記憶の片隅にさえ残らない小さな結末
「もう勘弁してくれ! 俺が悪かったから!」
悲痛な叫びが受話器の向こうから響く。
だが、その声に対し男は一切の感情を示そうとしない。
同情も、憐憫も、怒りも、憎しみも、何も。
男の名前はサーザント・レーヴェル。
宇宙に連なる三つの種族の内の一つ、人類という種族が支配する帝国内にて侯爵に名を連ねる。
そして悲痛な命乞いをする男の名前はレイリン。
レイリン=ネフェルト・アンダルシア
彼は正しく、本当の意味での貴種。
つまり、人類を統合する皇族アンダルシア一族に名を連ねている。
侯爵と皇子。
その関係に間違いはないが、今回の場合はもっと正しい関係性を示す事が出来る。
つまり……婚約破棄された令嬢の父と、わざと人前で婚約破棄をしてみせ令嬢に恥を掻かせた男。
それ故に、レイリンは今地獄を見ている。
レイリンは皇族とは言え単なる我儘馬鹿皇子という訳ではない。
というかぼんぼんになる程の環境にいない。
確かに皇族ではあるものの、末端も末端で一応血筋だけは良いという程度。
ぶっちゃけ、ちょっと金持ちの一般宅とさして違いはない。
そもそも皇族自体皆庶民的でかつ帝国制を民主制に移行しようと頑張っている風変りな集団である。
そんな彼らの末端に位置するからと言って特別な贔屓は何も受けていない。
とは言え、腐っても彼は皇族である。
人並以上に良い暮らしを受ける事は当然で、調整された肉体は優れた身体能力、知性を持つ。
だからこそ、レイリンはこんな短絡的な事をした。
彼は皇族として生きるというその意味を一切教育されておらず、血に誇りさえ持っていない。
何も知らず一般人として諸子に混じって生活して、だけど他の人達よりもちょっと良い暮らしをして……そして普通の人々を見下していた。
高い能力が何を支える為かを知らず、ただ優越感に浸る事が彼にとっての当然であった。
つまり……彼は自尊心という名のプライドだけを持ってしまっていたのだ。
本当の意味での皇族は皆それを捨てようと躍起になっているというのに。
「頼むよ! もう十分償いになっただろ? 大体俺はそんな悪い事はしていない! あの口うるさいあんたの娘と結婚なんてまっぴらだと思っただけで……」
言葉の裏どころか表からレイリンの褒められない人間性が見えて来て、サーザントは笑いそうになった。
そう……これは謝罪でも何でもなく、ただの命乞い。
彼に反省の色は微塵もなかった。
アメリアを追放してからしばらく、彼は悲劇の皇子として一躍時の人となった。
我儘令嬢に巻き込まれた悲劇の皇子、苦しめられて来た哀れな皇子、可哀想な皇子。
だがその評価は一瞬にして逆転し、レイリンの学園内での地位はあっという間に最低となった。
それは直接彼の所為ではない。
ないけれど……彼が原因である事に違いはない。
それ故に、その噂が流れる事は止められなかった。
いや、彼が婚約破棄の噂を広める為に画策したその杜撰な裏工作によって余計に噂は広まった。
彼のかつてのやらかしが、アメリアを追い詰めた悪意が、完全に裏目となっていた。
『皇族の権力を利用し、元婚約者を流刑地に送り込み拷問に等しい日々を送らせている』
これが、学園に流れる噂。
そして噂と同時に流れて来る、アメリア緊急治療の噂。
そう、それら一つ一つは単なる噂に過ぎない。
だがそんな単なる噂が、レイリンの学園内にて築いた地位を瓦解された。
彼が学園にて築いてきたその地位は、彼の様に外見だけが取り繕われた物。
所謂、砂上の楼閣に過ぎなかった。
彼が許されていたのは我儘お嬢様の婚約者という悲劇の立場にあったから。
それがなくなれば、後はもう素の彼しか残らなかった。
自分本位のなんちゃって皇子である素の自分しか。
噂が広まりきって誰にも相手にされなくなった辺りで、愛し合った相手にもレイリンは見捨てられた。
その恋人である彼と一緒に居る為に、アメリアを追放したというのに。
別に嫌な噂が流れたからではない。
彼はそんな事気にして愛しい相手を捨てる程矮小ではないし、そもそも彼自身が気にする部分は人と全く違う。
