小賢しい子供
「もううんざりだ! 君との婚約は破棄させてもらう!」
グラシア学園の大広間、通りかかる大勢の生徒の中でレイリンは声を荒げる。
それは絶叫と呼ぶ声に等しく、多くの人が足を止める。
だけど、誰も彼らの傍には寄って来ない。
その叫びを受けるアメリアは一人孤立し、茫然として様子となっていた。
茫然とする他なかった。
なにせ、さっきまでそんな会話の空気ではなかったのだから
これが何時もの様に、アメリアが余計な事を言ったり叱責している最中の逆切れだったらアメリアも百歩譲って理解する。
その場合、きっと対抗し逆切れし返したであろう。
だが、そうじゃあない。
ただの挨拶という日常の会話の範疇。
婚約者としてはあまりにも距離を感じる程の些細な世間話の途中、いきなり声を荒げて来られたのだ。
あまりの展開について行けず茫然とする他なかった。
その様子を見て、レイリンは更に追撃をかける。
「いつもいつも君は人の事を奴隷の様に……」
「そんなつもりは御座いませんわ! 私は……」
「何がそんなつもりはないだ。無礼者が! どれだけ俺が我慢したと思っている! 君みたいな傲慢な相手をするのがどれだけ苦痛か……」
淡々と、それでいてしみじみとレイリンはそう言葉にしていく。
それに伴い、徐々にアメリアも現状を理解出来て来た。
現在、自分達が……いや、捨てられる自分が見世物にされていると。
そう思うと、羞恥と怒りで顔が熱くなってきた。
「何が『教えてあげますわ』だ! 貴様の様な我儘娘の相手など二度としたくないわ!」
「なっ!? こっちこそ、遊ぶだけに学園にいらした自覚なき皇子など御免ですわ! 二度と私の前に出てこないで頂戴!」
そう叫び、アメリアは逃げる様にその場を去って行く。
完全に売り言葉に買い言葉となってしまった。
これは学園に通う生徒達にとっては一大ニュースであり、どんな娯楽よりも興味を引く場面であった。
しばらく、この話題で持ち切りになる程。
そう……彼ら学生にとってこの大事件はただのニュース止まり。
それがどういう事で、何が起きるのかわかる者は誰もいない。
誰がどういう思惑で、どんな罠をしかけたかなんてのは。
レイリンが最後、アメリアのヒステリーを聞いて、ニヤッと笑ったのを見た物さえ、誰もいなかった。
ヴォルフは報告を耳にして、頭を抱えた。
「あまりにも……あまりにも幼稚過ぎる……」
アメリアは、まあ、当然だ。
売り言葉に買い言葉、腹が立てば何でも言ってしまうのだから。
教育の失敗と言っても間違いはない。
だけどレイリンの方は別である。
皇族という立場からのその言葉の重みは、誰よりも理解しなければならない。
それなのにその行動は、あまりにもお粗末すぎた。
皇位継承権というのは持っているだけでステータスであるのと同時に、持っているだけで多くの厄災を招くトラブルメイカーでもある。
そんな物を持ってこれまで生きて来たのなら、わからない訳がないはずなのだ。
自分達でそんな勝手をする権利などないという事位……。
婚約破棄するなという訳ではない。
そこまで人権軽視な考え方をヴォルフはしていない。
ただ単純に、その場で勝手に決めるなというだけの話である。
なにせこれは本人以上に両家の問題であるのだから。
本気で別れたかったのならもっと良い方法が幾らでもあったはずだ。
そもそも、まずは親に相談すれば良い。
アメリアの評判は元から悪い物であるのだから親だって納得するし、その方法でなら学園でだって多くがレイリンに同情したであろう。
だというのに……。
この破談は、両者にとってあまりにも失う物が多すぎる。
それこそ、こちらとしても場合によっては侯爵家として皇族に直訴しなければならない可能性さえ残されている程に。
逆に皇族として公爵家に謝罪と賠償を申し出なければならない状況になる可能性も残っている。
要するに、どちらの家も面子が潰されかかってしまったという事である。
面子が命より重いというのははるか古代、人類が船を手にする前から変わらない数少ない人類が理解する心理の一つであった。
ヴォルフは静かに、最も穏便に終わる方法を考える。
今回の場合はあちら側、レイリンがアメリアの名誉を汚したという側面が強かった。
幾ら皇子とは言え未婚の令嬢を傷つけるというのは決して軽い事ではない。
とは言え、普段のアメリアの態度を考えればレイリンだけの罪というのは無理な相談である。
傲慢と呼ばれても決して否定出来ない。
それが違うという事がわかっているのは、ヴォルフ位だろう。
アメリアは傲慢な訳ではない。
ただ、我儘なだけなのだ。
それはそれで問題だからどうしようもない事なのだが……。
ヴォルフは相手の欲しい物とこちらの守りたい物も考えてみる。
こちらの最優先は、アメリアの名誉である。
なにせ嫁入り前の女性だ。
不名誉な噂が独り歩きする現状はあまりにも不味すぎる。
一方、あちらはあまり名誉に拘りがない。
皇族と言っても名前だけであり、むしろ名誉を捨て市政に混じった方が本人達もよほど楽な生活を送る事が出来る位だ。
向こうがこちらとの婚姻に対し求めていた物が単純に金銭である事からそれも確認出来る。
とは言え、あちらの目的は逆であったみたいだが。
