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第三話『最も危険な女、それは昔なじみ。 たくまずして仕掛けられた運命の闇に眠る焼け木杭。 それは突然に目を覚まし、偽りの平穏を打ち破るのであります』
グリムは手紙を睨んだまましばらく硬直していた。
不審に思ったアーリヤは、すすすっとグリムの後ろに回りこみ、紙を覗き込もうとする。
しかし文字が彼女の目に入る寸前、グリムはグシャッと紙を丸めると、直後に釜へ放り込んで燃やしてしまった。
その後の彼の行動は全く何の説明も無いまま行われた。
グリムは石のように口をつぐんだまま出し抜けに部屋を飛び出し地下迷宮を飛び出し、風のように王宮を駆け抜けて王立魔術院長ジルバーシュタインの執務室へ飛び込んだのである。
アーリヤも後を追い損ねたほどの突拍子も無い動きの末、彼は魔術院長のデスクに詰め寄ってこう言った。
「ドリーから手紙が来た」
書類をしたためていた銀髪の老人は一瞬、深い皺が刻まれた顔を強張らせた。
だが、すぐさま居住まいを正して金色の瞳でグリムを見据える。
「何が必要だ?」
「お前の『鍵』を貸してくれ。後は俺がやる」
「持っていけ」
ジルバーシュタインは懐から鈍く光る古びた鍵を一つグリムへ渡す。
グリムはそれを布で丁寧に包み、懐へ仕舞いこんだ。
「諸々の手続きは俺がやっておく。お前はドリーの所へ急げ」
『後は任せろ』と言わんばかりの頼もしい親友を見て、グリムはやっと緊張が解けたようにへらっとした笑みを浮かべた。
「お前のそういう余計なこと聞かないとこ大好きだぜ、ヴォルフ」
「さっさと行け!!」
グリムはジルバーシュタインが投げ付けたペンをひらりとかわし「愛してるよぉ~!ヴォルぴ~!」などと頭が沸いた台詞を宮中に響き渡るほどの大声で叫びながら部屋を出て行った。
ちょうど師の元へ本を運んできた麗しき宮廷魔術師レイシアニル女史と鉢合わせしたが、別に彼にとってはどうでもいい。困らない。
困ったのは真っ青な顔の愛弟子に質問攻めにされたジルバーシュタインだった。
「せ、先生と彼ってもしかして…いえ、やっぱり…『そういう』御関係なんですかっ!?」
などと詰め寄る彼女を相手にズキズキと痛むこめかみを押さえながら、ジルバーシュタインは胸の内で唸った。
覚えてろよ、紙一重のグリムめ……次の予算会議では手加減せんぞ……と。
◆◇◆
グリムは地下の研究室に戻ってから、わき目も振らずに旅支度を整えた。
慌しく背嚢を引っ張り出し、つぎはぎローブの上に外套を羽織り、旅用の丈夫な革靴に履き替えてきつく革紐を縛る。
彼がアーリヤに気付いたのは、革靴から顔を上げて同じく準備万端整えた彼女と目が合った時だった。
「よほど待ち切れないピクニックのお誘いだったと見えますねえ。
違いますか?マスター殿」
グリムはそこでやっと我に帰った。
アーリヤの赤紫の瞳には自分を無視し続けた主人への不満がありありと浮かんでいる。
唇は薄く開いた鋭い切り傷のような三日月形だった。
屈んだ姿勢のままアーリヤを見上げるグリムの額に脂汗がにじむ。
この後に訪れうる最悪の惨劇を回避すべく、脳が瞬時にフルスロットルで回転する。
だが本人はそれが完全なる逆回転である事に気付かない。
それゆえ、もつれた舌と口から咄嗟に飛び出したのは間抜けすぎる一言だった。
「ちゃうねん」
アーリヤの瞳に疑念と軽蔑の色が混じる。
「ちゃ…ちゃうねん。
そうやないねん。
誤解やねん」
グリムに限らないが、男と言う生き物はこういう場合、喋れば喋るほどボロが出る。
一流の俳優以外は。
残念ながらアーリヤを前にしたグリムは大根役者もいいところだった。
「ほう。何がどう誤解なのでありますか?」
アーリヤの目がすっと細められた。
口元は相変わらず三日月形で遠目には笑っているように見える。
目の前に居るグリムにだけ、瞼の細い隙間に覗く凍て付いた炎のような瞳が見えた。
「あ、アーリヤが思ってるようなことやないねん」
「ほほう。マスター殿はエスパーなのでありますね。
