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第十二話『帰ったら一緒にエルフィル工房のケーキを食べましょう。ね、マスター殿!』
屋敷から出てすぐ、アーリヤはグリムのローブの裾を引いた。
「マスター殿。
この領地はこのまま無事で済むとお思いですか?」
グリムは一度眉を上げてからくしゃっと顔を綻ばせる。
そしてアーリヤの頭を優しく撫でた。
「何でありますか。
鬱陶しいであります」
「いやあ、アーリヤがそんな気遣いしてくれるとは思ってなくて」
アーリヤはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「小生が気がかりなのは自分の仕事が無駄にならないかどうかであります。
こんなド田舎も田舎者どもも大嫌いであります」
アーリヤはドロテーアと戦略的休戦を結んでいたが、別に彼女を好きだったからでもないし、グリムの話を聞かされて改めて好きになったわけでもなかった。
むしろ自分の知らない主人の話を得意気にされるのは極めて不愉快であった。
知識としてそれを得るメリットを優先しただけだ。
何より王国の大臣が提案した援軍を蹴ったことが気に入らなかった。
無論のことそれはグリムが居たからだろうし、居なければ領民を危険に晒すようなリスクは取らなかった筈だ。
だが、ならば自分の愛しい主に全ての負担を押し付けることは許されるとでも言うのか?
結局のところそれに一番腹を立てていたのである。
加えて『あたしとあんたの仲でしょ』とか言い出しそうな所も、それで許されると思っていそうな所も、事実許される仲かもしれない所も、もう何もかもが気に入らなかった。
けれどもその不満をグリムに言うつもりは無い。
だからアーリヤはその後も小さな子供のような悪態を吐いていたのだが、グリムは嬉しそうに頭を撫で続けた。
彼は空をぼんやり眺めながら話し始める。
「この領地がどうなるかは……正直微妙だ。
残された時間でドリーがあの二人にどれだけ伝えられるか……
ただ、まあ、どうなるにせよ王国にとってはそう悪くは転ぶまい」
「その心は?」
「トロール達は遠征に失敗した。
物資はそれなり消耗しただろうし、指揮官の求心力にも影響があるだろう。
となれば、あの大臣さんならどうとでも政治的決着を付けるさ。
そもそもこの件全体を改めて俯瞰すると大臣閣下はトロールがこの街を潰すのを織り込んでた可能性すらある」
「まさか」
「いや、あの人ならやりかないね。
トロールの進軍をあらかじめ察知してたんだから、おそらく周辺領地には既に王国騎士団が展開されてる。偏狭の街一つを生贄にしてトロールの一軍を包囲して殲滅。彼らの最も危険な指揮官と軍事力を削った上でリンドグレーンを直轄領として再編成する。
下手すると向こうの穏健派と既に密約が交わされてる可能性さえあるな」
グリムは完全に他人事な調子で「ま、当てが外れただろうけど」と付け加える。
アーリヤは歩きながらグリムの左に並んだ。
二人はどちらからとも無く手を繋ぐ。
「ではマスター殿」
「ああ。後片付けの時間だ」
グリムはすぐに王都へ帰りはしなかった。
彼はアーリヤを連れて再び竜骨山脈へ戻ったのである。
しかも今回は尾根を越えて闇の森まで降りてきた。
所々に焼け焦げたトロールとゴブリンの遺体が転がっている。
グリムはそれらをゾンビとして起き上がらせ、手分けして自分達の墓穴を掘らせた。
「マスター殿は物好きであります」
「虫魚禽獣、死ねばみなホトケだよ。アーリヤ」
アーリヤもグリムを手伝った。
沢の水から多数のスライムを召還し、森中に散らばった亡骸を集めさせた。
日暮れ前までに全ての埋葬が完了し、グリムは亡者払いの魔術を施した後で祈りを捧げた。
「彼らの信仰からは少しずれるけどね。
何もしないより、ずっと良い」
「思ったより少ないでありますね」
「あの矢は意識を縫い止めるだけのものだからな。
大半は夜明けと共に逃げてくれたはずだ……でも」
グリムは膨大な墓の群れに跪く。
彼は膝を土に汚しながら呟いた。
「これだけの犠牲を出してしまった」
呻くような声だった。
アーリヤはその背中を抱きしめる。
「事態に対して遥かに軽微と言えましょう」
「ありがとう。でも、知ってるだろう?
