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第四話『ここがその女のハウスでありますね』
一枚板の立派な扉を控えめに開けて屋敷へ入ると、そこは広々としたホールとなっていた。
大きな分厚い真紅の絨毯がホールを真っ二つに縦断し、正面の階段を這い登っている。
アーリヤが感じた一際大きな魔力の持ち主は階段の先、二階にいるようだ。
ホールでは貴族と思しき男女が数十人も、あちらこちらで小さな塊を作って声を潜めて話し合っていた。みな上等だが傍目には質素な落ち着いた色合いの衣服を纏っている。装身具も指輪が一つだけとか、シンプルなネックレスだけとか、とにかく控えめであった。
彼らはグリムを一瞥して眉をひそめたものの、すぐに話しへ戻った。
場違いにも紛れ込んだ頭の足りない下男とでも思ったのかもしれない。
アーリヤは予想以上に集まっている人々を見て目を丸くした。
「田舎貴族のお屋敷にしては随分とお客が多いでありますね」
「ここは見た目通りの土地じゃないからな」
グリムは、小首を傾げて自分を見上げたアーリヤのまん丸な瞳を見て優しく彼女の頭を撫でた。
そして彼女の耳元へ囁くように説明する。
この領地リンドグレーンは一見すると小さな辺境の地だが、領主が直に手を奮ったワインの醸造が盛んであり、各領地との強いコネクションがある。
「まさか美味しいワインを目当てに集まった飲兵衛ばかりじゃないでしょう」
「その通り。実はこの領地は交易で儲けているんだ。
彼らはその恩恵に与りに来たわけだな」
アーリヤは耳を疑った。
この領地は船が行き帰るほどの大河が通じているわけでもなく、主要な交易路があるわけでも無い。
「ご冗談を。
一体どれほどの物好きが名産はワインしかないようなド田舎を商売相手に選ぶのです」
グリムは人の悪い笑みを浮かべて囁いた。
「山向こうのトロール達だよ」
アーリヤは絶句した。
トロール。
神話の巨人ヨトゥンの末裔。
彼らはヒューマンの倍近い体躯に全身を覆う針金のような白い剛毛を生やし、鬼のような、亡霊のような、恐ろしい顔をしている。
加えて丸太をマッチのようにへし折る怪力を持ち、その生命力たるや骨まで届く深手もたちどころに癒えてしまうという。
そしてみな一様に悪食である。
特にヒト種、柔らかいヒューマンやハーフリング、エルフの肉を好む。
が、飢えればゴブリンでもコボルトでもリザードマンでも、或いは同胞の肉すらも喰らう。
彼らが別名『喰人鬼』またはオグルと呼ばれるのはそのためだ。
そんな相手と、商取引? まさか!
より性質の悪いブラックジョークにしか聞こえない。
「そもそも連中に金勘定ができるような頭があるのですか?」
「こらアーリヤ。
自惚れたエルフじゃあるまいし、人種差別的な俗説を信じるんじゃあない。
考え方の得手不得手や向き不向きはあってもだな、ヒト種の間に大きな知恵の差なんて無いよ。
アーリヤもピーチの店を見れば分かるだろう?」
言い含めるようにグリムは説明を続けた。
主にこの領地で作るワインや工芸品をトロール達が持ってくる希少な鉱石や鉱油、向こう側にしか生えない薬草類などと交換するらしい。
そこでアーリヤはようやく結界の本当の理由に気付いた。
物理的に危険な取引相手へアドバンテージを取るためのものなのだ。
それならば辺鄙な土地に多くの貴族達が集まるのも納得できる。
「おそらく大臣さんの密偵も紛れている筈だ。
あの人が見逃すはずが無い」
アーリヤは頷いた。
グリムは言葉にしなかったが紛れているのは密偵だけではあるまい。
利益を抱える物はそれに応じた敵をも抱え込まねばならない。
そして耳を欹てる。
ヒソヒソと言う囁き声の塊が一人一人の言葉へ解れていく。
その内の半分が交易に食い込むための互いへの牽制であり、もう半分がこれほど多くの貴族が一様に控えめな装いで集まった理由を説明していた。
「ドロテーア様もお年ですからな…」
「ええ、むしろご子息夫妻亡き後、よく持ちこたえられたものです」
「やはり継承の儀はじきに?」
「早ければ今晩にもでしょう。しかし問題はそこではありませんぞ」
「左様左様。何でも家督は長子のボリス様ではなくヨセフィン様だとか」
「何と、二代続けて女当主とは些か…」
「そこは、あれですよ。やはり塔を出られた魔術師とは少々変わっておられるということでしょうな」
「いや、我々にとっては好都合やも知れませんぞ。抜け目ないボリス様よりは…」
「はは、神輿は見栄え良いのが良いと申しますからな」
「ええ、軽ければ尚よろしい」
