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第五話『ああ、こんなに最高で最低な気分は久しぶりであります』
青い夜の森を七色の閃光が貫いた。
至近距離で魔力の直射を浴びたキリゥは木の葉の如く吹き飛ばされる。
魔術の体を成さずして、余りにも膨大な魔力はそれ自体が強烈な圧と波動を帯びていた。
キリゥを始めとして吹き荒れる魔力の嵐に当てられた者達は次々と体の自由を奪われていく。
相棒を受け止めようとしたヘイヤンは手を伸ばすことも叶わず倒れ伏し、メレルは吐き出した酒の上に突っ伏した。
レイシアニルは必死に魔力に抵抗するがそれでも片膝を突き、美しい顔を歪めて喘ぐ。
ただ一人、アーリヤだけが両の足で地を踏みしめていた。
「へえ……お前は倒れないのね? 鈍いのかしら。
あら、そう言えば不感症でさえない死体だったわね。
無神経なことを言ってごめんなさい」
アーリヤは引き裂くように笑った。
心からの喜びで。
「おまけに頭の方も壊れているようね。
それほどの素材を使っておきながらこんなガラクタしか作れないなんて……
魔術に対する冒涜だわ。
お前を作った術師は蛆虫以下の低脳ね」
この虫けらを今ここで引き千切ることは既に決定している。
そして害虫が汚らわしい鳴き声を上げるほどその動機は正当化される。
愛しい主への申し開きが立つ。
「そうね……あのトカゲと犬と一緒にここで解体してあげる。
このアグラリエル・ロスイアルベンの偉大な魔術の材料にしてあげるわ。
寛大な私に感謝するのね」
「この出会いをマスター殿へ感謝します」
「あら? 随分と物分りがいいじゃ」
「お前は生贄の羊だ」
黒の風が閃いた。
轟音と共に虹の嵐が破裂した。
散り散りになった七色の風が制御を失って暴れ狂う。
万華鏡の如く煌く極彩色の幻影の中で黒衣の少女が踊っていた。
エルフの女は虹色水晶がもたらす膨大な魔力を無限の幻影と波動に変えて放ち続ける。
少女はその悉くを紙一重で舞うように躱す。
そして僅かなエルフの女が息継ぎをする僅かな間隙を縫って間を詰め、その爪を振るった。
「何よ、コイツっ! 急に!?」
アーリヤは先ほどの戦いでは相手の影を掴むことすら出来なかった
だが今は視界を覆いつくすような幻影を見破り、的確に魔術師の位置を狙っていく。
彼女は顔中に凄まじい笑みを浮かべながら刻々と追撃の正確さを増していく。
初めは掠るだけだった指先は徐々に深く食い込んでいく。
そして遂に肌へ届いた。
「くぅっ!!」
エルフの女の首筋に真紅の雫が一筋流れる。
薄皮一枚だったが、もう僅か数ミリでも深く入っていれば頚動脈に達する傷だ。
アーリヤは手ごたえを確かめるようにじっと手の平を見つめ、握った。
「次は抉ります」
「調子に乗るなぁっ!!」
七色の濁流が押し寄せた。
◆
「皆さん、しっかりなさって下さい!!」
魔力の矛先の大部分がアーリヤに割かれることでレイシアニルは立ち上がっていた。
彼女は風の魔術で魔力の波動を吹き払い、キリゥ達を集めて周囲に結界を張った。
レイシアニルを中心とした旋風の結界である。
完全に遮断は出来ていないものの、魔力波の悪影響を大幅に削いでいた。
「畜生め……ドジったぜ」
「目が回るぅ~……気持ち悪いぃ~……ヴォエッ」
「メレル、くさい」
