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打ち捨てられた神殿

 足の裏がくすぐられる感覚があり、真理愛まりあははっと目を覚ました。慌てて体を起こして足元を見ると、打ち寄せる波がちょうど足の裏に当たっていた。


 夜の国にないはずの海が、目の前に広がっていた。ディアマンテの策は成功したのだ、ここが聖域だ。


 真理愛は意識が途絶える前のことを思い出し、薄暗い渚でしばらく呆然としていた。


 どこかへ飛ばされてしまったディアマンテや、怪我を負わせてしまったクラウディオのことについて、とめどなく思いを馳せた。


 だが、体が軽いことに違和感を覚え、鞄を持っていないことに気づいた。周囲を見回すと、離れたところに打ち寄せられている鞄や靴が落ちているのが見えた。


 走って鞄を波から引き上げ、中身を確認する。一番上に入れていた祭壇を綺麗にするための布は濡れていたが、下に入っていたものは全て無事だった。ディアマンテが魔法をかけた小瓶の中の火種もちろちろと燃え続けていた。


「ああ、よかった」


 真理愛は濡れた布だけ取り出し、水気をぎゅっと絞ってから鞄に戻した。手からはかすかに潮の香りがした。


 鞄を肩にかけ直し、濡れた靴を回収して、改めて周囲の様子を確認する。渚には真理愛の他に誰もおらず、海と思しきものの向こうは闇しか見えない。空を見上げても真っ暗で、光源も見当たらなかった。


「これでどうして物が見えるんだろう……?」


 そう独り言ちたが、答える者もいないし、答えなどなかった。ただ聖域はそういうものだと受け入れるしかなかった。


 真理愛は裸足のまま浜辺を歩いて、海から離れていった。やがて足元が砂から草へ変わり、なだらかな丘の上にいた。真理愛は驚いて足を止めて、後ろを振り返った。そこに海や浜辺はなく、ただただ草むらが広がっていた。


 徐々に恐ろしくなってきて呼吸が浅くなり、鞄の紐をぎゅっと握ってどうにか呼吸を整えた。こんな場所まで来て、怖いからなんて理由で立ち止まるわけにはいかなかった。立ち止まってしまう方がもっと恐ろしいのだ。


 深呼吸をして、前を向いた。霧もないのに不思議と丘の向こうを見渡すことはできなかったが、真理愛は再び歩き出した。何の手掛かりもなく祭壇を探さなくてはいけないので、そうするしかなかった。


 歩き続けていると、周囲の様子は次々と変化した。その度に足が止まりそうになったが、ひたすらに耐えた。


 そこは森になり、岩場になり、川辺になり、ふたたび浜辺になり、それから建物の中になり、いつのまにか瓦礫の上だった。真理愛は瓦礫の上をそのまま歩き去ろうとしたが、岩の一つに人為的に刻まれた文字と思しき記号が見えて足を止めた。崩れて風化してぼやけてしまっているが、あれは自然にできる凹凸ではない。


 周囲は瓦礫だらけだったが、元は建物だったと見て取れた。瓦礫は白っぽい大理石の欠片で、彩色の跡があるものもあった。


 祭壇は通常神殿の外にあると教えられていたので、神殿の外と思しき場所へ向かい、鞄を比較的平らな場所に置いてから、祭壇を探し始めた。


 瓦礫はどれも両手で持てるほどの大きさだったので、どうにか一つずつ移動させていった。


 汗だくになりながら作業していると、床と思しき平らで大きな岩が見えてきた。くたびれてきた真理愛はそこで一度座り込んだ。


 水が飲みたいと思ったが、唾を飲み込んで我慢した。


 ギリシャ神話のペルセポネはハデスの勧めで冥界の柘榴を口にして冥界に留まらなくてはならなかったという話がある。日本神話にも黄泉戸喫よもつへぐいという言葉があり、あの世の物を口にすると戻れなくなるとされている。自分が持ち込んだものにせよ、この世界のものにせよ、何かを口にするのはリスクが高かった。


 体力が回復してきた真理愛は、立ち上がって瓦礫の撤去を再開した。手の平の皮膚があちこち切れてずきずきと痛み、いつまでも終わらない作業に気が遠くなりかけたころ、ようやく祭壇と思しき石の台を探し当てた。真理愛は疲れも忘れて祭壇の周りの瓦礫を全て退かした。


 祭壇は小さな石のテーブルで、あちこち欠けが見られたものの、上面の捧げものを置く部分や側面の浮彫彫刻はほとんど無事だった。


 まず、真理愛は首に巻いていたヴェールで顔を隠した。これはディアマンテから厳命されたことの一つだった。


 砂だらけの祭壇の上を綺麗に掃除して、くぼみに少し砕けてしまった捧げものの菓子を置いて、火を点けた。甘い匂いが漂い、すぐに焦げ臭くなった。風もないので煙は一本の白い糸のように立ち上っていく。


 ここまでは全てディアマンテに言われた通りの手順で行うことができていた。儀式を一つでも間違えたら最初からやり直すように口酸っぱく言いつけられていたので、すこしほっとした。


 煙を見守っていると、周囲がぞっとするほど静かである事にようやく気が付いた。不吉な音がした場合には、儀式をやめなくてはいけないサインだと言われていた。


 どうか嫌な音が鳴りませんようにと願いつつ、真理愛は音を立てずに息を吸い込み、神の名を口にした。それは文字によって書き表すことができない音の連なりだった。それから暗い天に向けて祈った。


「私は貴神ににえをお捧げいたします。貴神が私に望むものをお授け下さいますようお願い奉ります」


 天に向けての祈祷が終わると、再び静けさが押し寄せてくる。放棄されているようにしか見えないこの神殿で、果たしてこの贄と祈りを受け取る神がいるのか、不安が頭の中で増していく。


 煙は蜘蛛の糸ほどの細さになり、やがて消えた。


 何も起こらなかった。変化の兆候も感じ取れなかった。


 こめかみに汗が浮かんでいるのが感じられた。それから、息ができないことに気が付く。手も足も、少しも動かせない。何故、と脳だけは働かせることができた。


 何も変わっていないようで確実に何かが変わっている。つまり、神がこの場に来臨しているのだ。


 動かせない目が、ヴェールの向こうに揺らぐ何かをとらえた。すっかり崩れ去った神殿に神の姿を象った石像が鎮座していた。だが、すぐに何もなくなった。だが、別のものが在った。


 それは赤い瞳をしていた。人の姿をしていた。少年とも少女ともつかない子どもだった。


 彼/彼女に威厳はなく、どうしてここに居るのかさえ分からないといった顔をしていた。


 それは神と呼称するにはあまりに幼気いたいけで、無垢で、脆弱で、故に何者にも冒しがたい絶対の神聖さを湛えていた。


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