獣性
ガラガラと音を立てて天井が崩れ落ち、孤独と狂気に満ちた白の部屋、封鎖された世界は崩壊した。
ヴォルフが逃げたくて必死に藻掻いても駄目だった物はあっという間に瓦解して……。
そして、お嬢様がお供を連れて、空から降って来ましたとさ――。
どすんと音がして、悲鳴が一つ。
「あいたー!」
皆が綺麗に着地する中、アメリアはお尻を強打し両手で抑えていた。
準備はしていた。
ちゃんとこうなるとわかって身構えていた。
だけど、そこに彼が居たから、考えが全部跳んでしまった。
そう……そこに、ヴォルフの姿があったから……つい目で追ってしまって彼女は着地を忘れた。
ガーネットに差し出された手を受け取り立ち上がって、そして笑顔をヴォルフに向ける。
「助けに来たよ!」
元気良く叫ぶアメリアの目じりには、涙が浮かんでいた。
わざとらしい笑顔のまま、アメリアはヴォルフの様子を見る。
天井に繋がる手枷で拘束されるその姿は痛々しい物があった。
「待っててね。すぐ助けるから」
そう言ってアメリアは手枷に繋がる鎖を両手で掴み引っ張って……。
「ん-ぐぐぐ……切れない……こなくそー!」
全力で引っ張るがびくともしなかった。
「いやいや、何やってるんですかアメリアちゃん」
苦笑しながらガーネットはそっとアメリアの手を離させる。
「でも……これがあるとヴォルフが……」
「大丈夫。ルビィに任せて」
ガーネットのアイコンタクトにルビィは頷き、右腕だけとなったルビィは金属に手を触れる。
「その腕……」
ヴォルフの問いかけにルビィは微笑で誤魔化しながら金属の性質を調べていく。
「……これは……ちょっと物理的には難しいっすね。ヴォルフ君。ちょいと乱暴に行くから動かないで欲しいっす」
ルビィは道中ぶちのめしたピタス兵より強奪した手斧の、それも金属部を直接握り構える。
その手斧がまるで燃えているかの様に真っ赤に発光すると、ルビィは勢いよく鎖に斧を叩きつけた。
バギンと、鈍くも割れる金属音と共に腕が片方解放される。
もう一度同じ事が繰り返され、ヴォルフが地面に倒れると同時にルビィはぐにゃぐにゃに変形した手斧を遠くに放り捨てた。
テイカーはそっと肩を貸しながら、周りに聞こえない小声でヴォルフに尋ねた。
「何か飲まされたり、体をいじられたりしたか?」
静かに、ヴォルフは首を横に振った。
「たぶん、殴られただけだ。ただ……死ぬ程痛い」
「じゃあこれを飲め。後からすげぇきついけど今だけは動ける様になるぞ」
テイカーはヴォルフの口に色々ヤバいご禁制のお薬を放り込む。
たった一粒で痛みも吹っ飛ぶ万能薬。
その薬はそんなうたい文句で、テロリストを増長させた。
急速治癒、痛み止め、即席の栄養剤に筋肉の急速発達効果に加え、精神の平常化。
心を上げるのではなく、抑圧する。
感情が抑えられる事で、苦痛を感じにくくなり、同時に禁忌への抵抗が薄れる。
それは戦場で素人に効率良く人を殺させる為の薬。
人間の兵器としての価値を引き上げる夢の道具。
テロリストの生み出した悪魔の兵器である。
とは言え、所詮はただの道具。
どれだけ悍ましい歴史があろうとも、どんな背景があろうとも、テイカーにとって単なる便利グッズに過ぎない。
あとついでに後遺症として翌日死ぬ程全身が痛いが、その程度命に比べたら誤差でしかないだろう。
「はいバイタルチェック……まあ悪いけど生きてるから良し! さ、逃げるっすよ!」
ヴォルフの腹部を指でつんと突いた後、ルビィはそう切り替える。
ぶっちゃけ要手術状態だが、それ以上に今は自分達の方が不味かった。
「それで、どこから逃げる?」
ジャックの言葉に皆顔を見合わせる。
左右揃って白い壁。
扉の位置さえもわからない。
ならもう逃げ場なんて一つしか残っていない。
テイカーは静かに上を指差した。
