溢れた水
「ごめん。……馬鹿で、ごめんなさい」
全部、自分の所為で。
その所為で、こうなった。
自分の我儘がヴォルフを苦しめている。
嘆きながら、アメリアは言葉を綴る。
「ごめん。力がなくてごめん。痛かったよね。ただでさえしんどいのに……」
ベッドに運ぶ時、引きずって、壁にぶつけて、服も破ってしまった。
「どうしたら良いかわからなくて……ごめんなさい。馬鹿な私じゃ……助けるどころか傷つける事しか出来なくて……ううん。そうじゃない。諦めるのだけは、それだけは違う」
過去を嘆き、悔やみ、苦しむ事はしょうがない。
あまりの愚かさに自分が嫌いになる事も、自暴自棄になる事も良い。
だけど、それを諦める理由にする事だけは許されない。
それは、かつて愚かであった昨日までのアメリアと何も変わらない。
愚かな咎人であると自覚をしたのなら、愚かなりにもやらなけばならない。
償う事さえ放棄すれば、生まれた理由さえ失うのだから。
「……考えろ。考えるんだ。今私が出来る事を……。まず、ヴォルフの体を出来るだけ清潔に保たないと。それと出来るだけ食事をとらせる……だけど意識がないから……ああ、救命キットの中の流動食を使えば良いか。後は……後は……」
思い当たらない。
これまでの人生は何時だって、誰かが何とかしてくれた。
ヴォルフが自主的にアメリアのトラブルを潰してくれていた。
だから、アメリアは何も知らない。
知ろうともしない箱入り娘だからこそ、何も出来ない。
こんな時どうすれば……。
「いや、簡単に考えましょう。薬を手に入れる。その為にお金を入手する。そして今私に出来る事は……」
外部と連絡が取れない以上、出来る事は限られてくる。
つまり……。
「農業をする事。……ヴォルフがする仕事を、私が引き継ぐ。そしてそれは……」
それはきっと、償いにも繋がるだろう。
「ごめん。もう一個だけ、悪い事する。後は真面目に頑張るから……だから……」
アメリアはヴォルフにそう言い残し、ヴォルフの部屋に戻る。
そしてヴォルフの用意した作業ノートを手に取った。
根が真面目で几帳面なヴォルフなら、きっと用意しているとアメリアは確信していた。
これはヴォルフが用意した、ヴォルフの苦労の集大成。
勝手に見る事は許されないが……それでも、他にアメリアはどうする事も出来ず、それを盗み見た。
「……不味い。大幅に時間過ぎてる。急がないと……」
ヴォルフがいつも早朝畑を耕しに行っていた事をノートの記述より思い出したアメリアは慌てて着替えだす。
その着替えている最中……アメリアは開きっぱなしだったヴォルフのカバンの中にある、それを目にした。
それが何なのか最初わからず……そして認識して瞬間、アメリアの瞳は一瞬で輝いた。
「通帳!」
ヴォルフは電子ウォレットどころかクレジットカードさえ好まない。
だからいつも給料は直接通帳に振り込まれる。
だからこれはつまり、ヴォルフの全財産という事になる。
「これがあれば……ヴォルフの治療代を……」
悪いとは思っている。
それでも、緊急事態である。
後で何倍でも良いから返す。
もし自分が捕まっても良い。
そう思いながらヴォルフの通帳を見て……アメリアは、最低最悪の事実を認識する。
ぽろりと通帳を落としながら、、膝から崩れ、涙を零す。
もう、堪える事さえ出来なかった。
通帳には先日まで侯爵家従者として十分なだけの給料が入金され続けていて……そしてヴォルフは倹約家でずっとそれが貯蓄されていて……。
そして、それはここ数日で全て使われていた。
この家周りや惑星の空気改善といった大規模工事に……文字通り全額。
「……私、馬鹿だ。何も報いられていない。ただ、奪ってばかりじゃない……」
泣きながら、アメリアは衣服を着替える。
死んでしまえば良い。
自分の事をそうは思いたくない。
