幕切れの宴
フォルトゥナ公爵邸の使用人たちによる送別の宴は、公爵邸のホールで行われた。かつて夜の乙女のためのバンケットが催されたホールには、再び煌々と明かりが灯されていた。
主人を再び失うことになる彼らの表情は明るかった。おそらく真理愛を不安にさせないための気遣いだと思われたが、真理愛はそれを素直に受け取った。
食べきれないほどの料理と飲み切れないほどの酒が用意され、音楽を奏で、歌を歌い、踊って、他愛ない話をした。
「閣下とお嬢さんを送り届けた後、すぐに公爵邸へ追い返されましてね。こっちに戻ったら閣下が亡くなったと聞いて仰天して、今度は急に空が明るくなってまた仰天して、みんなでどうしようって話してたらなんだか眠くなって寝て、すんごい良い夢見て起きたら世界が元通りで、死んだはずの閣下がお嬢さんを抱えて戻ってきてまたまた仰天、って感じでしたねえ」
バルドが怪しい呂律で説明をすると、方々から同意の声が上がった。
「年寄りですから長く眠るのが難しいのですが、あんなにぐっすりと長く眠れたのは百年以上ぶりでございました。私も寝ている時にすごく良い夢を見ましたなあ。様々なひとの結婚式に参列しておりました、古い友人たち、自分の娘、それからクラウディオ様の式だったと思います」
ワインを片手に真っ赤になっているルーベンが幸福そうな表情で語った。
「私は白夜が訪れて食料の備蓄がいつまで持つか気をもんでいたせいか、夢では無尽蔵の食糧庫におりましたね。みんなで手分けして料理を作って運んで、最後には今みたいな宴会をしていました。ああ、現実になって本当によかった!」
カーラがグラスを掲げると、他の吸血鬼たちもグラスを掲げ、今日何度目になるかわからない乾杯の声が上がった。
真理愛は一人だけ葡萄ジュースを飲んでいたが、吸血鬼たちはみなワインを飲んでいて、屋敷の酒蔵を空にする勢いで酒を飲んでいた。
「お嬢さん、帰ってしまわれるんですよね」
半分以上の吸血鬼たちが酔いつぶれてきた頃、バルドがしみじみと言った。
「俺はねえ、何もかもがうまくいって、お嬢さんと閣下が結婚するんじゃないかって、心のどっかでそんな夢物語みたいなことを考えてたんですよ。だが、閣下は殺されてしまうし、何でか蘇って白夜を引き起こしたとか言われてるし……。俺はねえ、悔しいですよ。屋敷の連中は本当の閣下を知ってますが、外の連中はそうじゃない。白夜公はやっぱり怪物だったんだって、悪い怪物が倒されてよかったって、そう言ってるんです」
バルドが深くため息を吐いて、グラスのワインを呷った。
「でもね、本当に悔しいのは、俺たちも閣下が白夜を起こしたと知って、ああやっぱりと思っちまったことですよ。これまで閣下に良くしてもらってきたのに、本当に、本当に酷いことだ。閣下は、クラウディオ様はまだ幼いのに、あんな子どもだったのに……」
バルドの手から空のグラスが落ちて、テーブルの上を転がった。真理愛はグラスが落ちないようにテーブルの隙間に置き直した。
バルドが寝息を立て始めると、ホールは途端に静かになった。すでに半分以上の吸血鬼たちが寝ており、残りも目を開けているだけで意識が途絶える手前のように見えた。
「お嬢様」
眠そうに目を擦りつつ、ルーベンが言った。
「あなた様のための宴だったのに、こんな幕切れで申し訳ないことでございます。皆が目覚めたら出立されますか、それとも眠っている間に?」
「皆さんが起きたら出発します。だから、またゆっくり休まれてください」
「お気遣い痛み入ります。そうだ、クラウディオ様は、おそらく執務室にいらっしゃると思います。出て行かれる前に片づけをすると仰っていましたので、邪魔をして差し上げてください」
ルーベンが優しく微笑んで、目を瞑った。
真理愛はホールを出て、執務室へと向かった。屋敷の中は寒々しいほど静かだった。
執務室の扉をそっと開けると、光が漏れてきた。音を立てないように開けたつもりだったが、覗き込んだ瞬間にクラウディオと目が合った。彼は執務机に向かって書類の整理をしていたが、真理愛に気づくと書類を置いて立ち上がった。
「宴の最中だろう、こんなところで何をしている?」
「皆さん眠ってしまったので、抜け出して会いに来ました」
「部屋に入るな」
きつい口調で言われて、真理愛は竦み上がった。クラウディオも苦しそうな顔をしていた。
「頼むからそれ以上私に近づかないでくれ、危険なのが分かっていてなぜ私の言うことを聞かない?」