「…………ガーネット」
「はいっす」
ガーネットはジャックの呼び声一つでジャックに密着し、そのまま抱え上げる。
幸せそうなガーネットとは対比的に、ルビィはちょっと妬ましそうに見ていた。
「後、自力で跳べない奴は誰だ?」
そっとアメリアが手を上げると……。
「失礼します」
ヴォルフはそっとアメリアを抱きかかえた。
「痛くない? しんどくない?大丈夫?」
「問題ありません」
我ながら現金な物だとヴォルフは思う。
あれだけ辛くて、心が折れそうで、壊れそうだったというのに、もう見栄を張りたくなってくる。
アメリアの前でだけは、恰好付けたくなる。
そんな自分に苦笑しながら、ヴォルフは上のフロアに跳んだ。
ヴォルフはアメリアを抱え、ガーネットはジャックを抱え、ルビィは単身でそのままジャンプ。
テイカーは腕からワイヤーを飛ばし巻き上げ登る。
そしてそのまま、全力で彼らは走りだそうとして……。
「おい、とうとう本番が来たぞ。どうするんだ?」
ガーネットに抱かれながらジャックは恰好つけてそう口にした。
正面方向に見えるはピタス兵の壁。
武器を持たず透明な盾を構えた五人は完全に道を塞いでいた。
「テイカー! どっちが良い!?」
ヴォルフの叫びにテイカーは迷わず答える。
ヴォルフの意図をテイカーが読めない訳がなかった。
「突っ込め!」
「おう!」
何も考えず、ヴォルフはまっすぐ単身で兵達に突撃した。
「大丈夫なんすか?」
ガーネットの問いかけにテイカーは笑った。
「当たり前だろ」
「いや、ピタスのエリート正規兵っすよ? タイマンだってぶっちゃけ危険なのに……」
「こっちはヴォルフと俺だぞ? お前らもまっすぐ突っ込め。戦わなくても良い。ただ足は止めるな」
テイカーはその言葉の後ヴォルフのバックアップに向かう。
盾に押しつぶされかけたヴォルフをテイカーがカバーし、テイカーにターゲットが映ったら再びヴォルフが暴れ、そして彼らをただ翻弄だけしてアメリア達に先に行かせ、そのままヴォルフとテイカーも当たり前の様に離脱した。
戦ったら勝てない。
そんな事テイカーだってわかっている。
だけど逃げるとなると話は別だった。
小規模浸透戦術からの混乱工作での足引き。
何時もの嫌らしい戦術の成功を見て、苦笑いを浮かべながらヴォルフはテイカーとハイタッチをした。
彼らにとって、それは間違いなく幸運であった。
持ちうる限りの全てを使い、全速力で駆け抜けて。
そして多少の兵士達に遭遇はしても王女とは出会っていない。
だから彼らにとっては、それは幸運な事だった。
そう……十分過ぎる程に運が良かったのだ。
外に居た王女が戻って来るまでにこれだけの時間がかかったのだから。
だから、幸運はここまで。
王女は外で、数十名での部隊を幾つか配置し待ち構えていた。
自分の城でもある戦艦を、檻とする様に。
「それで、逃げる為の足は見つかったかにゃ?」
王女の言葉に誰も答えない。
下手人が複数人であるのなら、それ相応の移動手段があるはず。
そのはずなのに、何も見つからなかった。
「ほーん。なかなかうまくやってるにゃー。……まあ、どうでも良いか。その前に対処すれば」
王女が手を差し出すと、傍の兵士は剣を差し出した。
「……ん? 珍しいね?」
「せっかく狭い通路じゃなくて広い場所ですから」
王女は武器を選ばない。
だからこそ、兵士は剣を振る彼女を見望む。
その圧倒的な戦力とは裏腹に、彼女の舞う様な戦いは美しかった。
「まあ私は斬れれば何でも良いけどね。……ん、来たね。構え。このまま逃げ場を塞いで捕縛……んん? いや、ちょっとまって。一旦待機、ストップで。うん、待機」
船から出て来る侵入者共の姿を見て、王女は自ら動きを止め部下にもそう命じる。
随分と個性的な侵入者達の姿。
その一人の姿に、不思議と見覚えがあった。
