2-6
第六話『マスター殿は魔術師ですが嘘が得意です。小生を騙せた試しはありませんが』
ハルディーンは兵士達を撤退させながら狐につままれたような違和感に見舞われていた。
街の中に入ってから妙に亡者達の動きが鈍い。加えて碌な勧告も出来なかったにも拘らず住民達は示し合わせたように教会へ走っていく。
奇妙ではあったが幸いにして覚悟していた撤退戦による消耗も殆どゼロに押し留められた。
一体何があったのだろう。
騎士の疑問は最後の兵士達が住民と共にバリケードを超えて入って来た後に明らかとなった。
「殿を務めた三番隊はまだか!」
「彼らは…っ…我々を逃がすために踏みとどまりました!」
ハルディーンはバリケードを飛び出した。
「ハルディーン卿! 危険です、お待ち下さい!!」
しかし騎士は止まらなかった。
万が一の後のことは次席の騎士に引き継いである。
三番隊は幾度も街の窮地を救った精鋭達だ。リスクを犯す価値のある男達だ。見殺しには余りにも惜しい。
騎士は甲冑を着込んだまま懸命に走った。
雨に濡れた石畳は滑りやすく何度も転びそうになったが、その都度足を強く踏みしめて地を蹴った。
まるで一秒早く着けば一人多く助かるかのように、騎士はひたすら走り続けた。
だが決死の思いで駆けつけたその場に、異様且つ間抜けな光景が広がっていた。
兵士達は全員無事だ。バラバラになったスケルトンの一団が雨に打たれている。そこまでは良い。
だがその兵士と白骨死体の間で見覚えのある二人組みが言い争いを…いや、一方が一方に猛烈に怒られていた。
「だから!だから小生は申し上げたのであります!お傍を離れるのは嫌だと!ドジなマスター殿をお一人にするのは嫌だと!何故マスター殿はドン臭い癖に一々捨て身になりやがるのでありますか!」
「はい、すいません。アーリヤさんの仰るとおりです。本当にごめんなさい」
大の男が土砂降りの地べたに正座して少女に怒鳴りつけられていた。
少女は口から火を吹くような勢いで怒りを叩き付け、男はひたすら頭を下げ続けている。彼は時折「はい…はい…」と相槌を打ちつつ叱られるがままになっていた。
「小生のマスター殿の両椀にどれほど大事か考えて下さい!! もし…もし万が一のことがあれば…! 小生はこの街の全員に償わせてやるであります!!」
「いやあ、アーリヤ。流石にそれは」
「口答えすんじゃねえであります!」
「はい……」
ハルディーンは困惑し切っている兵士達に近づいた。
「ヘイル!無事か!」
「ハルディーン様! はい、三番隊は全員健在であります」
三番隊隊長ヘイルは無精ひげに縁取られた口元を人懐っこく歪ませる。そして飛び跳ねるように背筋を伸ばして敬礼した。
一拍遅れて他の兵士達もそれに倣った。
ヘイルは珍妙な二人組みをチラと横目で見た後、騎士へ目配せした。
二人は傍に寄って耳打ちし合う。
「何があった?」
「我々の目の前であの娘がスケルトン全てを打ち倒しました。それも素手でです。それから……」
ヘイルは一瞬口ごもったが、意を決して言葉を続けた。
「あの男の前で、何故か三体のスケルトンが同じスケルトンの群れと同士討ちしていました。男の身振り手振りはまるで指揮をしているようで……とにかくあいつは魔術師です。しかも……」
死霊術師です。
忌まわしい言葉は口には上らなかったが、ヘイルとハルディーンは互いに頷き合った。
この二人を『敵』と考えたくない。思いは同じだった。
「この件は他言無用とするよう隊員全員に徹底させろ。即時撤退だ」