俺にそういう言い訳は許されない。
力があるんだから……勤めを果たさなければ」
アーリヤは唐突にぐいとグリムのローブを引っ張り、コマのように回して彼と向き合った。
そしてすかさずパンッと彼の頬を張る。
グリムは赤い紅葉が浮いた頬を押さえて呆然とした。
「マスター殿。小生はそんな理屈は大嫌いであります。
『大いなる力には大いなる責任が伴う』だなんてどこかの陰険で底意地の悪い奴が拵えた戯言であります」
アーリヤは怒っていた。
真面目に怒っていた。
激昂するでもなく、青筋を立てるでもなく、静かに淡々と怒っていた。
彼女は口を開けたまま呆けるグリムの前でポシェットから光る何かを取り出す。
「マスター殿、よろしいですか?
ここに一枚の銀貨があります」
アーリヤが突き付けたコインはグリムが上げたお小遣いだ。
彼女は伸ばした腕の先にある銀貨とグリムを同時に睨みながら真剣そのものの顔で言葉を続ける。
「これを然るべき所に寄付すれば味は悪くともたくさんのパンとなって飢えた人を救うでしょう。
幾らかの薬となって病に伏せる人を救うでしょう。
なるほど、そう考えればたかが一枚の銀貨でありますが、これは多くの人命を救う『大いなる力』と言えましょう」
彼女はそこで一度言葉を切った。
そして真面目腐った顔から一転、不敵な笑みで八重歯を覗かせる。
「ですが小生はこれでチョコレートを買います。
小生が食べたいからであります!」
アーリヤはキンと軽い音を立ててコインを上へ弾いた。
宙に浮いた銀貨は回転しながらきらきらと陽光を反射する。
そしてポスッとアーリヤのポシェットに戻った。
彼女は立ち上がると、胸を張ってグリムを見下ろす。
「小生はそれを不実とも悪徳とも思いません。
まず!自分の幸せが最優先であります。
誰だってそうです。そうしてよいのです!」
アーリヤは力強く拳を握って叩きつけるように宣言した。
それは微塵も嘘偽りの無い真直ぐな本心だった。
アーリヤはその場でくるんと回り、胡坐をかいているグリムの懐へすとんと腰を下ろした。
彼女はぐりぐりと背中を彼の体へ押し付ける。
グリムの腕は自然と彼女を優しく抱いた。
「こんなこと……普段のマスター殿なら小生が言うまでもないことであります」
彼女はグリムに顔を見せないまま呟く。
グリムはたまらずアーリヤの体を胸元へ引き寄せた。
「ごめんアーリヤ。
俺が間違ってた」
「どう間違っていたのですか?
小生はお為ごかしは許しませんよ」
アーリヤの声にからかう様な響きが混じる。
しかしまだ振り向いてはくれない。
グリムは胸元で灰銀の髪を揺らす形の良い頭を見つめながら口元を綻ばせた。
「『しなきゃならない』じゃなくて、俺がしたいことだったんだ」
「それにはまだ嘘がありますね。
今日の小生は厳しいであります。
正確で過不足無い表現を求めます」
「うっ!?
えっ…あーちょっと待って」
グリムは「あー」とか「うー」とか唸りながら頭を捻った。「俺は、こうするべき……いやまだ違う」等と何度か呟いた後でやっとそれらしい言葉を見つける。
「……分かった。
俺は『この時こういう選択をする自分でありたかった』んだ。
それが俺の望みだ」
それを聞いてようやくアーリヤはグリムへ振り向いてくれた。
その顔はいつもの嗜虐的な笑みに満ちている。
「小生常々思っていたのですが、マスター殿はどマゾでありますね」
「博愛精神に溢れる身を惜しまぬ男と表現してくれたまえ」
アーリヤは自分にも負けぬドヤ顔のグリムを見てクスクスと忍び笑いする。
「でしたら健気な小生はアホマスター殿の自虐的な趣味に付き合って差し上げます。
マスター殿の助けが必要なしょうもない連中にもチョコレートを分けてやります。
一番大きな美味しい所は小生のものですけどね!」
そしてパカッと口を大きく開けて破顔した。
屈託の無い笑顔に釣られてグリムも微笑む。
「そこは譲れないんだ?」
「当たり前であります。
小生は小生の幸せが最優先であります」
二人は互いに笑みを交わしながら身を寄せ合う。
グリムは顔を少し伏せて、アーリヤの耳元へ囁いた。