真理愛は後ろ手で扉を閉めた。クラウディオが眉間に皺をよせ、一歩下がった。
「話をしたいからです。お礼も謝罪も、言いたいことも、私まだ何も言えていません」
真理愛はゆっくりとクラウディオと距離を詰めた。彼もじりじり後退したが、とうとう壁際に追い込まれた。真理愛は顔を背けているクラウディオを下からのぞき込んだ。
「ちょっとくらい齧ってもいいですから、どうか話をさせてください。お願いします」
「……齧って、それで終われる保障がどこにある? あなたは考えもしないのか、私の頭の中であなたをすでに食い殺す算段がついているかもしれないと」
クラウディオが一歩踏み出したので、真理愛はぶつからないよう慌てて後退し、執務机にぶつかった。追い詰め返したクラウディオの手が真理愛の腿の裏を撫でて、耳元で囁いた。
「まずは手始めに全身の血を飲み干して、柔らかい部位から味わって、骨の近くは肉をあらかた食べてから、最後は心臓にかじりついて……」
真理愛の真っ赤になっていく顔を見て、クラウディオはぱっと真理愛から手を離した。
「なぜ赤くなる、そこは青ざめるところだろう。ああもう、ひとの気も知らないで、あなたという人はまったく……」
「すみません……」
クラウディオは壁に背を預けたままずるずると座り込んだ。真理愛もその隣に座った。
「少しだけだ、話をするだけならいい」
「ありがとうございます」
そっぽを向くクラウディオのうなじには、短くなった髪がかかっていた。
「こんな時にもお仕事されてたんですか?」
「後始末だ。誰が公爵の地位を継いでくれるかは不明だが、余計な書類や私物は処分しておかねばならないからね。あなたが大地を回復してくれたおかげで崩落難民問題が解決したから、頭の痛い問題の一つは減ることだろう。全く羨ましいことだ」
クラウディオは床に落ちていた書類を手に取り、内容を確認して不要なものだと判断したのか、びりびりと破いて屑籠に入れた。
「お互い髪が短くなってしまいましたね」
「ああ、そうだね。神とは本当に酷いことをする。あんなにも美しい髪だったのに、勝手に切って奪うだなんて……」
「ショックでしたけど、もういいんです。親の言いつけで伸ばしていただけで、一度くらい短くしてみたいと思っていたんです。クラウディオさんの髪も死を偽装するために切られてしまって、殿下の行いはつくづくどうかと思います」
「いいんだ、死ぬことができる確証もないのにまた殺されるよりましさ。それに、私もあなたと似たようなものだ。離れで暮らしていた時は髪を切る習慣がなくて、公爵になってからは威厳のために切らずにいただけ。軽くなってせいせいしたよ」
二人でくすくすと笑って、重い沈黙が降りた。クラウディオは相変わらずこちらに顔を向けなかったが、どんな顔をしているか手に取るようにわかった。
「クラウディオさんはこれからどうされるんですか?」
「どうするも何も、私は追放される身だ。この国から出て行く。あなたを元の世界へ送り届けたらすぐに」
「その後、どこに行くんですか?」
「さあ、あの魔法使いのように最果ての闇に消えようか。それでこの身がどうなるかはわからないが、他に行く場所などないからね。吸血鬼たちを脅かすことができないように、怪物に相応しい場所へ沈むさ」
「……私との約束、守って下さらないんですか」
ようやくクラウディオがこちらを見た。彼は荒んだ瞳をしていた。その瞳がすでに全てを諦めた後だと物語っていた。
「忘れるんだ、そんな約束。約束は義務ではない。守られない約束もある。吸血鬼たちが私が本当は何をしようとしたのか知らなかったとしても、私が罪人であることに変わりはない」
「でも、クラウディオさんは誰も殺していません。私が止めたから」
「だが、あなたは代償を払わされた。あなたにとって私は過去だ、そんなものに縛られてはいけない。あなたは私のことに責任を感じる必要はない、何もかもあなたのせいではないよ」
真理愛は俯いた。どう説明していいか、良い案が思いつかなかったからだ。
「あの、クラウディオさん。すこしの間、目を閉じていてもらえませんか?」
「急にどうしたんだい?」
クラウディオは目を瞬いていたが、真理愛の言う通り目を閉じた。赤い目が隠されてしまうと、彼は雪像のようだった。蝋燭の火が彼を優しいオレンジ色に染めていた。
真理愛は呼吸を止めて、ゆっくりと目を閉じて、唇を重ねた。離れて、目を開けると、クラウディオが呼吸も忘れて硬直していた。
「わかってもらえましたか……?」




