暗黒の鉱夫たち
廃鉱山の坑道は、十年以上も人が立ち入っていないはずだった。
入口は広いが、手当てされていない坑道の中は軽い落盤や土砂が流れ込み、雑然としていた。
そして、坑道と並行して、ごぼごぼと水が流れ出ている。地下水が少し、坑道を濡らし、強い湿気を帯びていた。
「凍って……いませんね、地下水」
誰も答えなかった。
グレグが低く唸った。
「我ら、ここ、入らぬ」
「なぜですか」ジョシュアが尋ねる。
「水、悪い。においが、こわい」
「それでも、ここまでは来てくれたんですね」
グレグは答えなかった。
ンガが、兄の背をひとつ叩いた。
それが返事だった。
*
坑道へ入ると、空気は生き物の腹の中のようにじっとりと湿っていた。壁には黒い油のような汚れが張りつき、地下水がぬるい。
ところどころに、古びた作業着が落ちていた。
一着。
二着。
数えていくと、十五人分を超える。どれもボロボロだが、一目でここで何らかの作業していた人たちが着ていたものだと分かる。
「閉山した時に置いていった物ではなさそうです」ジョシュアが布を指でつまむ。「泥は新しいです。ここ数か月で人が入っています」
「……うう」
ヴィレリアは長弓を握り直した。
狭い坑道では、いつものように弓を引き切れない。頭上の岩が迫るたび、呼吸がわずかに浅くなる。
「大丈夫ですか?」ジョシュアが小声で尋ねた。
「平気」即答だった。
「左の壁沿いなら少し広いです。弦も岩へ触れません」
「……ありがとう」
ジョシュアは首をかしげたが、それ以上訊かなかった。
最深部へ近づくにつれ、緑マナへ不快な脈動が伝わってくる。
植物でも、土でも、水でもない。
世界の外側から、こちらの鼓動をまねているような感触だった。
「この先です……何かを感じます」ジョシュアは眉をひそめた。
「確かに。このマナの揺蕩い方、おかしい」チェ・サダも応じた。
「グゲ。ンゴッゲンゴラガガガ」
「よし。いっそう、気を引き締めていくぞ」ダレットは大剣を握り直す。
*
高い天井。広い採掘場へ出る。
「……なんだあれは」オリバーは盾を構えた。
赤髭団もリザードマンも、思いがけぬ光景を目の当たりにして立ち止まる。
中央に、巨大な黒い心臓のようなものが浮かんでいた。
ドクン。ドクン。
規則正しく動き、何かをどこかから吸い出しているようだ。
「心臓……? ポンプ?
岩壁から何本もの黒い脈が伸び、心臓へ繋がっている。脈打つたび、背後の空間へ走った亀裂が開閉した。
《異界ゲート》。紫とも黒とも取れぬ、深い漆黒が光を吸い込むようにして亀裂の向こうで脈動している。
十年前には小さな傷だったものが、最近になって広がり、鉱山の水と空気を汚し始めたのだ。
その周囲に、古い作業服をまとった鉱夫たちが立っていた。
一体。
二体。
十体。
二十体以上。
顔は黒く塗り潰され、眼窩の奥だけが赤く光っている。
そのなかに、擦り切れた男爵家の紋章を胸につけた者が、三人いた。
「……見つけたな」ダレットは低く言った。
「死霊ですか?」シンシアが聖印を構えた。
「違います」チェ・サダが術式を展開し、相手のマナの動きを読み取る。
「これは死霊術ではありません。死体を操っているのではなく、向こう側の何かが身体へ入り込んでいる。異界からの憑依です」
もはや異形の者となり果てた暗黒の鉱夫たちが、一斉に動いた。
「来るぞ!」オリバーが盾を構える。
続々と、暗黒の鉱夫たちは一行に襲い掛かってきた。手にはツルハシや古びた斧を掲げている。しかし、その振りは強く、速い。
「油断するな! 敵のマナに飲み込まれるぞ!!」
グレグの槍が、先頭の鉱夫の胸を貫いた。
だが倒れない。
「グゲ??」
黒い煙が傷口から噴き出し、腕がグレグの右肩へ振り下ろされる。
「グレグさん!」
ジョシュアの蔦が腕を絡め取る。
それでも勢いを殺しきれず、グレグの肩から血が散った。
ンガが兄を引き下げ、ダレットの大剣が鉱夫の首を落とす。鉱夫の首から、夥しい《黒い血》が湧きだすように飛び散る。それは、ただの血しぶきではない、より粘り気のある「なにか」だ。
別の鉱夫が黒いマナ弾を放った。
「伏せて!」
ヴィレリアの声。
矢が飛び、マナ弾の中心をわずかに逸らす。
弾は壁へ当たり、岩を抉った。
「あっ」衝撃でシンシアが床へ投げ出される。
「シンシアさん!」
「打っただけです! 私は大丈夫」
倒しても、黒い煙が別の身体へまとわりつく。
狭い坑道へ戻れば、一体ずつ相手にできる。だが心臓を放置すれば、憑依体は増え続ける。奥の《ゲート》から、一体、また一体と、異形の者が湧き出してきた。
「きりがない! 中央を突破する!」ダレットが叫んだ。
「オリバー、俺の右! グレグとンガは左だ!」
「ヴィレリアさん、三歩後ろへ。そこの岩棚なら射線が通ります!」
ジョシュアの緑マナが床へ広がる。
蔦が足場を作り、滑る黒い泥を覆った。
オリバーの盾が鉱夫を押し分ける。
