1『あるところに宝石のような瞳を持つご令嬢がおりました』
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アリアネル・ガーデンは花のかんばせと宝石の瞳を持つ、それは美しい少女だった。
伯爵家に生まれた彼女は、両親と齢の離れた二人の姉兄に深く愛されて育った。
ガーデン家の者はみな、執事から料理番から庭師に至るまで、誰もがアリアネルに心酔していた。
妖精か天使かと見まごう、身も心も美しいアリアネルを、誰もが宝物として大切に扱っていた。
「ねえお父さま。どうしてわたしはお屋敷の外に出ちゃいけないの?」
アリアネルは10歳の齢を過ぎても、領地はおろか屋敷の敷地内から出たことも数えるほどしかなかった。
「……そうか、アリアネルももう10歳だからな」
父親は神妙な面持ちで答えた。
「この屋敷と庭にも、飽きてしまったか。それじゃあ、近いうちに改築するようにすることにするよ」
「……かいちく?」
「屋敷を建て替えるんだ。それだけじゃない。今よりずっと大きくする。これならアリアネルも、退屈しなくて済むだろう」
「そ、そうじゃないよ、お父さま」
アリアネルは慌てて父親をとめた。
「おうちに飽きたとか、そういうんじゃくて……」
「ああ、すまない。私としたことが。……アリアネルは外遊ぶの方が好きだものな。手を入れるなら庭のほうか」
「お庭でもないよ……。お屋敷もお庭も十分広いし、今のままでもあと何十年だって飽きずに遊べるよ」
アリアネルは母親に助けを求める。
「お姉さまやお兄さまたちは、みんなお買い物だったり、社交だったり、外におでかけするでしょう?それなのにどうしてわたしだけ、ずっとお屋敷の中にいるの?」
母親はにっこりと笑って答えた。
「かわいいアリー。それはね、あなたがまだ小さいからよ」
「でも、わたしもう十歳だよ。お姉さまは10歳のとき、お相手の家で婚約式をしたんでしょう?わたしはそういうこと、しなくていいの?」
アリアネルは箱入り娘だったが、貴族としての教育は屋敷の中できちんと受けていた。
彼女は自分が貴族としての義務や社交を一切行っていないことを、不安に思っていたのだ。
それを聞いた父親は泡を吹いて倒れた。
「お父さま!?」
「アリーが婚約……?よその家に?あ、ありえない……相手は誰だ……殺してやる……」
「お父さま!死なないで!」
半ば気を失った状態でうわごとを口にする父に、アリアネルは顔を縋りつき、その瞳いっぱいに涙を浮かべる。
一方の母親は落ち着いた様子でアリアネルの涙を拭ってやる。
「大丈夫ですよ。お父さまは絶対にしてはいけない想像を勝手にして、自爆しているだけですからね」
「大丈夫には見えないよ……」
「まあ死ぬほど苦しんではいるでしょうからね。私も、あなたが誰かの下に嫁ぐなんて、想像しただけで舌を噛みちぎりたくなります」
母親は笑顔のままだったが、よく見るとそれは硬直し、引きつっている。
「どうして急に外に出たいなんて言い出したの?お屋敷が嫌になったわけじゃないんでしょう?」
「はい。……でも、いいんでしょうか」
母親はもごもごと口ごもるアリアネルの頭を撫で、遠慮せず言ってごらんなさい、と促す。
「わたし、いつも、お屋敷の中で遊んでばかりで、でも他のみんなは、お仕事とか、たくさんしてて、わたしは、なにもしなくていいのかなって思って……」
「……あなたって子は本当に」
母親はアリアネルを抱きしめる。
「アリー。よく聞いてちょうだい。私たちはあなたのことをとても愛しているわ。みんなあなたのことが大好きなのよ」
「わたしもみんなが大好きです」
「私たちが笑顔だと嬉しい?」
「はい!」
「私たちもあなたが笑顔だと嬉しいわ。あなたの笑顔が、私たちの一番の幸せなの。……もしお屋敷の中にいることが退屈になったり、嫌になったら、そのときはいつでも言ってちょうだい。私たちは決してあなたを閉じ込めたいわけじゃないの。でもね、外はここと違って、悪い人がたくさんいるの。あなたにもしものことがあったら、私たちみんな、二度と笑顔にはなれないわ。だからできれば、外には出てほしくないの」
「……外はそんなに怖いところなの?おばあ様のおうちに行ったときは、すごく楽しかったよ?」
「小さい頃のことをよく覚えているわね。でもおばあ様の家はすぐ近くなのよ。外はもっとずっと広いし、人もたくさんいるの。そこで貴方みたいなとびきりきれいな子は、きっとすぐにさらわれてしまうわ」
アリアネルは母の脅し文句に顔を真っ青にする。
ちょうどそのとき、姉と兄がアリアネルの前に姿を現した。
「お姉さま!お兄さま!」
アリアネルは二人に飛びついた。
涙を浮かべる顔は、朝露に濡れる花弁のように清らかで愛らしい。姉兄は突然の天使の抱擁に相好を崩し、アリアネルをそっと抱き上げた。
「アリー。どうしたの?悲しい顔の理由を教えて」
アリアネルははらはらと涙をこぼしながら訴える。
「危ないから外に出ちゃダメです」
「え?」
