2『やがてご令嬢は王子様の心を射止めました』
アリアネルが魔法使いになると宣言してから、二年の月日が流れた。
12歳になったアリアネルは、当然ながら、未だに魔法を習得していない。
そもそも彼女は魔法がどういうものかも理解していなかった。
文献に残る魔法使いは、万病を癒す薬を作り、手で触れずに物を動かし、空を飛び、人の心を読み、千年を生きるという。
魔法を知らぬ人びとにとって、それはどれも荒唐無稽な話だった。
魔法使いがどのような方法でそれを為していたのかもわからない。
アリアネルの魔法の知識は、兄が持ち帰る文献から得るものがすべてだった。
しかしそれらのほとんどは歴史書や伝記で、具体的ことはなにひとつ書かれていなかった。
「こんなんじゃわたし、いつまでたっても外に出れないよ」
アリアネルは齢の近いメイドに吐露した。
「自分で言いだしておいて、やっぱり無謀だったかも」
「魔法なんかなくても、そのうち外に出してもらえるようになると思いますよ」
幼いころから屋敷に使えるメイドは、アリアネルとは友人のような関係だった。
アリアネルにとって彼女は、家族以外で心置きなく話をすることができる唯一の相手で、家族同様に大切な存在だった。
「アリアネル様はとびきりの美人ですから、ご主人様方が過保護になるのはわかります。でも、アリアネル様は伯爵家の娘ですから、いつまでもお屋敷に籠りきりというわけにもいかないはずです」
「わたしもそう思うよ。でもお父様は、私が病弱ということにしてね、お茶会とか夜会のお誘い、全部断ってるの」
「今まではそれで済んだかもしれませんが、アリアネル様の噂は、もう国中に広がっていますから、時間の問題ですよ」
メイドはアリアネルの噂がすでに国中に広がっていることを知っていた。
伯爵家がどれだけひた隠しても、使用人や領民の口を塞ぐことはできない。アリアネルの美貌が齢を重ねるごとに磨かれていくように、その噂もまたとどまるところを知らなかった。
伯爵のもとへはアリアネルに一目会わせてほしいという嘆願が殺到し、彼女へ送られてくる招待状は日に十通を超え、肖像画が売りに出される始末だった。
中でも最も熱をあげているのは、アリアネルと近い年頃の子息を持つ貴族たちだった。
「アリアネル様ももう12歳ですし、そろそろ誰かと婚約しなくちゃいけないじゃないですか。そうなれば嫌でも、外に出ることになると思いますよ」
「……婚約かあ」
アリアネルは婚約者を持つには適齢期だった。
親の決めた相手と婚姻を結ぶこと。それも貴族として大切な務めだった。
しかしこの歳までアリアネルは恋愛どころか男性と話した経験はほとんどなかった。父か、兄か、老齢の執事と庭師がせいぜいだった。
そもそも伯爵家に使用人はほとんどが女性だった。
アリアネルに万が一のことがないよう、伯爵が男性を締め出してしまっていたのだ。
「実感わかないなあ。男の子と、なにを話したらいいかなんてわからないし」
「アリアネル様と話したい男の人はたくさんいると思いますよ」
「会ったこともないのに?……ちょっと怖いな」
アリアネルは瞼をふるわせた。
伏したまつ毛が、瞳に影を落とす。儚げなその表情に、彼女の顔を見慣れているメイドですら、思わず見惚れてしまう。
「アリアネル様は、ほんとうにおきれいですね。きっと表に出たら、噂以上だって、殿方の心をみんな射止めてしまいますよ。……それこそ王子様だって」
「言いすぎだよ。殿下まで引き合いに出すなんて、不敬だよ」
しかしこのメイドの軽口は、ほどなくして現実となる。
アリアネルの噂はやがて王宮にまで届き、一目会いたいと、国王自ら召喚を命じたのだ。
**
「よもやこれほどのものとは……」
国王主催の晩餐会で、アリアネルは初めてその姿を人前に晒した。