あちら側の目的は多額の金銭と侯爵家との血縁を通じて継承権を引き上げる事。
今のレイリンではなく、レイリンの子孫の誰かが少しでも楽に出来る様未来の為に、家柄を残す為に婚姻したのだろう。
そうなると、落としどころとして考えればレイリンが公衆の面前で謝罪し、学園を退出。
そして後日婚約破棄の詫びとしてこちらが慰謝料を払う。
こちらが面子とアメリアの名誉を得て金銭を失う。
あちらが面子を捨て金銭と貴族との付き合いを得る。
これが、最も丸く収まる方法だろう。
「ヴォルフ。恐らく君は今、最も穏便に終わる方法を考えているんだと思います」
侯爵はぽつりと、何とも言えない曖昧な笑みを浮かべながらそう呟いた。
「……いえ、一従者である私が政に携わるつもりは……」
「良いんですよ。考えなしのあの子の代わりに君が考える事は私としても好ましい事です。あーですけど……恐らく君の目論見通りにはいかないと思います。どうも君は、二つ程とても大きな勘違いをしているみたいですからね」
「その勘違いとやらのご高説をお願いしても?」
「もちろんですよ。偉そうに知っている事をお話するのは老人の趣味ですから。まず一つ。君が思うよりも、皇子様は知略に富んでいますよ」
「この状況だとそうは思えませんが。では、もう一つは一体……」
「何、簡単な話です。君が思う以上に、皇子様は考えなしだという事ですよ」
「……矛盾している様に聞こえますが……」
「いや、そうではないんです。要するに、小賢しい大馬鹿野郎って事ですので。おっと、侮辱罪になりますからさっきのはオフレコでお願いしますね。さて、簡単に説明しましょう。これはね、最初から計画的な物だと私は考えています」
「計画的……ですか? 正直、どの辺りがですか?」
「婚姻関係を潰す事です。彼が認めさせたい相手はアメリアや私じゃない。親だったという事です」
「……ふむ。子供特有の病気ですか」
「みたいな物ですね。君はこれを両家の為穏便に解決させようと考えていた。でも、私はそれが駄目と言った。何故かわかりますか?」
「いえ。わかりません」
「何度も言いますが、これが全部計画的な行動だからですよ。きっとこうなっているはずです。偶然この騒ぎの場に証人となる様な立場ある人物が何人もいて、偶然騒いだ場所の編集不能でかつ公的証言力のある音声、動画データが世間に流出します」
「……だとしたら……どうするんですか? こちらがダメージを負うのはそうですが、うち以上にあちらのダメージの方が多くないですか?」
「そうですよ? だって彼、家の事なんて考えてないんですから」
ヴォルフはようやく侯爵の言いたい事が理解出来た。
ヴォルフの考え方は家第一としてである。
貴族としてその考え方は当然であり、常識以前の話だからだ。
その時点で、ヴォルフの考え方は破綻していた。
「……皇位継承権が泣いてますね」
「まあ、子供なんてそんなもんだよ」
「もし、それが正しければ……いえ、きっと正しいのでしょう。旦那様がそうおっしゃるなら。だったら後は旦那様に任せれば問題ないですね」
「まあ、そうですね。これからは互いの家の話になりますから。そして……まあ、私にとっては限りなく有利な展開になるでしょう」
「……これを狙って、アメリア様を婚約させたのですか?」
「まさか。私はそこまで未来が見える訳がないです。正直ここまで馬鹿だとは思っていませんでした。じゃじゃ馬同士で上手くいけば良し。駄目でも喧嘩仲間位になれば良い。その位の気持ちでしたよ。……これでも一応、親ですから」
「……そうですか。その言葉、信じさせて頂きます。では、これにて失礼します」
そう言って、ヴォルフは足早にその場を去ろうとした。
「どうしたのです? 急に慌てて」
「アメリア様をお慰め差し上げなければいけませんので」
「ふむ? 所詮愛無き婚約。怒ってはいるでしょうがそんな傷付く様な事は……」
「だからと言って拒絶されて悲しくない訳がないです。それに、お嬢様は愛がなくとも本気で嫁ぐつもりでした。その覚悟がありました。……本気だったら、傷付くに決まっています」
「そういうものです?」
「一つだけ、忠告させて頂いても宜しいでしょうか?」
「こちらからお願いしましょう。金言を貰える時に貰っとくのは私の流儀ですから」
「確かに、お嬢様は我儘です。私もそれは認めましょう。ですが、娘が父親にほとんど逢えず会話もないのに文句を言わず、我儘程度のひねくれで済んでいるのは紛れもなくお嬢様の良心による物です。もっと会話をして、もっとちゃんと互いの気持ちを伝えあって下さい。煙を巻いてばかりいれば、家族でも信じて貰えず、そして最後に縁は切れます。もう少し、父親としてお嬢様の気持ちを考えてあげてください」
そう言葉にし、ヴォルフはその場を後にした。
気まずい思いをしている政務官を他所に、侯爵は苦笑する。
「――確かに、金言でしたね。彼の口から出る家族と言う言葉程重たい物はないでしょう……家族のいない彼程……」
これでも侯爵は伏魔殿の様な政治の世界を渡り歩いた自負はある。
そんな自分が家族の事となるとこうも不器用になるのかと思ったら、自嘲せずにはいられなかった。
ありがとうございました。




