己を示すただ一つ
白、白、白。
世界全てが、限りのない純白。
壁も床も天井も白一色で、視界は誤認し距離感は狂い眩暈さえも感じる。
ただの錯覚だとわかっているのにどこまでも世界が広がっている様に見えて、ここが異なる世界である様にさえ感じる。
そんな白い牢獄にて目が覚めたヴォルフが最初に感じたのは、最悪な懐かしさだった。
痛みと共に襲い掛かる息苦しさ。
殴られて死にかけた傷よりも、おそらく捕まる前にボコボコに殴られた事も、血がにじむ程きつい手錠よりも、それは憎々しい物だった。
その首輪は――。
昔と何も変わらない、奴隷であった頃の証。
スラヴ・サーヴァントの証明でもあるそれは、ヴォルフにとって消しきれない過去の傷であった。
正直言えば、ヴォルフは彼ら現王朝のピタスをそれ程恨んじゃはいない。
彼らだけが自分を苦しめるならばともかく、彼らはそれを正しいと思っていて、そしてその正しさにピタス全体が乗っかっている。
言うなればピタス世界そのもの。
世界を恨む程ヴォルフの憎しみは強くない。
どちらかと言えばヴォルフは、己の血である前王朝の方を憎んでさえいる。
もっと言えば、同じ耳をしたあの頃の大人達。
夢を忘れず妄想に浸かり、子供を食い物にしていた屑達の事を。
遥か大昔に前王朝は滅んだというのに自分達はかつての王の血だとか言って必死にクーデターを企んで、そしてそれに子供を巻き込んでいた屑共。
そいつらの方がヴォルフにとってはよほど許せない存在であった。
とは言え恨みを晴らす事は出来ない。
とても残念な事に、もう誰も生き残っちゃいないのだから。
知っている顔で生き残っているのなんて、奴隷として一緒に売り払われていた子供達位の物である。
悲しい事に奴隷という売り物扱いされていた時の方がまだまともな扱いで、奴隷扱いされた子供だけが生き残った。
人売りに掴まり、奴隷となり、乱暴に扱われ出荷されようとしていた。
それがアメリアと出会った時のヴォルフである。
だけど、それはヴォルフの人生においてマシな境遇であった時であって……本当の地獄は、その前であった。
ヴォルフにとって最初の記憶は、折檻され痛みに耐えているなんて物だった。
どうしてそうなったかは覚えていない。
ただ、何人かの犬系ピタスの女性が、自分の手を板の様な道具で、血まみれになるまで叩いていた。
あの中の誰かが母親らしい。
らしいというのは、誰も正解を知らないから。
彼らにとって子供というのは、須らく革命を為す為の道具に過ぎなかった。
ヴォルフにとって家族とは、自分を叩く知らない人達の集合体だった。
次の記憶では、自分は友達に命令を出していた。
戦争ごっこの様な物で、自分は指揮官役。
そう聞いていた。
始まる前は、遊びの様な練習だと……。
その遊びの時間にて、自分が命令を下した部下役の友達四人は全員死に果てた。
『これが人の上に立つ者の責任だ。その行動で部下皆が死ぬ。良く学び、覚えなさい』
そう言い残し、殺した男達はまるで何でもないかの様に談笑して、ご機嫌に酒を飲む話をしていた。
子供達の血を吸ったその斧を、当たり前の様に持って。
指揮の勉強などした事もない自分と、戦闘訓練も受けた事のない飢えた子供達。
それに対して相手はバックアップ全開でかつ実際の艦内戦を想定したフル装備。
勝てる訳がない。
つまり、ヴォルフに対しそう気持ち良くドヤ顔する為だけに、彼らは殺された。
大人の目論見が自分の友達を殺す事だと気付いたのは、同じ様な事が数度起きてからだった。
そうしてヴォルフは誰とも仲良くしない様にして、それが気に食わず大人達に殴られた。
本当に……本当に馬鹿馬鹿しい事だが、ヴォルフは子供達の中で一番期待出来る子供であったそうだ。
『貴方は王となるべく器よ』