ダレットの大剣が道を切り開く。
ヴィレリアの矢が、黒い煙の濃い核だけを正確に射抜いた。
チェ・サダの術式が憑依を一瞬だけ剥がし、シンシアの白い光が傷ついたグレグの傷を癒す。
「ググ、グゲ」
ダレットとンガの間。ジョシュアは黒い心臓へ足を向けようとした。
「何をするつもりだ!」ダレットが叫ぶ。
「ゲートを閉じます」
「無茶だ!」
「僕なら、裂け目の縁が見えます」
緑の光が、ジョシュアの両手から伸びた。
異界ゲートの輪郭へ、細い蔦のようなマナが一直線に絡みつく。
裂けた空間を、一針ずつ縫い合わせる。
向こう側から、何かが抵抗した。ジョシュアの緑のマナのほとばしりを受け止め、弾き返そうとしている。バチンと音を立て、ジョシュアは尻もちをついた。
「わわわ!!」
鉱山全体を震わせる咆哮。
黒い腕がゲートを突き破る。
「ジョシュア!」
腕の先端が刃へ変わり、少年の腹部を横薙ぎに裂いた。
「がはっ……!」
血が床へ落ちる。
ジョシュアの身体が大きく揺れた。
「下がれ!」
「だ、大丈夫です。まだ、《ゲート》が……閉じていません……」
「大丈夫なわけがあるか!」
「く、あ、あと少し……」
彼は手を離さなかった。
緑の光が強くなる。
黒い腕がもう一度伸びる。
オリバーの盾が受け止めた。
衝撃で腕が痺れ、膝が沈む。
「やらせるか! ジョシュア、盾の後ろへ!」
ダレットが黒い腕を斬りつける。
ヴィレリアの矢が次々と関節へ刺さり、グレグとンガの槍が左右から押さえ込んだ。
異形の鉱夫は、槍のような長い武器でバシュッとンガの足を貫いた。
突き刺されたンガはもんどりうって後ろにあおむけに倒れる。その鉱夫をグレグが突き殺す。黒い血潮がどろりと流れ落ち、鉱夫が倒れたその後ろから、さらに敵が現れる。
「グゲッゲ、ンゴグガァ!!」
グレグは叫び、シンシアが傷ついたンガを支えて下がる。
「閉じろ、ジョシュア!」
「はい!」
痛む傷で震えながら、ジョシュアは決死の表情でマナを送り込み続けた。
ジョシュアを狙う鉱夫の攻撃を、オリバーの盾が防ぐ。
「も、もうもたない。頑張ってくれジョシュア……!」
ジョシュアの足元に、自らの血だまりが広がる。限界は近い。
チェ・サダは電撃で鉱夫をまとめて吹き飛ばす。ダレットはリザードマンたちを庇い、大剣で敵を薙ぎ倒した。
「う……ぐ」
激痛に堪えながらもジョシュアは念じると、最後の亀裂が縫い合わされた。
ついに、異界からの《ゲート》が閉じる。
黒い心臓が大きく収縮した。
ゴボッ。最後の黒い液体が流れ込むと、それきり、黒い心臓の脈動は止まった。
心臓が止まると同時に暗黒の鉱夫たちは動かなくなり、その場に崩れたかと思うと、パサッという音と共に黒煙となって崩れていく。
坑道を満たしていた汚染も、潮が引くように消えていった。
ジョシュアは膝をついた。
「あ……お、終わり、ました……」
そのまま倒れる身体を、ダレットが抱き止めた。
「馬鹿野郎」
「皆さんは……」
「全員いる」
「グレグさんと、ンガさんも……」
「生きてる」
「よかった……」
そこで、ジョシュアは悲壮な表情を少し緩め、意識を失った。
*
黒い心臓は拳ほどの大きさまで縮み、漆黒の宝珠へ変わった。
「これは……」
チェ・サダが幾重にも術式を重ね、封印箱へ収める。
「マズそうなのが生み出されましたね… これは王都の魔術院で鑑定しないといけないと思います」
「こいつはいったい……何なんだ」
「分かりません。私の手には負えません。持ち帰ります」
チェ・サダは、深刻な表情で漆黒の宝珠を見つめると、黒い光を閉じ込めた箱を見つめた。
「ダレット。北部遺跡の件と、無関係とは思えません」
「僕もそう思います……」ジョシュアはシンシアに治療を受けていた。ただでさえ白い顔がますます青白い。「何かが、起きています」
「……根拠は」
チェ・サダは、身体を寄せ合うリザードマンたちを見ながら言った。
「ありません。ただ、十年前に開いた小さな傷が、なぜ今年になって急に広がったのか。誰かが、開ける方法を試したように見えます」
ダレットは答えなかった。
崩れた鉱夫たちの残した作業着から、男爵家の紋章を三つ拾い上げ、懐へ入れる。
「まずは、女王さまに報告しよう……話はそれからだ」
*
撤収の途中、ンガが立ち止まった。
弟のリザードマンは、崩れた鉱夫の一人が落とした古い水筒を拾い、しばらく見ていた。
「どうしました」ジョシュアを背負ったダレットが振り返る。
ンガは、兄を見た。
グレグが、初めて長く言葉を継いだ。
「この者たち、我らの敵、思っていた」
ンガが水筒を置き直す。
立てて、坑道の壁際に。まるで、リザードマンなりに鎮魂するかのようだった。
「敵、違った」
リザードマンのふたりは、徐々に動きが鈍くなっていく。
《ゲート》が閉じ、水温が下がっていくと、空気も冷たくなる。
猛烈な眠気が、リザードマンの二人を襲っていた。