「俺は…俺の誤魔化しを容赦なく突いてくれるアーリヤが大好きだよ」
「全く手のかかるマスター殿であります」
森の中で寄り添い会う二人は暫し黙って互いの命を感じていた。
お互いの熱を、匂いを、触れ合う肌を、ただじっと感じていた。
辺りに響くのはそよ風が立てるささやき声のような梢の葉擦れだけだ。
グリムはいつの間にか、意識しないまま何かの歌を口ずさんでいた。
彼が自分でそれに気付いた時、見計らったようにアーリヤが声を出す。
「ねえマスター殿?」
「ん?」
「今日ぐらい、泣いても小生は笑いませんよ」
アーリヤはグリムを背もたれにしたまま、顔は見えない。
けれども、その言葉はいつもの意地の悪い響からかけ離れた優しい声音だった。
「……恋人、だったのでしょう?」
「いいや」
それを聞いてすぐにアーリヤは振り向いた。
眉を上げてまん丸の目を大きく見開くその顔はあからさまに驚いている。
グリムはバツが悪そうな苦笑をしながら続けた。
「昔…俺は振られてるんだよ」
「それでも……お好きだったんでしょう?」
「……ああ」
「でしたら」
「だが踏み込めなかった。
戸惑った。手を伸ばしきれなかった。
その様が……これだ」
グリムは俯いてアーリヤの体を強く抱き寄せた。
アーリヤは首をよじったが、前髪が影になったグリムは横顔すらはっきりしない。
けれども彼女を抱く腕と、何より声が、ごくかすかに震えていた。
「でも俺は……その時はそうするのが良いと思ったんだ。
それがドリーのためだと。だが結局……」
それから先は上手く言葉にならなかった。
グリムはもう一度「結局……」と続けようとして、そのまま言葉を失う。
アーリヤはグリムの腕の中でじっとしていたが、やがて意を決してぐるりと体の向きを変えた。
「大丈夫でありますよ」
グリムの背に腕を回し、彼のうなじに鼻先をこすりつける。
アーリヤはグリムを抱きしめながら囁いた。
「小生は絶対にマスター殿を独りぼっちにしませんからね」
そう。
世界を敵に回そうとも、あなたの傍に居るわ。
形振り構わず、あなたが手を伸ばしてくれたから。
◆◇◆◇◆
彼が去って三日、私は夢を見ていた。
永遠に夢無き眠りへと続く最後の夢を。
その夢に出てきたのは最後の最後まで手を掛けさせられた孫達ではなく、何もしてやれなかった後悔を思い出さずに居られない娘夫婦でもなく、数十年の労苦を共にした夫ですらなかった。
私の一生で最も色鮮やかだった一夜の夢。
二人きりの工房の中、空に大きく花開いた炎の玉が彼の横顔を万華鏡のように照らした。
彼がこんなに真直ぐ私を見たことがあっただろうか。
「俺と一緒に来ないか」
彼の言葉は私が心の奥底でずっと待ち望んでいたものだった。
それだけに現実感が無く、どこか遠いところから囁かれているようだ。
彼は目の前にいるのに。
「俺はこれから王国全体を回るつもりなんだ。
まだ彼方此方にヤバイ代物が埋まってるからな。
ドリーの力が必要だ」
彼に『必要』と言われてどれ程嬉しかったか。
私は意図に反して喉の奥から飛び出しかけた返事を済んでのところで飲み込んだ。
「俺はお前ほど『契約』の魔法に秀でた魔術師を知らない。
何の変哲も無いスライム達を悪魔や古龍とガチンコできるレベルに一から鍛え上げるなんてのもお前ぐらいだ。
確かに……家庭に入るのも大事なことだ。
だが俺はドリーの魔術師としての天稟をもっと大いに生かす道があると思う」
彼は知ってるのだろうか。
多分、自分でも気付いてないんだろうな。
本心を隠そうとするほど、言葉数が多く早口になる。
何よりも雄弁に真実を語るのは彼の沈黙だ。
本当は恥ずかしがりな彼の言葉をもっと聞いていたかった。
けれど、それは誠実さから程遠い。
私は幕を下ろさなければならなかった。
「はっきり言って頂戴」
彼は急に喉に物が詰まったような、焦るような苦しいような顔になった。
黙ったまま次第に顔が赤くなっていく。
でも、最後には顔を真っ赤にしながらもはっきりと口にしてくれた。
「好きだ。
ドリー…これからも俺と共に、歩いて欲しい」
ずっと待っていた言葉だ。
それでいて、いつからか避けていた言葉だった。