「外はすごく怖いところだと聞きました。お兄さまとお姉さまは、すごくきれいだから、さらわれてしまうかもしれません。今日もこれからお外に行くんですよね?行っちゃダメです。お父さまもお母さまも、これからはずっと家にいましょう。みんなもう、外に出るのはやめましょう!」
アリアネルの懇願に、姉兄はきょとんと顔を見合わせる。
母親はそんな二人のために補足を加える。
「アリアネルに外は怖いところだから、できれば出ない方がいいという話をしたのよ。そしたらこの子、あなたたちのことが心配になっちゃったみたい」
「アリー……!」
「なんて優しい子なの……!?」
二人はさらに相好を崩し、代わる代わるアリアネルを抱きしめる。
「ありがとう、心配してくれて。でも私たちは大丈夫だよ。大人だし、強いからね。ちゃんと自分の身は自分で守ることができるんだ」
「……お姉さまは?」
「私も大丈夫よ。剣を振り回したりはできないけど、でも身を守る強さはそれだけじゃないわ。外ではいつも気をはって、舐められないようにしているし、敵を作らないように愛想だってふりまいているから」
アリアネルはそれを聞いて泣き止み、よかった、と胸をなでおろす。
「それじゃあ私も、もっと大人になって、お兄さまとお姉さまと同じくらい強くなれたら、外に出られるようになる?」
「さて、それはどうかな」
ようやく立ち直った父親が、姉兄の手からアリアネルを奪い、その胸にしかと抱きかかえる。
「たしかにうちの家族はみんなとびきりの美人だ。けれどアリアネル、中でもきみは別格だよ。きみの美しさは、他を圧倒している。国中探したって、きみより美しい子はいないだろう」
アリアネルは首を傾げる。
彼女にしてみれば、自分より母や姉の方がずっと美しく、尊い存在だったからだ。
「大きくなるにつれて、さらに磨きがかかっていくだろう美しさだ。間違いなく、誰もがきみを欲しがるだろう。ちょっとやそっと強くなったくらいじゃ、きみは自分の身を守ることはできないだろう」
「そんな……」
アリアネルは悲し気に目を伏せる。
絶世の美貌を持っているということに自覚がないアリアネルは、父親の懸念は、自分があまりにも弱く幼い点にあるのだろうと思い込んでしまう。
「きみはなにも悪くないよ。悪いのは邪な考えを持つ者たちだ。……それと、しいていうならきみをこんなにも美しく生んでしまった彼女のせいかな」
父親の皮肉に、母親はどこか照れたように、肩をすくめて返す。
「あら、それなら半分はあなたのせいよ。……でもそれにしたって、アリーはきれいすぎるわ。特にこの宝石の瞳……。先祖返りかしらね。うちに魔法使いがいたのは、もう何世代も前のことだけれど」
アリアネルは母親の言葉に小首を傾げる。
「先祖返り?魔法使い?」
「言ってなかったかしら?何世代も前の話だけど、うちに魔法使いが嫁いできたことがあったのよ」
「魔法使いって、本当にいるの?おとぎ話じゃなくて?」
「ええ。本当にいたのよ。今ではもういなくなってしまったけど、昔はたしかに魔法使いがいて、国を支えていたというわ」
「すごい……!」
アリアネルは先ほどまでの不安も忘れて、目をきらきらと輝かせる。
母親はその輝きに目を細めながら、あなたの目は魔法使いのものよ、と言った。
「輝く宝石の瞳。魔法使いはみんな、アリーと同じような美しい瞳を持っていたというわ」
「じゃあ、わたしも魔法が使える!?」
「どうかしら。魔法使いはもういなくなってしまったから、誰にも教えを乞うことができないし……」
「自分でがんばってみる!」
アリアネルは父親から降りて、胸をはった。
「わたし、魔法使いになるよ。それもすごく強い人に!そしたらみんなと外に出られるし、怖い人からみんなを守れるもん!」
アリアネルは、やはり、危険だと脅されても、家族が望んでいなくても、屋敷の外に出てみたいという思いがあった。貴族としての責務を立派に果たし、一人前になりたいと思っていた。
「娘が魔法使いか。本当にそうなれば、これ以上誇らしいことはないよ」
「そうね。それなら、外に出しても不安はないわね」
父母はそう言ってアリアネルの頭を撫でた。
「魔法使いに関する文献を見つけたら、必ず手に入れてきてあげよう」
「もし使えるようになったら、一番最初に私に見せてね」
姉兄はそう言って、アリアネルの手を握った。
アリアネルはまかせて、と意気込んだ。
家族はみな優しい言葉をかけたが、アリアネルが本当に魔法使いになれるとは、誰も思っていなかった。
ただ彼らは心から安心していた。
この美しい末娘が外に出ればどうなるか、彼らはみなわかっていた。
社交界の注目となることは間違いない。誰もが彼女を欲しがるだろう。家族はそんな人びとの邪な感情から、アリアネルを守り抜こうとしていた。
生涯この屋敷に閉じ込めておくことになっても、この清く美しい宝石には、傷一つつけさせない。
そのためならば、彼女自身を騙すことも厭わなかった。
それが、アリアネルと果たせるはずのない約束を交わした理由だった。
しかし当のアリアネルはそんな家族の思惑は露とも知らず、無邪気に夢想するばかりだった。
いつか魔法使いになることを。
一人前の貴族になることを。
そして家族と、いつまでも幸福に暮らし続けることを。




