表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/25

逃げちゃいねえ

町の門が見えたとき、ヴィレリアが足を止めた。


「……布が」


 戸口の白い布が、減っていた。


 三軒に一軒だったものが、いまは通りに数えるほどしかない。


 子どもが二人、水路の橋の上で駆けている。犬が吠えた。荷車を押す男が、赤髭団を見て道を空けた。


 そして、蚊が一匹もいなかった。


「冬だわ」


 ヴィレリアが言った。


「冬よ、ここ」


「そりゃそうだろ」オリバーが笑う。「冬なんだから」


「……そうね」


 彼女は、笑わなかった。


 弓を握った手が、白くなっていた。



 男爵の屋敷の暖炉には、火が入っていた。


 広間の布はあらかた片づけられ、残った病人は数えるほどだった。それでも、床には長く敷かれていた跡がついている。


「赤髭団か」


 マクレーン男爵は、椅子から立ち上がった。


 立てたのだ、とジョシュアは思った。


 頬のこけ方は変わらない。だが、目の下の黒い落ち窪みが、少し引いていた。


「水を沸かして、上澄みだけを使えと、方々へ触れを出した。三日ほどで死人が止まった」


「そうか」


「五日で、熱の出る者が減った。いまは、ほとんど出ん」


 男爵は、そこで言葉を切った。


「鉱山で、何があった」


 ダレットは、包みを解いた。


 黒い作業着の切れ端。焼けた革の水筒。そして――擦り切れた、男爵家の紋章が三つ。


 男爵の手が止まった。


「……これは」


「あんたが三度送り出した冒険者たちの、最後の三人だと思う」


 男爵は、紋章を一つ手に取った。指先が震えていた。


「湿地で死んだと」


「湿地じゃねえ」


 ダレットは首を振った。


「廃鉱山だ。坑道の一番奥にいた」


「なぜ、あんなところに」


「俺たちと、おそらくは同じことを考えたんだろうよ」


 ダレットは、赤い髭を撫でた。


「沼を三度も焼いて、リザードマンは町から消えた。それでも病人は減らねえ。おかしい、と思ったはずだ。それで、北の丘を見に行った」


 部屋が静まり返った。


「だが、確かめきれなかった」


 ダレットは続けた。


「あそこで何が起きてるか、俺たちだって、ドルイドが一人いなけりゃ分からなかった。あいつらは『おかしい』とは思えても、核心まで迫れるやつが誰もいなかった。証拠もねえ。命令は『リザードマンを討て』だ。違うと言い切れねえまま、坑道へ入って――飲まれた」


「……飲まれた」


「異界の《ゲート》が開いてた。中の何かが、身体に入る」


 男爵は、紋章を握りしめた。


「では、あの者たちは」


「間違った依頼に、真面目に取り組んだ」


 ダレットは、はっきり言った。


「そのうえで、間違ってるかもしれねえと疑って、確かめに行った。そこで死んだ。……奴らの名誉のために言うが、決して、逃げちゃいなかったんだよ」


 オリバーが、深くうなずいた。


「うん」


「私も、そう思います」チェ・サダが言う。「あの坑道へ入るのは、勇気が要ります。僕は正直、入りたくなかった」


「私も」シンシアが言った。


「僕もです」ジョシュアが言った。


 ヴィレリアだけが、少し遅れて口を開いた。


「……名前、分かる? その三人」


「名簿を見れば」


「見てあげて」


 彼女は、それだけ言った。


「誰の家の人だったか、家族に返してあげて。数えられないまま終わるの、たぶん、いちばんつらいから」


 ジョシュアは、彼女の横顔を見た。


 聖女の慈愛を感じさせる面持ちだった。



 ダレットは、青い色石を卓へ置いた。


「湿地の女王からの言伝だ」


 条件を、四つ順に読み上げていく。


 湿地には入らない。堤と水路の管理は向こうが続ける。交易はミルハ商会を通す。冬の間、眠る彼らを襲わない。


「向こうは冬眠に入った。いま攻めれば、あんたらは勝てる。皆殺しにできる」


「……」


「そのうえで、和議を申し出てきた」


 男爵は、長いあいだ色石を見ていた。


 それから、椅子を離れた。


 そして、床へ膝をついた。


 広間にいた侍従が、息を呑んだ。


「男爵」ダレットが慌てた。「よせ。俺たちはあんたが頭を下げる相手じゃねえ」


「私は、三度、兵を出した。手練れの冒険者たちだ」


 男爵の声は掠れていた。


「町の者が死ぬのを見て、原因を探すより、憎む相手を探した。そのほうが早いからだ。……三十七人だ。私が数えた」


「……」


「和議は受ける。私の名で受ける」


 男爵は顔を上げた。


「赤髭団。よく、討たずにいてくれた」



 屋敷を出たところで、ヴィレリアが立ち止まった。


 動かない。


「ヴィレリア?」


 オリバーが振り返る。


 彼女は、壁へ手をついていた。


「……ごめん。ちょっと」


「どうした」


「なんでもない」


 声が、うまく出ていなかった。


 シンシアが黙って隣に立ち、背中へ手を当てる。


「ずっと、考えてたの」


 ヴィレリアは、地面を見たまま言った。


「A級になって、そのあと失敗続きで。次にしくじったら、格下げされて、依頼が来なくなって、それで終わりだって。オークのときも、ここへ来る道でも、ずっと」


「知ってる」ダレットが言った。


「私、討伐しようって言ったのよ。宿の部屋で。そのほうが死ぬ人が少ないって」


「言ったな」


「間違ってた」


「間違ってはいねえ」


 ダレットは、大剣を背負い直した。


「お前が言わなきゃ、俺は考えなかった。討伐しない理由を、俺は最後まで説明できなかった。お前が反対したから、ジョシュアもちゃんと考えて、全部並べたんだ」


「……」


「いま、領主が膝をついた」


 ダレットは、屋敷を親指で指した。


「A級だのなんだの、俺は知らん。今回のは、いつも同様、いや、それ以上に、いい仕事だった。それだけだ」


 ヴィレリアは、しばらく壁に手をついたままだった。


 それから、乱暴に目のふちを拭って、顔を上げた。


「……そうね」


 鼻が赤かった。


「うん。いい仕事だった」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