返しの強い矢じり
ミルハ商会の玄関口で、ジョシュアは思い切り抱きつかれた。
「うわっ」
「お兄ちゃん!」
十歳ほどの男の子が、腰のあたりへ突っ込んできた。
「い、痛……っ」
「あっ、こら、ヨナ!」母親が慌てて引き剥がす。「この方は怪我をしていらっしゃるの!」
「ご、ごめんなさい」
「い、いえ……お元気になられて、よかったです」
少年の頬には、まだ痩せた線が残っていた。それでも、色があった。
「よかった。本当に、よかった」シンシアは涙ぐんでいる。
寝台で青い足を見た日から、そう経っていない。
オルラカン・ミルハは、上がり框に立ったまま、それを見ていた。
商人の目ではなかった。ひとりの父親の表情をしていた。
*
執務室の卓に、金貨の入った袋と、細長い木箱が置かれた。
「受け取ってくれ」
「気持ちだけ、で」ダレットが言った。「あんたには、帳簿を全部見せてもらった。説明もしてもらった。俺らとしては、あれで十分だ」
「帳簿は、私が二十年、彼らと向き合った記録だ」
オルラカンは、箱の蓋を開けた。
「これは、その向こう――リザードマンたちから来たものだ。私からも、礼をしたい」
布の上に、鏃が並んでいた。
十本。黒く鈍い金属で、根元が太い。返しが二段になっていて、下段が異様に長く、深く反っている。
「重い」ヴィレリアが一本つまみ上げた。「……ずしっとくるわね」
「リザードマンが、沼で使うものだ」
「沼で?」
「戦いや狩りで、これに刺さった獲物が、水へ潜って逃げるとき、重みで沈むんだ」
オルラカンは、鏃の返しを指でなぞった。
「敵を殺すためではない。逃がさないための鏃だ」
ヴィレリアは、しばらくそれを見ていた。
それから、自分の長弓へちらりと目をやる。
「……無理よ、これ。私の弓じゃ引けない。矢の前が重すぎて、五十歩も飛ばない」
「では、要らぬか」
「そうは言ってない」
彼女は、案外きっぱり言った。
「持っていく。ありがたく。こいつの飛ばし方は、あとで考える」
オリバーが噴き出した。
「お前、そういうとこあるよな」
「うるさい」
ジョシュアが箱を受け取り、重い矢じりの形を見た。溝は深く、返しはギザギザに加工されている。低速でもしっかり刺さる。ただし、奥までは刺さらない。抜こうとすると、返しが効く。
素材も、リザードマンたちが一般的に使う、ただ葦を乾かして鞣しで補強したような軸に括りつけるものではない。鉄にしては、ずっしりと重い。丹念に鋳造したものだ。そう簡単に作れるものとも思えない。
リザードマンなりに、戦いや生活の果てに考え抜かれた工夫なのだろう。
そしてジョシュアは、矢じりを布で一本ずつ包み直した。丁寧に。
揺れて刃が擦れないよう、間に薄い革を挟む。荷袋の、いちばん底へ。
大事そうにしまうジョシュアの手つきを、誰も、見ていなかった。
*
「坊主」
帰りぎわ、オルラカンがジョシュアを呼んだ。
「はい」
「その鍋を、もう一度見せてもらえるか」
ジョシュアは首をかしげながら、革帯を解いて手渡した。
オルラカンは、両手で受け取った。
持ち上げ、傾け、爪の背で縁を弾く。
カラーーン――
もう一度、叩いた。少し強く。
カラァーーーン……
独特な、澄んだ音が、執務室に長く残った。
商人は、口を開いた。
言いかけて、また閉じた。
「……あの」
「いまの王都に、これを打てる職人はいない」
それだけ言って、オルラカンは鍋を返した。
「え?」
「いや」
「あの、直したほうがいいところが、ありますか」
「ない」
オルラカンは、乾いた笑いを漏らした。
「ないよ。……どこも、ない」
ジョシュアは首をかしげたまま、鍋を背へ締め直した。
*
宿の酒場で、チェ・サダは硬貨を数えていた。
「八ゴールド、十シルバー」
卓へ、きっちり積み上げる。
ガーネットは、それをじっと見ていた。
「……利息は」
「取っていない、とおっしゃいましたので」
「言ったわよ。言ったけど」
「言いましたね」
「三年分よ」
「三年分です」
二人とも、硬貨を見ていた。
「あんた、また行くんでしょ」ガーネットが言った。「王都に」
「ええ」
「今度は」チェ・サダは、いつもの乾いた調子で言った。「必ずすぐに帰る、とは言いません」
「はあ? な、なによそれ」
「前にそう言って、帰らなかったので。同じ嘘を二度つくのは、魔導士としてどうかと」
ガーネットは、口を開けた。
それから、卓の硬貨を両手でかき集めて、思い切りチェ・サダの胸へ押しつけた。
「じゃあ……じゃあ、手紙ぐらいはよこしなさいよ! この、へっぽこ魔術師!」
「痛い。痛いです」
「一枚でいいの。生きてるって書いてあれば、それでいいの」