まだ12歳とはいえ、あまりにも美しい彼女の出で立ちに、老若男女問わず、会場中の誰もが息を飲み、目をみはった。
感嘆の息をもらすものもいれば、喉をならすものもいる。
父親は慌ててアリアネルの傍に寄った。母親と姉兄もそれに続き、下賤な考えを持つ者たちからアリアネルを少しでも隠そうと寄り添いあった。
しかし家族もさすがに、玉座の国王の視線を遮ることはできない。
国王は正面からアリアネルの容姿をじっくりと眺め、それから隣に立つ王太子の耳に、顔を寄せた。
18歳になる王太子、クレイ・アーバスノットもまた、類まれなる美丈夫だった。
自身が容姿に恵まれたためか、器量好みに育った彼は、メイドから小姓に至るまで、顔立ちの整った者だけを選んで傍に置いていた。
目の肥えた彼は、大抵の美人には見向きもしない。
しかし目の前に現れた、絶世の美少女を前に、彼はたちどころに心を奪われてしまった。
瞬きすることすら忘れ、食い入るように見入ってしまった。
「欲しいか?」
国王はそんな彼に耳打ちをした。
クレイは彼女から視線を逸らすことなく、頷いた。
「欲しいです。……なにに変えても」
**
「ああ、やはり外に出してはいけなかった!」
晩餐会から数日後、王宮は伯爵家に皇太子とアリアネルの婚約を申し出た。
父親は頭を抱えた。
婚約の申し出は国王直々のもので、伯爵家に拒否権はない。
それでも父親はどうにかして断ろうと、さまざまな理由をでっちあげたが、王宮は断固として譲らなかった。
アリアネルが病弱であろうが、子を為せぬ身体であろうが、癇癪持ちであろうが、一向にかまわない。伯爵家が望むだけの結納金を用意する。
もちろん実際はアリアネルの心身にはなんの問題もない。けれど例えあったとしても受け入れると、王宮は申し出た。
破格の条件だったが、伯爵はそれでもアリアネルを手放すことができなかった。
しびれを切らした王宮は、ついに脅しをかける。
アリアネルをよこさないのであれば、最悪の場合、家を取り潰す。伯爵家の者に、命の保証はない。遠まわしではあるが、王宮はほとんど命令していた。
死にたくなければ、アリアネルをよこせ、と。
伯爵は苦心の上、ついに決断する。
「アリアネル、きみと皇太子殿下との婚約が決まった」
「……わかりました。謹んでお受けいたします」
アリアネルは父親の決定を、粛々と受け入れた。
父親は末娘に詫びた。
「ふがいない父親ですまない」
「謝らないでください。お父様。むしろ私は、お父様のご決断に感謝しています。こんな私でも、ようやくお家の力になることができるんですから」
それはアリアネルの本心だった。
自分が王家に嫁げば、伯爵家の力は増す。爵位はあがり、領地も栄える。家の役に立ちたいと長らく願っていたアリアネルにとって、断る理由はなにもなかった。
父親はそんなアリアネルを強く抱きしめてやることしかできなかった。
「きみは本当に天使のような子だ。……きみを最後まで自分の手で守れないことが、悔しくてならないよ」
父親は自身の無力を恨んだ。
歴史はあるが、さほどの力も持たない伯爵家が、王家に逆らうことなど不可能だ。
それでなくとも、アリアネルを狙う輩は無数に存在していた。有力貴族から、人身売買を生業とする者たちまで、さまざまだ。
力づくで彼女を奪おうと、屋敷に侵入者があったことも一度や二度ではない。
そんな暴漢たちから末娘を守り切れるか、伯爵は自信がなかった。
少なくとも屋敷にいるよりは、王宮というこの国で最も厳重に守られている場所に置いた方が安全だろう。伯爵はそう考え、王宮からの申し出を飲むことにした。
母親も姉兄もはじめは猛反対していたが、アリアネルの安全が第一と、最後は折れた。
こうしてアリアネルは皇太子の婚約者となり、王宮預かりの身となった。
王宮は大いに沸き立った。