目を覚ました三人はまだ回復しきっていない。
レイシアニルが抵抗できたのは彼女の魔力によるものだろう。
七色の魔力の風はそれ自体が精神をかき乱し、肉体に屈服を強いる意思が込められている。
魔力が低い三人は覿面に当てられてしまっていた。
目の前で孤軍奮闘するアーリヤを見てレイシアニルは唇を噛んだ。
叶うなら今すぐ加勢したい。
しかし加勢どころか撤退もままならない状態である。
だがアーリヤは今のところ優勢だ。
私の手など借りずとも、そのまま相手を倒してしまいそうである。
ところが、足元から怪訝そうな溜息が聞こえてきた。
「ヤベエな、ありゃ」
「キリゥさん?」
「姉さん、一応逃げる準備しといてくれ」
◆
アーリヤは獲物の首を刈り取るべく位置を計算する。
彼女は先の失敗とキリゥの実演から一つ学んでいた。
それは敵を誘導すると言うこと。
敵を知り、地を知り、時を定めれば、自ずと道は見える。
エルフの女の身体能力、森の木々の地形、攻撃方法、何よりも傲慢で不遜な相手の価値観。
それを元にアーリヤは敵の位置を算出する。
加えてわざと踊るように躱して敵を煽り、攻撃を単純化させる。
一撃を外したように見せかけて木々を倒し、相手が走り回れる空間を限定してゆく。
そして極限まで選択肢が絞られればもはや幻影などあって無きが如しだ。
目を瞑ってでも手を伸ばせば、そう…そこに――――
「かっ……はっ……!」
獲物の首がある。
アーリヤは跪くエルフの女の首を掴み、三日月のように笑う。
わざとギリギリの呼吸が許される程度に握力を緩める。
敵がもがこうとすれば締め上げ、力を失ったところでまた離すのだ。
アーリヤはこの遊びが好きだった。
暖かく脈打つ命を手の中に握っている感覚。
柔らかい肉と滴る血を指先に絡める感触。
アーリヤはそれが好きで好きで堪らない。
愛しい主に叱られて以来、随分と久しく離れていたが、これは壊してもいい玩具だ。
どの道、最後には壊すのだから。
アーリヤは嗜虐欲を存分に満たすべく、エルフの女を嬲ろうとした。
それが、致命的だった。
出し抜けに黒い血が吹き上がる。
アーリヤはぽかんとした顔で、肩から離れた右腕を見つめていた。
切り飛ばされた肩口から黒々とした血潮が溢れ出し、アーリヤの黒衣をいっそう深い闇色に染めていく。
エルフの女は首に絡んだアーリヤの右手を毟り取るように外して地面に捨てる。
そして力一杯踏みにじり、嘲笑した。
「はっ……あはははははっ! 私を、この私に膝をつかせた罰よ!
今度はお前が這い蹲れッ!!」
エルフの女は懐からもう一枚の青白く光る円月輪を取り出した。
アグラリエル・ロスイアルベンの奥の手、ミスリルの円月輪である。
刻まれたルーンによってあらかじめ投擲の魔術が込められたそれは、詠唱も魔法陣も必要とせず予備動作ゼロで射出される不可避の斬撃だ。
七色水晶が底上げした魔力によって青く光る刃は神速の一閃となり、アーリヤの右腕を切り飛ばしたのである。
アグラリエルはもう一枚を呆然とするフレッシュゴーレムの脚目掛けて横薙ぎに放った。
両の太ももから先を亡くした死肉人形はどさりと地面に落ちる。
すぱりと切り離された傷口から同じようにゴボゴボと血が溢れ出した。
「ちょうど良いわ。このままバラバラ……に…………」
そこでアグラリエルは気付いた。
おかしい。
『これ』は……何だ!?