では小生が何を考えていたのかお教え下さい。
答え合わせして差し上げます」
グリムの額に流れる油汗はもはや滝のようだ。
そして彼はそれっきり言葉を失ってしまった。
アーリヤ愛らしい顔から形だけの微笑を消し去り、ありったけ軽蔑した目でグリムを睨んだ。
「『女』でありますね」
「ヒッ…」
グリムは小さな悲鳴を上げて竦み上がる。
今や彼はまな板の上の鯉、蛇に睨まれた蛙、噛み付く勇気など無い窮鼠だった。
追い詰められたグリムは上目遣いに卑屈な笑みを浮かべる。
「お……おともだち……だよ?」
「『ご婦人の』ご友人というわけですね。
よぉーく分かりました」
グリムは苦し紛れに乾いた笑い声を漏らす。
「よ、世の中はね……大抵、オスかメスかだからね……
え、LGBT的解釈はともかくとして染色体的にXYかXXなわけだから、単純に確立は概ね二分の一なわけでさ……
アハハ…」
「黙れ」
「ヒェッ…!」
アーリヤは震えるグリムを見下ろしながら、苛立たしげにカチカチと数回歯を鳴らす。
しかしそれもすぐに止めて、ニタリと不気味な笑みを浮かべた。
「では小生もお供致しましょう。
どスケベマスター殿が安いハニートラップに引っかからないか、健気でカワイイ小生は気がかりでならないであります」
「いやいやいやいや。
あ、アーリヤちゃんを連れて行くにはね、遠いしね。
ふかふかベッドと甘いおやつも用意できないかもしれないしね。
それにドリーはそんな奴じゃ」
「ほほーう、お名前はドリーさんと仰るのですね。
綺麗なお名前でありますねえ、マスター殿?」
グリムは熱病患者のようにガタガタ震え始めた。
「マスター殿の大切なご友人であるならば、
忠実な僕たる小生は益々ご挨拶しなければなりません。
それに、これ以上グダグダ時間をかけてよろしいのですか?」
計られた!!
アーリヤはグリムの弱みを完全に把握していた。
もはや彼に否やは無い。
グリムはがっくりとうな垂れ、呻くような声を上げた。
「頼むから大人しくしていてくれよ……」
「アホマスター殿のお心がけ次第であります」
◆◇◆
アーリヤは悪意に満ちた恫喝によって同行の許可を獲得し、グリムに連れられて王都を出発した。
グリムの急ぎようときたらちょっと普通ではなかった。
何しろ普段は危険のために使用を避けている次元跳躍の“妖精の抜け穴”を通ってまでその日の内に掛け付けたのである。
そして二人は北方の竜骨山脈と接する辺境の領地リンドグレーンへとやってきた。
リンドグレーンは大部分を鬱蒼とした森と山で占める領地だ。王国の中央部へ面した狭い平野と森との境目にその街リンドグレーンがある。
領地の表向きの収入源は豊かな森で取れる良質な木材と稀少な魔獣の毛皮や牙だ。
僅かな平野も麦に向かない土地であるため、畑を耕す者達の多くは葡萄などの果樹を育てて領主へ収めている。
ヒトの領域は狭く小さいが、幸い街の人々が毎日十分な黒パンにありつける程度には豊かで、領民はみな恵み深い森へ感謝と畏れを抱く、静かで穏やかな領地であった。
アーリヤは森の茂みの中に口を開けた妖精の抜け穴から外へ出た瞬間、奇妙な既視感にとらわれた。
「……?」
辺りを見渡す。
茂みの中から平野を挟み、遠目に城壁で囲まれた小さな街リンドグレーンが見える。
更に向こうには深い森。その中に頭を出している背の高い大きな屋敷。
そしてもっと遠くには青い山脈。
でこぼこした尾根の所々には古代帝国時代に築かれた砦の残骸が辛うじて見える。
しかし大部分はただ残雪の白い帯が続くばかりだ。
空を見上げる。
青い空に白い雲の塊が幾つか。太陽が眩しい。
長閑な光景だった。
けれど何かが変だ。
薄い、かなり薄いが…透明な膜がかかっているような……
不意にアーリヤは何処でそれを見たのか思い出した。
それは初めてグリムとこの国へやってきた時、そしてより強く感じたのは王都へ入った時だ。
「流石にアーリヤは気付いたな」
「結界……でありますね」
「正解」
アーリヤはパチパチと目を瞬かせた。
