たった一つの誓いさえ
アメリアははっと意識を取り戻し、そして何もわからず混乱する。
何故自分の意識が途切れていたのか、そもそも一体何が起きたのか、意識を失う前後が完全に欠落していた。
疲れて寝ていた?
それとも集中が切れてぼーっとしていた。
そんな事を考えていた最中に、激痛が走る。
痛みと共に感じる冷たい床と熱い液体。
そこでようやく、自分が床に突っ伏していると気付いた。
「何……が……」
「大丈夫っすかアメリアちゃん!? 意識をしっかりして!」
ルビィは血まみれのアメリアを抱きかかえ、応急処置を施す。
「テイカー! あの薬の予備はあるっすか!?」
「ある! だけど俺には大丈夫かどうか判断出来ん! 下手すりゃ反動で死ぬぞ!?」
あの薬を乱雑に使えたのはヴォルフが軍人レベルの鍛え方をしている上に素の肉体が強靭であるからだ。
アメリアにはどれも当てはまらない。
その上、血を池の様に吐き出した直後である。
ショック死する可能性も、後の後遺症で死ぬ可能性も十二分に高かった。
「……くっ。せめて止血だけはしておかないと……」
「ヴォルフは……どこ?」
薄っすらとした意識の中、アメリアはそう呟く。
傍に居ない事の不安もそうだが、何か、猛烈に嫌な予感がしていた。
「それは……」
ルビィは何も答えられない。
遠くで単身暴れまわっているその姿をアメリアに見せる訳には……。
だけど、アメリアにはわかっていた。
「ごめん。私が、行かなくちゃ……」
無理やり立ち上がろうとするアメリアを、ルビィはその腕の中に抑え込んだ。
「無理しちゃ駄目っす。撃たれたんすよ!?」
弾痕から実弾の可能性が高い。
弾は貫通しているし貫いたのは肩で致命傷は避けられている。
もしもヴォルフが押していなければ、きっともっと中央の、胸か首辺りに当たっていただろう。
ただ、重要な血管に傷を残したらしく相当量の出血がある。
一応生体パテで傷自体は塞いだものの、安全と呼ぶにはあまりにも元の傷が深すぎた。
ちょっとした衝撃であっさり傷口は開くだろう。
つまり、絶対安静。
このまま降参して治療を受ける事さえ選んでも良い位の状況である。
だけど、アメリアは納得しない。
いや、納得しないというよりも、そうしなければいけない事を知っていた。
「今のヴォルフは……私じゃなかったら、止められないと思うの」
「アメリアちゃん……気づいて……」
「まあ、何となく、聞こえたから」
そう言って、アメリアは力なく笑う。
震えあがる様な暴力的な咆哮。
薄れていた意識の中に聞こえたあの叫び。
それがアメリアには、ヴォルフの悲鳴にしか感じられなかった。
だから、助けたかった。
もう他に何も考えられない位に……。
「止めろ。撃つな! いや、そうじゃない! 戦うな、誰も殺すな!」
王女は叫び、部隊に停止を呼びかける。
少女が倒れて、そこでようやく王女は思い出した。
あの少女は、レーヴェル侯爵家の娘だ。
遥か昔、幼い頃一度その姿を見た覚えがある。
利発そうな子だなと思っていた事を記憶している。
いや、それだけならまだ良い。
単なる外交問題程度ならば武力と財力で幾らでも誤魔化せる。
小娘一匹どうにも出来ない程ピタスの外交官は無能ではない。
問題なのは、レーヴェルの家そのものと争う事。
あそこの長女は、あの少女の姉と敵対するのだけは避けなければならない。
あれは損害も勝敗も全て度外視で、全てを地獄に巻き込もうとしてくる。
あの女は娯楽で人を殺せる。
あれは、人の形をした別の生物。
しかも行動原因が理解出来ない。
異なる道理を持って生まれた災害である。
不味い。
今の段階でも敵対ゲージがかなり上がっただろうがもしこれで死んでしまったら……。
王女は自分の武威に自負を持っている。
世界最強の一角であるという自信さえある位に。
だからこそ、わかるのだ。
自分はあの手のタイプには絶対に叶わないと。
戦場で生きる武人はあの搦め手がメインのタイプにはとことん相性が悪い。
だから、今この場で出来る事はもう祈る事だけだった。
少しでも互いに犠牲が少ない状況でこの場が収まる事を。
捕縛するのは容易いが、その場合間違いなくトカゲのしっぽ切りという運命が待っている。
捕縛し治療し貴族として持て成しても、功罪の功の部分は政治主導の奴らに持っていかれて責任だけ押し付けられる。
つまり、真っ当な事をすれば破滅する。
将来的なビジョンが見える程度には政治がわかるから、自分だけ勝利条件が違うと王女は理解出来てしまっていた。
「あの屑犬も見逃すのですか?」
痛いところを突かれ、王女は顔を顰める。
「……好ましくはない。だけど……そうしなければならないな。忌々しいけどさ……」
侯爵の娘が直々に軍艦侵入なんて犯罪行為を行った事を考えたら、アレが大切であるという事なのだろう。
だったら、己の誇りを曲げてでもこの後のご機嫌取りの為生かすのが賢い選択である。
「あの……王女様。えっと、連れて来ましたが……」
部下にそう言われ、王女はそちらに目を向ける。
先程命令もなしに銃をぶっ放し、人間の重要人物をぶち抜きやがった女を。
