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挿話『アーリヤの弟子入りとブドウジュース』

幕間『アーリヤの弟子入りとブドウジュース』


「ピーチさん、ご無沙汰してます」

「あら、アーリヤちゃんいらっしゃい!」


 店に入ってきたアーリヤをピーチの良く響く明るい声が出迎える。

 まだ準備中らしい店内は逆さになった椅子が丸テーブルの上に乗せてあった。

 ピーチは床を磨いていたようだ。


「御忙しい所に申し訳ありません。

 こちら、差し入れです」


 アーリヤは手提げ包みの中から綺麗な花柄の紙箱を取り出す。


「まあ! エルフィル工房の新作チョコレートね。

 嬉しいわ、ありがとう」


「あの方共々いつもお世話になっておりますので」


 ぺこりとお辞儀したアーリヤをオークの巨漢は太い腕で力強く抱きしめた。


「今日は何の御用事かしら?

 スパイスが足りなくなっちゃった?」


 アーリヤは料理用の香辛料を時々ピーチから分けてもらっている。

 だが少女はふるふると首を振った。


「キリゥさん達はどちらにいらっしゃるでしょう」



◆◇◆


 貧民街の路地の裏。

 数少ない日当たりの良い空き地の隅でリザードマンの男は小さな台の上に三つのカップを置いていた。

 彼はさいころを一つ取り出し、真ん中のカップを被せて隠す。

 そして残り二つのカップは空のまま逆さに伏せた。


「へっへっへっ……よーく見てな」


 しゃがんで目を皿のようにした三人の子供達の前でリザードマンは両手を風のように動かす。

 目まぐるしくカップを入れ替えてから彼はニヤリと笑った。


「さあ……どれだ?」


 二人の少年が右端のカップを指差す。


「お前は?」


 リザードマンは一番年下の少年に声を掛けた。

 少年の顔は垢と泥とその他諸々で真っ黒で、麻のシャツには穴が三つ空いている。

 少年はおずおずと真ん中を指差した。


 リザードマンは頷き、まずは右端のカップを開ける。

 中にはサイコロが一つ入っていた。


「当たりだ、坊主ども」


 歓声を上げた二人の少年にリザードマンは銀貨を一枚ずつ放った。

 彼は一人がっくりとうな垂れた少年の頭を優しく撫でた後、真ん中のコップを開けた。

 中にはさいころが二つ入っていた。


「おっと、大当たりだ」


 リザードマンは唖然とする少年達の前で大きく笑いながら二枚の銀貨を一番年下の少年にくれてやった。


「イカサマじゃん!」

「キリゥずるいぞ!」


 二人の少年は当然の抗議をするが、彼は余計楽しそうに笑うばかりだった。


「それもゲームの内だ。

 悔しけりゃ見破って見せな」


 そう言ってキリゥはポンポンポンと三人の頭を撫でた。



 少し影の指した一角では美しいダークエルフの女がリラを奏でながら歌っていた。

 控えめで繊細なリラの旋律は、甘く透き通る声をこの上なく美しく彩っている。

 まるで美女の裸体を流れる宝石の粒のように。


 それは森の民の古い民謡だった。


 嫌われ者の蛇が自分を除け者にしてきた動物達を助けるため、森の火事を一匹で食い止めて死んでしまう歌だ。


 人々は彼女の周りに座り込み、吐息すら躊躇うほど静かに耳を傾けている。

 最後の一音の余韻が過ぎ去った後、彼らは割れるような拍手をして次の曲をねだった。


「メレル姉ちゃん、次はあれ歌って!

 『雑貨屋の娘』!」


「お前はさっきリクエストしたろ!

 次は俺達の晩だぞ!」


「だいじょーぶ、だいじょーぶ。

 今日は日が暮れるまで歌ったげるからね~」



 一番日当たりの良い広間の真ん中では身の丈二メートル近い巨大な黒いコボルトが陣取っている。

 彼は大きく足を広げて腰を落とし、ゆっくりと両腕で宙に円を描くような奇妙な舞いを踊っていた。

 その舞は流れるように体の姿勢を変えていく。

 一本足になって上体を横へ伸ばすような姿勢。

 そのまま膝を曲げて両手を付き、平たく伸ばした体を地面スレスレまで下ろす姿勢。

 続けて体を反転させ、空へ大きく弧を描くように仰け反る姿勢。

 それは奇妙でありながら不思議に力強く、流麗で淀みない。


「ヘイヤン!