非常に巨大で堅牢な結界だ。
王立魔術院が守護する王都は結界があっても当然と言う気がしたが、こんな辺鄙な土地でそれに匹敵するほど強力な結界をお目にするとは驚きであった。
王都の時もグリムと共に一苦労あったのだ。
抜け穴を使わねばアーリヤですら入れなかったかもしれない。
次にアーリヤは足元に目を落とす。
ジッと勘を研ぎ澄ませて地中のうねりを探ると、確かに強大な魔力の運動を感じる。
おそらく、あの雄大な青い山脈の下を走る竜脈から力を汲み上げているのだろう。
「何のためにこんな結界があるのでしょう」
「山向こうのおっかな~い連中から領地を、ひいては王国を守るためさ。
詳しいことは多分後で話すことになる」
グリムは怪訝な顔のアーリヤを連れて街を越えた先にある森の中の屋敷を目指した。
その屋敷こそ彼を呼び出したリンドグレーン伯マキラ家のお屋敷である。
途中で何度か分厚い幕のような結界に出くわしたが、グリムが懐から古びた鍵を取り出すと結界にぽっかりと扉の形の穴が開くのだった。
二人は森の中を緩やかにうねる道へ入る。
道はよく整備され、二台の馬車が悠々とすれ違えるほどの道幅がある。
事実、二人は屋敷に入るまで何度か馬車に追い越された。
そのどれもが豪奢な、或いは控えめだがよくよく見れば仕立ての良い馬車ばかりだった。
明らかに貴族か豪商の物である。
アーリヤは横目でそれらを眺めて首を傾げた。
行く手は伯爵家のお屋敷である。
貴族の家を貴族が尋ねることは何ら不思議でないが、少し数が多すぎる。
ここは単なる偏狭の片田舎では無いのだろうか。
暫く森を歩くと屋敷が見えてきた。
レンガ造りの立派なお屋敷である。
アーリヤはその中に一つ大きな魔力の気配を感じた。
グリムからは『友達に呼ばれた』としか聞かされていない。
一体この先で何が起きているのだろう。
事の成り行きがアーリヤの疑問に答える前に、彼女とグリムは結界以外にも幾つかの関門を越えねばならなかった。
まずは屋敷の衛兵である。
顔を映すほどに良く磨かれた――おそらくは賓客を迎える為の正装であろう――甲冑を身に着けた二人の衛兵はグリムを胡散臭げに一瞥したきりまともに取り合わなかった。
グリムは必死に縋り付いて『お慈悲を!お慈悲を~!』と喚いたが、無慈悲に蹴り飛ばされてごろんごろんと茂みへ転がっていった。
あの様子では『ドリー』さんとやらの手紙を残していたとしても中へ通されたかどうかは怪しい。
むしろ手紙をどうやって手に入れたかとあらぬ疑いをかけられかねない。
何しろグリムの格好ときたら路上の哲人もかくやのツギハギローブである。
二人の衛兵の目つきは明らかに気の触れた物乞いを見るそれであった。
その目はアーリヤにも向けられたが、最終的に兵士達は路傍の石の如く彼女を無視した。
アーリヤは目線だけを左右に動かして辺りを見回したが、高い塀の内側も等間隔で兵士達が歩哨に立っている。
朝靄や宵闇の手助けが無ければ、グリムを担いで飛び越えても見つかってしまうだろう。
アーリヤは三回ほどグリムが茂みへ転がっていくのをニヤニヤ笑いながら眺めていた。もう少し眺めていたかったが、業を煮やした衛兵がグリムの胸倉を掴んで篭手で覆われた拳を固めたところで不本意ながら間に割って入った。
拳と拳の語り合いこそ万国共通の肉体言語である。
アーリヤは止むを得ず、泣く泣く、心苦しくも、衛兵の問いかけに対する返答を主人に代わって同じ肉体言語で通訳してあげた。
「嘘を言うなっ!!」
「意訳であります。
何しろ小生はカワイイ上にミホトケのように慈悲深いので」
アーリヤの丁重なお返事の結果、感動のあまり言葉を、ついでに意識も無くした二人の衛兵は森の茂みへ投げ込まれた。
「マスター殿、お喜び下さい。
通っても構わないそうであります」
「おお、もう……」
グリムは忠実な従者の働きに感激して、両手で顔を覆ってがくりと膝を突いた。
他の衛兵が気付かぬうちに、アーリヤはさめざめと感涙を流す主人をずるずる引きずりながら意気揚々と屋敷へ乗り込んでいったのだった。




