第18話 四人で行く
赤髭団が、雪の街道を五日かけて帰ろうとしている――その、同じ頃。
王都オーディンには、冷たい雨が降っていた。
*
冒険者ギルド、二階の執務室。
ギルド長フィル・ガストンの卓に、一枚の報告書が置かれていた。
剣聖レオン・ガーフィールドが、北部遺跡の古代都市ダーラムから持ち帰ったものだ。
レオンは立派な体躯を相変わらず豪奢な金色の装備で包み、誰よりも優雅で、ギルドホールに入った瞬間からすべての視線を惹きつける。
その後ろを歩くのは、王都に名を轟かす青い大魔導士アイリス。聖女セリナ。そして、元騎士の女戦士レイカの実力と美貌を兼ね揃えた三人。威容、としか言いようがない。
レオンのその太いがしなやかな指が、報告書を指さす。
「なにか。問題でも?」
ガストンは、三度読んだ。
三度読んでも、三行しかなかった。
『北部遺跡、古代都市ダーラム。最深部まで踏破。封印に異常なし。損耗、軽微』
「……これだけか」
「これだけだ」
「王命だぞ」
「異常がなかった」
レオンは、聖剣の柄へ手を置いたまま答えた。
「それ以上、何を書けと言う」
ガストンは額を押さえた。
執政アントニオス・ウェデラー閣下が動き、王命が下り、騎士団が動き、S級パーティーが総出で雪の山を越えた依頼だった。
それが、たったの三行で閉じようとしている。
「貴殿の補助についた連中は」
「全員、無事に戻った。うちのパーティーも、他の連中もな」
「話は聞いたか」
「同じことしか言わん」
同じこと。
封印は無事だった。奥には、何もなかった。
どのパーティーの報告も、判で押したように短かった。
「疑うわけではないが。こんな内容で済まされるものなのか?」
「事実だ。ガストン。何事もなかった」
「そうか。そうなのか」
「ああ」
レオンは、黄金に輝くマントを翻すと、腕組みをして渋い顔をしているガストンを置いて卓の前から去った。ごく当然のことだ、と言わんばかりに。
*
その日の午後、ガストンは念のため、別の一団を執務室へ呼んだ。
北部遺跡へ同行したS級パーティー『白鴉』の団長レイブンだ。戦闘力はそこまでではないが、情報収集や偵察をさせたらこのベテランの右に出る者はいない。
黒く厚い雪外套を着たまま、長身の男は静かに椅子に座った。
「地下二層で、天井が崩れかけていた。調べたが特に仕掛けはない。それだけです」
「他には」
「他には、何も」
「編成は」
「うちは六人。S級ふたり、A級四人。全員、戻りました」
ガストンは羊皮紙をめくった。
「剣聖のところは」
「四人でしたな」
男は、迷いなく答えた。
「山道で、荷を分けて運んでやろうかと声をかけた。だが、断られた。あの赤髪の女が、四人分を一人で背負っていたが、構わんと」
「剣聖のパーティー、四人分」
「ええ。四人分です」
ガストンは、その言葉を書き取った。
書き取りながら、羽根ペンの先が、少し止まった。
止まった理由は、自分でも分からなかった。違和感は、あった。
白鴉の団長が帰ったあと、ガストンはしばらく報告書を見ていた。
紙の下半分が、白いままだった。
その余白を、青い大魔導士アイリスが横から覗き込んでいる。
「アイリス。何か足すことは」
「……いいえ」
彼女は、少し遅れて答えた。
「何も…… ないわ」
答えてから、自分の返事に、わずかに引っかかった顔をした。
何に引っかかったのかは、分からなかった。
「ま。大儀であった、とのことだ」
ガストンは、報告書を綴じ紐へ通した。
「執政閣下から、そう伝えるよう言われている」
「それだけか」レイブンは、ガストンを見た。
「それだけだ」
紐が結ばれ、北部遺跡の一件は棚へ収まった。
王都でいちばん高額の依頼が、いちばん静かに終わった。
*
三日後、掲示板に新しい依頼書が張り出された。
対象は、魔人ワールディン。
四十年前、王都北方の古い地下迷宮アロマジェで目撃され、多くの冒険者たちを殺したとされる、凶悪な存在だった。以後、確かな姿は確認されていない。それでも近頃になって迷宮深部の魔力が上昇し、古い封印に異常が出ているという。
「魔人がいるなら、俺が斬る」
レオンは、依頼書を一読しただけで受諾した。
「ちょっと。四十年前の記録しかないのよ」
アイリスは、アロマジェの迷宮図の端へ書き込まれた古い注記を指でなぞった。
「いるかどうかも分からないそんな魔人の討伐より、封印の確認を優先すべきだわ」
「は、そんなもの。最深部まで行けば分かる。俺の仕事は、強いやつを斬ることだ」
「待って。分からないまま進むことを、調査とは言わないの」
「俺は剣聖だ」
それが答えだった。
アイリスは黙った。
言い返す言葉は、いくらでもあった。
ただ――こういうとき、横から誰かが割って入ったはずだ、という感触だけがあった。
語尾の間延びした、要領を得ない、かわいい声で。
誰だったかは、出てこない。
どうせ、あの荷物持ちだろうと思った。
思って、片づけた。もやもやに、蓋をする。
「受諾の手続きをするぞ。さっさと出発だ」
レオンが受付へ向かう。
受付嬢が羊皮紙を広げた。
「人数は、いかがなさいますか」
「四人で行く。全員S級冒険者だ。文句は無かろう」
アイリスの指が、止まった。
数えかけて、やめた。
剣聖レオン。大魔導士の自分。聖女セリナ。戦士レイカ。