 ここの動きは無理だよ!」


「足のむきがちがう。

 手がはなれすぎ。

 体のおもさのわけかたがわるい」


 彼の周りでは子供達がその舞を真似ていた。

 舞をマスターするとこの巨大なコボルトのように強くなれるともっぱらの噂なのである。 



 多くはヒューマンの弧児達だったが、コボルトやゴブリン、オークや獣人の男女も三人の演技に参加していた。



「キリゥさん!

 メレルさん、ヘイヤンさん!」


 アーリヤは三人へ声を掛けた。



◆◇◆



 アーリヤは三人の演目に参加した。

 キリゥと共に手品をし、メレルに合わせて歌い、ヘイヤンの後に舞踏を披露した。

 最後に色取り取りの飴玉やチョコレートの包みを子供達に配り、大喜びする彼らに手を振って三人組と共にピーチの店へやってきたのだった。


 テーブルには香辛料を刷り込んだ子豚の丸焼きや新鮮な野菜をたっぷり煮込んだスープなどのご馳走がずらりと並んでいる。


「御三方の羽振りは大変よろしいようですね」


「へっへっへっ…まあな。

 ちょいとハードな仕事してきたばっかでよ」


「わーい、お酒だ。お酒だ。

 うぇひひひひ」


「ピーチ、おかわり」


 キリゥは楽しそうに金貨を数え、メレルは浴びるように酒を飲んでいる。

 ヘイヤンはピーチがお代わりを持ってくるまでの間、骨をバリバリとかじっていた。


「ヘイヤンさん。

 骨って美味しいですか?」


「うまい。なかみがうまい」


「中身?」


 ヘイヤンは一本の骨をバキッと噛み砕いて見せた。

 折れた骨の端からとろりと赤いものがこぼれる。


「なるほど、骨髄ですね」


「アーリヤもたべろ。

 力がつく。大きくなれる」


「ではお言葉に甘えて」


 アーリヤはヘイヤンと共にバリバリと骨を噛み砕き、仲良く骨髄を啜った。


「アーちゃん、すごぉい……

 ヘイヤンと一緒にソレできるヒト初めて見た……」


「で? 今日は何の用よ。

 まさか俺らと一緒にショーやりに来たわけじゃあるめえ」


 アーリヤはナプキンで口元を拭いてから姿勢を正した。


「戦い方を習いたいのです」


 三人はお互いの顔を見合わせた。



◆◇◆



「どしたのアーちゃん。

 そんないきなり」


「心配しなくたってお前さんに勝てる奴なんかいねーよ。

 その気になりゃあの野郎が止めない限りこの国ごとドボンだろ」


「アーリヤは強い」


「違います。

 そうではないんです」


 アーリヤはテーブルの上に身を乗り出した。


「この身の真価を、もっと引き出したいのです」


「何だオイ。

 よっぽど痛い目にでも会ったか」


 キリゥは針のような牙を覗かせながらニヤニヤと笑っている。


「ま、お前さんがも少し賢いやり方を学びたいってんなら殊勝なことだけどよ。

 誰に習いてえんだ?

 三人一気だとゴッチャゴチャになるぞ」


 アーリヤは巨大なコボルトに向き直る。


「ヘイヤンさんに教えを乞いたいと思っています」


 ヘイヤンは鼻をヒクヒクと動かして首を傾げた。


「アーリヤは強い」


「ソレはさっき聞いたってば。

 ねえ、アーちゃん。理由聞いてもいい?」


「ヘイヤンさんは武器を使われないでしょう。

 私も武器は使いたくありませんので」


「どして?」


 アーリヤは胸を張った。


「あの方から賜いしこの身こそ、如何な刃にも勝る武器だからです。

 竜の鱗を裂く伝説の剣より私の体の方が強く美しく尊いものです」


「戦い方云々の前にまずその性根をどうにかしろや」


 キリゥは天井を眺めながら毒づいた。

 メレルは苦笑している。


「だからアーちゃんはそういう服が好きなんだねえ」


「こうして肌を晒せば如何に私が素晴らしい出来栄えか、誰の目にも火を見るより明らかというものでしょう?」


「アーちゃんは本当にグリちーのこと大好きだね」


 アーリヤは顔を赤く染めて俯いた。

 メレルは彼女の頭を撫でて『いいこいいこ』している。


「あの方には内緒ですよ。

 すぐ付け上がりますから」


「言わない言わない。

 アーちゃんは可愛いなぁ~」


「だがよお、ヘイヤンは伊達や酔狂で武器使わないんじゃねえぞ。

 “使えねえ”のよ」


「使えない?