王宮はもとより華々しい場所であったが、アリアネル一人の存在で、その色付きは数倍にも増し、彼女を一目見ようと、他国からの来訪者も増えた。
外交が活発化し、国全体が賑わいを見せた。
しかし当のアリアネルは、王宮内で肩身の狭い思いをしていた。
婚約者である王太子が、公務そっちのけで、四六時中彼女に付きまとっていたからだ。
「……あの、殿下」
「……」
「殿下、私これから、王妃様のお茶会に出席しなくてはいけなくて……」
「……」
王太子クレイはアリアネルの問いに答えず、ただじっと、椅子に腰かける彼女を凝視している。
アリアネルはため息をついて立ち上がる。
するとクレイははっとして、ようやく口を開く。
「また母上のお茶会か?昨日もだろう。今日は断ってしまえ」
「ですが……」
「私から言っておく」
クレイは部屋の外に控えていた侍従に声をかけ、断りを入れるよう言伝する。
「さあこれでいいだろう。その対なる宝石を、もっとよく見せてくれ」
クレイはアリアネルの頬をつかみ、鼻先が触れるほどその顔を近づける。
アリアネルは顔を背けようとするが、クレイの手は固く、ふりほどくことはできない。
アリアネルは唇を噛み、きつく目を閉じる。
クレイはため息をつき、アリアネルの目蓋にそっと口をつける。
「っ!殿下、いけません……!」
「君も強情だな」
クレイはため息をつくと、アリアネルを長椅子の上に押し倒す。
「ここにきてもうひと月もたつというのに、いつになったら慣れてくれるんだ?恥じらう姿も愛らしいが、せっかくの瞳をそうも隠されては興ざめだ」
クレイは怯えるアリアネルの瞳をうっとりと覗きこみ、感嘆の息をもらす。
「ああ、やはり美しい。この世のどんな宝玉も、君の前では炭と化す……」
アリアネルは顔を真っ赤にして再び目を瞑った。
羞恥と、怒りで、アリアネルの胸はいっぱいだった。
私はモノじゃない!そう言って突き飛ばしてしまいたかった。
けれど皇太子相手に彼女ができることはなにもない。
アリアネルは耐えなければならなかった。
なぜならば彼女が王宮で問題を起こせば、伯爵家の立場が危うくなってしまうからだ。
アリアネルは愛する家族のため、クレイを拒絶するわけにはいかなかった。
「殿下、どうか、お許しください……」
「私のものをどう扱おうが、私の勝手だろう」
クレイはそう言って、アリアネルの口を塞ごうとする。
「貴方たち、なにをやっているの!?」
間一髪のところで、怒り心頭の王妃が二人の前に現れた。
クレイは慌ててアリアネルを解放し、居住まいを正す。
アリアネルもすぐさま起き上がり、拝礼する。
「なにをしていたたかと聞いているの!」
王妃の問いに、クレイは素知らぬ顔で言ってのける。
「さあ?詳しいことは彼女に聞いてください」
「で、殿下……!?」
「それじゃあ私は公務に戻ります」
クレイはそう言って、さっさと部屋を出て行ってしまう。
王妃もそれを咎めることなく、すべての責任はお前にあるとでも言いたげな鋭い視線をアリアネルに投げかける。
アリアネルは縮こまり、なにも言うことができない。
王妃はアリアネルの萎縮をいいことに、嘲笑して結論付ける。
「お前がなにも言わないのであれば、私の推測が正しいということね」
「え……」
「あの子を誑かすことに忙しくて、私の誘いを断ったんでしょう?」
「そ、そんなことは……!」
「弁えなさい!」
王妃はアリアネルに、一切の反論を許さなかった。
「自分の立場がわかっていないようね?まだ嫁いだわけでもないのに、いっぱしに王族気取りなのかしら?容姿以外なんの取柄もないくせに……男に媚を売る前に、少しは自力で立ち回る努力をしたらどう?」
アリアネルの頭は真っ白になった。
これまで王妃から嫌味を言われたことはあっても、ここまではっきりとした侮辱の言葉は受けたことがなかった。
