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第二話『マスター殿はあまり昔の話をされませんが賢者の塔にいた頃のお話だけは時々お聞かせ下さいます』
だあん、と大きな花火が夜空に咲いた。
一瞬で視界一杯に橙色の火球が広がり、青や緑の煌びやかな残滓となって散ってゆく。
寂寥とした残響を掻き消さんと次々に花火が上る。
色取り取りの大きな魔術の花が絶え間なく開いては消えていった。
私は四人で借りた工房の窓辺で独り、後を追いかけ合う火の玉の群れが炸裂し続ける夜空を眺めていた。
テーブルには埃を被ったワインボトルが一つと銀のゴブレットが二つ。
花火を肴に飲むつもりで用意したヴィンテージだが、まだ手付かずだ。
今夜は塔の麓町のお祭の夜。
私達四人が一人前の術師と認められた晩でもある。
にしても……よく今日まで息をしていられたわねぇ……
つい、溜息混じりの苦笑が漏れた。
賢者の塔はただでさえ妖しげな魔術結社の中でも飛び抜けて閉鎖的であり剣呑であり、且つ国家レベルの強大さを誇る。
更に才能の無い奴は死んでもいい、むしろ死ねと言わんばかりの苛烈な研究や術比べときたら、西のド畜生エルフ達がドン引きするレベルだ。
当然ながら十数年に一度の試験で入塔を許可された見習い達も僅か一年の内に半数以上脱落するのがザラである。
そんな生と死の狭間の青春を、私達四人は何度も喧嘩しながらそれなりに上手くやってこれた。
何しろその中の一人は塔の賢者達と対等と認められる『大魔導』の称号を手にしたくらいだ。
つくづく人の記憶は都合良くできていると思う。
辛いこともやりきれない事も腹立たしいことも、喜ばしいことと同じくらいあったはずなのに、今思い出せるのは良いものばかり。
私はガランとした工房を見渡した。
ほんの一月前までは魔術書の稀覯本が壁の棚から溢れるほど並び、都会の魔術師達が目を剥くような希少触媒が足の踏み場も無いほど転がっていた。
そしていつも四人の内の誰かがここに居て、危なっかしい実験や儀式をやっていたものだ。
けれどもう、それらは全て処分されている。
この空き家を借りて初めての日のように空っぽだった。
お腹が空いたような、清々しい寂しさが風のように私の中を吹き抜けていく。
「ヴォォーーーールフッッッ!!! こぉこくぁぁああああああ!!!」
唐突に乗り込んできたバカがセンチメンタルな陶酔をぶち壊しにしやがった。
「うっさい」
私はゴブレットを掴んで工房の入り口に投げ付ける。
カーンと小気味の良い音が鳴った。
回転しながら飛んだ銀の杯は男の額に見事命中し、騒々しい音を立ててドアを開けたそいつは仰向けに引っくり返る。
だが即座に直立不動の姿勢でバネのように起き上がった。
気持ち悪い。
起き上がりこぼしみたいな動きだ。
「ドロテーア君、直ちにヴォルフガング・ジルバーシュタイン被告を引き渡したまえ。
罪状は不純異性交際罪である」
「ここにはいないわよ。トーゼンだけど、ノーラもね」
「隠すとためにならんぞ! 場所を教えたまえ!!」
「馬鹿ねぇ……言うわけないし」
「ぬがぁぁああああ!!」
額に大きなたんこぶを作ったツギハギローブの馬鹿は地団太を踏んだ。
「裏切ったな!僕の気持ちを裏切ったな!
マラソン大会で一緒に走ろうって約束したアイツと同じに裏切ったんだ!!」
「うるっさいわねえ……」
「我ら生まれし日は違えども童貞捨つるべき時は同じ日同じ時を願わんと誓ったのに!
友との誓いを忘れ肉欲に溺れ」
「それ以上騒ぐと二発目いくわよ」
もう一つのゴブレットを振りかぶるとそいつはシュンと大人しくなった。
小さく切なげな溜息を吐き、転がるゴブレットを拾って私の向かいに座る。
「ったく人が贈ったプレゼントを雑に扱いやがって……
あ!見ろ、ここ!凹んでんじゃねえか!」
彼はゴブレットの小さな凹みを指差す。
そしてブツクサ文句を垂れた後、テーブルに置いたゴブレットの周りにすっと指先で円を描いた。
彼は銀の杯に囁くような詠唱を吹き込み、結びの呪文を唱える。
「“リビルド”」
すると杯は淡い光を一瞬放ち、ふるふると小さく震えたと思うやペコッと可愛い音を立てて凹みを元の形に戻した。
今、目の前の男が何気なしに施した術がいかに高度なものか、塔の中でさえ理解できる魔術師は少ないだろう。
「もうちょっと大事にしてくれよ」
「凹んだのがあんたの頭の方でなくて良かったわ。
流石の石頭ね」
「心配するぐらいなら投げるなよ……
このゴブレット一式、お前の誕生日のために店を何件回ったと」
「投げやすくていいデザインよ。
しっかり狙ったところに飛んでいくから気に入ってるわ」
「そう、そりゃ良かった……
なんて言う訳あるかッ
もうイヤだッ
ドリーは渾身のプレゼントをオシャレな手投げ斧だと思ってるし、
ヴォルフはノーラとお手々繋いでリア充街道まっしぐらだしよぉぉおおおおお!!!」
彼はテーブルに突っ伏し「ウオーッ!」と男泣きした。
面倒くさくなったので「あーよしよし」と頭を撫でてやるとしばらくしてから泣き止む。
赤ん坊か、こいつは。
「大体あんたさあ、二人の仲を応援してたんじゃないの?