フレッシュゴーレムの右肩と両足から止め処なく血が溢れる。
溢れ続けている。
闇色の血流は既にゴーレムの体積など遥かに超えて、川のように流れ出す。
既に自分の足元を浸すほどの量になっていることに気付いたアグラリエルは戦慄した。
しかもそれだけではない。
初めからこのフレッシュゴーレムは素体由来の膨大な魔力を持っていると思っていた。
素体由来のものだと。
だが魔力の元たる体を一部奪った後、目の前の化け物の魔力はむしろ膨れ上がって、いや、『溢れ出している』。
その漆黒の濁流の如く。
フレッシュゴーレムはその身を黒い泉に浸しながら何かを呟いていた
「……った……こ………れて………こ………しまっ………」
さざ波のように黒い泉が沸き立つ。
アグラリエルは自分が震えていることに気付いた。
全身に粟立つような鳥肌が立っていることにも。
「こわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまったこわれてしまった」
森中に広がった黒い海が再びその源へ集い始める。
ばらばらに壊れた心が一つの感情を元にして、形を取り戻そうとするかのように。
「ますたーどのが くれたからだが」
その感情の名は。
「おまえのせいだ」
“殺意”
闇が、襲い掛かる。
アグラリエルは虹色の光を掲げて絶叫した。
◆
「もう駄目だっ! ずらかるぞ!!」
立ち上がったキリゥは開口一番に叫んだ。
虹の光の全てがアーリヤへ向けられたことで三人は完全に体の自由を取り戻している。
メレルとヘイヤンも力強く頷いた。
「ちょっ…待って下さい! アーリヤちゃんを放って行く気ですか!」
「馬鹿! グズグズしてっと姉さんもあのエルフの巻き添え食らってアーリヤに殺されるぞっ!」
キリゥは牙だらけの大きな口を噛みつかんばかりに動かして早口に捲くし立てる。
確かにアーリヤの様相は尋常ではない。
いや、様相が尋常でないどころか、既に彼女の姿は闇の中へ消えていた。
いまやアーリヤは巨大な闇の塊となって虹の光を飲み込もうと蠢いている。
不定形の闇の塊は加速度的にその体積を増し、既に森の木々を天辺まで覆い隠す大きさになっている。
幾筋もの虹の閃光がその中から貫くように迸っているが、次々とその数を減らしていく。
しかし、だからこそレイシアニルは彼女を放ってなど行けなかった。
「どう見てもアーリヤちゃんが無事に済むとは思えません! 私は残って止めます!」
「無茶言え! 余計な心配しなくったってブチ切れたアーリヤが負けるわけねーだろ! 運が良けりゃあのエルフだけで済むから間に合う内に逃げるんだよ!!」
「運が良ければ…? 『あのエルフだけで済む』……!?」
キリゥの目に『しまった!!』という動揺が明らかに過ぎった。
「どういうことですか!? キリゥさん、答えて下さい!!」
「ヘイヤン!」
コボルトがレイシアニルをヒョイと肩へ担ぎ上げる。
「ちょっと! 離しなさいっ! アーリヤちゃんがっ!」
「だめだ」
「ヤバイヤバイ! ヤバイってキリゥ! どんどん大きくなってる!! 早く逃げてグリちー連れて来ないと!」
「わぁってらあ!! 行くぜ! 全員駆け足!」
「それには及ばんよ」
その場の全員が振り向く。
鍔が広い大きな灰色の三角帽子を被り、同じく灰色のマント付きローブを纏った老人が立っていた。
顔に刻まれた深いしわ。
くすんだ銀髪と対になったような金色の瞳。
「やれやれ…どうにか間に合ったようだな」
レイシアニルは目を見開いた。
師の後ろに立っていた、その男に。
男は仮面を被る。
足が竦むような、激烈な魔力の奔流を纏った本物の虹の悪魔が現れた。
そして悪魔は高く跳ぶ。
その刹那、レイシアニルは老人とも少年ともつかぬ声を聞いた。
「身を慎みて目を覚ませよ
お前の内の悪魔が
吼え猛る獅子が如く
一切を貪るべく歩き回っている」
悪魔が吸い込まれるように闇の中へ飛び込んだ後、大きな破裂音を立てて闇は消し飛んだ。
真っ青な顔でへたり込むアグラリエルの前に、ふわりと体重を感じさぬ足取りで虹の悪魔が舞い降りる。
悪魔は少女の体を抱え、エルフの女を見下ろした。