 何故ですか?」


 ヘイヤンはずいっとテーブルの上にフサフサの手を差し出した。

 そしてアーリヤの目を見て頷く。

 彼女はその手を取って握手した。

 軽く握られたのでアーリヤは握り返す。


「これが限界」


「え?

 まさか!」


 アーリヤは試しに少し強めに握った。

 ヘイヤンの黒い大きな手は握られるがままだ。


「アーリヤ、いたい」


「!

 ごめんなさい」


 彼女はすぐさま手を緩める。


「分かったろ。

 コボルトってのはよ、握る力が弱ぇんだ。

 どんな武器も握力が弱くちゃまともに扱えねえ。

 だから拳骨じゃなく掌底になるし、投げ技はあんまり得意じゃねえ」


「やるときはツメでひっかける」


 アーリヤは今までを思い返した。

 確かにヘイヤンは殴るときも掌で打つことばかりだった。


「オレ、剣はつかえない。

 アーリヤはつかえる。

 つかえばいい」


 アーリヤは俯いていたが、しばらくしてふるふると首を振った。


「検討はします。

 でもまずは無しでどれくらいやれるか見極めたいです」


「それならそれでいい。

 でも……」


 アーリヤが顔を上げるとヘイヤンの尖った鼻先が目の前にあった。

 彼はヒクヒクと鼻を動かし、彼女の目を覗き込む。


「アーリヤ。なぜ強くなりたい?

 ソレ、オレが教えられるかはわからない」


◆◇◆


 アーリヤは真直ぐにヘイヤンを見返した。


「勝つためです」


「じゃあ教えられない。

 キリゥにならったほうがいい」


「俺に押し付けんな」


 アーリヤは眉をひそめた。


「ヘイヤンさんはお強いですし鍛えてらっしゃるじゃないですか」


「きたえる……そう“クンフー”をたくさんする」


「誰かに勝ちたいからでしょう?」


「ちがう」


「じゃあ何のためです。

 まさか趣味で肉体改造を?

 それとも『良い戦いが出来れば勝ち負けは関係ない』だなんて世迷言を?」


 アーリヤは馬鹿にしたような薄い嘲笑を口元に浮かべる。


 横からキリゥが噛み付いた。


「だから真っ先にそういうのを直せっつってんだろが」


「事実を述べたまでです。

 『戦いが好き』だなんてとんだ欺瞞です。

 戦いに負け続けた者が勝負事を好きになりますか?

 なるわけがありません。

 誰だって『勝つ』のが気持ち良いから強くなりたいのです。

 相手を踏みつける快感を忘れられないから戦おうとするのです。

 それを偽るのは欺瞞です。

 私は欺瞞は嫌いですので」


 アーリヤは早口で捲くし立てて得意げな顔をする。

 キリゥは再び天井を向いて「だーめだこりゃ」と匙を投げた。


 ところが出し抜けにヘイヤンが呟く。


「ソレだ」


「何がです」


「負けないためだ。

 オレは負けないために強くなる」


 アーリヤは胡散臭そうに鼻を鳴らした。


「同じことじゃないですか」


 だがコボルトはブンブンと頭を振る。


「ちがう。ぜんぜんちがう」


「禅問答を聞きに来たのではありません!

 そんなものはあの方の屁理屈でたくさんです!