『ピタス』
レイリンの恋人は人類ではなくピタスという名の種族であった。
特徴はどこか獣の様な要素が体にあるという事。
昔の創作物における獣人、それの要素を弱めた物と言えば想像しやすいだろう。
耳だけ、尻尾だけ、あるいは両方。
外見的差異は人類とそう多くない。
ただし……内面的差異は別である。
彼らピタスの内面は誰であれ人類から剥離している。
今のピタスは猫的特徴を持つ者が多数であり、レイリンの恋人もそれに漏れず、色々な意味で猫っぽかった。
そう……彼は猫の様に自由を愛していた。
恋愛に種族も性別も関係ない。
そんな彼に、レイリンは心惹かれた。
彼もまた、レイリンの純粋さがとても気に入った。
この人と番になってもと思っていた位に。
ではどうして別れたのか。
これはもう……とても単純な話になる。
レイリンがつまらない男になったから。
毎日毎日言い訳ばかりで楽しい事は何もしない。
人の目を気にして引き籠っていたと思うとイライラした様子で外に出て抵抗出来ない店員やらに怒鳴り散らす。
極めつけが、二人っきりになると媚びた様な態度で縋りつく事。
捨てられるのを怯えて、自分に自信がなくなったから同情を誘う様に、ただ媚びる。
それだけが、彼には我慢ならなかった。
百年の恋も一瞬で冷める程に。
浅い男になら、命を懸けても良い。
このまま一緒に破滅してもまあ良いかなと思う位には愛していた。
だけど、つまらない男には、自分の時間を無駄に消費する事さえ耐えられない。
彼にとってそれは自由とは言えない事であった。
だから、彼はレイリンの傍を離れた。
学園にて最低男の名を欲しいままにし、愛した男に捨てられて。
だけど、まだまだ彼に訪れる悲劇は終わらない。
レイリンの噂には、皇族の地位を私的に利用したという疑いが含まれているからだ。
身内である皇族のやらかしの可能性がある以上、皇族がそれを調べない訳にはいかない。
そしてその結果次第ではレイリンもまた罪人として捕縛される事もあり得るだろう。
あくまで、単なる疑い。
だが疑われる事をしたという事実の時点でもう相当重い事であるとも言える。
これが事実無根であるならともかく、部分的には事実に相当する物もあるのだから。
そうしてとうとう学園からも見捨てられて追放され、合わせて家からも勘当され、どうしようもなくなってから、レイリンはサーザントの泣きの通信を入れていた。
情けない事に、サーザントに謝罪したら全部許されて、学園に戻りまたヒーローになれ、愛しの彼が戻って来るとレイリンは本気で思っていた。
サーザントは通信を受けた事を少しばかり後悔していた。
底の浅い若者とは思っていたが想像以上だった。
正直『知らんがな』位しか言う事がない。
だけど、それは許されない。
彼、サーザントは誰よりも公平と正しさを追い求めるからだ。
彼の状況は、公平であるとはとても言えなかった。
「だからさ、何とかしてくれ。俺はもう反省している。何ならまた婚約してやっても良いだ。だから……」
だけどそれが、サーザントの公平さの限界だった。
これ以上彼ののたまいを聞き続けたら、自分が公平者でなくなるという自覚があった。
「レイリン様、どうやら少々誤解がある様なのでよろしいでしょうか?」
「誤解……? そう、誤解だ! 俺は別に悪い事はしてない。こんな目に遭わせるなんてお前は一体何を考えて……」
「そう、そこが誤解なのです」
「……は?」
サーザントはシンプルに、馬鹿でもわかる様に、事実だけを口にした。
「私は、何も、しておりません」
「……え? いや、だって、俺はこんな目に……」
お前が画策し俺を追い詰めたからだろう。
彼はその陰にサーザントが居ると当たり前に思い込んでいた。
だけど、違う。
サーザントはレイリンに、本当に何もしていない。
これまでのは全部、身から出た錆。
何もかもが、ただの自業自得であった。
「繰り返しますが、私はまだ何もしていません。レイリン様に対し行った事は情報収集のみで、御身を傷つける様な事は、何も」