だが、まるで路傍の石の如く無視した悪魔は少女を抱えたまま、切り離された四肢を拾い集める。
そして仮面を外して少女に微笑みかけた。
「マスター…殿……?」
「大変なおつかいになっちゃったなあ、アーリヤ。こんなに酷い目にあわせちゃってごめんよ」
アーリヤの目に見る見るうちに涙が浮かび上がり、ワッと堰を切ったように彼女は泣き出した。
「ああ、よしよし。大丈夫だよ、アーリヤ。いつどんな怪我をしても、俺が必ず直してあげるから」
グリムはそっとアーリヤの頬を撫でて抱きしめた。
優しく。ありったけの労りと慈愛を込めて。
そして抗議の声が炸裂した。
「グリムてめぇーっ! 出待ちしてやがっただろーっ!!」
「美味しいとこだけ持ってくなんて、グリちーずるーいっ!!」
「ええい、黙らっしゃい黙らっしゃい! ヒロインのピンチに颯爽と駆けつけるのはヒーローの特権よォー!」
草陰からブーイングを飛ばし捲くるリザードマンとダークエルフに対してグリムは大威張りで怒鳴り返す。
しかしキリゥとメレルも『何がヒーローだインチキ野郎!!』『いつもはアーちゃんの尻に敷かれてるくせにぃー!』等と負けじと言い返す。
緊迫感は完全に消し飛び、レイシアニルは思わず膝の力が抜けてよろめいた。
「おっと、苦労をかけたな」
「先生……すみません」
師の腕に抱きとめられたレイシアニルは顔を赤らめて苦笑する。
師の旅姿を見るのは随分と久しぶりだった。
大きな三角帽子と簡素なマント付きコート、流浪の魔術師のクラシックスタイルである。
魔術院長ヴォルフガング・ジルバーシュタインは前に進み出で、死霊術師グリムの横に並んだ。
「グリム」
「悪い、ヴォルフ。お前でやってくれ」
グリムはアグラリエルに背を向けたまま膝を突く。
そして広げたマントの上にアーリヤを横たえた。
「ちと……冷静にやれる自信が無いんでね」
「勝手な男だ」
そう吐き捨てながらもジルバーシュタインはエルフの女魔術師に相対する。
「さて……石を渡したまえ」
見下ろされながらそう告げられた瞬間、アグラリエルの脳髄にカッと熱いものが宿る。
ふざけるな、何だこの茶番は。
おまけのようなこの扱いは何だ。
私は、私は……ッ!
「私はッ! 賢者の塔の術師よっ! エルフですらないお前達なんかに!!」
アグラリエルは再び虹色水晶の魔力を開放しようとした。
しかし膨れ上がった魔力は発動寸前で突然、空気が抜かれたようにしぼむ。
アグラリエルは何時のまにか全身を縛り上げていた鎖に愕然とする。
「やれやれ……塔も年々質が落ちる一方だな……」
その灰色の鎖を見てアグラリエルの脳裏に塔の伝説的な男の名がフラッシュバックする。
『灰銀の呪鎖』
『グレイ・ビッグハット』
『賢者の塔歴代最強の大魔導』
「き…『金眼白狼』……ヴォルフガング・ジルバーシュタイン……!!」
青ざめるアグラリエルの耳に茶化すような口笛が聞こえる。
「ヴォルフってば有名じ~ん」
「“紙一重のグリム”は黙っていろ」
ヴォルフはそのまま魔術の鎖を締め上げる。
その激痛に成すすべも無くアグラリエルは意識を手放した。
「全く……こんな弱いものいじめのような真似はこれっきりにしたいものだ」
「何を仰る。いつの世も常勝手段と言えば囲んで棒で叩く、これに尽きますぞ」
軽口を叩きながらもグリムは作業の手を休めない。
レイシアニルやキリゥ達が見守る中、彼は瞬く間に縫合を完了した。
「アーリヤ、動かしてごらん」
アーリヤはおずおずと指先に力を入れる。
期待に外れることなく、思い通りに指は動いた。
喜び勇んで主人に抱きつこうとした彼女は声を引きつらせる。
ぼとり、とグリムの腕が落ちた。
「ありゃ?」
それは以前スケルトンに切り飛ばされた傷口だ。
唖然とした一同の前でグリムの体が土人形のように傷口からぼろぼろと崩れ出す。
「やっべ。耐用年数来たわ。ヴォルフ、へーるぷ」
即座にジルバーシュタインは懐から取り出した細い鎖を放つ。
瞬時に鎖が巻きついたグリムの体は石のように硬直した。
「もう一刻の猶予もならん。ここでこやつを処置する。レイシアニル、手伝え」
「はい!」
青い月の下、七色水晶を廻る騒ぎは漸く終わりを迎えようとしていた。