 教えたくないのならそう仰って下さい!」


 アーリヤは両手をテーブルについて勢いよく立ち上がった。

 彼女の目は苛立ちに燃えていたが、ヘイヤンの琥珀色の瞳は変わらず静かに澄んでいる。


「アーリヤは正しい」


 アーリヤは虚を突かれたように息を呑んだ。


「勝つために強くなりたいやつは戦おうとする。

 勝ってもまた戦おうとする。

 勝つのがすきだから。

 だから戦うのをやめない。

 戦って、戦って、さいごの戦いでころされてしぬ。

 それでおしまい」


 ヘイヤンは再び首を振った。

 自分自身の言葉を否定するように。


「オレはいやだ。

 オレはころされてしにたくない」


「ですが……戦いを避けられないときもあるでしょう?」


 ヘイヤンは強く頷く。


「そう。ある。

 だから、そのときのために強くなっておく。

 負けないために。

 踏みつけられないために」


 アーリヤは口をつぐんで考え込んだ。

 やがて確認するように言葉を選ぶ。


「それは…つまり……『守るため』……という、ことですか?」


 それを聞いたヘイヤンは微笑んだ。

 アーリヤはびっくりした。

 この巨大で口下手なコボルトが笑うところを見たのは初めてだったのだ。


「アーリヤは正しい。

 “ラオシ”は言った。

 『勝つためは羅刹(ルオシャ)の力』

 『負けぬためは仏陀(フォツオ)の力』

 オレがならったのはフォツオの力。

 それなら教えられる。

 アーリヤもできる」


 驚いているのはキリゥとメレルも同じようだった。

 何しろ彼がこんなに長く喋ること自体そう無い。

 キリゥはぼそりと呟いた。


「いやぁ……ヘイヤンにゃ悪ぃけどよお……

 こいつにゃ無理だろ」


 だがヘイヤンはブンブンと頭を振る。


「できる。

 アーリヤ、おまえはじぶんがいついちばん強くなるか、しってるか?」


 いきなり質問をぶつけられてアーリヤは戸惑った。


 いつだろう。自分でも分からない。

 憎い相手を心底殺したいと思った時だろうか。

 救いがたい相手を殺戮する許可を主から得た時だろうか。


 アーリヤは言葉に詰まってしまう。


 ヘイヤンは微笑んで答えを教えてくれた。


「グリムを守るときだ」


 その言葉にアーリヤは胸を貫かれた。


「グリムを守るとき、アーリヤはいちばん強い。

 あそばない。ふざけない。

 しんけんに、まじめに、ちゅういぶかく、ぜんりょくで、アーリヤは戦う」


 呆然とする彼女の前でヘイヤンは言葉を続ける。


「グリムとアーリヤここ来たとき、おそわれたと聞いた。

 オレ、おそったやつ知っておどろいた。

 あいつら、強い。

 アーリヤより強いとおもってた。

 でもアーリヤ負けなかった」


 ヘイヤンが言っているのはかつて大臣閣下が放った刺客のことだろう。

 確かにあの時のアーリヤは相手を痛めつけて楽しむ余裕は無かった。


「そういう気持ちがだいじ。

 それをいつも保つこと。

 それなら教えられる」


 ヘイヤンの舌足らずな言葉がゆっくりとアーリヤの胸の奥へ落ちていく。

 それは彼女の荒涼としたどこかに確かに根を下ろした。


 アーリヤはヘイヤンへ深々と頭を下げる。


「ご無礼をお許し下さい。

 ヘイヤンさん、どうか私に“負けない力”をお教え頂けないでしょうか」


「分かった。

 これからはオレのことを“先生(ラオシ)”と呼びなさい」


「はい、ラオシ」


 アーリヤは頭を上げて笑い、ヘイヤンも笑い返した。


「そう。それからオレのことばをマネしなさい。

 『“私は貴方を(ウォーパァイニィ)師と仰ぎます(ヅゥオラァォシィ)”』」


「“ウォー パァイ ニィ ヅゥオ ラァォシィ”」


「うん、正しい。

 『“どうか私を(チン シォゥ シィア)弟子に(ウォー グゥー)して下さい(シュエシァン バー)”』」


「“チン シォゥ シィア ウォー グゥー シュエシァン バー”」


 アーリヤが高低からリズムまでそっくりヘイヤンの言葉を繰り返した後、彼はアーリヤに手を差し伸べた。

 アーリヤはその手を取り、再び深く頭を下げたのだった。


 二人を眺めていたキリゥとメレルは呟いた。


「先は長ぇぞ、ヘイヤン……」


「千里の道も一歩から、でしょ?

 それにあたし達も似たようなもんじゃん」



◆◇◆



 宮廷魔術師の長でもある魔術院長ヴォルフガング・ジルバーシュタインは赤い液体を一口含んで唸った。


「美味いな」


「だろ?