アリアネルは感情が追いつかず、呆然と目を見開くことしかできなかった。
王妃はそんな彼女に、思わず見入ってしまう。
アリアネルに対し深い嫉妬心を抱く王妃でさえ、その瞳の魅力に抗うことはできなかった。
王妃はすぐ我に返り、アリアネルに背を向ける。
あの瞳が自分のものであったなら、という羨望の思いを噛み殺しながら、王妃は吐き捨てた。
「クレイとの接見は当面禁ずるわ。これを期に、心を入れ替えてすこしはその悪癖を治すことね」
誰に色目を使った覚えもないアリアネルは、王妃の言葉に深く傷ついた。
しかし同時に安堵もした。少なくともこれで当分、王太子の顔と関わらずに済むのだ。
王宮内での生活が、少しは平穏になるかもしれない。
アリアネルはそう期待したが、現実は甘くはなかった。
**
王太子が離れた代わりに、別の者たちが、アリアネルに近づいてくるようになった。
王宮勤めの士官や騎士、教育係の壮年の貴族までもが、アリアネルに言い寄ってくる。誰もが遠慮なくアリアネルを眺め、気を引こうと躍起になった。
皇太子の婚約者相手とは思えない態度だったが、咎める者はいなかった。
なぜなら本来アリアネルの庇護者で監督役であるはずの王妃が、それを黙認したからだった。
王妃はアリアネルを王宮から追い出したいと考えていた。
しかし国王と王太子の寵愛を受け、かつ外交の活性化の立役者である彼女を追放することは容易ではない。
そこで王妃はアリアネルの不貞を演出しようとした。
アリアネルへちょっかいをかける男たちを止めず、むしろ煽りたてた。
その効果はすぐに表れた。
アリアネルはどこにいても男たちに付きまとわれ、まるで彼女自身が彼らを侍らせているような有様だった。
痺れを切らしたアリアネルは、王妃に窮状を訴えた。
しかし王妃はすべてアリアネルが悪い、と跳ね返した。
「貴方が誰彼構わず色目を使うからいけないんじゃない」
「そんなつもりは……」
「この期に及んでまだ言い逃れようとするの?ねえ、一体誰のせいで、王宮の風紀は乱れているのかしら?貴方が毅然とした態度で断りを入れれば、彼らだってあんなにしつこくはならないはずよ」
「……申し訳ありません」
アリアネルはやはり耐えるしかなかった。
王妃はああ言ったが、アリアネルはまだ子どもで、おまけに箱入りの世間知らずだった。男をあしらう術など知る由もなく、ましてや相手が自分よりも身分の高いものであればなおさらだ。
アリアネルの抵抗がないことをいいことに、男たちの行動はエスカレートしていく。
そしてついに、アリアネルは寝込みを襲われてしまう。
あわやというところで助けられたが、幼い少女が受けたショックは並大抵のものではなく、以降アリアネルは塞ぎこみ、王宮内でまともに振る舞うことができなくなってしまう。
男性を見るだけで硬直し、話しかけられても返事ができず、触れられようものなら失神してしまうという始末だった。
王妃はここぞとばかりに、アリアネルと王太子との婚約を破棄するよう、国王に進言した。
「あの様子ではとても后など務まりません」
しかし王太子はこれに猛反発した。
「后として機能しないなら、妾として迎え入れます」
「正妃を持つ前に妾を?前代未聞だわ。あんな子を妾妃にしたあとで、まともな正妃を迎え入れられると思ってるの!?」
「ではあれの存在は隠します。離宮に閉じこめて、表に出さなければいい」
「そして貴方も公務をおざなりにして離宮に入り浸るというわけ?話にならないわ」
母子は互いに一歩も譲らなかった。
国王は板挟みになったが、彼もまたアリアネルの虜の一人であった。
「ではこうしよう。彼女は一度伯爵家に戻す。だが婚約は破棄させない。しばらく療養させるんだ。そして調子が戻り次第、すぐに婚姻を結ばせよう」
王妃も王太子もこれに異を唱えたが、王はこれを最終決定とし、覆すことはなかった。
