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めでたしめでたし

「こうして夜の乙女によって再び闇は取り戻され、夜の国に平和が訪れましたとさ、おしまい。ということだね」


 聖域での出来事を聞き終えたエヴァルドは、小馬鹿にしたように言って、熱そうなお茶を飲んだ。彼は氷漬けの後遺症が治っていないらしく、見ているだけで体温が上がりそうなほど厚着をしていた。


 エヴァルド以外の吸血鬼はベッドで眠っていただけなのでこれといった後遺症はなく、クラウディオが魔法を解いた後はほどなく目を覚まし、日常へと戻っていた。


 世界の殻に入った亀裂もすっかり元に戻り、世界は暗黒に包まれ、星や月が輝く夜空が戻っていた。


「御伽噺のように君と一緒に世界を救えなくて残念だよ」


 まるで気持ちの入っていない言葉に、真理愛まりあは引きつった笑みで答えた。彼に対する恐怖心はほとんどなくなっていたが、高熱が引いたばかりで言い返すほどの体力がなかった。


 聖域を脱出して気絶した後、クラウディオが真理愛をフォルトゥナ公爵邸へと連れ帰った。真理愛は高熱を出して丸一日寝こんでいたが、目を覚ますとクラウディオに聖域での出来事を説明した。そして、その翌日にはエヴァルドが真理愛がフォルトゥナ公爵邸にいると聞きつけて訪ねてきたのだった。


「どっちかというと世界を滅ぼしたい側の男が何言ってんだい」


 ずけずけと言ったのはディアマンテだった。


 ディアマンテは吸血鬼たちが目覚めたことで地上から追い出された。だが、真理愛が事の顛末を語る条件としてディアマンテの追放刑を終わらせることをエヴァルドに要求したので、彼女は地上へ戻ってくることができたのだった。


「滅ぼしたいとは思っていないよ、王子たる俺が国の滅びを望むなんてあり得ないことだ」


 ディアマンテとエヴァルドが出会ったのは先ほどのことだったが、すでに忌憚ない意見を言い合える関係になっていた。


「口ではそう言っても、行動はそれを示してるじゃないか。退屈しのぎだって言い訳も怪しいもんだね。災厄の兆しと呼ばれた奴をけしかければ何が起こるか想像がつかなかった訳がない」

「しかし、滅びの定めは破られるのが定め。今回のようにね。世界が滅びかけただけの利益はあった。王の罪は暴かれ、怪物は倒され、神が降誕し、天国が生まれた。俺にとってはこれが何よりの報酬だけどね」


 言って、エヴァルドは手にした銀のナイフに目を落とした。ナイフは蝋燭の火の光を受けて怪しく赤く光っていた。


 真理愛のじとっとした視線を受けて、エヴァルドは肩をすくめた。


「悪用はしないよ、隣にはその気になればこれを消せる魔法使いがいるからね。それに普通の吸血鬼はそもそも銀でなくてもナイフで刺されれば怪我もするし死にもする。だが、古の吸血鬼はそうではないから、これまでは手をこまねくしかなかったんだ」


 エヴァルドは残虐な笑みを浮かべた。こんな男と何も知らずに結婚していたらと思うとぞっとした。彼の笑顔を見ていられなくなり、真理愛は話題を変えた。


「神殿を建てると勝手に約束をしてしまった件については申し訳ありません」

「別に構わない。夜の国の神なのだから、夜の国が負って然るべき義務だ。むしろ争いの種になりそうなものでなくて助かったよ。しかし、兄、兄か……」


 エヴァルドは柳眉をひそめた。千年以上生きて急に自称兄の神が現れたことには、さすがの真理愛も同情を禁じ得なかった。


「俺も遠からず聖域に立ち入って神に会わなくてはいけないだろう。真理愛、君は聖域から脱出するのは困難を極めたと言っていたが、その理由を詳しく教えてほしい。神はどんな条件を出してきた?」

「あたしもそこが気になるね。かつて闇から抜け出すためには行きたいと思う方角とは全く逆を進まなくては脱出できない意地の悪い性質になっていたもんだが、天国はどうなっていた?」


 それは先ほど話さないわけにはいかないと理解しつつも恥ずかしくて濁した部分だった。真理愛はもじもじしながら言った。


「帰りたい理由を貰うと言われて、髪を切られました。それで、帰りたい理由というのは、クラウディオさんを好きという気持ちで……。と、とにかく、もう駄目だと思ったときに踏み止まれる理由を奪われる可能性があります、聖域へ行かれるならお気を付けください」


 真理愛は生温かい視線を感じながらお茶を飲んだ。苺の甘い香りのする紅茶の味はよくわからなかった。


「なるほど、だからクラウディオは君から距離を取っているわけだ。吸血鬼は人間との恋が叶わないと相手を食い殺してしまう。奴はそれが迷信ではないと知っているからね。それから君も」