 まあ、ヴォルフにゃワインの方がいいかもだが」


「いや、下手な酒とは比べ物にならん。

 驚いたな…」


 向かいに座る旧友にして死霊術師のグリムとの間には一本の瓶がテーブルに置かれている。

 彼が共通の友人から貰ったブドウジュースの瓶である。


「あんまり日持ちはしないんだとさ」


「あいつらしい。味に拘ったんだろう。

 保存剤を入れるとどうしても風味が落ちる」


「今日全部空けちまおうぜ」


 と言いながらもグリムは自分のグラスをちびちびと舐めている。

 本気で飲み干すつもりがあるのかは怪しいところだ。


 グリムは屋敷を去り際に瓶を持たせてくれた侍女との話を思い出していた。


 このブドウジュースは専用の葡萄から搾られたもので、ワインの材料には使わないのだそうだ。

 ジュースにしても美味しい葡萄はワインの材料にしても同じなのでグリムは尋ねた。


◆◇◆


『さあ……私どもも分かりかねますが、この葡萄は大奥様が御手ずから何十年もかけて、それこそ当家へお入りになられた頃から続けて品種改良をなされました。

 その間一度もワインにはされていません。

 栽培される木も極僅かで、年に取れる量も瓶で5本ほどです。

 ですが品種の名前も大奥様が御名づけになられましたので、差し出がましいですが何か特別な思い入れがあるのやも知れません』


『ラベル…はそもそも無いですね。

 名前を聞いても?』


『はい。

 大奥様はこの葡萄を“レッドハート”と名づけられました』


◆◇◆


 グリムは黙りこくったままグラスを揺らしていたが、やがてぽつりと呟いた。


「日持ちしない……か。

 さっさと飲んで忘れろ……って、ことかねぇ……」


 そしてグラスを置き、再び沈黙する。

 グリムはそのままぼんやりとグラスの中の紅い液体を眺めていた。


 旧友のグラスは中ほどよりも減っていたが、ジルバーシュタインは継ぎ足さなかった。

 地下迷宮の中では変わらないかもしれないが、日はまだ高い。

 彼は旧友が言ったとおり、一本のブドウジュースを二人で飲み干すため、たっぷり一日付き合うつもりだった。


 ジルバーシュタインはグリムとペースを合わせながら彼を観察する。


 傍目にはみすぼらしい男だ。

 何処にでもいるような、誰にも顔を覚えられない特徴の無い顔。


 何よりもツギハギだらけのオンボロローブ。


 ぱっと見では汚れきった一枚の襤褸(ボロ)に見える。

 よく見ればパッチワークのようなツギハギで出来ていることがわかる。

 更に良く見れば、その布が元は上等で実に多彩に渡っていることに気付く。

 そして真の慧眼を持つ者であれば、その中に異様なものが混じっていることを見抜くだろう。


 麻、綿、絹、羊毛の中に混ざっているものは、何かの獣皮、鱗、そして複数種のヒトの肌。


 だが積年の風雨と汚泥に塗れたそれは傍目にはボロにしか見えない。


 けれども今日は一部だけ鮮やかな部分があった。

 ちょうど左胸の位置に鮮やかなワインレッドの小さな布地が当てられている。

 丈夫で柔らかな生地だ。

 それはジルバーシュタインも見覚えがあり、たまらなく懐かしい気持ちにさせられた。


「グリム」


「んあ?」


「俺の場所は決まってるのか?」


 グリムは一拍置いてから力なく笑った。


「いや。

 その時、欠けてる場所か一番薄くなってる場所に当てるのが誓約(ルール)だ。

 でも……な」


 旧友は両肘をテーブルに突いて俯いた。

 だらりと落ちる前髪が深い藪のように彼の顔を遮る。


「しばらく何処も大丈夫そうだから……さ。

 うん……

 まあ……しばらく後でいいぜ。

 本当に……後でさ」


 顔は見えない。

 声は穏やかだ。

 肩が震えてもいない。


 この男がこうしているのは一体何度目なのだろう。


 ジルバーシュタインは思う。


 この男は言わば巨大な白い象だ。

 その気になれば何もかもを薙ぎ倒して望む道を切り開けるというのに、足元を這い回るネズミ達を踏み潰すことを恐れるあまり一歩も動けなくなってしまっている。


 前へ進もうとするときは長い鼻先を器用に伸ばしてネズミたちを払いのけ、慎重に足を下ろす場所を定めなければならない。


