暗がりで、火打ち石が鳴った。


 灯りが点く。ダレットは卓へ行き、羊皮紙を一枚引き寄せると、炭の切れ端を握った。


「もう一度言え。順番も、全部だ」


「……はい」


 ジョシュアは、もう一度、数えた。


 ダレットは、書いた。


 字は、ひどく下手だった。


 書き終えて、ダレットは羊皮紙を四つに畳み、懐へ入れた。


「明日、リンツのところへ持っていく」


「……はい。ありがとうございます」


「馬鹿。聞いた話をそのまま言うだけだ。礼をするのはまだ早い」


 ダレットは灯りを吹き消した。


「だが、俺のところの団員が、ガッツリ潰されて怪我しながらも、五人いたと言ってる」


 毛布を引き上げる音がした。


「それは、書いておく値打ちがある」

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