ラブレターだって一緒に書いてあげたんでしょうが」
「俺の中では親友の恋を心から応援する光の俺と、親友の幸せを心から妬む闇の俺がせめぎ合っているんだ…」
「は? イミわかんない」
「二人が本格的に付き合う前は光の俺が優勢だったが、いざ連中が目の前でイチャつき始めると闇の俺が急激に勢力を増してきた。
…っは……し、静まれ……俺の中の闇よ……怒りを静めろ!!」
「うっわ……キモ……」
「マジトーンは止めて?
また泣いちゃうよ?
俺のもっとキモいとこ見たい?」
今度は私が溜息を吐く番だった。
どん、と一際大きな花が夜空に咲いた。
相変わらずのバカも呆れ果てた私も、思わず目を釘付けにされた大輪の花だった。
美しい余韻を際立たせるためか、そこで花火は一度途切れる。
私はそいつのゴブレットにワインを注いでやった。
「おいドリー。
俺が下戸なの知ってるだろ。
嫌がらせか?
吐くぞコノヤロウ」
「馬鹿ね。
飲めなんて言ってないし」
察しの悪いそいつにしては珍しく、素直にワインのボトルを取った。
「澱舞い上げたら殺す」
「へいへい」
生憎とデキャンタなんて洒落たものは無い。
でもそいつは不慣れながらも精一杯慎重な手付きで私のゴブレットにワインを注いでくれる。
私は遠慮なくゴブレットを取った。
紅い美酒が放つ香気を存分に吸い込んでから、一口。
「ん……70点ってとこね。何かアテ出してくんない」
目の前の男は顔をしかめたが私は知っている。
こいつはおやつと称して常に保存食、それもかなりグレードの高いやつを隠し持っているのだ。
魔術素材の採取中にも迷宮の探索中にも、その最後の食料に助けられたことが何度もあった。
「最後の晩まで集らなくったっていいだろうに」
そいつはブツクサ言いながら小さめの皮袋を二つ取り出してテーブルに広げた。
片方はナッツ、もう片方はドライフルーツの詰め合わせだ。
「いいじゃない。あんたにしては上出来」
あたしは干し無花果を一つつまむ。
ん。美味しい。
濃い甘みがギュッと詰まっていて、嫌な青臭さや渋みは全然無い。
ワインとの相性も抜群だ。
「ドリーはこれからどうするよ」
「んー? とりあえず一回、実家に帰るわ」
目の前の男が突然真剣な目になったので、いつもとのギャップに私は笑ってしまった。
しかしこいつの心配も分かる。
元々私は跡取である兄の地位を脅かしかねない自分を自分で遠ざけるためにここへ来たのだから。
「ドリー、俺が」
「馬鹿ね、心配しなくったって平気よ。
向こうだって塔の術師に手を出すほど考え無しじゃないわ、多分ね」
家にいた時は命の危険を感じたことが少なからずあった。
だが今はもう、大丈夫だ。
私は負けない。絶対に。
「だけどなぁ……」
「針の筵に座り続けるつもりもないって。
どこか適当な見合いでも紹介してもらうわ。
幸い近所に魔女を欲しがってる領地が幾つかあるみたいだから、その中で一番まともそうな旦那を選ぶ予定」
「……なあ、ドリー」
どおん、と再び大きな花火が咲いた。
空で輝く炎に照らされた彼の顔はあまりに真っ直ぐで、別人のように素敵だった。
◆◇◆◇◆
「……様、大奥様」
侍女の声が私を鮮やかな夢のまどろみから色褪せた現へ引き上げる。
眩しい。カーテンが引き開けられたようだ。
霞んだ世界にはただ鬱陶しい灰色の光だけが明滅する。
けれど重い瞼をこじ開けて瞳を動かせばそこに、ずっと待ちわびていた彼が佇んでいた。
「あぁ……来てくれたのね……グリム……」
「うん……久しぶりだな、ドリー。
本当に、久しぶりだ……」
彼は、彼だけは、何もかもが溶けたように薄ぼんやりした世界で輪郭を保っていた。
あのときから何一つ変わらない姿で。
あのときのままの眼差しで。
彼はベッドの傍に跪いて私の枯れ木のような手を取ると、額に押し当てた。
ああ、汚くはないだろうか?嫌な臭いはしないだろうか?
湯浴みは暫く出来ていない。昨晩蒸しタオルで拭かせただけだ。
髪も整えられているだろうか。分からない。もう記憶が曖昧だ。
見苦しくは無い? 寝間着はちゃんと取り替えられている?
そんなことばかり頭を過ぎる。
でも何十年も経っているのに嘘のように変わらない彼は、懐かしいとぼけた笑みを浮かべた。
「綺麗だなあ、ドリー。
お前はずっと綺麗なままだ」
その言葉だけで胸が一杯になった。
こみ上げたものはとても押し止められず、涙は蝶番が緩んだ窓のような瞼からあっけなく零れ落ちた。
「馬鹿ね……もう孫が二人もいる女に言う台詞じゃないわよ……」
そう答えるので、精一杯だった。




