第21話 思い出せません
朝市は、赤髭団のアジトから坂を下りてすぐのところに立つ。
雪の朝だというのに、人出は多かった。
パン屋の煙。魚の氷。糸を巻き直す露天商。
ジョシュアは、木材屋の前で板を一枚ずつ持ち上げていた。
店主は筋肉質だが小男だ。浅黒い顔をジョシュアに向け、悪気なく唾を飛ばす。
「軽いのがいいのかい」
「いえ。重いほうです。ガッチリとした」
「重いほう」
「寝台の脚にしますので。撓まないものを」
店主は、太い眉を上げた。
「あんた、若いのに面倒くさい買い方をするね」
「すみません」
「褒めてんだよ」
ジョシュアは、板の端を指で押した。
乾き方が均一でないものは、あとで反る。
三枚選んで、革紐で括った。
「ジョシュアー!」
声のほうを見ると、リディアが小さな手を振っていた。
その隣でソラが、真新しいブーツの底を石畳へ打ちつけている。
ちっちゃいワインレッドのマントが冷たい冬風に吹かれてはためいていた。
「やっほー」
「滑らない!」
「滑ったら教えてください。溝を深くします」
「大丈夫! 滑らないってば!」
ガーネットが、チェ・サダを連れて後ろから追いついてきた。
お揃いのワインレッドのマントを見て、ジョシュアは目を細めて微笑んだ
。
「ごめんね。ついてくって聞かなくて」
「そうですか。雪道でも、歩けるようになりましたから」
「あんたのせいよ。ありがとう」
ガーネットは笑って、籠を持ち直した。
卵と、干した果物と、豆。
九人分の朝食だ。
*
板を背負い、ジョシュアは坂のほうへ歩き出した。
リディアが左手を、ソラが右手を握っている。
握られていると、荷が持ちにくい。
だが、外さなかった。
「ジョシュア。あのね。あのね」
「はい」
「椅子とベッド、作るんでしょ」
「作ります」
「あたしたちのベッド、まだふかふかだよ」
「お。そうですか」
「だから、ジョシュアのを作って」
ジョシュアは、少し歩調をゆるめた。
「僕のを、ですか」
「そう。ジョシュアのを」
ソラが、握った手を振り回した。
「板がぼこぼこで、上で寝ると痛そうだもん」
ジョシュアは、返事を探した。それは、僕が寝ていたベッドだったけど、気に入ってくれてよかった。
言葉を探しているあいだに、空が鳴った。
*
最初は、雷かと思った。
だが、雷にしては音が低すぎた。
「う」
ジョシュアは顔をしかめた。強い魔力を、感じる。
市場の全員が、同じ方向を見上げた。
王都の北。
灰色の雲の一点が、割れていた。
割れ目の内側は、雲ではなかった。
濃い紫の縁、中には深い漆黒。すべての光を吸収するかのような、黒。
色のない、深い穴のようなものだった。
その穴から、何かが落ちてきた。
人だ。それも、重装備の。
「えっ? 《ゲート》が……王都に!?」ジョシュアは、チェ・サダとガーネットに目配せをして、リディアとソラの手を引かせて退避させる。
文字通り、ジョシュアの頭上、まさに真上だ。
叫び声が上がった。風が鳴る。さらに、エネルギーが放出されるような「ドーン!!」という音が響く。「ドーン!」「ドーン!」と五回鳴った。
あまりの怪現象に、買い物客でごった返す市場は騒然となった。
露天商が頭を抱えて逃げようとして台をひっくり返し、市場に赤い果物が転がる。
王都中から買い出しに集まっていた人波が一斉に崩れた。
ジョシュアは板を投げ捨て、市場の真ん中で両手を掲げた。
緑の光が、あたりを覆う。
物理と生命を司るドルイドの、緑のシールド。逃げ惑う市場の人々に被害が及ばないように、ジョシュアは懸命に《ゲート》から落ちてくるものから人々を守ろうとした。
「あ、あ、あれ??」
人が、落ちてくる。輝く重装備。どこかで見たことのある――。
張った緑のシールドに落ちてくる影を、目で追った。
数える。
一。金の胸当てが、陽光を弾いている。
二。青いとんがり帽子が、風でめくれている。
三。白い法衣が、旗のようにはためいている。
四。赤い髪が、真下を向いている。
そして。
五。
……五?