「はっ。ですがハルディーン様は」
「私もこの二人を連れてすぐ後を追う」
「承知しました。お気をつけて」
◆
一応グリムは幾つかの言い訳を用意していた。
大体ローブに隠れた傷やし早々バレへんやろ、へーきへーきと高をくくっていた。
だがアーリヤは彼と合流した瞬間に傷を見抜いた。
見抜くや否や猛烈な憤怒を爆発させたアーリヤは般若の形相へと変じ、それ以上の事情説明は不可能となっている。
彼女は怒りを撒き散らすようにスケルトンの群れの中で大暴れしたあと、冷めやらぬ激情をグリムに叩きつけたのだった。
哀れなのは巻き添えを食らったスケルトン達である。
アーリヤの怒りはまだ収まりきらなかったが、教会騎士ハルディーンがその間を遮った。
「失礼! 先刻お会いした魔術師殿と助手殿とお見受けする。手短にお伺いするが、我々を手助けしてくれたのは貴公らだな?」
「誰の許しを得て私とマスターの会話に差し出がましい口を挟んでいるのですか? ぶち殺しますよ?」
出し抜けに、グリムが正座の姿勢からバッタのようにびよんと跳躍してアーリヤを羽交い絞めにした。
「きっ騎士様、すみませんねェ! 今のはエルヴァッキー語のスラングで『Exactly』って意どぁああ!!」
アーリヤは口元を押さえるグリムの左手にガブリと噛み付いた。鋭い犬歯がグリムの手のひらに穴を開けてダラダラ血を流す。
「いぃだだだだ! 痛い!痛いアーリヤ! ちょちょちょっ マジ噛みはやめてマジで痛いからやめて!」
アーリヤは「フゥーッ!」と唸りながら顎の力を緩めない。大きな目を三角にして肩でふうふう荒く息をしている。雨に濡れた艶かしい白い頬が朱に染まっていた。
騎士は緊張感の欠片も無い二人に毒気を抜かれたように呟いた。
「むむ…仲睦まじいのは結構だが、今は共に逃げないか? その、後ろにだな…」
騎士が指し示した方向へ、グリムは噛み付くアーリヤを抱えたままグルンと振り向く。思わず「げぇっ」と呻き声が漏れた。
大通りの向こうから合流したスケルトンの群れが、水しぶきを上げながら怒涛の勢いで押し寄せてくる。
水も滴る良いアーリヤとイチャついている場合ではない。
「暴れないでくれ、よっと!」
グリムは牙を食い込ませて離さないアーリヤをそのまま肩に担ぎ上げる。そして騎士と共に一目散に教会へ向かって逃げ出した。
「ド変態マスター殿っ どこを触っていやがるのでありますか!」
アーリヤは肩の上でジタバタと暴れた。柔らかく滑らかな体が雨水を含んだローブの上で激しくくねる。
しかしグリムは顎が外れた瞬間を見逃さず、ひょいとアーリヤを胸の前に抱え直した。
世界中の恋人達の憧れが一つ、お姫様抱っこである。
グリムは腕の中で動きを止めたアーリヤへ微笑みかける。
「アーリヤは軽いなぁ。鳥みたいだ」
「マスター殿は濡れた野良犬みたいな臭いであります」
「心が張り裂けそうな表現は止めてくれませんかねえ」
アーリヤはもがくのを止めて、大人しく彼の首にぎゅうとしがみ付いた。
グリムは走りながら囁く。
「心配掛けたな、アーリヤ。だが俺はいつだって大丈夫さ。腕だってもう直ったも同然だよ。それに男には傷を躊躇ってられない時もあるんだ、許してくれ」
「……もっと」
アーリヤは鼻先をグリムのうなじに埋めた。
「もっと強く抱いてください。直ったと仰るなら、大丈夫と仰るなら、小生にそのシルシを付けて下さい」
耳元に届いた囁きにグリムは応えた。
アーリヤの白磁のような肌がうっすらと赤むほど、強く強く、痛いほどグリムはアーリヤを抱きしめた。