カウンターの奥で、ジョシュアが両手を合わせて、じっと見守っていた。
ダレットも、ヴィレリアも、ジョッキを片手に固唾を飲んでいる。
「ジョシュア。あんまり見ないであげてください」
「あ、すみません」
「見てていいわよ」ガーネットが口をとがらせて言った。「この人、こういうときだけ黙るから」
「…………」チェ・サダは黙った。
「ねえ、あんた」ヴィレリアがジョッキを持ったままガーネットを見る。「独り者?」
「な、なにを……」ガーネットは顔を赤くしてうつむいた。
「あたしたちに雇われて、王都に行かない? 週給、四ゴールド。どう?」
「えっ」ガーネットの顔が、パッと晴れた。しかし、すぐに曇った。「あたし、ここの宿でしか……引き取り手ないから」
「何を言ってるの? あんたみたいな美人、この店で燻ってるのはもったいないわ」
「……妹たちを養ってるの」
「は?」
「父が出ていって、母が死んで、あたしはここの宿で客を取らないと生きていけない」
チェ・サダは黙っていた。ヴィレリアはチェ・サダを睨んだ。
「あんた……酒のツケってのは嘘だね?」
「まあ、そうですね」
「責任、取りなさいよ。チェ・サダ、有り金全部出してでも、この子と妹さんたち、引き取んなさい」ヴィレリアは血相を変えて言った。
「そんな。でも王都での生活は無理ですよ」
「こんなところで身体を売らせてどうするの。あんたもどうせ買ったクチでしょう?」
「私も悪かったの」ガーネットは怒るヴィレリアに頭を下げた。「いつか一緒に暮らそうってこいつが言ってくれて……あたし、一瞬でも信じちゃったから」
「だから! その! その約束は!」チェ・サダはいままで見たことのないぐらいの大声で言った。「どうしても、どうしても……果たしたくて……」チェ・サダの声は小さくなった。
「ああ、うるさい」ヴィレリアは眦を決し、チェ・サダの両肩をもって揺らした。
「で! このガーネットを身請けするのは幾ら!? 金貨百枚? 二百枚?? あたしが話をつけてきてあげる!」
「ヴィレリアさん……」ガーネットは鳥籠に入った小鳥のような、小さな声で囁くように泣いた。チェ・サダをビンタした看板娘とは思えないか弱い嗚咽が出た。
半刻も経たず、ヴィレリアは話をマスターとつけてきた。「えっ」ガーネットは、振り返りマスターを見る。マスターは名残惜しそうな表情で、肩をすくめた。
「僕、金貨八十三枚しかないです……」チェ・サダは沈んだ声で言った。
ダレットは笑った。ヴィレリアも笑った。
「仲間だろ」太い声が響いた。「結婚の前祝いでもいい。金貨三十枚ずつは、俺とヴィレリアからの奢り。残りは赤髭団からの貸付だ。ちゃんと払えよ?」
チェ・サダはカウンターに顔を伏せて泣いた。
イガグリ頭が、ごんごんと木のカウンターに当たり、その背中を、ガーネットの白い手が優しく包んだ。
*
出発の朝、町の門には人が集まっていた。
誰が触れを出したわけでもない。療養所にいた老女が、水路沿いの家の者が、荷車を押していた男が、そこにいた。
最後まで白い布が下りなかった家の女が、麦を煮た匂いのする包みをシンシアへ押しつけた。
「聖女様」
「……私は、僧侶です」
シンシアはそう答えたが、その声は、いつかの日より柔らかかった。
訂正はした。手は、放さなかった。
ヴィレリアが横目でそれを見て、今度も何も訊かなかった。
男爵が、門まで見送りに出てきた。
自分の足で歩いてきた。
「ギルドへは、私から書状を出す」
「助かる」
「討伐は成らなかった。依頼書のとおりには、な」
男爵は、少し口の端を曲げた。
「だが、この町は生きている。そう書く」
「好きに書いてくれ。事実でさえあれば、何でもいい」
ダレットは顔をくしゃくしゃにして笑った。
男爵も、その枯れ木のような顔で、初めて大きな笑みを見せた。
「俺たちは、俺たちのやったことを知ってる」
チェ・サダはジョシュア以上に大きな荷物を背負っていた。ガーネットの家にあった、ささやかな家財道具だ。
「ソリがほしい……」
「ソリがあったとして、引くのはあんただからね」ヴィレリアは冷たく言い放った。
呻くチェ・サダに、オリバーが言った。
「一家を支えるチェ・サダ様の背負う荷物は重いね」
オリバーもまた、武装のほかに、幼い女の子をふたり、ベルトで支えるようにして背負っている。リディアとソラ。ふたりは、くりくりとしたかわいい顔で、おとなしくオリバーの大きな背中で揺れていた。
ガーネットは、身の丈に合わない大きな外套を着こみ、ジョシュアに手を引かれて雪道を歩き始めた。鉱山都市ハーシェルからほとんど出たことのないガーネットは、深い新雪を踏みしめるようにして進む赤髭団のたくましさに、改めて驚愕しているようだった。