王妃はしぶしぶ了承した。
婚約の破棄には至れなかったものの、アリアネルを王宮から追い出すことには成功したからだ。
一方の王太子は、建前上は了承したものの、アリアネルを家に帰すつもりは微塵もなかった。
**
アリアネルは襲われたあの日から、うまく眠ることができなくなっていた。
なかなか寝付くことができず、眠れても、数時間で目が覚めてしまう。
寝不足のため日中は頭に靄がかかったようで、なにも頭に入らない。唯一意識が冴えるのは男性が近づいてきたときで、身体は硬直し、恐怖で全身は震あえがるが、本能なのか、意識だけははっきりする。
このままではいけない。
そうは思っていても、恐怖を克服することは難しかった。
自分は一生このままなのだろうか。
この王宮で、飲み込んで、耐えて、我慢して、生きていかなくてはならないのだろうか。
アリアネルは静かに泣いた。
ほんの数か月前のことなのに、伯爵家にいた頃が、ひどく遠い昔のように思えてくる。
魔法使いになると、夢見がちなことを言って、貴族としての務めを果たすと豪語していたあの頃。
いつまでもあのままでいたかった。
アリアネルはその切望を、そっと口に出して呟いた。
「……帰りたい」
「どこにだ?」
「あっ……!?」
アリアネルは悲鳴をあげようとするが、寸前で口を塞がれてしまう。
突如寝台の上に現れた男は、アリアネルを組み敷き、一切の身動きを封じる。
「お前の居場所はここだろう」
アリアネルは恐怖で目を見開く。
アリアネルを押さえつけるのは、クレイだった。
以前襲われた時とまったく同じ状況だった。
アリアネルの頭は恐怖で真っ白になる。
クレイはゆっくりとアリアネルの口から手を離した。
恐怖に震えるアリアネルは、ただの一言も発することができない。
ただ宝石の瞳を恐怖に見開いて、涙を流すことしかできなかった。
「ああ……きれいだ……」
クレイは恍惚の表情で、アリアネルの頬を撫でる。
「怖がらなくていい。私は決して、君に乱暴なんてしない」
クレイはそう言うと、アリアネルをその膝に抱え上げた。
そしてあやすようにアリアネルの頭を撫でる。
アリアネルの震えが収まるまで、その瞳を眺めながら、愛撫を続ける。
やがていくらか落ち着きを取り戻したアリアネルは、絞り出すようにして言った。
「離してください」
「大丈夫。僕は君を傷つけたりしない。幼い君の身体を無理に開くこともしない」
「……それでも、いやです」
クレイは恍惚とした表情のまま、アリアネルの顎をつかむ。
「どうしてわからないんだ?容姿しか取り柄のない君を貰い受けてやろうという、私の優しさが」
「私は、殿下を、優しいとは、思えません」
「優しいだろう」
クレイはおもむろに、アリアネルの眼球を舐めた。
「ひっ……!」
「私は優しいから、君の眼球を抉りだして飾り物にするようなことはしないし、君を絞め殺して、その身体をはく製にするようなこともしない」
クレイは笑っていたが、その目には一切の光が無かった。
「優しいだろう?私は」
アリアネルはがたがたと震えながら懇願する。
「家に帰してください」
「……それはできない」
「お願いします」
「……家族が恋しいのかい?」
アリアネルは頷いた。
クレイは暗い瞳のまま舌を打った。
「私より君に優しくできる人間なんていないと思うけれど」
アリアネルは震えるだけで、なにも答えなかった。
クレイはしばらく黙っていたが、やがて諦め、深く息を吐いた。
「仕方ないな。他ならぬ君の頼みだ。かなえてあげよう」
アリアネルは再び目を見開いた。
恐怖ではなく、希望のために開かれたその瞳は、クレイがこれまで目にしたことがないほど強い輝きを放っていた。
「感謝します、殿下」
破顔するアリアネルに、クレイも笑顔を返す。
内心に沸き立った、激しい独占欲を押し隠しながら。