どうもこの伯爵家の当主ドロテーアとやらは病気であり、表向き彼らは見舞い客であるらしい。
そして次の当主候補はヨセフィンと言うようだ。
ドロテーアとやらがグリムを呼び出した『ドリー』だろうか。
愛称呼びなら多分そうだ。
アーリヤは唐突に胃の辺りがムカムカしてきた。
主人はドロテーアを、ドリーと呼んでいる。
自分のことはアーリヤとしか呼ばないくせに。
アーリヤは無性にグリムの手に齧り付きたくなってきた。
グリムの腹に頭突きして、額をぐりぐり押し付けてやりたくなった。
ところがアーリヤが集中を解くと、いつの間にかグリムは広間正面の階段の前へ視線を送っていた。
視線の先を追うと、階段の前には些か浮くほど着飾った女が居た。
緩いウェーブのかかった艶やかな栗毛を後ろで束ねた妙齢の女だ。
2階に居る誰かには及ばないが、そこそこの魔力の持ち主である。
客達は階段の前で女に恭しく挨拶し、何人かは階段を上っていく。
また主人が自分以外の女をイヤらしい目で見ているのかと牙を剥きかけたが、どうも様子が違った。
主人の顔はいつものヘラヘラ顔でもボンヤリ顔でも、まして無様な泣き喚き顔でもなく、どこか苦々しさを滲ませた仏頂面だった。
「顔ばっかり似やがって」
グリムは誰にとも無く小さく呟く。
アーリヤは検めてその女を観察した。
目鼻立ちは石を彫り上げたように鋭く端麗であり、声はどこか冷たい。
女は妻を伴った初老の男に流麗な会釈した。
男は慌てて一歩遅れて会釈をする。
その会釈や相手の手を取る仕草も流麗でメリハリがあり、常に機先を制する動きに気の強さを感じる。
この場を仕切っていることから彼女がホストだろうか。
つまりヨセフィン?
ふーむ。
まあまあの美人だが、全く自分ほどではないな。
ふふん。
と、得意になっていた。
ところが出し抜けに主人がズンズンと貴族達の間に歩を進めていったものだからアーリヤは驚いた。
貴族達はまるで汚い虫が羽を広げて飛んできたかのように小さな悲鳴を上げて身をかわす。
グリムはお構い無しに海を割る聖人の如くホールを横切って行った。
流石にホストと思しき女は逃げなかった。
どころか階段の前に立ち塞がるようにしてグリムを一段上から見下ろす。
彼女は虫を見るような目で命じた。
「止まりなさい」
グリムは止まらない。
遠巻きで様子を見守る見舞い客達の人垣をかきわけて鎧姿の兵士達が近づく。
が、彼らは足を掠めた黒い影に躓いてすっころんだ。
人垣の足元を音もなく駆け抜けたアーリヤは主人の危機に供えて身構える。
いつでも飛び込む準備は万端だ。
抜け目なく辺りを見回して危険度を測る。
そこで彼女は思いがけず奇妙なものを目にした。
「止まれ!」
女の声でアーリヤは意識を引き戻される。
遂に目の前まで来たつぎはぎローブの不審者を前に、女は杖を抜いて掲げていた。
が、不埒な男は詠唱が終わるすんでの所でその腕を掴み、何事かを囁く。
すると突然、女はりんごのように真っ赤な顔になり、杖を掲げた姿勢のまま言葉を失ってしまった。
グリムは時が止まったように硬直した女の横を悠然と通り過ぎる。
アーリヤは人垣から飛び出すと、パタパタと軽い足取りで彼の後を追った。
その場に居合わせた者達の中、目の前に居た女とアーリヤだけがグリムの言葉を聴いていた。
『お前が九つまで寝小便垂れてクマさんパンツ濡らしてたのバラしてやろうか』
グリムは確かにそう言っていた。
◆◇◆
無言のまま二階へ上がったグリムをアーリヤは追いかける。
アーリヤは階段の前で硬直した女をすり抜け際にちらと横目で見たが、硬直したままだった。
アーリヤは最後の一段を上り終えたグリムの背中に声をかける。
「マスター殿、なぜあんなことを?」
「ここは昔、何度か尋ねたことがあるんだ。
ヴォルフと一緒にな」
グリムの声は平静だった。しかし彼は振り向かなかった。
驚きと戸惑いが入り混じり、アーリヤは片方の眉を上げる。
彼女がグリムと旅を始めるよりもさらに昔のことに違いない。
「あのご老人と?」
「そ。ここの結界を再構築するためにな。
アレは俺とヴォルフの合作なのさ」
アーリヤはもう片方の眉も上げてまん丸の目を見開いた。
グリムはそれ以上は告げず、振り向かず、アーリヤを連れて奥へと進む。
彼は廊下の幾つかの分かれ道を聊かの迷いも見せずに曲がり、歩き、ある部屋へと辿り着く。
そこには正門と同じく甲冑姿の兵士が二人立っていた。
途中からアーリヤも気付いたが、部屋の中にはずっと感じていた大きな魔力の気配がある。
二人の兵士は扉から離れ、廊下を塞ぐように並び立った。