 真理愛がびくりと反応すると、エヴァルドはにやっと笑った。


「やはりそうか。俺への態度がやけに刺々しいと思っていたよ。クラウディオが君に余計な話を吹き込んだんだね」


 ゆるく弧を描く赤い唇を見て、真理愛はぞっとした。ディアマンテはごみを見るような目でエヴァルドを見ていた。


「本当にこっちへ戻っていいのか悩んでいたが、あんたに仕えることは私に相応しい罰になりそうで安心したよ」

「それは何よりだ。国王裁判、元老院の古株の処刑、それから神への供儀、どれもこれもあなたの手を借りる必要があるから、たっぷり働いてもらうよ」


 ディアマンテはふんと鼻を鳴らした。


「真理愛、君には褒美を取らせよう。何か欲しいものはある?」

「その前に、クラウディオさんの今後の処遇について教えてください」

「それはすでに決まっているよ」


 エヴァルドが手を上げると、壁際で控えていたディーノが持っていた箱を開いて真理愛に見せた。中には長い白髪の束が入っていた。


「奴は怪物として蘇り、俺に殺された。これは奴を殺した証拠だ。公爵領も別の者に治めさせる。それが国民に対する表向きの説明だ。実際には、奴をこの国から追放処分とする。王国の民を全て安楽死させようとした虐殺ジェノサイドの罪で処刑したいところだが、また蘇ってこられても困るからね」


 真理愛はそうですか、と努めて冷静に言って、蓋を閉めた。ディーノが鍵を閉めてすぐに後ろに下がった。


「褒美は決めました。殿下、婚約を解消させてください。私は元の世界に帰ります」


 エヴァルドは一瞬ぽかんとした後、大声で笑った。


「世界を救った褒美に要求するのがたったそれだけか! 慎ましいにもほどがあるね。だけど、いいだろう、承諾するよ。婚約指輪は返してもらいたかったが、もしかして捨てたか?」


 真理愛はさっと青ざめた。指輪はエヴァルドから貰ったものとはいえ、粗末にするつもりはなかった。指輪はクラウディオに元の世界に戻されたときに消えたので、どこにあるかさっぱりわからない。


「失くしたならそれでいい、気にしないでくれ」

「もしかして大事なものでしたか?」

「あれは母の遺品の一つだった。だが、俺から君への仕打ちを考えれば、取るに足らない意趣返しだよ」


 なおも青ざめている真理愛を、エヴァルドはまた笑った。今日の彼はご機嫌なようで、本当によく笑っていた。


「君はつくづく復讐には向かないらしい。指輪のことはもういい。それより婚約破棄だけでは不十分だから、恩賞として金貨をあげよう。君の世界でも金は価値あるものだろう?」


 再び前に出たディーノが真理愛の前に重厚な造りの箱を置いた。置かれた時に中でちゃらちゃらと金属がこすれ合う音がして、別の意味で血の気が引いた。


 受け取るべきか悩んでいると、ディアマンテが背中をばしばし叩きながら言った。


「貰っておきな。あんたには先立つものが必要になるんだからさ」


 婉曲な言い回しだったが、ディアマンテの言わんとしていることは理解できた。真理愛はまたもじもじしながら頷いた。


 エヴァルドたちを見送る時になって、クラウディオがどこからともなく現れた。彼は真理愛と目も合わせなかったし、距離を取ってエヴァルドと事務的なことを話し合っていた。


「ディアマンテさん、色々とありがとうございました。あなたがいなかったら今頃どうなっていたかわかりません。勝手に呼び戻して殿下に仕えることになったのは、本当に申し訳なく思っています」

「いいんだよ、また闇の中で無為に時を過ごすより、地上で自分の罪を清算するべきなんだ。こっちこそ色々と苦労をかけたが、あんたは本当によくやってくれた。あんたに会えて本当によかったよ、ありがとうね」


 真理愛はディアマンテと抱擁を交わした。ディアマンテからは何とも言えない優しい匂いがして、見知らぬ吸血鬼の家で過ごした時間を思い出させてくれた。


 真理愛がディアマンテとの別れの挨拶を終えると、エヴァルドが近づいてきた。挨拶をするのかと思ったが、エヴァルドが耳元に顔を寄せてきたのでびくついた。


「最後に一つ教えてほしい。聖域で見たという最初の夜の乙女について。伽藍洞がらんどうではない彼女は、どんな人だった?」


 エヴァルドは真理愛だけに聞こえるひそひそ声で、まるで懇願するように問うた。


 漂うかすかな林檎の香りが、彼が彼女を食べた事実を鮮明に教えてくれる。そして、恋に破れた事実も。


「教えてあげません、あなたには」


 真理愛はささやかな復讐をした。気分は晴れなかった。むしろ胸に棘が刺さったような痛みを感じた。


 笑った吐息が耳にかかって、エヴァルドが真理愛から離れた。


「さようなら、最後の夜の乙女。君の男が俺の二の舞を演じないよう、ゆめゆめ気を付けることだ」


 真理愛はエヴァルドたちを乗せた馬車が見えなくなるまで見送った。クラウディオも一緒に見送っていたが、馬車が見えなくなるとさっさと踵を返して屋敷の中へ戻ろうとした。


「クラウディオさん、待ってください。話をさせてください」


 熱が引いて聖域でのことを全て話してからというもの、クラウディオは目覚めた屋敷の吸血鬼たちに真理愛の世話を任せ、真理愛の前に一切姿を現さなくなっていた。


 クラウディオは首だけでこちらを振り返った。その赤い瞳の瞳孔は円形に戻っていたが、あまりの眼光の鋭さに真理愛は立ちすくんだ。


「私に近づかないでくれ、あなたを殺したくない。聖域で失ったものに対する弁明は不要だ。あなたは生きて戻るために力を尽くした、ただそれだけだ。心配しなくても今日の宴が終わればあなたを元の世界へ帰す」

「待ってください、お願いですから」


 クラウディオは真理愛の制止も聞かずに屋敷の中へ入っていった。真理愛はすぐにその後を追いかけたが、彼の姿は煙のように消えていた。屋敷の中には料理の良い香りが漂っていた。


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