 ジルバーシュタインはその白い象を美しいと思っていた。

 そして一方ならぬ恩義が有った。


 だからこそネズミ達を潰さぬよう、孤独な荒野を選ぼうとする彼が不憫だった。

 一匹のネズミから、せめて犬ぐらいの働きをして彼を手助けしてやりたいと願っていた。


「確約はできんな」


「そうか」


「だが昔言ったとおりだ」


 グリムは伺うように上目遣いでジルバーシュタインを見た。


「俺は生きている限り、お前に力を貸す。

 お前が俺を、妹を、ドリーを、ノーラを、皆を守ってくれたように」


「ヴォルフ……」


「俺たちは親友だろう?

 わざわざ言葉にするようなことでも無いが、お前さんは忘れっぽいからな」


 二人は笑った。

 グリムはどこか恥ずかしそうに。

 ジルバーシュタインは満足そうに。


「はあー参っちゃうよね。

 イケメンだよなあヴォルフは。

 俺が女ならコロッといっちゃうぜ」


「気持ち悪いことを言うんじゃあない」


「なあヴォルフ、実は俺まだ諦めてないんだぜ。

 どう?『グリム・シルバーソウル』。

 超カッコいいと思わない?」


「冗談じゃない。

 そんなシロモノ、十年と持ちこたえられるものか。

 お前が異常なんだ」


「ええ~?

 親友だろ~

 ヴォルぴ~」


「その呼び方はやめろ!

 何度言ったら分かる!!」


 ゲラゲラ笑うグリムにジルバーシュタインがヘッドロックをかける。

 二人が冗談半分本気半分の取っ組み合いをしているところへお使いに行っていたアーリヤが戻ってきた。


「アーリヤ!助けて!!

 ヴォルぴーがいぢめる!!」


「あっ……(察し)」


 アーリヤはジルバーシュタインに深々と頭を下げる。


「ジルバーシュタイン様、大変申し訳ありません。

 私の主が救いようの無いアホなばっかりに……」


 ジルバーシュタインはグリムの首を絞めたまま答える。


「気にするな。

 とっくに慣れてる」


「弁護士を呼んでくれ!!

 俺はこの不当な扱いに断固抗議するぞ!!」


 アーリヤはワケの分からない叫び声を上げるグリムを無視してラスクを温め直しに厨房へ行ってしまった。


「チミィ!!

 天才死霊術師にしてチミの創造主たるボキを無視するとは一体全体どういう了見かねェ!」


「素晴らしい忠臣じゃないか。

 お前のことを良く分かってる」


 グリムはヘッドロックの圧を増されて悶絶した。


◆◇◆


 アーリヤはフライパンで軽く炙った黒パンのラスクをお皿に持ってきた。


 焼きたてのカリッとした食感が戻ったラスクは仄かな苦味と酸味と合わさってブドウジュースのお供に絶妙であった。

 決して甘党ではないジルバーシュタインも思わず唸る味である。


「君が焼いたのかね?

 アーリヤ……くん、でよろしいかな」


「ピーチさんから頂いて参りました。

 御呼び方はお好きにどうぞ」


「そんなこと言うと『げろしゃぶ』とか言い始めるぜ、コイツ」


「お前だけだ」

「マスター殿だけであります」


 ハモった非難にグリムはハンカチを噛み締めて抗議の意を表した。

 アーリヤは狂態を露にしている主人と平然とグラスを傾けるジルバーシュタインを交互に見比べた。


 ジルバーシュタインは片眉を上げる。


「何かね?

 お嬢さん」


 銀髪の老人は金色の瞳に微笑を湛えた。

 顎鬚は荒々しくも不思議と不潔に見えず、力強さだけが伝わる。

 魔術院の長を示す灰色のローブはシワ一つ無く上等な仕立てであり、王国随一の魔術師の象徴たるそれを普段着のように泰然と着こなしている。


 かたや彼女の主人はピンクのハンカチを噛み締めて泣き真似をしているオンボロローブの死霊術師だ。


「マスター殿、

 小生常々不思議に思っていたのですが」


「なんじゃらほい」


「ジルバーシュタイン様はご婦人方に大変人気でありますよね?」


「いや、俺は「そうなんだよッ!!!」


 グリムの叫びがジルバーシュタインの言葉を遮った。


「塔でもよおおおお。

 こいつばあああっかりモテやがってよぉぉおおおお。

 ヴォルフ!ヴォルフ!ヴォルフ!