私の返事は決まっていたから。
「ごめんなさい」
私は頭を下げた。
顔をテーブルに伏せたまま暫く上げなかった。
けれども部屋に満ちた沈黙の色で彼がどんな顔をしたのかがはっきりと分かってしまう。
それだけに、目を合わせることが出来ない。
何より私自身が耐えられなかった。
静寂の気配が変わったのを確信できてから顔を上げた。
彼はいつもの締まりの無いヘラヘラ顔に戻っている。
「残念だわ。
いやー……まあ、半ば覚悟はしてたが」
「残りの半分は期待?」
「まあね。勝算は半々だったよ。
ただ……ジンクスがあってなあ。
俺ぁ昔から『これ』と決めた相手には振られるんだ。
実を言えば昨晩はヴォルフに振られた」
「二人してボロボロになって帰ってきたっけ。
結局あんた何やったの」
「ひみちゅ☆」
彼は両手の間でゴブレットを弄びながらヘラヘラと笑っている。
本当に何でも無いように笑っていた。
だから、私の方がまた耐えられずに俯いてしまった。
「……聞かないの?」
「俺だって男だ。
そんな惨めな台詞は吐けないね。
ただ……ドリーが俺が思ってた以上に真剣に考えてくれた…ってだけだ」
「そ……あんたらしいわ」
本当に、彼らしい。
一人で全てを見通して、一人で何もかもを片付けて、一人で勝手に納得して、何も言わずに身を引いてしまう。
私がもっと強ければ。或いは自由なら。
違う答えも出せたのだろうか。
でもそうはならない。
『もし』は無い。
だから、彼に応えられるのはこれくらい。
「グリム」
「何ぞ」
「後ろでヴォルフとノーラが見てる……」
「ハァッ!?」
彼が勢い良く後ろを向く。
「……って、おい……誰も居ないじゃ……っ」
そう。ウソだ。
でもこの気持ちはウソじゃない。
ドン、とまた大きな花火が上がる。
その一瞬、振り向いた彼と私の重なる影を、煌く炎が部屋の壁に映し出した。
お互いの沈黙が支配する永遠のような甘い一瞬。
今ここで時が止まればいい。
本気でそう思った。
でも、再び花火が上がった時にはもう、私達の影は繋がっていなかった。
「い、言っとくけどね……誰にでもすると思ったら、こ、こ、殺すから」
ああ、もう、私のバカ。
他に言うことなんて幾らでもあるのに。
どうしてこんなことしか言えないんだろう。
「いや…お、思わねえよ。
思うわけねえ。
ねえけど……」
「何よ」
「お、俺……今ここで死んでもいい……」
「バカ」
私は告白してくれた時の倍も真っ赤になった彼の頭にチョップした。
顔が熱い。
きっと彼に負けないくらい真っ赤だ。
お互いに目を合わせられなくって彼も私も黙って俯いてしまう。
「の、喉が渇いたなあ!」
「あっ!バカッ!」
私が止めようとした時にはもう遅かった。
テンパッた彼は勢い良くゴブレットの中身を飲み干し、即座に目を回して椅子からひっくり返る。
「何やってんのよ、もう……」
慌てて彼を抱え起こして介抱する。
ベッドまで引きずっていくとそのまま彼は眠ってしまった。
「本当にバカなんだから……」
私はその間の抜けた寝顔を見つめる。
無防備な彼をただ見つめるだけで、自然と口元が綻んでしまう。
こんなとき、私は自分の気持ちを自覚せずにいられない。
「あたしなんかに振られたって……グリム、あんたは大丈夫」
いつかきっと、あんたに相応しい子が現れる。
それはあんたぐらい世界に身を投げ出せる子か……ひょっとすると世界と喧嘩できてしまう子かもしれない。
「でも……」
今晩だけは、私のもの。
三度目の花火がもう一度、私達の影を照らし出した。
以上で五章はおしまいです。
お読み頂きありがとうございます。
正直なところ中盤は上手く転がらず、読んでて今一つだったと思います。
終盤で少しでも挽回できていれば良いのですが……
それから随分と間が空いてしまい、大変申し訳ありません。
現金なものですが、やはり感想を頂けるとやる気が出ます。
六章も精一杯書く意気込みですので、ご意見、ご感想など頂けると大変嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。