ジョシュアの手が、止まった。
「う、ま、まずい」
*
衝撃が、市場を叩いた。
ジョシュアのシールドがなければ、そのまま《ゲート》から落ちて市場に墜落していただろう。しかし、シールドは持ちこたえ、影を受け止めて、跳ねた。
「くっ」
しかし、ジョシュアの真上に、いちばん重い人物。存在も、重量も。黄金の威装をした剣聖が、一度は受け止めたはずのシールドにめり込み、わずかにできた裂け目を押し開きジョシュアに零れ落ちてきた。
金の胸当て。
剣聖レオン・ガーフィールド。
チェ・サダは、ガーネットを押し、リディアとソラを両腕で抱えて、ジョシュアから離れるように横へ跳んだ。「あぶないっ!」
三人が安全なところへ退避したのを見て一瞬、安心したのも束の間、ジョシュアは真上から降ってくるレオンに巻き込まれ、潰された。
「ぎゅう……」
さらに、潰されたジョシュアが苦しそうに倒れ、集中が途切れると、シールドも刹那に無くなる。
一度受け止めているので衝撃は小さいが、それでも冒険に出た重装備のままの面々が、数歩分の高さからぼとぼととジョシュアの上に落ちてきた。そこまで高い場所からではない。それでも、受け止めさせられるジョシュアからすれば大惨事だった。
レオンの上から、アイリスが、レイカが、セリナが――そして、椅子に縛り付けられた女が降ってきて、ジョシュアをさらに潰す。
「――ジョシュア!」
オリバーの声だった。
坂の上から、赤いマントが駆け下りてくる。ヴィレリアが、シンシアが、集まってきた。
「おい! どけ! 早く!」ダレットの怒鳴り声も聞こえた。「何してる! どけって言ってんだろうが!」
人垣が割れる。
「ふん。言われんでもどいてやる」
レオンは、まるで土埃でも払うように手でマントや膝当てをはたくと、立ち上がってダレットの前に立った。
背はダレットの方が大きい。肉も、分厚い。
しかし、その迫力はレオンも凄まじい。
「出迎えか? なんだったか、赤ひも……?」
「赤髭団だ」ダレットはレオンの顔を正面から見据えていった。「ウチの団員のシールドに救われ、さらに潰して怪我させておいて、ありがとうもすみませんも無しか?」
レオンとダレットの足元には、レオン一行に潰されて目を回しているジョシュアが倒れている。オリバーとヴィレリアは、獣人を縛り付けていた鉄の椅子を外す。その周囲で、申し訳なさそうにアイリスが、セリナが、レイカが、ゆっくりと立ち上がる。
「ごめんなさい。いきなり落ちたのでフェザーフォール(羽毛の落下:魔導士の初級魔法)が間に合わな……あ、あ、あなたはジョシュア!?」
アイリスがとんがり帽子をかぶり直し、目を丸くする。
セリナも、レイカも……《ゲート》からのレオン一行の落下をすんでで食い止め大けがを防いでくれたのはジョシュアであったことを知り、驚愕の視線を向けた。その横で、レオンとダレットは睨み合っている。
ジョシュアは、身体を起こそうとした。
起きなかった。
指先だけが動いた。
「ぐふっ……」
その指先の少し先に、誰かの手があった。
傷だらけの、毛で覆われた、強く、しかし、しなやかな手。
石畳に投げ出されて、動いていない。
*
「ふん。元仲間じゃないか。俺たちを救いたかったのだろう? 必要な代償だ」
レオンはブーツの爪先でジョシュアを転がした。ダレットを怒らせるには充分だ。
「お前が偉いのはともかく、怪我したのはうちの団員だぞ!!」
赤い髭が割れて牙のように歯が浮き出る。
「それがどうした。なら、連れて行って手当てでも受けさせればよかろう」
「お前が潰したんだ!!」
「好きで落ちてきたんじゃない。事故だ。それにこいつは俺たちを救って当然だ」
レオンは片頬で笑った。
騒ぎを聞きつけて、市場に人だかりができた。上空にあった《ゲート》は
、五名を王都に転送したあと、役割を終えてゆっくりと閉じていく。
手首に、鉄の輪が嵌まっていた。堅く冷たい鉄の椅子に縛り付けられて。
輪から、切れた鎖が短く垂れている。
ジョシュアは、その手から腕へ、腕から肩へと目を上げた。
狼に似た耳が、雪の上に伏せていた。