 どいつもこいつもヴォルフ!

 なぜだ!

 なぜこいつだけモテて この俺がモテねえんだ!!」


 グリムはバンと机に拳を打ち立てて「ウウウォォオ」と怨嗟の唸り声を上げた。

 そして血涙を滲ませながらジルバーシュタインを睨み上げる。


 ジルバーシュタインは『ウンザリだ』と言わんばかりに肩をすくめた。


「ですが、お二方はご友人でありますよね?」


「不本意なことにな」


「何言ってんの!?

 親友だろ!?

 親友だらぁ!?」


 アーリヤは喚き散らすグリムと鬱陶しそうに手を振るジルバーシュタインをもう一度交互に見比べた。


「そして……マスター殿は女性に好かれる殿方はお嫌いでありますよね?」


「そうだ!!

 女にモテる男は全員敵だ!!

 俺はこの恋愛至上主義社会に断固として抵抗するぞ!!

 立てよ喪メン!!

 謂れ無き迫害の恥辱からは闘争によってしか解放されんのだ!

 勝てよ喪メン!!

 正義の怒りをもって悪徳なる恋愛強者階級(ブルジョアジー)どもを粉砕するのだ!!」


 グリムは立ち上がって両手を振り回しながらワケの分からない演説をぶちかました。目が血走っている。

 ジルバーシュタインとアーリヤは目を合わせて互いに肩をすくめた。


「マスター殿。ご高説は結構でありますが、一つよろしいですか?」


「ハァ…ハァ…何だい、アーリヤ」


「矛盾してません?」


 グリムはポカンと口を開けた。


「は? 何が?」


「ジルバーシュタイン様はモテてらっしゃいますよね」


「そうだよ。憎い」


「マスター殿はジルバーシュタイン様とご友人ですよね」


「そうだよ。ヴォルフは超良い奴だよ」


「……でも、マスター殿は御モテになる方がお嫌いですよね?」


「そうだよ。モテる奴は全員悪い奴だよ」


「…………やっぱり矛盾していません?」


「なるほど。言いたいことは分かった。

 しかしね、アーリヤ君。それは狭量というものだよ、ウン」


 グリムは一人でウンウンと頷きながら持論を展開する。


「ヴォルフはモテる。それは確かだ。

 その点からするとヴォルフは悪い奴だ!

 でもね、アーリヤ。

 人間は誰しも良い所と悪い所があるもんだ。

 俺はヴォルフの良い所もたーっくさん知ってるんだぞ。

 だからヴォルフに一つ二つ悪いところがあっても見捨てたりしないんだ。

 俺は心が広いからな!フハハ!」


「何て男だ」

「とんでもねえ論理のすり替えであります」


 ジルバーシュタインは頭痛を堪えるように目を瞑って眉間を押さえ、アーリヤは開いた口が塞がらなかった。


「ご自身の醜い嫉妬を人間の多面性の話にすり替えた上に自分アゲに利用するとは流石と言わざるを得ないであります」


「ふふふ、流石俺だろう?」


「流石は小生のアホマスター殿であります。

 思わずイラッと来て血が見たくて暴れちゃいそうであります」


「ステイッ!アーリヤちゃんステイッ!

 俺が悪かったから許してッ」


 グリムはゴキブリのような素早さでアーリヤの後ろに回りよしよしと彼女の頭を撫でる。


 ジルバーシュタインは慌てふためく友人の様子をブドウジュースを舐めながら眺めていた。


 アレは……例えるなら猫か。


 ジルバーシュタインはネズミを追い散らそうと白い象の足の間をグルグルと駆け回る黒い猫を幻視していた。

 何者も象に近寄らせまいと全身の毛を逆立てて周りを威嚇する猫とオロオロしながら長い鼻で宥める象。

 そんな光景が目に映っていた。


 ジルバーシュタインは一つ試すことにした。


「なあ、アーリヤ君」


「何でしょう?」


 丸い大きな目がヴォルフを見つめた。

 ツツジ色の美しい瞳だった。

 ジルバーシュタインはいたずら小僧のような笑みを浮かべて言い放つ。


「実はこの男が影でモテていたと言ったら君は信じるかね?」


 瞳のツツジ色に赤みが強まった。


「ばっ…ヴォルフ!!