「さ。帰ろう。俺たちの本拠地に」
一行は、王都オーディンへ向けて、帰路についた。
「仲間が増えるのはいいことだ。赤髭団の前途はますます洋々だ!」
*
街道へ出て、しばらく歩いてから、ジョシュアは荷を背負い直した。
九人分。前より少し重い。鏃の箱と、封印箱と、贈られた品が増えた。
オリバーが横へ並んだ。
「なあ。少しは持つぞ」
「大丈夫です。僕が背負うと言ったので」
「そう言うと思った」
オリバーは、ジョシュアの背負っていたバックパックに吊るしていた袋を勝手に一つ抜き取って自分の胸へ回した。オリバーの胸にはナップザックが掛けられ、その背には華奢な幼女がふたり、こくり、こくりと居眠りをしている。
「あ」
「文句あるか」
「……ありがとうございます」
ダレットが先頭を歩き、ヴィレリアが地図を畳んで懐へ入れ、チェ・サダが封印箱の紐を確かめ、シンシアが包みを抱え直す。
王都オーディンまで、徒歩で五日。
道の分かれ目で、ジョシュアは一度だけ北を振り返った。
雪をかぶった山並みが、遠く白く連なっている。
北部遺跡は、あの向こうだ。
もう、ひと月近くになる。
――帰ってきたら、また荷造りしてほしいにゃん。
便りは、まだ何も聞こえてこない。
北の方向を心配そうに振り返るジョシュアを見て、シンシアはジョシュアに尋ねた。
「その先の北部遺跡――古代都市ダーラム、でしたっけ? レオンさんの報告、ハーシェルには来ていなかったわね」
「はい。レオンさんのパーティーが向かった、とだけ……」
「冒険者ギルドで名簿を見たわ。あの聖女セリナ含めて、S級が四人がかりで挑むなんてね。相当だわ」
「……え、四人?」
剣聖レオン・ガーフィールド。
青の大魔導士・アイリス。
元騎士の戦士・レイカ。
聖女・セリナ。
そして、獣人剣士・カレン。
五人、いたはずだ。ジョシュアは顔を上げた。しかし、ダレットが飛ばす声は、ジョシュアの思索を打ち破った。
「ジョシュア! 遅れるな!」
「は、はい!」
少しだけ後ろに置いていかれたジョシュアは、あわてて駆け出した。
背中の鍋が、こつん、と一度だけ鳴った。
*
薪は燃え上がり、鍋いっぱいに詰めた新雪が沈んで水になり、やがて湯気を出す。
ジョシュアは袋から大事な塩を出し、ふたつまみ。鶏の骨を真ん中で折って入れる。湯が沸騰すると、骨を出してダレットに渡すと、ダレットは美味しそうにしゃぶった。
「なによそれ。狼みたい」ヴィレリアは呆れた。
「これが上手いんだよ。お前も咥えてみるか?」
「あんたがしゃぶった骨でしょ。やめてよ」
ふたりの会話で少し微笑むと、ジョシュアは鶏もも肉のかけらを入れ、干した豆、きのこ、蕪をナイフで切って放り込んだ。鉄の箱に練った雑穀の粉を入れ、魔法をかけて焚火に掛ける。
匙でゆっくりと鍋を掻きまわし、豊かな香りと共に湯気が立ち上った。
「これが片手剣だよ。もってごらん?」
「いいの? ――うわ、凄い! 重い!! お姉ちゃん、オリバーさんの剣、重いよ!」
ガーネットの妹、リディアとソラは、雪道を背負って踏破したオリバーにすっかり懐いていた。オリバーも、戦闘でのしぶとさ、力強さとはまた違う、穏やかな青年の一面を見せる。
「俺の妹たちも、生きていればこのぐらいだったのかな……」
「良いのです」シンシアは応じた。「あなたの誠実な生き方を、神はご覧になっています。どうか、オリバーは導かれしあなたの道を、まっすぐにお進みください」
「あ。そういうつもりで言ったんじゃなかったんだけどな」オリバーは頭を掻いた。「神サマのこととか、俺にはよく分からねえし」
シンシアは優しく、穏やかに微笑む。チェ・サダは、焚火を背にしてガーネットとふたり、並んで話し込んでいるようだった。
ジョシュアは静かにみなの会話に耳を傾けながら、その真ん中の焚火で、みんなのための料理を作る。街でしつらえた新しい木椀をあわせて九つ、均等に鶏もも肉のスープを匙でよそい、焼きたての黒パンを割った。
あたりは真っ白い雪景色。冷たい風が雪原を吹き抜ける。
満天の星が、仲間の増えた赤髭団を見下ろしていた。
「薪を増やせ。ジョシュア、頼むぞ」
「はい!」
赤髭団の周りだけは、暖かい食事と穏やかな会話が広がっていた。
しかし、ジョシュアは、薪を持つ手を止めた。
剣聖レオンのパーティー。五人、いたはずだ。
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第一部、まずは完走しました。ぜひご評価、コメント頂戴できますと幸いです。
第二部も、明日から毎日更新していきます、引き続き、よろしくお願い申し上げます。