四人。
合っている。
「……アイリス様?」
「なんでもないわ。なんでも」
彼女はとんがり帽子をかぶり直した。
合っているのに、数え直した理由が、自分でも説明できなかった。
*
宿の一階を借りて、レイカは荷を広げていた。
真新しい大型の荷袋。鍋を固定する革帯も、薬瓶用の小袋も、すべて取りつけてある。
立派なものだ。
保存食を、卓へ並べていく。
乾パン。豆。塩漬けの魚。燻製肉。
干し肉の袋を、四つ。
「一、二、三、四……」
数え終えて、レイカは手を止めた。
卓の端に、袋がもう一つ残っている。
五つ目。
紐を解くと、干し肉が入っていた。
ただし、硬い。
噛み切るのに骨が折れそうな、乾かしすぎた肉だった。
「レオン。これ、あんたの?」
「硬いのは好かん」
「アイリス」
「歯に悪いわ」
「セリナは」
「……いえ。わたくしは」
セリナは首を振った。
振ってから、なぜか胸元の聖印を握った。
「じゃあ、誰の分よ。これ」
誰も答えなかった。
レイカは袋を持ち上げ、しばらくそれを見ていた。
柔らかい肉を買ったはずだった。店にも、そう頼んだ。
「……店が間違えたのね」
卓の隅へ置く。
持っていかない、という意味だった。
*
荷を締めながら、レイカは水袋を外した。
外側の右に、二つ並べて吊るしてあったものだ。
少し迷ってから、内側の左奥へ入れ直す。
雪の山道では、先に凍る位置だと、いつか誰かに言われた。
誰に言われたかは、覚えている。
覚えているが、認めるつもりはなかった。
「何をしてるの」
アイリスが通りかかった。
「べつに」
「そう」
アイリスは、卓の隅の袋を見た。
硬い干し肉。
見て、通り過ぎる。
三歩で、足が止まった。
「……レイカ」
「なによ」
「その肉。誰が買ったの」
「あたしよ」
「どうして買ったの」
レイカは、口を開けた。
開けたまま、しばらく何も出てこなかった。
「……いつも、買ってるから」
そう答えた。
答えてから、二人とも黙った。
「おかしいわ」
窓の外で、雨が雪に変わっていた。
*
夜半、レイカは宿の卓に一人でいた。
灯を細くして、小さな羊皮紙を広げる。
荷袋には入れていない、油紙に包んだほうの束だった。
羽根ペンを持ち、短く書く。
『北部遺跡、封印に異常なし。剣聖、次は北方迷宮アロマジェへ。三日後に発つ』
三行だった。
昼にガストンが受け取ったものと、行数まで同じだった。
違うのは、こちらには書かなかったことが山ほどあるという点だけだ。
封蝋に印は押さなかった。
押さずとも、届く先には分かる。レイカは、じじ、と燃える燭台のろうそくを見た。
窓を細く開け、燭台を寄せて外の暗がりへ合図を送る。
軒下から、傘も差していない黒い鳥面の男が出てきて、無言で受け取った。
足音は、雪に吸われて消えた。
レイカは窓を閉め、卓の隅へ目をやった。
硬い干し肉の袋が、まだそこにあった。
しばらく見てから、灯を消した。
「おやすみ」誰にも届かない一言をつぶやいた。
*
その夜、セリナは宿の狭い部屋で祈っていた。
聖印スピカを、両手で包む。聖印はしずかに手の中に納まった。
旅の無事を。
仲間の健康を。武運を。そして――平穏を。
いつもの祈りだった。
途中で、言葉が止まった。
名前を、呼ぼうとしていた。
祈りの終わりに、いつも一つ多く名前を並べていた気がする。
その名前が、出てこない。
「わたくしは……どなたのために」
声に出してみた。
部屋には、誰もいなかった。
セリナは目を開け、それから、もう一度閉じた。
思い出せないものを、思い出せないまま祈った。
*
同じ頃、レオンは聖剣の刃を拭っていた。
『ソウルクレイドル』。それは、王国でもっとも名高い一振り。
レオンにかかれば余裕で岩を砕き、どんな難敵も真っ二つに切り裂く。
「俺は……最強だ。俺の行く手を、どんな敵も阻めない」
レオンは、狂信的に笑った。その端正な顔をそっと歪めて。
丁寧に愛剣に布を滑らせながら、ふと、思い出したことがあった。
ギルドホールで、あの荷物持ちが妙なことを言っていた。
――誰かに名前を訊かれても、すぐには答えないでください。
根拠のない忠告だった。
あのときも意味が分からなかったし、いまも分からない。
「馬鹿が」
レオンは、鼻で笑った。あの軟弱な顔を思い出すと虫唾が走る。
布を置き、灯を消す。
*
出立の朝は、よく晴れた。
宿の前へ、四人分の荷が並んだ。
レイカが大型の荷袋を背負い、革帯を肩へ食い込ませて締め直す。
アイリスは触媒箱を抱え、防湿布の枚数を二度確かめた。
二枚。
足りるはずだった。
なぜ二度確かめたのかは、自分でも分からなかった。
セリナが最後に宿を出た。
扉を閉める前、一度だけ振り返る。
誰かを待っている顔だった。
「セリナ。行くぞ」
「……はい」
卓の隅には、硬い干し肉の袋が置かれたままだった。
宿の女将マローが片づけに来て、それを見た。
「あら。忘れ物」
女将は袋を手に取り、廊下へ出て、四人の背中を呼び止めようとした。
呼び止めようとして、口を開けたまま止まった。
誰に渡すつもりだったのか、分からなくなっていた。
しばらくそこに立っていた。
やがて、袋を厨房の棚へ置いた。
置いたことも、すぐに忘れた。
四人は北へ向けて王都を発った。
誰も、数を間違えていなかった。