「……そんな、そんな訳がない。だったらどうしてこうなった!? 何で俺は全部を失った!? 俺は悪くない! そうだろ!?」
「…………どうも勘違いしている様なので、もう少しはっきりと言わせていただきます。レイリン様、貴方に対し何かを行うのは――これからです」
そう……サーザントは公平を愛する。
故に、例え誰相手であろうともその罪は正しく清算しなければならない。
相手が善良なる市民でも、愛すべき妻でも、そして憎かりし娘の敵でかつ落ちぶれきった相手であっても。
だからこそ、サーザントの取り立ては、娘に対しての所業を清算するのは、これからの事だった。
「……なんだよ。これ以上俺から何かを奪うのかよ!? お前達が恵まれたのは俺達皇族のおかげだろうが!?」
「だからこそ、正すのですよ。正しくないと皇族でない。貴方はそれを学ばなかったのですね。レイリン様。では、失礼します」
そう言ってから連絡を切ろうとして……。
「待った! 待ってくれ。頼む! 助けてくれ! もう何もないんだ! 親にも捨てられた。頼む……頼むよ……頼む……」
今までと違う、静かな嘆き。
弱者となった彼の、心から縋る声。
だけど、彼はその程度で心を変えない。
彼の平等は、強者であろうと弱者であろうと変わらない正しさであるのだから。
それに付け足すならば……。
「私は貴方の父親ではない。私は、貴方が苦しめ傷つけたアメリアの父なのです」
「待――」
サーザントは一方的に通信を打ち切り、そして拒否設定に変えた。
「……はぁ」
少しだけ、本当に少しだけ、サーザントは後悔する。
最後の最後、あの瞬間、あの時彼は為政者ではなくただの、娘を想う父親であった。
怒りに負け、為政者で居られなかった事への小さな後悔。
だけど、そう悪い気分でもなかった。
人の心がないと言われて来た自分が、本当に僅かだが人の心を知る事が出来た様な気がする。
だから少しだけ、サーザントはレイリンに感謝をしていた。
とは言え、それで訴えを取り下げるとか罪を減らすとかそんな事は考えない。
彼の公平さは、徹底的にヒトデナシとなる事であった。
彼にとって為政者とは、ヒトデナシの別名儀でしかなかった。
だけど今日は何時もと違って少しだけ、ヒトデナシを止めようと思っている。
今日は彼にとって本当にちょっとだけ、特別な日であるのだから。
時間を見て、予定時刻の五分前であると気付く。
もうそろそろだろうと考えると少しだけ気持ちがそわそわしてきた。
その直後に、ノックの音が聞こえてきた。
時間よりまだ五分も早い。
そう思い少し注意をしようと考えて……自分の常識が非常識であると思い出して気持ちを切り替える。
時間五分前なんてのは、世俗的に言えば理想通りのマナーである。
前後十秒以内がベスト、先に姿を見せる位ならば数分遅刻した方が正しいなんてのは、貴族としての作法でしかない。
「どうぞ」
その声に従い、独りの少女が入って来る。
外見で言えばもう十分女性と言えるだろう。
だけど、彼にとって彼女はまだまだ少女であった。
「ただいま戻りました、お父様」
何時もなら、その言葉に何も言わず頷く。
だけど、今日位は少しだけ、父親らしくなってみようとサーザントは考えていた。
ヴォルフにアレだけ言われてもわからなかった気持ちが、少しだけでも理解出来る今日位は。
「今は二人っきりな訳ですし、レーヴェル侯爵として扱わなくても良いですよ」
「わかりました。……ただいま、パパ!」
そう言って、アメリアは敬語を止め、満面の笑みを見せた。
何時もは無駄と考える一言。
むしろ誰が来るかわからないのだから家族だって常に余所行きの態度を取るべきだとサーザントは常々考えていた。
だから、アメリアが余所行きモードとなっていても一切否定せず、助かるとばかりにそれを受け取って来た。
わざわざ訂正して、家族として会話しようなんて無駄な事を言ったのは、本当に今日が初めてだった。
同時に、言って良かったと心の底から思える位、その笑顔は素敵な物だった。
ありがとうございました。




