第19話 五つ
王都オーディンの門をくぐったのは、日が傾きかけた頃だった。
五日ぶんの雪を落として、赤髭団は坂を上がる。
九人。
おじさんから、女の子まで、随分と賑やかだ。
ダレットが先頭を歩き、その後ろをオリバーが行く。オリバーの左肩にはソラが、右手にはリディアがぶら下がっていた。
「もう歩けない」小さな声が、オリバーに甘える。
「歩けよ。あと少しだ」
「オリバーが背負うって言った」
「言ったが、坂は別だ」
「言った」
「……言ったな」
オリバーはため息をつき、二人まとめて担ぎ上げた。
ヴィレリアが横目で見ている。
「あんた、甘やかしすぎ」
「はは。そうかな」オリバーは精悍だが人の良さそうな笑顔を見せた。
「この娘たち、そのうち歩き方を忘れるわよ」
「忘れたら、そのとき考えるさ」
ガーネットが、荷を背負い直しながら笑った。
「オリバーさん、うちの子に甘いから」
「うちの子て」
「もう、赤髭団の子でしょ」
誰も否定しなかった。
*
アジトの扉を開けると、埃と、冷えた石の匂いがした。
十日以上、誰もいなかった部屋だ。
ジョシュアは荷を下ろし、まず窓を開けた。室内に少し埃が舞う。
空気を入れ替えて、暖炉に火を入れる。さっとみんなの寝具を窓べりにかけて干す。オリバーは木桶を抱えて水を汲みに行き、ヴィレリアとシンシアは団員たちの洗い物を籠に入れ街路に出た。
夕日が、雪雲に隠れる。
鍋を火にかける頃には、部屋の温度が戻り始めていた。団員たちはみんな並んで歯を磨き、チェ・サダはナイフで器用に髭を剃り始めた。
「ジョシュア。座ってな」
「ダレットさん、僕、大丈夫です」
「大丈夫かどうかは、俺が決める」
ダレットが椅子を引いた。
ジョシュアは、少し笑った。
いつだったか、同じことを言われた気がする。
あのときは、座っていいのかどうかを尋ねた。
いまは、訊かなくてよくなっていた。
「じゃあ、僕が座る前に」
ジョシュアは、別の椅子を引いた。
「リディアさん。ソラさん。こっちが火に近いです」
二人は顔を見合わせた。
「あたしたち、床でいいよ」
「団員は椅子に座ります」
言ってから、ジョシュアは口を閉じた。
自分の声が、思ったより誰かに似ていた。
「団員……?」
「はい」
「あたしたち、団員なの?」
「木椀が九つあります。お椅子も、あとで二脚増やします」
それが答えになるかどうか、ジョシュアには分からなかった。
だが、ソラは椅子によじ登った。
リディアも、その隣へちんまりと座った。
ふたりは立派な団員となった。
*
ジョシュアは冒険であまらせた食糧の残りと、農園で買ってきた食材を使って、塩とバジルで合わせたごった煮のスープをよそい、新鮮な果物、雑穀粉を練った黒パンを九つに切り分けて振る舞った。
「おいしい」
「おいしいね」
ガーネットは、目を丸くしている。
「あなた、料理人か何か?」
「ううん。荷物持ち(ポーター)です」
「王都って、いろんな人がいて、凄いのね」ガーネットは全然違うところに感心している。その手を、そっとチェ・サダは握った。
玄関近くのソファに板を敷き、枕と毛布で簡易のベッドを作るとジョシュアはそこに横になった。シンシアは、心配そうにジョシュアを見つめたが、ジョシュアは微笑んで頷く。新しい小さな団員たちは「わ、ふっかふか」と悦んでジョシュアが使っていたベッドに寝た。
夜の帳が降りる頃、すっかり満腹になり安心した団員たちは、そう広くもない赤髭団のねぐらでぐっすりと眠った。
翌朝から、王都らしい暮らしが戻ってきた。
シンシアは大聖堂へ薬草の補充に行き、チェ・サダは王立魔術院へ向かった。顔見知りの宮廷魔術師たちが集まってきて、冒険の無事を祝った。
「見てもらいたいものがあるんだ」
荷の底から出てきた封印箱を、油紙で三重に包んで抱えていく。
「鑑定、何日かかりそう?」
「分かりません。前例がないものは、ウチの魔術師たちも張り切りますので。すごいエネルギーの詰まり具合です、これは」
「壊さないでよ」
「ま。壊れたら、たぶん王都ごと大変なことになります」
「冗談に聞こえない」
「冗談ではありませんので」