 性質の悪い冗談は止めろや!!」


 グリムは大慌てでアーリヤへ向かって支離滅裂な弁解を始める。

 しかし少女は慎ましくブドウジュースのコップを傾けていた。


「そうですか」


「おや、それだけかね?」


「他に何が?

 この方が誰にモテようとモテなかろうとどうでもよろしいです。

 私には関係ありません」


「ほう」


「だってそうでしょう?」


 アーリヤは首を捻ってグリムを見上げた。


「小生のマスター殿は可愛い可愛い小生に首ったけですので」


 そう言ってアーリヤはペロッと火のような舌を出して笑った。

 その笑顔に胸の奥の『男心』と書かれたスイッチをガンと殴りつけられたグリムはよろめき、鼻を押さえた。


「せ……世界一カワイイよ」


「鼻血出しながら言われてもトキメけねえであります」


「でも説得力はあるだろ?」


「女の子はムードを大事にするのであります」


 アーリヤは椅子越しに抱きつこうとするグリムをひらりとかわし、くるりと彼の背中に回って腕を捻り上げた。

 悲鳴を上げて蹲るグリムをニヤニヤと笑いながら見下ろす。


「いたいけな小生の体に悪戯をしようとする悪い手はこうであります」


「そ…そんなことしてないヨ?」


「ウソであります。

 ド変態マスター殿の手は明らかに幼い小生の胸に伸びていました。

 調子に乗ったドスケベマスター殿はオシオキであります」


 アーリヤはグリムを蹴倒して腕ひしぎ十字固へ移行する。

 グリムはアーリヤの白い太ももとふくらはぎに顔を挟まれながら親友へ助けを求めた。


「ヴォルフ!!」


「あーはいはい、ご馳走様」


 ブドウジュースを飲み干したジルバーシュタインは席を立った。

 それを見たアーリヤは喜色満面で腕に力を込める。


「あだだだだ!!

 行くなヴォルフよせやめろ待て!

 頼む親友だろ親友だろぉ!!」


 パタン、と無慈悲に扉が閉まる音が聞こえた。


「親友だろぉぉぉぉぉぉ!!!」



◆◇◆



 背中越しに『ア゛ア゛ァーッ!』という親友の悲鳴が聞こえる。


 ジルバーシュタインは苦笑しながら懐の中で束ねていた呪鎖の術式を解いた。


 グリムが言った『性質の悪い冗談』とは決して保身の言葉ではない。

 ジルバーシュタインも万が一に備えて防御の術を練った上での発言だった。


 しかしどうやらそれは杞憂に終わったようだ。


 仮に少しずつであったとしても、アレは俺が思っているより変わってきたのかもしれない……


 ジルバーシュタインは密かな安堵を胸に、王立死霊術研究室を後にしたのだった。




◆◇◆


 闇。

 闇。

 闇。


 泥のような輪郭の無い闇が辺りを浸している。


 不意に青い鬼火が一つ浮かんだ。

 冷たい灯りが浮かび上げた影は三つ。


 片腕の無い剣士風のヒューマンの老人。

 ローブを纏った司祭風のゴブリンの老人。

 そして眼鏡をかけたあどけない少女。


 少女は跪く二人を前に玉座に腰掛けている。


 二人の老人が口を開いた。


「面目次第もありませぬ」

「いかなる処罰も甘んじてお受けします。」


 老人達は孫ほども年が離れて見える少女へ向かって臣下のようにへりくだる。


「いいんじゃないか?

 威力偵察は成功したわけだ」


 そして少女もまた王の如くそれに応えた。


 少女は老人達と二言三言、言葉を交わした。

 そして手を振ると同時に二人の老人が闇に沈み込むように消える。


「見つけたぞ…」


 少女はレンズ越しに物憂げな視線を闇に投げかけていたが、やがてしがみ付くように膝の上のクッションを抱え込んだ。


(かたき)はとってやるからな…」


 猫の刺繍が施されたクッションは黒ずんだ臙脂色に染まっていた。


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