そう思わずにいる為に、必死に、詫びる方法を考えながら。
白い作業着に着替え、アメリアは畑の前に立つ。
少しだけ、恐怖はある。
だけど、毎日ヴォルフが五分そこらの時間で行っていた作業だ。
同レベルの運動能力がある自分なら、多少不慣れでも倍の時間をかけたら出来るはず。
内容も簡単。
ただ、素手で土を掘り返すだけ。
そう、難しくない。
だから……大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、手を大地に当て……。
「痛っ!」
すぐ手を引っ込める。
確認すると、指先に血の玉が出来ていた。
ただ、軽く触れただけ。
それだけなのに……。
比喩ではなく、文字通りそれは針山となっていた。
もしも、耕す様な強い力で手を突っ込んだらどうなるのか。
考えるだけでも恐ろしい。
そう、諦めたら良い。
こんな事出来る訳がない。
なんで私がこんな事しないといけないのか。
「そうよ。やってくる商人はヴォルフの友達でしょ。だったらお願いすれば良いじゃない。きっと助けてくれるわ。無理にお金を稼がなくても……こんな事私がしなくても……」
そんな事を考えながら……アメリアは、土の中に手を思いっきり突っ込んだ。
土の棘が肌に食い込み切り裂き、抉る。
痛みは、想像以上だった。
歯を食いしばりながら激痛を堪え、何度も何度も、畑をほぐしていく。
突っ込む旅に、まるで指が抉られる様な痛みが走る。
何度もめげそうになる。
心なんかもうとっくに折れてる。
それでも、アメリアは続けた。
涙を堪えながら、痛みを堪えながら、ただひたすら土を耕し続ける。
結局、こんな小さな畑を耕すに、二時間も時間がかかってしまった。
立ち上がり、家に戻る。
激しい手の痛みも、ぽたりぽたりと零れる液体の音も、全てから目を反らす。
綺麗にして、明日になれば治るはず。
そう思いながら。
怖くて、自分の手を見る事が出来なかった。
翌日……アメリアは体のだるさと痛さで目を覚ます。
どうしてこんなにだるいのかと考えて、自分の現状を思い出した。
ヴォルフにベッドを渡して、自分は床で寝たから。
それが理由と思った後、もう一つ理由を思い出す。
昨日、食事を取っていなかった。
キッチンに移動し合成機から食料を取り出す。
合成スープと呼ばれる栄養だけはある汁物と、合成食料という名前のコンソメキューブみたいな味と形と食感をした食べ物。
それだけをぽりぽりと食べる。
食べる度に、心が死にそうになる。
淡泊な同じ味と、不快な食感が心をささくれ立たせる。
だけど食べないと、体が持たなかった。
「……あ、手、何ともないや。良かった治って」
その手に傷一つない事に今更気付いて、アメリアは小さく安堵の息を吐いた。
さっさと食事を終え、ヴォルフの様子を見に行く。
寝る前に見たのと変わらず苦しそうで、大量に汗をかいていた。
ヴォルフの体をタオルで拭いてから、経口補水とチューブ状の食事を含ませる。
意識がなくても食事を取ってくれる。
それだけは、有難かった。
その後、すぐアメリアは畑に向かい耕す作業に行った。
終わった後の痛みは昨日よりはマシだったがやはり酷い物で、両手が見るも無残な程ボロボロになっている。
気づけば爪も一枚無くなっていた。
今日の痛みでそう言う事は、昨日はもっと酷かったのだろう。
そんな事を考え、アメリアは自嘲めいた笑みを浮かべる。
とは言え、相変わらず二時間はかかってしまったが。
終わったら家に戻って消毒を行い、食事を取り手袋をして勉強に入る。
農業本を読んで少しでも効率を覚える為と、畑の調整や手入れ、収穫の準備等これからの作業を確認する。
それについでヴォルフの用意したノートを読んでノウハウを引き継ぎながら。
全ての作業が終わる頃には夜になって……最後にヴォルフの様子を見て汗を拭いて食事を取らせてから……隣の部屋に移りアメリアは床に倒れ込んだ。