だけど、一体どれに対し見覚えを感じているのかがわからない。
覚えているのは記憶の片隅で、しかも遥か昔の事。
だけど、確かにあの中の犬野郎以外のどれかに見覚えがあった。
「うーん……喉まで出かかっているんだけどにゃー。……何時だったかなぁ。結構前? 宇宙服君? それとも黒服帽子? いや、でもなぁ……」
王女は腕を組み、考える仕草をして動きを止めていた。
だからそれは、王女の命令ではない。
むしろ王女の考えとは逆であり、完全に功を焦った行動だったのだろう。
王女が従える部隊の中に入れなかった兵士。
王女より離れた場所で待機する事を命じられた女。
彼女は静かに銃口を彼らに向け、そして、その軽い引き金を引いた――。
気づいていた。
間違いなく、決定的な事が起きる前に察知出来ていた。
だから手を伸ばし彼女を突き飛ばした。
それでもまだ、届かなかった。
スローモーションで倒れていく己の主を見ながら、ヴォルフは静かに考える。
自分が怪我してなかったら間に合っただろうか。
手で押し飛ばすのではなく身を挺し庇えば良かったのだろうか。
まるで他人事の様に考える自分が、まるで自分ではないかの様。
そうしてゆっくりと彼女は地面に倒れて、そこから広がり出る赤い液体を見て……ようやく脳の回路が繋がる。
これが現実の光景であると、ヴォルフは今更に認識出来た。
ピタスという種族はおおよそ三種類の方向性にて分類される。
我儘の方向性三種類である。
一つ、風と呼ばれる者。
自然の中流れる風の様な気風。
獣の自然的部分の発芽と言われている。
のんびり屋の自由人。
第三王女並びにその部下達は大体がこれに当てはまる。
二つ、火と呼ばれる者。
獰猛で荒々しく、それでいて戦う事を好む。
獣性に目覚めたとも表現される。
好戦的でありながら野心的。
同時に性悪が多くピタスの中では政を受け持つパターンが多数となる。
三つ、穏と呼ばれる者。
大人しく、朗らかで、怒らず。
そう言うととても良い風に見えるが実際は限りのない怠惰である。
飯を食う時間さえも寝ていたいとなんて言った馬鹿もいた。
だから、三大欲求の睡眠部分以外が繰り下げられたなんて言われていたりもする。
それらはピタスの野生とも言われる物であり、抗えない欲望とも言える。
当然人によってそれの強弱は異なり、己の野生に最後まで気づかない者もいる。
逆にその野生が強すぎて、それに苦しめられる者も。
ヴォルフがそうだった。
ずっと、ピタスという種族が大っ嫌いだった。
犬とか猫とかそんな細かい事ではなく、ピタスそのもの全てが。
しかもその血を自分は強く引いていて、抗う事に苦痛となる欲望が駆け巡っている。
本当に嫌だった。
ようやく幸せになれた自分まで嫌いになりそうで辛かった。
だから、塞ぎ続けた。
隠し続けた。
己の欲望から、眼を反らし続けた。
これは違うんだと、誤魔化し続けた。
だけど……それは本能に等しい。
蓋とした位で消せる様な生ぬるい物ではなく、むしろずっと心の奥で濃縮され、ぐつぐつと煮えたぎっていた。
それが解き放たれる時まで、ずっと……。
その心に宿るは、火。
感情の爆発により、これまで抗っていた獣性が、一気に爆発した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
吼える様に、叫ぶ。
空気が振るえる程の声量で。
傍にいた者達が怯む程のそれはもはや音爆弾に等しかった。
蓋をしていた憎しみがあふれ出す。
彼女を苦しめる状況が、彼女を汚す世界が、彼女を殺そうとする敵が、全てが許せなかった。
従者としての誇りではなく、純粋な怒りと殺意だけが彼を支配する。
そのままヴォルフは、ただ己の野生に従い目に付くピタスに襲い掛かった。
ありがとうございました。