ヴィレリアは弓と荷袋を背負い、王都の東街区にある弓師の工房へ足を向けた。
荷袋の底から、布に包んだ矢じりを出す。
十本。
黒く、重く、返しが強い。
「これを引ける弓を」
弓師は一本つまみ上げ、しばらく手のひらで転がした。「なんだこりゃ? うーん」
師匠と呼ばれる老人を、弓師は呼んできた。
「奥さん。これ、どこの」
「もらいもの」
「そりゃそうだろうがね」
老人は鏃を光にかざした。
「引ける強い弓は、確かに作れる。だが、あんたの腕じゃ、こいつぁなかなか当たらんよ」
「当たるまで引くわ」
「何本ある」
「十本」
「なら、九本無駄にする覚悟がいる」
ヴィレリアは、鏃を布へ戻した。
「何を言っているの。一本も無駄にしないわ」
「ふん、随分と大きく出るじゃねえか」
「練習するからに決まってるじゃない。当たるようになるまで、ちゃんと訓練するのよ」
「そういうことかよ」
*
ヴィレリアが赤髭団のアジトに戻ると、ダレットはヴィレリアとジョシュアを連れて冒険者ギルドへ報告へ行った。
回復途上とはいえ、斬られたジョシュアの腹の傷は塞がっていても痛みが抜けない。
時折、顔をしかめる。まだ、痛いのだ。
ゆっくり歩いて、それでも半刻も経たず着いた。
ギルド長フィル・ガストンは、ハーシェルの書状をもう読み終えていた。
いつものように、むずかしい顔をして腕組みをしている。
「あの偏屈なマクレーン男爵から、直筆で来ている。鉱山都市ハーシェルの感謝状だ」
「ああ。そうだな」
「依頼通りの、リザードマン討伐は成らなかった、と書いてある」
「……うむ」
「その次に、こう書いてある。だが、赤髭団のお陰で、この街は生きている、と」
ガストンは書状を置いた。
「ま、そういうことだから。成功なんだろう。お前ら赤髭団のA級は据え置きだ。剥奪はない」
ダレットはうなずいた。ヴィレリアは、拳をパチンと手のひらにぶつけた。
その横でジョシュアは、息を吐いた。
自分でも気づかないうちに、緊張で呼吸を止めていたらしい。
「それと。特別功績の申請を出しておいた。通れば追加報酬が出る」
「ありがとうございます」
「依頼人が、討伐なしでも感謝状を出してくるぐらいなんだ。上手く解決してくれたな。お前らは胸張っていい」
ガストンは、少しだけ笑った。
「だが、報告書にあるこの黒い心臓、それと《ゲート》は気になるな」
「そうなんだよ。あれは厄介だった。一歩間違えば、俺たちは全滅していた」
「この報告書は誰が書いたんだ?」
「ぼ、僕です……」ジョシュアは控えめに言った。
「お前か。綺麗な字で、読みやすくて助かる。もっとちゃんと読んでから騎士団や執政ウェデラー閣下と相談してみるよ」
「ウェデラー閣下……」ジョシュアは口ごもった。
「どうした」
「いえ。なんでもございません」
*
帰りがけに、報奨金を受け取ったダレットたちはほくほく顔でギルドホールの掲示板の前を通った。
冒険者たちが押し合いながら依頼書を剥がしていく、その隅に、報告の掲示が張られている。
「ああ。レオンのパーティー、依頼に成功したんだ」
本当は、あれは俺たちがやるべきクエストだったんじゃないか。その気持ちを、ぐっとダレットは飲み込んだ。ダレットの右腕を、ギュッとヴィレリアは握った。
『北部遺跡調査隊、帰還。S級四名、損耗なし』
ジョシュアは足を止めた。
四名。
当代最強の剣聖レオン。
青い大魔導士アイリス。
聖印スピカを持つ聖女セリナ。
元騎士の女戦士レイカ。
四名だった。
合っている。
合っているのに、指が止まった。
もう一本、折ろうとしていた。
僕? いや、違う。
誰を。
名前が出てこない。
顔も、出てこない。
ただ、手のほうが覚えていた。
荷を詰めるとき、あの一団の分は、いつも五つに分けていた。
乾パンを五つ。
薬包を五つ。
水袋を、五つ。
「……五つ」
声に出してみた。
周りの冒険者は、誰も振り向かなかった。
ジョシュアは掲示をもう一度読んだ。
四名。損耗なし。
「全員」、無事に帰ってきたと書いてある。
よかった、と思った。
思ってから、何がよかったのか分からなくなった。
「なぜ」