「止まれ、狼藉者。
跪き、許しを乞い、枷をかけられて屋敷の裏手に蹴り出されるまで大人しくしていられるだけの分別が残っているならば、四肢の内でどれを切り落とすか選ぶ慈悲をくれてやる」
右手の兵士が堂々たる声で命じる。
アーリヤは微かに重心を下げつつ前身を倒して相手を観察した。
二人の剣は既に抜き放たれ、油断無くこちらを見据えている。
握り締めるそれは華美なロングソードではなく室内戦を想定した細身のショートソードだ。さらに左手に小型の円形盾を構えており、手ぶらのグリムとアーリヤに相対していながら防御へ十分な意識を裂いている。
おそらく魔術を想定しているのだろう。
相手が一見、気の触れた物乞いであっても警戒を怠らない。
装備こそ表の衛兵達と同じだが、気をつけの姿勢で立ち尽くす儀礼衛士ではない。
本物の優秀な衛兵である。
しかしグリムは警告に従わず、更に一歩を踏み出した。
「止まれ」
「断る」
再びの警告をグリムは明確に拒絶した。
アーリヤは驚いた。前へ進む主人の顔は見えない。
だが普段何かと卑屈なほどへりくだる主人がこうも強情に相手の言葉を跳ね除けるのは珍しい。
そしてアーリヤはそれがどんな時か知っている。
グリムは躊躇無く一歩ずつ赤い絨毯を踏みしめながら自らの道を妨げる兵士達へ近づいていった。
「俺は信義と誓いに則りドリーの求めでやって来た。
ここはドリーの家だ。
貴様らに、いや、ドリー以外の誰の許可もいるものか」
つぎはぎだらけの襤褸を纏った男は白刃に身を晒しながら一向に恐れる気配が無い。
アーリヤはグリムの異様に慌てつつ、更に慌てたことに兵士達の兜に隠れた顔面部の体温上昇を感知した。
それは紛れも無く、恐れ多くも自分達の主人を愛称で呼ぶ痴れ者への怒りだ。
グリムが無防備に兵士の間合いへ入ったのと、二人の兵士が突きを繰り出した瞬間、そしてアーリヤが飛び出した刹那は全く同時だった。
破裂音と何かが焦げたような匂いが辺りに漂う。
二人の兵士は我が目を疑った。
名工が鍛えた鋼の刃が、防御への余力を残していたとはいえ、幾度もの実戦と弛まぬ訓練で研ぎ澄まされた一閃が、白い手の平の上で止まっていた。
あろうことか、鋭い切っ先は白く柔らかそうな手の平を貫くどころか、中心に数ミリほど沈むのみで血の一滴すら流れていない。
しかも二人の剣を両の手の平で止めたのはせいぜい十台半ばの少女だった。
兵士達がほんの数瞬の悪夢から覚める寸前にアーリヤは両方の白刃を握り締めた。やはり赤い雫は毛筋ほども流れない。
途端に剣は大地に突き立てたかのように微動だにしなくなり、兵士達は考えるよりも先に剣を捨てて予備のダガーに持ち替える。
しかし兵士達がその判断を生かすよりも、アーリヤが二人の胸を胸当てが凹むほど蹴り飛ばすほうが早かった。
積み上げた金盥を思い切りひっくり返すような派手な音を立てて兵士達は廊下の突き当たりの壁に叩きつけられる。
剣を床に投げ捨てたアーリヤの滑らかな手のひらは傷一つ付いていない。
グリムは壁際で四肢を絡ませ合いながら一塊になった兵士達を無感動に見つめていた。
あれではしばらくまともな呼吸も出来まい。死ぬことは無かろうが。
「マスター殿ッ!!」
マヌケ面を晒していたグリムをアーリヤが怒鳴りつける。
「バカでありますか?
アホでありますか?
死ぬでありますか?
どうしてマスター殿はそう無防備なのですかッ!」
グリムは俯き、神妙な顔でアーリヤを見つめた。
「こう…アーリヤちゃんの愛の力で何かイイ感じに奇跡が起こって、なんやかんやで丸く収まったらそれはきっと素敵なことだなって」
アーリヤは間髪いれず右フックをグリムの左頬に決めた。
「ごぇッ」
「もう一回舐めた口を叩いたら顎じゃすまさねえであります」
グリムはフガフガ言いながら外れかけた顎を手で押さえる。
ガコッという鈍い音を立てて顎をはめなおした後、彼は目的のドアをノックした。
「『紙一重』が参りました」
グリムが奇妙な挨拶をして暫しの間があった後、躊躇いがちに扉が開けられた。
扉の隙間から顔を覗かせた老婆は衛兵がいないことに気付いたが、グリムの姿を見て居住まいを正す。
「大奥様から伺ってございます。よくぞおこしになられました」
よく実った麦穂のように深々と頭を垂れた老齢の侍女長はグリムとアーリヤを部屋へ招き入れる。
これまでとは信じられない物分りの良さだが、それが彼女とこの先で待つ者との距離を示していた。
そして二人は控えの間を通り、侍女長に連れられて伯爵夫人ドロテーア・マキラと面会したのだった。