尾が、力なく伸びている。
獣人の女だった。
汚れた布を一枚まとっているだけで、痩せていた。
どのくらい、あの鎖に繋がれていたのか。
女の顔が、こちらを向いていた。
目を、薄く開けている。
視線が、合った。
合った瞬間、ジョシュアの胸の奥で、何かが強く鳴った。
鐘のようだった。
知っている、と身体が言った。
その音に押されて、口が勝手に動いた。
「……あ」
名前が、出てこない。
喉まで来ている。
形は分かる。音の数も分かる。
なのに、出てこない。
女の唇が、わずかに動いた。
声にはならなかった。
ジョシュアは、腕を伸ばした。
届かなかった。
指が石畳を引っ掻いて、それだけだった。
「……あなたは」
言葉が、そこで止まった。
「……どなたですか」
尋ねてから、間違えたと思った。
訊いてはいけないことを訊いた気がした。
なぜそう思うのかも、ジョシュアには分からなかった。
「思い出せません……知っている、のに」
誰にともなく、そう言った。
視界の端が、白く濁っていく。
「僕は、僕は……あなたを、思い出せません……」
うつろにジョシュアを見る女の目から、涙が一筋落ちた。
なぜ泣いているのか、ジョシュアには分からなかった。
人垣が、自分たちを見下ろしている。
立ち上がらなくちゃ……人垣の間から、シンシアが涙を溜めて駆け寄ってくるのが見えた。
分からないまま、ジョシュアは限界を迎えた。意識が落ちた。
*
「ジョシュア! ああ、ジョシュア!!」
ワインレッドのマントを羽織ったまま、オリバーは大きい身体を屈めて、ジョシュアを揺り動かす。横からシンシアが両手に白い光をたゆたえた。シンシアは自らのワインレッドのマントを獣人に掛け、ぐったりしているふたりの治療に向き合った。
気の毒な表情で、アイリスはジョシュアと名も知らぬ獣人を見下ろした。
「ごめんなさいね。本当に……」
「どういうことなんですか。少なくとも、納得のいく説明を、してください!」
オリバーは肩を震わせて、アイリスを、セリナを、そしてレオンを見た。
「俺は、俺は、レオンさん、あなたを尊敬して……」
「知らんな」レオンは冷たく言い放った。「俺は俺の道を進んでいる。高みを目指して。その俺の偉大な旅路をお前らに妨害する資格はない」
「もう一度言う。ジョシュアに、詫びも、感謝もなしか。剣聖さんよ」ダレットは顔を真っ赤にしてレオンに詰め寄る。「こいつがいなけりゃ、いまごろお前らは死んでたぞ」
市場の人垣はさらに大きくなり、ギルドホールからも、騎士団からも、王立魔術院からも、《ゲート》という異変から王都に落下してきたS級パーティーレオン一行、という重大事件に立ち会おうとしていた。
「お前らは、お前らのやるべきことをやればそれでいいだろう。俺には関係のないことだ」
黄金のマントを翻すと、レオンは赤髭団の前から礼もなく去っていく。当たり前のことのように。レイカがレオンの後をすぐに追い、セリナはジョシュアを懸命に治療しているシンシアを見下ろし少し表情を硬くすると、同じくレオンについていった。
ただ、アイリスだけは、口を堅く結び、その美しい顔をダレットに向けた。
「こんなつもりでは、なかったの」
困った顔で気にするように一度、レオンの去る背中を振り返るが、アイリスは申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。まさか、王都に《ゲート》が出るなんて。まずは、ジョシュアくんの回復を祈るわ……あとで、必ず、話し合いましょう。必要なことがあったら言って」
「アイリス」シンシアは眼を上げた。「この獣人の子は、誰?」
アイリスの目が泳いだ。「……分からないわ。ダンジョンの最奥に捕らえられていたのを、レイカが助け出した。それだけ」
「そう……」
シンシアは、酷く衰弱し意識のない獣人にも、暖かい手当てを繰り返した。アイリスはいつものように、きびきびとした話しぶりだったが、去り際、切なそうにジョシュアを、懸命に治療するシンシアを、そして倒れたままの獣人を見た。