「ようやく……眠れる」
ただただ辛いだけの日であったからだろう。
眠る事だけが、今の幸せであった。
その日、アメリアは夢を見た。
疲れが溜まりすぎていたからか、罪悪感からのストレスの所為かヴォルフが倒れた事の不安の所為か。
理由はわからないが、何等かの理由で眠りが浅かったのだろう。
それは、ずっと昔の自分の姿だった。
「……今日もパパは来ないの?」
幼少期のアメリアの呟きに、メイドは困った顔をする。
最後に父親の顔を見たのが何時かさえ、もう覚えていない。
ねぇ、私こんなに大きくなったよ。
出来る事も沢山増えたよ。
文字も書ける様になったよ。
お絵描きも上手だよ。
だけど、パパの顔がわからないから描けないの。
料理もお手伝い出来るよ。
だから……だから……。
アメリアは何も言わなかった。
我慢すれば、良い子であったらきっと会いに来てくれると信じていたから。
だけど……父親がアメリアに会いに来る事はなかった。
愛されていない。
その不安を払拭する為……アメリアは逆に考えた。
自分は愛されている。
我儘を言っても捨てられないのは、愛されているから。
アメリアにとって我儘とは、父親から愛されている事の証明で――。
がばっと上体を起こし、まるで悪夢から逃げる様にアメリアは目を覚ます。
最悪な夢だった。
最低な現実だった。
こうして、父親にも会いに来てもらえず、我儘放題で皆の迷惑をかけて、そして唯一の従者であるヴォルフを傷つけたアメリアは答えを得る。
『アメリア・レーヴェルは誰にも愛されていなかった』
空調は完璧なはずなのに……やけに、寒く感じた。
時計を見ると早朝の六時。
いつもよりも少し早いけど、寝直す時間はない。
アメリアは眠気と疲労でふらふらとしながら、畑の方に移動した。
「……え? 何これ……」
ギチギチと音を立てながら変わっていく畑を見て、アメリアは茫然としながら呟く。
昨日までこんな事はなかった。
一体何が……そこまで考え、アメリアは自分の恰好に気が付いた。
いつもの作業着ではなく、寝間着であった。
しかも、ワンポイントとして金属を使っている。
冷静になれば、そこまで不味い事態ではない。
すぐに離れて着替えれば良いだけの話なのだから。
だが、既にアメリアのメンタルはコップ一杯一杯に溜まった水の様な状態である。
ギリギリまで追い込まれていたアメリアにとって感情が溢れるには、パニックになるには十分な衝撃だった。
「あ、ああああああああああああ!」
アメリアは叫びながら上着を脱ぎ棄て、衣服の金属部を引きちぎって遠くに投げ捨てる。
そして畑が変化する反応が止まったの見てから、慌てて手を突っ込み畑を耕しだした。
何時もの様に激痛が走る中、別に破らず着替えれば良かった事に今更気が付く。
更に言えばこの服はお気に入りの服の一つで、そしてあの日ヴォルフを我儘で巻き込み付き合わせた日に買った服でもあった。
「一体……何を……しているんだろう」
台無し、無意味、酷い恰好。
ぽたりと、雫が瞳から零れる。
自覚してしまえば、もう止まらない。
涙が、どんどん零れ落ちた。
何もかもが、嫌になっていた。
自分の事も含めて、全てが。
「う……うわ……ああ……ああああ……」
声さけも殺せず、大きな声で、子供の様に泣き喚きだす。
堪える事など出来る訳がない。
とうに、アメリアの心は折れているのだから。
それでも手は止めない。
どれだけ辛くても、どれだけ痛くても、どれだけ心が折れ死にたくなっていても。
アメリアは、他に知らないからだ。
悪い事をした時にどうやって謝れば良いのか、大切な人を苦しめた時どうやって詫びれば良いのか。
自分を罰する様、ただただ苦しむ事しか……アメリアは、知らなかった。
ありがとうございました。