女は褒められ待ちの様なニヤニヤした、嫌らしい笑みを浮かべていた。
「…………」
静かに、言葉を飲み込む。
衝動に駆られ首を切り落とされなかった自分を、王女は褒めてあげたかった。
アメリアの予想通りだった。
『おい! 何やってる!?』
テイカーの言葉はその耳に入っていなかった。
『逃げるぞ! 戻れ!』
ジャックの正論は、あえて意図的に無視しているかの様だった。
暴れていた。
ただ、暴れていた。
誰かを護る為でもなければ忠義の為でもない。
己の心にある憎悪を周囲にぶつける様に、暴れまわっていた。
自分の体も相手の体も気にしない。
その有様はまるで嵐の様でさえあった。
憎かった。
全てが憎かった。
ピタスという種族が、自分を苦しめて来た全てが。
そして何より……。
『護る』
そう誓ったたった一つを護る事の出来なかった自分が、何よりも。
だから、壊したかった。
世界を、常識を、今を、現実を。
怖かった。
受け入れるのがとても怖くて……護れなかった未来が恐ろしくて……だから、暴れる事しか出来なかった。
「ごめん、遅れた」
ルビィに肩を借りながら、アメリアはジャックとテイカーの方に移動し声をかけた。
「おい、傷は大丈夫なのか?」
「もちろん。という訳でキャプテン。脱出の用意をよろしく」
「……それは構わんが……あいつはどうやって……」
「大丈夫。何とかする。絶対に……何があっても。だからさ、そっちはお願いね」
ルビィから離れ、ずりずりと両足を引きずりながらアメリアはヴォルフの方に移動しだした。
「おい! お前は……ちっ! ルビィ、ガーネット、出航準備だ!」
気持ちを切り替え、ジャックは叫ぶ。
部下を信じる。
ジャックはそれしか出来ない自分を始めて恥じた。
よろよろと歩きながら、アメリアは彼に近づいて行く。
敵を殴り飛ばし、吠え狂い、暴れるそれは随分と格好悪かった。
嫌だ嫌だと駄々をこねている彼を見たら、そっと笑みが零れだす。
思えば、昔からずっといい子だった。
悪い事なんて何もしないで、嫌な事があってもずっと我慢して。
我儘だった自分の面倒を見ても文句なんてほとんど言わなくて、だけど説教だけは人一倍長くて……。
誰かの為には何かするけど、自分の為には何もしなかった。
今になって思えば、ただ我慢していただけだった。
そしてその我慢がついに切れちゃっただけ。
ヴォルフはずっと、我慢していた。
隠していた。
辛さを、孤独を、本質を。
耐え続けていた。
そのむっつりとした表情の裏で、牙を誰にも見せようとしなかった。
誰かが傷付くのが怖かったから、自分の牙をずっと笑顔の裏に隠していた。
その事に気付けない自分が、アメリアはちょっとだけ悔しくて、そしてとっても悲しかった。
「だから……帰ろう。ヴォルフ。ね?」
微笑み、子供に話しかける母親の様に優しく声をかえる。
だけど、ヴォルフは反応しない。
ただ何かを殴り続ける。
敵と自分の血に染まりながら。
「ヴォルフ。逃げよう? ここに居たら危ないよ?」
「ヴォルフ。お願い。聞いて」
「ヴォルフ」
「ヴォルフ」
「……ヴォルフ……」
何を言っても、反応を見せない。
殴ってこないだけ認識しているようだが、それでも止まりはしなかった。
わかっていた。
ヴォルフの闇はそんなに浅くない。
ヴォルフの苦しみは、そんな軽くない。
今のヴォルフを止めるには、相当のショックを与えなければいけない。
それこそ、絶対にあり得ない様な、そんなショックを。
だから……覚悟を決める。
それでも尚、未練がましく、アメリアは声をかけた。
「お願い……ヴォルフ。私の声を聴いて」
最後の最後の、祈り、願い。
それは予定通りに徒労に終わる。
真なる従者としての絆があれば、きっと今ので聞いてくれただろう。
だけど、そんな物は自分にはない。
これまで上手くやれていたのは、自分が主として相応しかったからじゃあない。
ただヴォルフの善意に甘えていただけである。
だからこれは……しょうがない事だった。
未練を断ち切り……アメリアは、その手を広げる。
たった一つの、約束。
奴隷であったヴォルフが、アメリアの従者となる為の、たった一つ。
それは……。
『僕を叩かないで下さい。殴らないで下さい。蹴らないで下さい。痛い事をしないで下さい。もう、痛いのは嫌なんです』
その約束を、アメリアは護り続けた。
どれだけ我儘となっても、それだけは。
たったそれだけが、彼らの間にある絆であった。
アメリアは、ヴォルフの頬を、思いっきり叩いた。
ぱしーんと、小気味良い音が響く。
今まで何をしても止まらなかったヴォルフが、まるで石像かの様にぴたりと固まった。
自分の頬を、抑えながら。
痛みはない。
そんな物消え去る程に、その衝撃は強かった。
振り抜いた手をそのままに、アメリアは静かに、涙を流した。
「ごめんなさい。私は本当に、至らない主だった。貴方に相応しくなかった……」
ヴォルフは茫然としたまま、その言葉に何も返してあげられなかった。
ありがとうございました。




