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二つの貌

 叶えてほしいお願いがあると言い切ったものの、真理愛まりあはまだ願い事を思いついていなかったことに気づいた。冷や汗をかきそうなほどの焦りを悟らせてなるものかと、カイルスを見つめる視線を絶対に揺らさなかった。


「お姉ちゃんのお願いを叶えたら、お母さんに会えるの? でも、僕にそんなことできるかな……?」


 カイルスは不安げではあったが、同時に期待に胸を膨らませているのがわかった。


「きっとできるよ。あなたは本当は空の上の天国にいるべき神様だから。あなたにはお母さんがつけてくれた名前以外にも名前があるの。思い出せる?」


 真理愛はカイルスの神としての名を口にした。その名前は美しい異国の詩のような響きがあった。音が唇をすり抜けてカイルスに届いた時、手ごたえを感じた。


「その名前、覚えてる……。ずっと昔に贈り物を受け取った時に、彼らが僕をそう呼んだ……」


 神殿が塵となって消え去り、気付けば砂浜に立っていた。聖域に入った時に漂着していた砂浜だ。ざあざあと風と波の音がしたが、それ以外の音はしなかった。


 再びカイルスを見ると、彼の瞳は静寂を湛えており、それは嵐の前の静けさに似ていた。


 彼は神聖なものとしてそこに在った。神には名前の数だけのかおがある。今、呼びかけによって彼は天の主としての貌を引き出されていた。


「僕への贈り物は奪われてしまった。僕がそう在るための契約は破られ、その名は忘れ去られてしまった。本来僕が受け取るべきだった吸血鬼たちの数多の供物や祈りもまた、失われてしまった。何もかも吸血鬼たちの王が僕に不義のせいだ。僕は贈り物をもらう権利があるのだ、今度こそ! 吸血鬼共が送りつけてくる人間の魂はもういらない。吸血鬼の王を寄越せ、この手で八つ裂きにしたい。そしてあの国を滅ぼしてやろう……」


 ぴし、ぴし、と何かが弾ける音がした。カイルスの肌に赤い鱗が現れ、爪は鉤爪のように鋭く、むき出しの牙は吸血鬼のそれより鋭く大きくなっていた。


 海の向こうの空で暗雲が垂れ込め、時折り遠雷が光った。波も風も、激しい音と共に強くうねる。


「て、天に、在るべき貴神へ捧げる供物として、それは相応しくありません。貴神には血や復讐など、相応しいはずがありません」


 凍り付くような沈黙が訪れ、真理愛は生きた心地がしなかった。しかし、次の瞬間には荒波や強風が嘘のように消え、カイルスは不貞腐れたように砂浜に座って膝を抱えたので、真理愛は目が点になった。


「じゃあ何にもいらない! 神様もやめる!」


 それからまためそめそ泣き始めたので、真理愛は呆然としてしまった。


 不安定などというレベルではない。彼は二つの貌を反復横跳びしている状態だ。


 真理愛は気合を入れ直し、カイルスの隣に座った。彼のペースに合わせていては埒が明かないし、交渉が成立する気がしなかった。だが、誘導がうまくいけば、カイルスの願いも真理愛の願いも全てが叶うかもしれない。


 カイルス君、とあえて神ではない名前を呼んだ。


「冷たい言い方をしてごめんね。でも、あなたはどんな場所より美しい天国の主になる神様だから、そんなことしないでほしいと思ったんだ」


 カイルスは腕で涙をぬぐい、こくりと頷いた。


「でも、他に欲しいものなんてないよ。自分が何かもよくわからないのに、相応しいものなんてもっとわからない。お姉ちゃんは何だと思う……?」


 真理愛は必死で考え始めた。どうやって回答を回避するかばかり考えていたので、神に相応しい贈り物についてはほとんど考えてこなかった。


「て、天国にあったら嬉しいものがいいよね。それで、神様に相応しいくらい壮大で、綺麗で……」


 言いながら、真理愛は頭の中で明確な天国のイメージが持てていないことに気が付いた。吸血鬼たちの天国、それがどんな場所なのか想像がつかない。聖域に入ってからカイルスの現れた神殿に辿り着くまでに見た光景はどこもうら寂しいもので、天国らしくはなかった。


「カイルス君は、天国をどんなところにしたい? 今のこの世界は、カイルス君が願ったものなの?」

「え……? 僕がこの世界を好きにできるってこと? そんなこと、できるの?」

「できるよ、あなたは神様なんだよ。この世界はあなたのもの、不可能なんてない」


 真理愛は本気でそう言った自分に驚いていた。だが、疑う気持ちは一切なかった。


 うーんと唸りながら、カイルスはその辺に落ちていた木の枝で砂浜に線を引き始めた。その手つきには、案外ためらいはなかった。


「考えてもみなかった。ここは寂しい場所で、そういうものなんだと思っていた。どんな場所より素敵な場所で、いっぱいひとが来るなら……、まずはたくさんのお家が必要で、でもそれだけだとつまんないから遊ぶところとか、みんなでゆっくり過ごせる場所とかも必要かなあ。夜の国はとっても暗いんでしょ? 吸血鬼たちも死んだあとなら明るい場所で過ごせるかな? もしそうなら、お花畑があるといいな」

「お花畑かあ、いいね。そういえば、夜の国には海もないから、こういう砂浜が広がってたら喜んでもらえるかも」

「ええ、海もないの!? 下の世界ってなんもないじゃん! 可哀そうだなあ。日向ぼっこできる丘とかいっぱい作ってあげよ、あと川とか森とか、雪山もいいかも」


 カイルスはがりがりと砂浜に絵を描いていく。それは拙い絵であるのに不思議と心惹かれるものがあって、真理愛も気づけば見入っていた。


 いつの間にか周囲が明るくなっていることに気づいて空を見上げた。灰色だった空は青く、太陽が頂点で輝いていた。それから後ろを見て、さらにぎょっとする。砂浜の向こうには、カイルスが描いた通りの壮大な景色が広がっていた。


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