その理由が『耳の形が偉大なる我らが王に似ている気がする』なんて理由なのだから、もう全くもって馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
そして、その馬鹿馬鹿しい理由を知らず『自分は期待されている』なんて勘違いしていた当時のヴォルフはもっと馬鹿馬鹿しい存在であった。
クソの役に持たたないなんちゃって思い込み帝王学を学び、他のピタス達から見つからない様に逃げ回りながら生きていた。
あれだけ王となる器とか言われていながらヴォルフは別に何の特別扱いもなく、食料はいつも大人が優先だった。
大人の方が力があるからという理屈で。
だけど、犠牲が必要な時選ばれるのは何時だって子供だった。
逃げ遅れて殺されるのは何時だって、飢えた子供だった。
食料を多めに貰う大人は何時だって、真っ先に逃げていた。
そんな事が続くものだから、流石のヴォルフもおかしいと思う様になった。
崇高な使命を背負っている割には、あまりにも浅はかで、あまりにも愚かで。
そもそも、前王朝の復活と皆口に出すのに前王朝がどの様な物か誰も知らない。
口伝さえ残らない程彼方の話であり、そしてそれをちゃんと学ぶ気持ちのある者なんていない。
衣食足りずに礼節などない。
そこにいるのは前王朝の復興を願う勇士などではない。
ただの、言い訳を付き慣れ過ぎた、反体制であるだけの情けない負け犬であった。
そうして抗議して……殴らされた。
理不尽だと思っていたのは事実でも、痛みという名の暴力に勝つ事は出来なかった。
後はもう、良く覚えていない。
心を殺し、腐った食べ物を子供同士で奪い合いながら、ただその日を生きていた。
何となく覚えている末路は、逃亡生活は意外な程あっさりと終わったという事。
一斉摘発にあって抵抗する大人は皆殺されて、抵抗出来ない程に弱った子供はせっかくだからと金儲けとして売られて、そしてテロリストに買われて同じ様な暴力の日々となった。
ただ、テロリストの方が飯はまともであった。
腐ってなくて、そして大人と同じ物が半分も出るのだから。
同い年の子供を餓死させながらも奪い合わずに得られる食べ物というのは、彼らにとってはあり得ない程の幸運であった。
そうして出荷されるのを待っていて……運命の出会いをする。
心を殺しているその時、ヴォルフはアメリアに見初められ、そして手を差し出された。
『私の従者になって下さい』
この時のヴォルフに常識はなく、従者が何なのかさえ知らない。
だけど、その子の目がとても綺麗だった事だけは覚えている。
だから……。
『――』
一つだけ、ヴォルフはお願いをした。
その約束を守ってくれるなら、何でもすると。
そしてその約束を彼女は守ってくれて……ヴォルフは、ちゃんと人になる事が出来た。
「……どうせならもっとちゃんとした軍事訓練を経験させてほしかった物だ」
自分の過去について本気でそう思う。
なにせテロリストとして育てられたというのに、その手の訓練など何もした事がなかったのだ。
本当に、自分の過去は無駄な部分しか存在していない。
何一つ役に立つ物がなかったと後の教育でわかったからこそ、ヴォルフはレーヴェル侯爵家で様々な事を必死に学んだ。
アメリアの従者として恥ずかしくない様に、ゼロから教養と常識を己に叩き込んだ。
あの差し出された手に報いる為に……。
「……本当、何をしているんだ俺は……。
そう、報いなければならないというのに……。
油断していたとはいえ、ピタスと接触し秘密が露見しこうして捕まる。
全くもって従者失格である。
早く帰って詫びなければ。
そう……今の自分はスラヴ・サーヴァントなんて恥ずべき存在ではない。
アメリア・レーヴェル従者であるヴォルフレッド・アッシュ。
それだけが、彼が己を示すただ一つであった。
ありがとうございました。




